『にんぎょひめ』T



砂浜にたどり着くと、少女はそこで立ち上がろうとしました。
しかし水中と違って体の重さは信じられないほどで、脚が震えます。
立ち上がりかけたものの、すぐにぺしゃんと砂浜に座り込みました。

「困ったなぁ、立つだけでもこんなに大変だなんて聞いてないじょ!」

少女は陸地に上がってきたのも初めてでした。海が彼女の住処でしたから。
ほんの数分前まで彼女は人魚だったのです。魔法の薬で脚をもらったのです。
数日前の嵐の夜、掟に背いた罪を償うために陸地へとやってきたのでした。

人魚は人間とは接触しないのが通常です。掟で古くからそうなっていました。
しかし彼らは時折、海難に見舞われた人間を救助することがあるのでした。
そんな時は人魚の存在を知られないよう、記憶を消す薬を飲ませます。
救助をしていいのは薬を持つのを許された資格ある人魚だけと決まっていました。
そんな決まりを少女は破ってしまったため、こんなところにきているのです。

「まったくドジったよ・・ほのかちゃんとしたことがさ。」

一人でブツブツ言っている元人魚のほのかは黒い大きな瞳とお揃いの跳ねた髪。
その髪は肩にも届かない長さです。普通人魚の娘は髪を長く伸ばしているのですが、
今回の件で、足と引き換えに髪を切られてしまいました。人魚の娘にとっては一大事です。
ところがほのかは少しも悲しんでいません。邪魔にならず、気に入ったくらいでした。
歳の頃は人間にすれば14、5くらい。生来明るくてさっぱりとした性格でした。

ほのかが腕組みをして悩んでいると、そこへ都合よく現れた若者がありました。
彼はその土地を治める領主の一人息子でした。馬に乗って領内から戻った所です。
若者は明るい髪と端正な顔立ち、身なりは立派で体格もそれに負けていませんでした。
城下であり、人の居ないはずの入り江に見慣れない少女がぽつんと居るのを見つけた彼は、
それを訝しく思い、馬を下りて砂浜にいるほのかの所へ近寄ってきたのでした。

「・・・こんなとこで何をしている!?」
「あっなんていいとこに来てくれるんだ。ほのかラッキーだじょ!」
「・・・・・!!!!!???」

若者は大慌てで着ていたマントを外すとほのかをそれで包んでしまいました。
腕を組んでいたほのかが手を離すと、身には何一つまとっていないとわかったからです。
かなり動揺したらしく、頭から被せられたほのかがもごもご抵抗しています。

「むわーっ!!苦しいっ!いきなりなんてことするんだい、ちみはっ!?」
「おっおまえこそ、なんで服を着てないんだ!?」
「服・・そっか、忘れてたじょ。そんなの持ってないし。」
「おまえは!?もしかして・・あのときのっ!?」
「あーやっぱし覚えてたか。そうなの、ちょいと助けてくれたまえ。」
「よくもそんなことを・・オレはあのときおまえのせいで溺れそうになったんだぞ!?」
「え〜っ・・嵐で難儀してたのを助けようとしたんだよ!?・・人聞きの悪い。」
「オレは泳げるってのにおまえが無理矢理・・それよりおまえ人間だったのか?」
「人魚だよ。でも今は魔法で人間になってるの。それで助けてもらわないと死んじゃうんだよ。」
「どういうことだ?・・このままでは日も暮れるし・・仕方ないな。」

若者はマントでぐるぐる巻きのほのかを抱き上げると、元来た路を戻りました。
「どこ行くの?」とか色々と質問してくるほのかがうるさいので彼は閉口しました。

「ここからは城の中に入るから、しばらく黙ってろ。いいなっ!」
「ふぁい・・おっかない顔するのぅ、ちみ・・。」

城の城壁の一部に隠し扉があり、彼はそこから内部に侵入しました。
同じような隠し扉から慣れた足取りで城の中に入ると階段を駆け上がりました。
ほのかを抱えたまま、歩調も弛めずにです。ほのかは感心しました。
とある大きな扉の前で立ち止まると、中は見たこともない広くて綺麗な部屋でした。

「わーっ豪華!!海の宮殿も負けそうだよ。」
「ふーっ・・なんとか見つからずにたどり着けたな。」
「ここどこ?」
「オレの部屋だ。」
「ええっここに住んでるの!?こんなとこに!スゴイな、ちみ。」
「・・一応この城の王子なもんで・・」
「はーおっかない顔してなけりゃそんな気も・・でも王子って何?」
「この城の息子!知らないのにどんなだと思ったんだよ!?」
「いやはは・・それよりちみは力持ちだね、そろそろ下ろしていいよ。」
「あー、それはいいが・・服だな。ちょっと待ってろ。」
「あっ待ってよ、お兄さん、どこ行くの?」
「オレを兄と呼ぶな。そう呼んでいいのは妹だけだ。」
「えっと・・じゃあなんて呼べばいいの?」
「う・・」
「ほのかだよ、私の名前。可愛いでしょ!?」
「そーかよ。オレは・・なつ・・」
「なつ?じゃあなっちゃん?なっちー?なーさん?それとも・・」
「変な呼び方するなよ。」
「わがままだな、ちみって。んじゃ”なっつん”にするね。」
「勝手に決めるなって!」
「もう受けつけませーん。締め切りました。」
「何てヤツだ・・」

