「丘を駆け上がって」 


先の見えない坂が好きだ。そこを駆け上げることも。
急だから息が切れたりもするが、上った先の景色は
予想と違っていたり、違っていても新鮮だったりと
時々で印象を変える。未だ見ていない場所は特にいい。
そこから見る景色はどんなだろうとわくわくしながら。

がっかりしたりしない。そこは望んでいる処なのだから。



高い場所はいい。見下ろす先が開けていれば尚のこと。
人は大抵這い蹲って地面から離れられずに生きているが
ほんの少し離れただけで解放され鳥に近付いた気になれる。
単純なものだ。それでも普段見えない景色は心を和ませる。
煩わしいことも面倒なことも何もかもちっぽけに感じられ
憂さも晴れて穏やかな気持ちを取戻す。高ければ高い程だ。

頼りない足元であったとしても、そこに在る意味を強く知る。




「わあっ!急な坂だ。ダイスキっ!!」
「あ・おい、ほのかっ!転ぶなよ?!」

何度目か忘れた約束をして、夏とほのかの出かけた場所は小高い丘にあった。
広い公園の敷地内には花壇も設えてあったが、ほのかはあまり興味を示さず、
眼の前に長く続く道の向こう側に釘付けだ。頂上には空が広がっているだけの。
着く前から目を輝かせ、とうとう駆け出した。夏も遅れずほのかの後に続いた。

見た目よりも勾配と距離があり、ほのかは途中で呼吸を整えるため脚を止めた。

「ふぁ〜!いい眺め。ほのかこんな先の見えない坂道がダイスキなんだよ。」
「そのようだが少しペースを考えろ。息がキツくなったんだろうが。」
「っへへ・・わくわくが抑え切れなくって。なっちは涼しい顔だねぇ」
「それよかここを登ったところで何もないはずだぞ?」
「山とかの頂上なんてそんなもんさ。けど何もないわけじゃないよ。」
「・・・・・」
「景色だって良いしね。けどほのかは見えない先に向う途が好きなのだよ。」
「まぁ・・わからんことはない」
「?!嬉しいな。そうだ、前になっちは高いとこ好きって言ってなかった?」
「・・・あぁ」
「気が合うね。お兄ちゃんは高いトコ苦手だったけども。」
「・・・・・」
「先に行くよっ!なっちはゆっくり来てね?!」

一番乗りがしたいのだろう、夏は苦笑交じりに頷いてやり、ほのかは笑う。
そんなことに心底嬉しそうな顔をされては、夏としても黙って従う他なかった。
ほのかは今時の少女にしては珍しくこういう他愛なかったり何も無い場所を好む。
夏に気を遣うでもないのだ。そこにほっとしたり助けられたこともままある。
勿論年頃のイベントなんかにも付き合わされて辟易しなくもないのであるが。
だが感覚的な部分に共通項を見つける。こっそりと気は合うなと夏は思っていた。

幾分ペースダウンしつつもほのかは丘の天辺を目指して脇目も振らず登っていく。
その少し後ろを追う夏は不思議な気分になる。見えない先は未来に繋がっていて
まるでこのままほのかに先導されて、どこか見たことも無い場所へ行ってしまう、
そんな気がする。そんな場所はどこにもないというのに、行きたがっているのだ。
そこは見晴らしの良い処だと良いなどと、ぼんやりと取りとめもないことまで思う。

何故そう思うのだろう、見晴らしを求めるのは自分のためでなくほのかが歓ぶから。
連れて行ってやりたい。普段あちこち連れ廻されている身を嘆いておきながら思う。

「なっちーっ!遅いよーっ!?」

ゆっくり来いと言っていたくせにほのかが上から夏を呼んだ。距離が空いたせいだ。
夏もほのかを見習うでもないが軽く駆け上がってみればあっという間に追いついた。
やがて丘の頂に着くと思ったとおり何も無い空間だった。ほのかがまた手招きした。

「なっち、あそこ花が咲いてる。綺麗だね!」
「それ以上行くな。滑るぞ、そこ」
「だーいじょ・・」
「!?」

足場の悪い処だったらしい。ほのかが脚を滑らせ、慌てて夏がほのかを引き寄せた。
大したことでもなく、日頃そそっかしいほのかをフォローするのは夏の定番だ。
どうということのないはずの場面。おかしいな、と感じたのはどちらだったか。

大げさに抱き寄せられた、ただそれだけなのに・・・

なにを動揺してるんだ俺は、これしきのことで・・・

「なっち・・?もう大丈夫だよ。ありがと」
「・・・・気を付けろ」

夏はほのかから離れた。その顔が不機嫌そうでほのかは気まずい。
時折、夏はいき過ぎなくらい心配する。昔を思い出すのかもしれない。
心配して欲しくない。いき過ぎだとは思うのだがほのかは反省した。

