「お願い!ティーチャー」 


”こっこれは・・見せらんないじょ・・!”

その日返された小テストの答案用紙を手にほのかは固まった。
見るとそこには不本意と呼ぶにもお粗末な点数と×が多く並んでいる。
額からダラダラと嫌な汗が滲み出て来るような気持ちであった。
テスト前に鬼教師と化すほのかの相棒、すなわち夏に見られては身が危険だ。
早くこれを隠蔽し話題からも遠ざけなければならないとほのかは思った。
そしてその忌々しき事態に夢中になっていたほのかは致命的なミスをした。
背後にはその一番見られたくない人物、夏が迫っていたのである。
彼は武術家として気配を殺す術を身に付けてはいるがこの場合必要なかった。
そんな策を弄さずとも、大慌てのほのかにそんな余裕は皆無だったからだ。

「何見てるんだ?」

彼は上背のある身体をほのかの背後から静かに寄せるとそう呟いた。
小柄なほのかの身体はそうされると簡単に彼の懐に抱きこまれるような格好だ。
おまけに屈んで近付いた顔の口元はほのかの耳元に他意無く引き寄せられる。
囁かれたような結果になって二重の意味でほのかは飛び上がった。

「なーーーーーーーーーーっ!?!?」

ほのかは悲鳴に近い声で叫びながら、びくりとした瞬間猫のように飛び退った。
驚いて握り締めた結果、ぐしゃぐしゃになった答案を身の後ろに咄嗟に隠す。
なかなかに素早い動きではあったが、彼の前ではほぼ意味の無い行動であった。
青ざめながら隠されたそれに彼が気付かないはずも無く、抵抗は無駄に終わった。
あっという間に取り上げられたそれにほのかは逃げるしかないと悟った。
追い詰められた憐れな子猫然としたほのかは最終手段を取ろうとしたのだが、
時既に遅し。幼い頃から鍛え上げている夏である、裏をかくには相手が悪過ぎた。
ほのかは呆気なく確保され、彼の真正面に引っ張り出されることとなった。
背の高い相手を恐る恐る見上げると、ほのか以外の者ならばうっとりするような笑顔があった。

「ほのかちゃん、これはどういうことなのかな?」

口調はとても優しく穏やかであるが、それはほのかの背筋を一層寒くする。

「あ、あの・・これには深いワケが・・・」
「へぇ?どんな訳なんだい?」
「え、えと・・その・・たた体調が良くなくてね、その日。」
「テスト期間ずっと元気だったけど?」
「・・テスト中におなかが痛くなってさぁ・・」
「だったらどうしてテストのあった日にそのことをオレに言わなかったのかな?」
「い、いやその・・だから予想外?ってヤツ!?・・かな?・・・へへへ・・」
「ふぅん、そうなの。頑張ったのに残念だね、ほのかちゃん。」

普段なら在り得ない柔らかい口調に冷たい汗が頬を伝う。

「ご、ごめんね?あのさ、その・・たまたま不運だったっていうかー・・」

言わなければいいものを、ほのかは無理に作った笑顔でそう言ってしまう。
墓穴は大きかった。そのとき夏の瞳が瞬時に赤く光ったように感じた。

「そうだね、たまたまなんだね。じゃあ先生の努力も足りなかったということだから・・」
「いやいや、そんな!いいですよ、先生。気を遣わなくても・・ほのかの実力っすよー!」
「そんなことないよ。せっかくの努力にちゃんと結果を出さないとね。」
「だからそんな気遣いはイラナイよ〜〜〜!」
「君こそ遠慮なんかしなくていいよ。今日早速これからお勉強しょうね!」
「うっぎゃーっ!やっぱりそう来るのだね〜〜〜〜!?」
「さぁ時間がもったいない。みっちり教えてあげるよ。」
「・・・・ォ・鬼がいるよ・・・神様。」

彼女がこれほど恐れるのも無理はない。彼はとても根が真面目で努力家なのである。
どちらかというと正反対のほのかがいつもテスト前に泣く泣くお世話になるのには理由がある。
塾へ行かされるのを阻止するため、彼に家庭教師を頼んでしまったという経緯があるのだ。
そうして熱心で何事にも完璧を目指す彼の本質を目の辺りにすることとなった。
結果成績は上がり、家族は喜び、抜け出ることの適わない状況が整ったという訳だった。
ほのかは当然後悔したが、成績が上がること事態には文句の付け様も無く、今に至る。
それにしたって、とほのかは思う。彼の優しく美しい容姿からは想像し難いこの厳しさ・・・

「せ、先生!休憩は・・まだですか!?」
「まだ何分も経ってない。甘えんな。」
「くく・・詐欺だよ、なっつんて顔に似合わずいじめっ子なんだから・・」
「ぐだぐだ言ってねぇで。出来たのか!?」
「あ、あのここがワカリマセン!」
「なにぃ・・?ここはさっき教えただろうが、このボケ!」
「先生の迫力に負けて頷いてしまったです、ハイ!」
「も一回説明してやるからよく聞けよ!」
「はいぃ!」

乱暴に頭を鷲掴みされて揺らされてしまい、ほのかは眩暈がした。
彼はとても短気だと思う。そして容赦ない。でもって乱暴も働く。
この先生と生徒の間には緊張感が常に漂い、生きた心地がしなかった。
だが真面目に取り組めば確実に身に着き、出された結果に彼は我がことのように喜んだ。
そんな様子は厳しくされた分嬉しいお返しとほのかには感じられる。
だからイヤイヤながらも頑張った。「人生苦在れば楽になる」と自分に言い聞かせながら。

