『にんぎょひめ』V



舞踏会の次の日はなつは朝からお務めで、ほのかは一人で城にいました。
部屋にはほのかが楽しめそうな簡単な文章の本などが数冊投げ出されています。
ほのかは窓から海を見ていました。波は高くなく、穏やかで気持ちの良い光景です。
借りたときはワクワクしていた本だったのに、今のほのかはそれに夢中になれません。
そして無意識に海へと視線は吸い寄せられ、ほのかの気持ちも海に漂うようでした。

”いいかね?繰り返すが満月の夜が期限だよ。私が証人になるのでそちらへ迎えに行こう。”

ほのかに人間の脚を授けた魔法使いの”あきさめ”は落ち着いた低い声でそう言いました。

「ほのかが消えちゃったら・・お父さんもお母さんもおじいちゃんもおねえちゃんたちも・・」

悲しむだろうと思うと、ほのかも悲しくなります。死にたいわけでは決してないのです。
かといってこの国で海に戻らないまま暮らすのも途方もないことのように感じられました。
”なつのお嫁さん”になれれば可能性もあるのですが、ほのかにはそれがイメージできないのです。
”なつは優しくて大好きだけど・・結婚は・・無理だなって言ってたよね?”
”それに、”永遠の人”かどうかわからないし・・・確かめるのが・・怖い・・”
実は人魚の娘たちには一生に一度だけ、”永遠の人”を確かめることのできる瞬間が訪れるのです。
ほのかも女の子ですからそのことは知っていました。まだ一度も試した経験はないのですが。
歳の離れた姉たちが、まだ小さなほのかの前でその話をしていたことがありました。

「スキになったからキスしてみたんだけど、”永遠の人”じゃあなかったのよ、がっかり・・」
「いいじゃない、あんな男が”永遠の人”じゃあ、私たちだってがっかりだったわ。」
「・・ねーおねえちゃん!”えーえんのひと”ってなぁに?」
「聞いてたの?あのね、大人になってスキな男が出来たらキスするでしょ、そうするとね・・」
「うん・・そしたら?」
「その人が運命の人ならば、金色に輝く涙が零れるの。一生に一度しかない女の子の憧れよ!」
「おかあさんも?それでおとうさんとけっこんしたの!?」
「大正解!ほのかにはまだちょっと早い話だけどね。」
「スキになったらキスすればけっこんする人かどーかわかるなんてべんりだね?!」
「まぁ・・ほのかったら、”便利”じゃなくって、”ロマンチック”よ!ふふふ・・」
「ろま・・?もういっぺんいって、おねえちゃん・・」

そんなやり取りを思い出しました。ほのかはその頃からいつかスキな人ができたらキスしてみたい、
と思っていました。そしてそれはとても簡単なことだと考えていました。けれどそれは間違いでした。
なつにそれをお願いすることを想像しただけで胸がどきどきして、なんだかしたくないと思えるのです。
それに、もしなつとキスができたとしても彼は”永遠の人”でないかもしれません。それが怖いのです。
”違ってたら・・ほのかはお嫁さんになれない・・やっぱり海に帰るしか・・そしたらほのかのこと・・”
違っていたら彼は自分を忘れてしまうのです。でなければ泡となって消える・・ほのかは迷いました。

「・・ロマンチックって何?わかんないよ、おねえちゃん・・ほのか確かめるのが怖いよう〜!」

ほのかは生まれて初めての気持ちを持て余していたのです。夕方なつが帰っても会うのが嫌でした。
それで夕食も要らないと告げて、部屋にこもってしまいました。なつは当然心配して会いにきました。
突然ほのかから”会いたくない”です。驚くのも無理はありません、昨日まで楽しそうにしていたのに。
普通ならばそんな乱暴はしないなつでしたが、とうとうほのかの部屋へ合鍵で入ってしまいました。

「いったいどうしたんだ?具合が悪いのか!?・・って、なんで逃げる!?」
「わっわるく・・う、うん!わるいの。だから来ないで!ほっといて!」
「そんな嘘吐くなよ、どうしてオれから逃げるんだ、オレが何かしたか?」
「なっつんは何にもしてないよ・・ほのか・・もうどうしたらいいのかわかんないの!」

一生懸命堪えていたのですが、ほのかの眼からまたぽろぽろと涙が零れ、珠となって落ちました。
崩れ落ちそうになった小さな身体をなつが支えてやると、ほのかは大声でなつに縋って泣き出しました。