たまに大げさにほのかを抱き締めそうになる。というか先ほどはそうした。
最初もほのかが火傷をしそうになった台所だった。その後もあちこちで。
ほのかの小さくて柔らかな体はその度に夏を不安にさせる。胸の奥深くが疼く。
ずっと抱きしめていたい気になる。当たり前に自分の腕の中に仕舞いたい。
見えない何かに遮られている気がする。駆け上がりたいような衝動がする。

「なっちー!お弁当食べよ。」
「・・・・まだ早くないか?」
「ほのかお腹空いちゃった。」
「空いてないときが少なくないか?」
「そんなことないよ、気のせいだよ」

気まずさはいつもほのかから打ち消され、夏は明るい声に救われる。
子供っぽさをありがたく感じ、また少し寂しいとも。心が揺れている。
あどけなさを留めていたいのか、それとももぎ取ってしまいたいのか
どこへ行ってしまいたいのだろう、ほのかを伴って知らない場処へ?

広げられたシートに夏とほのかの手製の弁当が広げられ満足そうに頷くほのか。
いびつな形のものはほのかで、きちんと美味しそうなものは夏、と解りやすい。
手を合わせ「いただきます」と丁寧に挨拶する。夏も育ちのためか欠かさない。
誰かと一緒に食べようと思えばできる。けれど夏はそうしてこなかった。
誰かの手による食べ物も望まなかった。忘れていたのだ、そんなことなど。
食事は栄養補給以外の意味を持たなかった。それらを何もかも上書きしたのは

夏は彼の食事の価値感を変えた当人を見ながら形の悪いものを選んで食べた。
形も味も最初の頃に比べれば格段に進歩している。腹具合の心配もしていない。
美味そうで幸せそうなほのかが眼の前にいれば、殊更良い味がする気がした。
そして必ず最後には「美味しかった!ごちそうさま。」と添えられる言葉。
それが聞きたくて面倒だった料理も今や店が出せそうなレベルにまで上達した。

「ねぇねぇ、玉子焼きどうだった!?」
「・・いいんじゃねぇ?合格にしといてやる。」
「あぁ長い道のりだった・・なっち、素直に美味しかったとお言いよ?!」
「美味かった」
「えっ!?・・そ、そうかい?うむ・・正直でよろしい・・」
「・・お前顔赤くないか?」
「い?いやいやいや、ないよ!」

あまりに普通に述べられた感想にほのかは照れた。夏は不思議がっている。
ほのかにとっては不思議でもなんでもない。素直な言葉も辛口の批評でも
夏の口から聞くから嬉しかったり悲しかったりするのだ。当然の結果だ。
ただ、どうして夏限定なのだろうとは思っていた。ダイスキな兄や父では
腹が立ったりするだけなのだ。(腕前のせいではあるが)それなのに何故か
夏が美味しいと言わなかったとしても、初めて夏に料理らしきものを拵えたとき
どうみても胃に差し障りのありそうなそれを全部残さず平らげてくれたことが
どれほど感動的な出来事だったかと、そうだからなのだろうとほのかは考える。
今でもどんな出来栄えでも食べてくれる。毒舌が付くときもあることはあるが
今日のように美味しいと言ってくれることも増えてきた。天にも昇る気持ちになる。
嬉しくて坂道を駆け上がっているような気分だ。爽快でわくわくして堪らない。
もしかしてこの「美味しい」のためならば一生だって作りたいと願ってしまう。

「なんだよ、なんか付いてるか?」
「え、いや何にも付いてないよ!」

視線を感じて夏が尋ねる。ほのかは知らず見詰めていたことを誤魔化した。
胸がときめくのも、きゅっと痛むのもいつからだろう、初めて抱き寄せられたとき?
もっとくっついていたいなと思うのはイケナイことだろうか。どこかおかしいのか。

「なっち、景色はどう?!気に入った?」
「あぁ、悪くは無いな。」
「よかった!ほのかも気持ちよかった。」
「駆け上がるのがそんな好きか」
「ウン、なっちも一緒だから!」
「・・・そうかよ」

ほのかは目を瞠った。夏が自分が照れたのを誤魔化したみたいに見えた。
何か言おうとしていたのに二人して黙り込む。妙な沈黙に嵌ってしまう。

「あ、あのねなっち。また・・今度は一緒に坂道を駆け上がっていい?」
「・・・どこでもいいのか?」
「どこでもいいよ、一緒なら」
「心臓破りのだったとしても?」
「燃える!いいね、そんでもって知らない場所がいい。」
「いいな、どこか・・そうだな、どこでもいいな。」
「ウンっ!!」


どこでも、どこまでも一緒に。その言葉は言えなかったけれど
いつも、いつまででも二人で。それは未だ口に出来なかったが










これ、時期が微妙ですね。迷ったんですが自覚(直)前ということで。