「憎らしい子にはキスしよう!」 


いつものことなのだが、その日もほのかはやたらとハイテンションだった。
それはそれで別にどうということはなく、夏はいつも通り軽く受け流していた。
ところが彼が生返事をしていたことに、突然ほのかが文句を言いはじめた。

「・・ちょっとなっち!聞いてんの?!」
「あ?」
「いつから聞いてるフリしてたの・・?」
「なんのことだ?」
「ほのかが何を話してたか言ってごらん!」
「・・学校でどーだとか・・」
「ちっとも聞いてなかったんだね。フーン・・」

マズイなと思う夏だったが、それもまたよくあることだったので高を括った。
一人でプンプン怒ることも、ほのかの場合珍しいことではなかったからだ。
ほのかは怒ってもすぐにケロリとしている。単純で切り替えが早いのだ。
夏はそのことを決してバカにするわけではなく、好ましく思っている。
つまり悪気はなかったのだ。そのとき口にしたことが不適切だったとしても・・

「どうせくだらないことだろ。」

それは言ってはならない一言。男と女の溝を拡大してしまうからだ。
女は共感を得たくて話す。それに対して男はそこに重きを置かない。
話の内容を”情報”と捉えるので、必要かどうかが選択され優先される。
ほのかの話していることは夏にとってはあまり重要とは判断されなかった。
その結果聞き流していたのだが、女側にとってこの”興味がない”状態が許せない。

「怒った!もーほのか怒ったじょ!!」

こうして喧嘩に発展するわけだ。夏とほのかも世の男女と例外ではなかったのだ。
一方的に腹を立てたほのかは関係ないことまで付け足して夏に文句を言い始めた。
そうなると売り言葉に買い言葉、お互いにそれこそくだらない言い争いとなる。

「うるせぇんだよ!」
「なんだとー!?」

小競り合いはしばらく続いた。うんざりしたのは夏が先だ。
特に彼は口の立つ男ではない。いつもほのかのまくし立てが優勢になる。
長引きそうだと判断した夏は、不毛な争いを阻止すべく行動を起こした。

小さな拳を振り上げたほのかの肩口を掴むと、音源である桜桃色の唇を塞いだ。
ほのかの顔から怒りが一瞬で消え、大きな目が面白いようにくるんと丸まった。

夏の思った通りに静寂が戻った。ほのかは相変わらず目を見開いたままだった。
静かになったことに満足し、桜桃の味も確かめた後で夏はゆっくりと唇を離した。

ところが、その静けさはほんの束の間に過ぎなかった。

「何してんのさ!なっちのばか!あんぽんたん!!」
「あ?あん?!・・何って・・」
「ほのかがうるさいからって!失礼にもほどがあるよっ!」
「・・ぐ・・」

剣幕に圧されて夏は黙ってしまった。ほのかは更に食って掛かる。

「ちっとも人の話聞いてない上に邪魔するなんてどーゆーこと!?」

ほのかの怒りがパワーアップしてしまったことに夏はダメージを食らった。
彼はただ終止符を打ちたかっただけなのだがどういうことと問われるとどう答えるべきか。
謝りたくはなかった。けれどこのままほのかも引き下がりそうにない。


「・・オレにどうしろってんだ?」
「知らないよっ!そっちが無理矢理中断したんだよ!?」
「話は聞いてなかった。それは謝る。」
「それで!?」
「けど黙らせたことに関しては謝らないからな。」
「開き直るの!?」
「単に邪魔をしたと思ってんならこっちだって心外なんだよ。」
「じゃあなんだったの!?」
「言ってわかるわけないだろ!あれでわかんねぇなら。」
「わか・・あ?」
「・・・?」
「さっき・・興奮してたからよくわかんなかった・・けど・・」
「わからなかったってまさか・・」
「なっち・・いまさっき・・・キス・・した?」
「なんだと思ったんだ!?」
「なんでいきなりキス!?」
「それはその・・」
「ほのか怒ってたのに!?」
「・・あんまりしつこいからうんざりしたんだ!」
「そんな理由!?納得できないっ!」
「そもそも何で怒ったのかもよくわからん。」
「なんと!?けどキスは違うでしょ!?おかしいよ、なっち!」
「あぁ、ちっともわかんなかったんなら大失敗だったな?!」
「失敗だって!?・・なっちのひとでなし!女の子の唇をなんと心得るかーっ!」
「オレだってがっかりだぜ!」
「なっ・・!?」
「色気ないのは仕方無いにしたって・・意味すらわかんないのかよ!」
「意味ってなに?!うるさいからしたんでしょ!?ヒドイよ!」
「ヒドイのはオマエだ。ニブイにもほどがある!」
「う・なっちの・・・ばかばかばかばかばかばか〜〜〜〜〜っ!」

ほのかは顔を真っ赤にして泣き出した。散々な結果に夏も口をへの字にした。
言葉では鎮まらないと踏んで行動に出た。しかし相手に気持ちが伝わらなかったばかりか、
火に油を注いで泣かせてしまったのだ。夏は情けなさと不甲斐無さに臍を噛んだ。