長椅子にほのかを置いてどこかへ行った彼はあっという間に戻りました。
そしてきょろきょろしていたほのかに、手にした服を差し出しました。

「これに着替えろ。足りないものがあったら言え。」
「わーい服って初めて着るよ!ありがとう。ところでこれどうやって着るの?」
「ぐ・・と、とりあえずこれを付けてくれ。後は・・手伝ってやる・・」
「わかった・・ような気がしたけど・・これ?う??どうすんの、これ!?」
「うー・・・説明するからよく聞けよ!」

着替えに相当の時間が費やされ、さすがに疲れた王子と対照的なほのか。
衣装を着せられるときに”立つこと”も覚えたので、ほのかは御機嫌でした。

「わー、ほのか人間の女の子みたい。スゴイスゴイ!」
「まぁ・・これで少しはマシだな。」
「これって妹さんに借りたの?」
「おまえ何故それを!?」
「さっき妹さんがいるみたいなこと言ってたからさ。」
「・・そうか。今はもういない・・」
「どうして?お嫁に行ったの?」
「妹は十になったばかりのとき死んだ。」
「えっ!?そんな・・・」
「そんなことはいい。それより・・!!」

なつ王子は驚いてしまいました。ほのかが大きな瞳からぽろぽろと涙を落としてたのです。
涙は見たこともない大粒の透明な塊になってコロコロと床に零れ落ちていきます。

「おまえ・・泣いてる・・のか?」

彼は人魚の涙を見たのは初めてでした。そんな風に零れて落ちることすら知りません。
足元に転がってきた一粒を拾ってみると、それは柔らかくて温かく、虹色に輝きました。
真珠ほどの大きさですが、柔らかいために床に落ちても弾んで音がしないのでした。

「あー、その・・泣くな。もう昔のことだ。」
「寂しいねぇ・・あいたいねぇ・・でもきっと天国で元気だよ!」
「・・人魚にも天国なんてあるのか?」
「あるさ。海の生き物は皆そこに行くの。そんでまた海に生まれてくるんだよ。」
「へぇ・・」

ほのかはようやく泣き止んで、けろっと笑顔を浮かべました。
そのとき王子は思い出しました。先日の嵐の夜、難破しそうな船で出会った人魚。
妹が自分を迎えにきたかと錯覚したときのことを。人魚に出会ったことよりも、
自分を海へと誘うかのような少女が妹でなかったことに大きな衝撃を受けたことなどを。

「そういえばあのときはそんな髪じゃなかったぞ。それ・・どうしたんだ?」
「これ?取られちゃった。人間の脚と交換したの。」
「そういうものなのか?」
「ウン。でもわりと気に入ったんだ。どこにも引っかからないし楽だよ。」
「おまえには似合ってるかもな。・・・前の方が似ていたが・・・」
「似合う!?えへへありがとー!誰に似てるの?あっ妹さんか!うっ・・ぐす・・」
「おっ思い出すな!それよりおまえ、助けて欲しいと言ってただろ!?」
「くすん・・そうだった。あのね、ほのかホントは人間を助けちゃいけなくてさ。」
「あの場合は助けられたわけじゃないと思うんだが・・?」
「や、とにかく助けに行っちゃったとこでアウトなの。お薬持ってないからね。」
「薬?」
「ウン、記憶を失くすお薬。ソレ持てる人魚じゃなきゃ助けちゃいけないの。」
「・・薬を飲むと・・そのときの記憶だけ消えるのか?」
「そうなんだって。ほのかも聞いた話なんだけど・・」
「おまえのことだけを都合良く忘れるのか?なんか、怪しいな。」
「そう言われたもん・・次の満月の夜までにそうしないと、ほのか・・」
「死ぬとか言ってたな。」
「助けてよ、死にたくないの。」
「オレがおまえのことを黙っててもダメなのか?」
「ダメだと思う・・満月の夜にほのか泡になって消えちゃうんだって。怖いよう!」
「他に方法はないのか?」
「えっと・・ほのかがちみと”結婚”するってのも・・あるらしいけど・・」
「・・・・・そりゃ・・無理だな。」
「でしょ、でしょ!?それって海にはもう戻れないんだよ!それもいやだよー!」
「その薬・・飲むしかなさそうだな。しかしそんなのどこに持ってるんだよ?」
「飲んでくれるの!?えっとこの片っぽの耳飾りの中だよ。」
「満月までまだしばらくある。それまでは飲まなくてもいいだろ?」
「え?ウン・・でもなんで?」
「人魚のこととか聞きたいこともあるし、おまえもせっかくだから遊んで行けば?」
「おおおっ!?なっつんってなんていい人なんだ!ほのか感激だ〜!!」
「とりあえず・・・遠い親戚の子とか・・そんなんでいいか。」
「なんでもいい!わーい!ほのかも色々見てみたかったんだー!」

ほのかはとても喜びました。王子は妹に似ているほのかともう少し一緒に居たかったのです。
それは王子がとても妹のことを大切に想っていたからでしたが、そのこととは別に・・・
眼の前の少女自身に何故か心惹かれたからでした。人魚の世界のことも気になります。
王子はほのかのことをすぐに忘れ去ってしまうのがとても惜しいような気持ちがしたのでした。






どうも長くなりそうで困惑しつつアップしちゃいます!えいっ!
気安くのんびり読んでくだされば、なんて思っております。m(_ _)m