「地上の楽園」 


「ああ、なんて夢のような光景なんだ・・!」
「べたっと張り付くな、みっともない・・!」

そこは夏とほのかが出掛けた先のショッピングモールの一角。
大きなアクリル板に囲まれた場所に放し飼いの猫たちがいた。
猫アレルギーのため飼うことはできないが、ほのかは猫好きだ。
幸いきっちりと囲われているせいか、鼻が多少むずむずする程度。
今がそのときとばかり、ほのかは張り付いて猫たちを観賞した。
気ままに遊んだり寝そべったり、思い思いに寛いでいる猫たち。
猫カフェにも憧れるだけで行けないほのかにとって思わぬ幸運だった。

「かわいい〜〜〜!!ほんとにいやされるねぇ〜!?」
「マタタビに酔った猫みたいな顔してるぞ、おまえ。」
「え!?ほのか猫みたい!?嬉しいこと言ってくれるね。」
「誉めてない。そんなに猫好きとは知らなかったな。」
「なっち、将来ほのかがアレルギーを克服したら猫飼おう。」
「何故オレに言う?飼えばいいだろ。」
「今は無理でも将来結婚したら治っちゃうかもしれないし!」
「は!?バカ言ってんじゃねぇ!」
「よーし絶対治すぞ!ほのかあきらめないもんね。」
「・・まぁ・・がんばるのは自由だ・・よな・・?」

夏のまんざらでもない顔をほのかが目にすることはなかった。
ソレはいいとしてもあまりの心酔ぶりに夏はむっとしたらしく

「いつまで見てんだ。もう帰るぞ!」とイライラした声を掛ける。
「う〜ん・・あとちょっと〜!」とほのかは至極呑気な返事をした。

夏の忍耐が底を尽きかけた頃ようやくほのかを伴ってその場を後にした。
大量の買物を済ませて帰宅すると、ほのかはソファにごろんと転がった。

「はぁ〜あ・・かわいかったなぁ、猫。かわいいよ、ネコぉ〜!」
「こら、見えるぞ!スカートで転がるなってのに・・・」
「いいよ〜!なっちだからさー!サービス!サービス!」
「怒るぞ!」
「はふーっ猫はヨイ。そこだけは美羽と気が合うのだ。」
「なんか・・周辺には猫好きなヤツの多い気がするな。」
「そうそう、キサラちゃんも、ウッキーもスキだって。」
「らしいな。猫飼ってるのは宇喜田とジークだったか。」
「いいなぁ。うらやましいよ。毎日自宅がパラダイスだもんね。」
「大げさな・・楽園は言いすぎだろ。」
「そんなことないさ。いつか叶えようね!なっち。」
「っ・・っとと。うっかりうなずきかけたじゃねぇかよ!」
「そんでいいよ。うなずいてよ!」
「ごほっ・・アホゥ!」
「お嫁にもらう約束忘れたの!?」
「・・条件付きでな。まだそうなるかはわからんだろ!?」
「大丈夫だからご心配なく。」
「心配して返事を躊躇してるんじゃないっての・・」

正直な話、夏は猫嫌いというわけではないが飼いたいとは思わない。
大きめの猫ならいつも眼の前にいるからだ。・・・ほのかである。
見た目だけでなくすばしっこさや、すぐに噛み付くところ。それに
ごろごろと喉を鳴らして甘えたり、そうかと思うとそっけなかったりと
色んな面でほのかは猫を彷彿とさせる。なので特に必要性を感じない。
気まぐれでもわがままでも、食い意地が張っていてもほのかは可愛い。
たまにごしごしと頭を撫でたりするのは、そうせずにいられなくなるから。
美味いものをやって喜ばせたりしたくなったりもしょっちゅうだ。
自分が構いたいときは甘えてこないくせにこっちが忙しいとき寄ってくる。
そういうままならなさも夏にとってはこっそりとだが魅力を感じるところだ。
常に触れすぎないようにと注意は払っている。本物の猫ではないのだから。
それでもつい気が弛んだときに危ない瞬間があってときにヒヤリとする。

「ねぇなっちぃ〜!」
「!?・・んだよ?」
「ほのかのことナデナデして。」
「・・猫かおまえ。」
「なっちにだったら飼われてもいいな。ごろごろv」
「・・・・・・」

一瞬、夏は理性を飛ばしかけた。が、すぐに立ち直って頭を撫でた。
多少乱暴になるのは誤魔化したいせいである。ほのかは笑っている。
文句付きだがそうして笑っている様子も悪くないのでもっとしたくなる。
しかしそこはぐっと堪えて距離を取ろうとするが、その間合いは案外難しい。
ほのかが察してしまうと余計にひっつこうとする。遊ぼうとする猫のように。
尻尾や耳が見えるような錯覚を起こす。そんな自分が莫迦だと自覚はしていた。
どうしても離れないときは、苦し紛れに抱き上げてしまったりもする。
頭上に高く持ち上げるとほのかは嬉しそうにはしゃいだ声を立てた。

「わーい!高い高い。なっちー、回してっ!」

振り回してソファに落とすまでがワンセットだ。慣れたものである。

「おまえってほんと猫みてぇ。」
「ホント!?なっちぃスキっ!」
「!?」

ほんのちょっとした隙を突いてほのかが夏に口付けた。
頬だったり腕だったりと夏の除け具合によって場所は様々。
おそらくそうすることもほのかにとって遊びの一環なのだろう。
夏が困るのは、たまに”仕返し”したい気持ちが高まるときだ。
自分に負けてほのかの頬に唇を当ててしまうことがわりとある。
すると近頃嫌がるよりずっと破壊的な事態を招く事も出てきた。
”こいつ・・!”と心中で突っ込む自分も頬の熱さを認識する。
顔をポッと赤らめてはにかむという、夏にとっての破壊的行為によって。