「満月なんて来なければいいのに!なっつんとさよならしたくない!でも、でも・・・」
「・・落ち着けよ、別れなくて済む方法があっただろ?」
「・・だって・・なっつんが”永遠の人”じゃなかったら・・ほのか結婚できない・・」
「・・?なんだよ、それ!?」
「人魚の女の子は結婚する人が決まってるの・・一生に一度だけ金色の涙が零れるんだよ。」
「その金の涙が出ないと結婚できないってのか!?ここは海じゃないんだからそんなもん無視しろ。」
「そんな・・生まれたときから決まってるから”永遠の人”なんだよ?!」
「オレは・・おまえが泡になって消えないならあとはどうでもいい。」
「どうでもよくないよ!海の魔法使いは決まりを守るためにいるの。破ったらすぐわかっちゃう!」
「じゃあオレがその運命の相手だと言え。おまえのこと忘れるのはご免だ。」
「・・ほのかを人間にしてくれた魔法使いが確かめに来るんだって・・満月の夜に。」
「その金色の涙があればいいのか?どうすりゃ出るんだ、それ。」
「どうって・・キス・・なんだけど・・」
「ああ、そんで舞踏会のときにしたかしたかと聞いてたのか。・・なら簡単だ。」
「え!?ちょっ・・なっつん、何するの!?」
「今からしてみればいい。」
「だっ・・!ダメーーーっ!」
「オレと別れたくないって言ったじゃないか!?」
「だって・・怖い・・!ほのかの運命の人じゃなかったらって思うと・・」
「今までに確かめたことないのか?」
「ない・・キスするのに憧れてたのに、ちっとも嬉しくない。こっ怖いよう・・」
「オレじゃなかったらってことが怖いんだろ?キスすることじゃなく。」
「うん・・」
「なら、絶対大丈夫だ。」
「なんで・・?なんでわかるの・・?」
「なんでって・・例えそんな涙が出なくたって、魔法使い殴り倒してでも連れて行かせない。」
「・・・そんな・・人間じゃあどうにも・・」
「もしどうしてもおまえが消えなきゃならないとか言うんなら・・オレに魔法かけてもらうさ。」
「え?!」
「海でもどこでも行ってやる。」
「なっつん・・・」
「運命とか決まりとかそんなもん知るか。どうするかは全部自分が決めることだ。」
「自分で・・なっつんの傍にいたいって思ってもいいの・・?」
「そうだ。まずおまえが決めろ。そっちが肝心だ。」
「ほのかのこと忘れるの嫌だって思ってくれるんだね・・!?嬉しい、ほのかも忘れたくない!」
「あぁ・・このオレをそんな気にさせたくらいだから、自信持っていいぞ。」
「なっつん・・だいすき・・もう・・ずっと一緒にいる!海でもどこでもいいよ、一緒なら。」

ほのかは幸せで胸がはちきれそうにいっぱいになりました。幸せの笑顔がほのかに浮かびます。
嬉しさと楽しさは知っていたけれど、それよりもっと素晴らしいものがあったと知ったのです。
人を好きになることと、勇気を出すこと、想いが届く喜び、生まれ直したような気持ちがしました。
幸せに満たされたほのかがいつのまにかなつ王子の腕に抱かれ、唇が触れていたことにようやく気付くと・・
眩い光が二人を包みました。金色に輝く美しい証が、ほのかの瞳から生まれ落ちたからでした。

「・・・ホントだ・・なっつんスゴイ!ホントに大丈夫だった!」
「だろ?!忘れたり消えたりしたんじゃ、出会った意味ないじゃねーか。」
「そうかあ・・なっつんありがとう!好きになってくれて。」
「おまえもな。」

その夜は満月の一つ前の晩。二人で月を眺めながら、城のバルコニーで二人一緒に過ごしました。

「なっつんは”結婚は無理だ”って言ってたのに。」
「前例を聞かないからな・・いいさ、作れば。」
「嬉しい。・・でも海へはもう行けないんだね・・」
「なんとかできないのか?そういう魔法とかあるんじゃないか?」
「さぁ・・?ほのかも人間と結婚した人って知らないんだよ。」
「そうか・・うーん・・とにかくその魔法使いってのに訊くしかないようだな。」
「海に・・なっつんと行けたらいいな。あちこち面白いところに連れて行ってあげたい。」
「そうだな。オレは・・海もだが、旅がしたい。おまえとなら一緒に色んな世界が見たい。」
「わあっステキ!!ほのかもなっつんとたくさんのこと見に行けたらな!?」
「・・この国を放っておけないからってずっとオレも”決まり”に従ってたんだ。」
「なっつんも?」
「だから、おまえのおかげだな。色々と試したくなったんだ。変えていくことを。」
「ほのかの!?えー・・なんか照れる・・」
「ところで初めて試したキスはどうだったんだよ?」
「えっ!?えっと・・それはその〜・・・」
「まさか覚えてないとか言うんじゃないだろうな?」
「そっそんなこと・・ないよ?!でもあの金色の涙が嬉しくって、その・・」
「じゃあ今度はちゃんと覚えてろ。」
「う、うん・・」


二回目のキスはちゃんと覚えたけれど、胸の騒がしさと熱くてクラクラする身体がタイヘンです。
でもなつが支えてくれたので、甘えて全部任せてしまい、また幸せに包まれてしまいました。
明日の夜、なにが起こったとしてもほのかはなつと一緒にいようと心の中で誓いました。
”永遠の人”だと金の涙が教えてくれたけれど、それを”真実”にするのは自分たちなのです。
それもほのかは知りませんでした。大変そうだけどがんばってみよう、なつががんばったみたいに。

”そうだ、みうだって、けんいちだって、皆がんばってるんだ。ほのかもがんばろう、幸せを育てるために。”

”にんぎょとにんげんの両方が仲良くするために・・ほのかに何かできるかな・・?”

眠れない満月の前の夜、ほのかはたくさんのことを思い浮かべては考えてみました。
”楽しいことばっかりじゃなくても大丈夫。なつがいてくれるから・・・”
ベッドから見える大きな窓の向こうに広がる夜空の星は綺麗で、励まされているような気がしました。










今回はちょっと短め。次回は満月の夜ですv(宣伝)
4話もヨロシクお願いします。(^^)