「出来た!これでいい?あってるでしょ!?」
「よーし、よく頑張ったな。ちっと休憩にするか。」

暴力教師だったはずの彼はほっとするような息を吐くと穏やかに微笑んだ。
”おっこの顔は好きだじょ”とほのかは思い、そっと微笑み返す。
そしていささか乱暴ではあるが、彼の大きな手がわしゃっとほのかの頭を撫でる。
猫をあやすような、小さな子にするような行為であったが、嫌ではなかった。
大きな手は温かくて、なんだか不思議に安堵するような気がするからだ。

「ふーっ・・・疲れたじょ〜!」
「次はあんな馬鹿なミスとかするなよ?」
「うん、もう特訓は勘弁して欲しいよ、ほのかも。」
「オマエは馬鹿じゃないんだから、もう少し落ち着いて考えろってんだ。」
「うへへv面目ない。」
「何嬉しがってんだ、バカ。」

どうやら顔に出ていたらしい褒められて嬉しい気持ちに鬼教師は照れていた。
コホンとわざとらしい咳払いをして誤魔化すと、自ら淹れたお茶をすすった。

「なっつんてさ、厳しいけど優しいよね?」
「あぁ?何言い出してんだ。」
「だってこんなに一生懸命教えてくれる人他に居ないよ。」
「別に・・そんなこともないだろ?」
「ううん、今まで習ったどんな先生より尊敬しちゃうよ!」
「ばっバカ。何煽ててんだ。手を緩めたりしねーぞ。」
「煽ててるんじゃないよ。ほのかなっつんに感謝してるからね。」
「もういいって。・・・気持ちわりぃ・・・」
「照れなくてもいーじゃん。」

ほのかは煽てようとしている訳ではなく、素直に言葉にしただけであった。
彼もまたそれがわかるからこそ、気恥ずかしい思いがしたのである。
熱心に教えるに足りる生徒だということを彼も感じてはいたのだが口には出さない。
夏はほのかと反対で、どうしても本音を素直に表せない性質だからだ。
寧ろ本音であればあるほど、彼は口を閉ざしてしまうだろう。
そして思ったままに相手に尊敬や感謝を伝えられるほのかを好ましく思っていた。
なかなかそういうことを嫌味や計算なしに口にするのは難しいことであるから。
”コイツの一種の才能かもな”とこっそり夏は思う。

「さて、残りやっちまうか・・・」
「げっ!まだやるのぉ・・?」
「あと少しだ。キリのいいとこまでな。」
「キリがいいから休憩したんじゃなかったの!?」
「オマエの顔に『もう限界』って書いてあったからだよ。」
「むぅ・・それは正しいけどぉ〜・・先生今日はお終いにしない?」
「じゃあ残りは宿題にするか?」
「えっ!?・・それは〜・・嫌かも・・」
「そうだろ。頑張ったら明日は今日より短い勉強時間にしてやるから。」
「そうなの!?わかった、がんばるよっ!」

素直で単純なほのかの反応にまた夏の頬が少し弛んだ。
厳しい態度で教えるのには彼なりの理由がある。
集中させて効率を上げるという表向きの理由と、
もう一つは本音というよりは後ろぐらい理由から言葉に出来ない。
普段見れない必死の様相のほのかが単純に可愛いと思うからと、
普段は遠慮して思うようにできないことが出来るからであった。
つまり顔を覗き込む、かなり近い位置に接近する、髪に触れる等々・・

”単純で助かるぜ”と軽い吐息を漏らすとほのかが言った。
「なっつん、頑張ったらご褒美ちょうだいね!」
「?・・何がいいんだよ?」
「なっつんとお昼寝。明日勉強が終わったら。ね、お願い!」
「昼寝・・?何でまた・・・」
「いつものお礼になっつんに子守唄歌ってほのかが撫で撫でするの!」
「はぁっ!?なんだそれは・・・」
「なっつんよくほのかのこと撫でてくれるじゃない。だからお礼だってば。」
「・・・・いや、それ・・礼には及ばないから・・全く。」
「なんで?ほのかいつも嬉しいなって思ってるんだよ。だからさせて?」

ほのかは夏がこっそりとしているはずのいつもの行為に喜んでいたと言っているのだ。
素直に喜べないのは、夏にとってみれば当然のことである。

「ねぇねぇ、お願い、先生v」
「・・・や、だから・・その・・・別に昼寝とかしたくねぇし・・」
「じゃあ撫で撫でだけでもさせてよ。」

勿論ほのかは嫌味で言っている訳でなく、ごく単純に思ったままを言っている。
それがわかるからなおのこと、どう返事するべきかと夏は悩んでしまったのである。
ここはどう切り抜ければこの単純な娘を納得させられるだろうか、と真剣に悩んだ。
ほのかがキラキラした敬愛の瞳を自分に向けている、だから逃げられない、と夏は思う。

「それとも他にして欲しいことある?なっつん。なんでも言っていいよ。」

”そういうことはもう少しオレが男と認識できてから言えよな”
ほのかの追い討ちを掛けるような発言に、夏は今日のほのかのように固まってしまった。

「いや、その・・撫でれば?その・・それだけでいいから。」
「遠慮しなくていいのにー!なっつんてば。」

決して遠慮しているわけではないことをまだ悟られるには早い。
今の保護者的立場から脱却するにはほのかの自覚が足りなさ過ぎる。
『形勢逆転』そんな言葉が脳裏を掠めた。
”いや、負けるなオレ!”と夏は新たに気を引き締めるのだった。







可愛らしいイラストからどばっとイメージして出来た突発です。
いやもう脳内ではもう少し危ない展開もあったのですが・・(苦笑)
ここは一つ、お兄さん的立場を貫いてもらいました。危ない危ない(^^;
ドコたん、ステキイラスト描いてくれてありがとうですvvv