「わーっまたちゅー返しされた!」
「・・だから・・するなって・・」
「やだよーだ!また狙うのだ。」
「仕返しが来るぞ。いいのか。」
「それを待ってたりして。へへ・・」
「・・・・」

仕返しして欲しいなんて無茶もいいとこだと夏は思った。
無茶というのは進退窮まる、つまり抑制が効かなくなるためだ。
困った夏は自分の顔を隠すようにほのかを背中から抱き込んだ。

「つかまっちゃった!えへへ・・なっち可愛いな。」
「・・・誰がだ。バカ・・」
「可愛いんだからしょうがないよ。もっと甘えて?」
「うるせー・・・」

するとほのかが突然「ぎゃっ!?」っと悲鳴を上げた。
後ろから夏がほのかの首に軽く噛み付いたのだ。

「なっちがわんこになった!にゃんこ対わんこの闘いかい!?」
「なんだそれは・・・闘わねーよ。」
「噛み付いたじゃないか。ほのかもお返しする!かぷーっ!」

ほのかは夏が遊びを仕掛けたとでも思ったのか、仕返しにと腕を噛んだ。
それもまた痛みなどなく、寧ろ余計に煽られて堪らなくなるだけのこと。
反撃したのに夏から何の反応もなく、ほのかは首を廻して夏を窺った。
まるでそれを待っていたかのように出迎えがあった。
ぽんとスイッチを押すよりゆるい感触だったが、確かに唇がそれを迎えた。
目を丸くしたほのかは、その2秒後に真っ赤になって飛び上がった。
夏の腕は意外にするっと抜け出ることができて、ほのかは勢い転びかけた。
あわあわと後ずさった先はソファだったので、そこに腰を落として夏を見た。
その顔はほのかには無表情に映った。今されたことは勘違いかと思えた。

「仕返しが来ると予告した・・はずだ。」

夏の口からそんな言葉が出た。ほのかに言っているのに痛そうな顔をした。
ほのかは驚いて飛び退いた後胸と口をそれぞれ右手と左手で押さえていた。
そのうちの口元を覆っていた右手を除けると、唇が何か言わんとして震えた。
ところが中々言葉にならない。ぱくぱくとほのかは金魚のようになっている。
顔も赤いままなのでまるで金魚そのものだなどと、夏はぼんやり考えた。
抑制を破ってしたことであるのに、夏自身は意外にも後悔はなかった。
ほのかがこれで自分に警戒心を抱くのは当然だし、最悪離れてしまうしれない。
それなのに予想以上に冷静な自分に驚いた。ただ逃げたほのかに対しては
悪いと素直に感じた。ほのかに伝わっていないと知っているのに口付けたのだ。
突然飼い主ならぬ、友達と思っている相手にそんなことをされたら引くだろう。
夏は言葉が紡げないほど驚いているほのかが可哀想になった。

「・・すまん。驚かせた。」
「ぷはっ!あっ声出た!息止めてたんだ、ほのか・・バカみたい。」
「悪かった。もうしないから・・」
「えっ!?ダメだよそんなの!?」
「ダメだろ。けどふざけてしたんじゃない。それだけは」
「わかってるよ!ちょっと驚いただけ。こっちこそゴメン!」
「え、わかって・・?」
「なっちが言ってたことでしょ?ほのかも言ったよ、待ってるって。」

夏が目を丸くしたのを見てほのかはほっとしたように笑顔になった。
ふーっと長い息を吐き出した後、ソファから立ち上がって夏の傍へ戻った。
眼の前までやってきたほのかをじっと見ていた夏は困ったような顔だ。
それをふふっと笑って、ほのかは「困ってる?」と確かめるように言った。

「おまえはちっとも困ってないみたいに見える・・」
「困らないよ、なっちにしてもらって嬉しいもん!」
「・・・知ってたのか?オレが猫なんかいらないって思ってたこと。」
「えっ!?それは知らない。将来の予定が狂っちゃうじゃないか!?」
「じゃなくて・・言ったろ、猫が家にいたら楽園だって。」
「うん?パラダイスだって言ったね。」
「だからその・・・オレはいらないんだ。おまえがいるから。」
「!?・・ええええっ・・・・どうしよ!?スゴくウレシイ!」
「してもいいのか、キス。」
「えっ・・い・いいとも。」

背の高い夏を下から見上げ、ほのかは笑っている。頬を染めて。
その両頬を夏がそっと手で包むと、また驚いたが逃げはしなかった。

「あのさ・・背伸びした方がいい?」
「どっちでも。」
「そうか。じゃあする。」

しかし背伸びしたほのかは抱き上げられて夏より目線が上になった。
キスするのではないのかと不思議そうな顔のほのかの頬に夏の唇が乗る。
頬だけでなく、ほのかの顔中いたるところに軽く優しい心地が彷徨った。
くすぐったそうなほのかは夏の首に両手を巻きつけ、額を夏のそれに当てた。

「なるほどこれならどっちでもよいね?」
「おまえがいいならそれでいい。」

楽園を腕に抱いた夏がそう囁いた。猫に見惚れていたほのかだったが
もしかするとこんな風だったのかなと心から癒されていそうな夏の笑みに
ほのかの心が熱くなる。そして思いついて目を閉じてみた。すると
蕩けるような心地がやってきた。そしてそれは夏も同じらしい。
ほのかは口付けに酔いながら、楽園の存在を確かに感じていた。








やってられねーっ!って思いました。書いておいてすいません。(^^;