無策のまま、彼はほのかを抱きしめた。泣き止んで欲しいとただそれだけを考えながら。
抵抗はあったが、しばらくするとほのかが大人しくなってきた。夏は怖かった。
隠すように胸に閉じ込めた愛しい少女はもう自分を許してくれないのだろうかと。
嫌われて、呆れられて、お終い。そうなるのかと思うと自分の足りなさが恨めしい。
後悔しても遅い。だがこのままにしておくことも夏にはできない相談だった。

もぞもぞと泣き止んだほのかが身を捩った。判決の時が来たかと夏は身構える。
このまま抱いたままでいられるものならと一瞬腕に力が入ったが、覚悟して縛めを緩めた。
ほのかは夏を睨んでいた。赤くなった目元が痛々しい。それでも真直ぐに夏を見つめていた。

「ばか夏」

どうやらお許しはもらえそうにない。ほのかの短い言葉が離別宣言とも感じられた。

「ばかほのかをキライにならないで・・!」

まさかの懇願だった。今度は夏が目を丸くし、言われた意味を理解しようと眉を顰めた。
ほのかの怒りを買ったのは自分ではなかったのか?・・許すもなにも・・その上嫌うなと・・
夏は腑に落ちず、困惑という文字を顔に貼り付けたまましばらく固まっていた。

「・・どうしてオレがオマエを嫌ったり、許したり・・するんだ?」

”お手上げ”だと夏の顔には書いてある。ほのかは泣くまいと引き結んでいた口元を思わず緩めた。

「ほのかうるさくしてツマンナイ事で八つ当たりして・・キスしてくれたのにばかって言ったよ?」
「え!?待て待て、それって・オマエの言ってたことと180度違わないか?!」
「なっちに呆れられたかと思って・・途中からヤケになってわめいてたの・・・」
「はあ・・・」
「なっちがほのかにがっかりして・・キライになったんならどうしようって思った。」
「それはこっちの台詞だ、ばか・・」
「むぅ・・ばかだもん。そんでばかほのかに怒ったからお仕置きでキスしたのかと思った。」
「通じてなかったってとこはそのままか。」
「・・・?」
「悪かった!お仕置きなんかじゃない。止めたかっただけだ・・ケンカを。」
「キスは・・ダメだよ。ほのかあんなの嫌だ。」
「謝る。オマエが言うみたいにできねぇから・・わかってほしかったんだよ。」
「・・なにを?」
「すきだってオマエはよく言ってくれるけどその・・オレはうまく言えないから、その・・」
「すきだよ?」
「あ・うん・・あっさり言うなぁ、相変わらず。」
「うんてなに?」
「・・知ってるってのと・・オレもその・・」
「省略しないの!なっちったらもう〜!」
「面と向かって言うのは抵抗あるんだ!」
「キスはできるのに!?あんなに簡単に。いっつもしてるみたいに!?」
「いっつもしたいと思ってるからだよ。言うのは・・恥ずかしいんだって!」
「なんだいそれ・・なっち変。」
「変じゃねぇ。普通だ。」
「ほのかのことすきだからキスしたんだね?」
「あぁ。」
「邪魔したんじゃなかったんだ・・」
「見事にスルーだったから傷ついたぞ。」
「びっくりしたんだもん。」
「む・・すまん・・」
「ほのかは悪くないよ。」
「オレだけが悪いのかよ?」
「なっちが悪い。」
「決め付けんな。」
「ほのかなっちのことだいすきだもん!だからほのか悪くない。」
「それならオレだって悪くない!これっぽっちも悪くねぇぞ!?」
「ほのかはちゃんとすきって言ってるもん!」
「う〜・・わかれよ!言えないから・・したんだって・・・」

堂々巡りの迷宮に嫌気が差し、夏は投げ出した。自分が悪くていいから終わらせてくれと。
なんて幼いやりとりだろう。きっと他から見れば呆れてモノも言えない。けれど真剣なのだ。
夏はほのかに再び口付け、さっきより強く乱暴に重ねた。ほのかは驚いてまた眼を丸くする。
抵抗が無いことを確かめると、夏は少しずらした口から「目、瞑っとけ」と囁くように命じた。
素直にその言葉に従ったほのかと再び繋がる。もう嫌われようがどうでもいいと夏は思った。




「なんで・・?」
「うるせぇ。説明できるか!」
「なんで怒るの?」
「怒ってねぇよ!」
「なっちって怒るとキスしたくなるの?」
「・・知らん。」
「変だよ、やっぱり。」
「悪かったな、ばかで変で、情けなくて。」
「情けないとは言ってないよ?ふははっ・」
「・・やっと笑った。」
「もしかしてほのかに笑って欲しかったの?だから!?」
「・・そうみたいだ。」

ほのかがくすくすと声を立てて笑い出した。夏がしたかったことがようやく伝わったのだ。
ばかばかしいやり取りももどかしい想いも、畳んでひっくるめて。横着にもほどがある。
けれどその不器用さが、夏だからとやっとほのかにも飲み込めた。想われているということが。
夏に倣ってほのかからもキスを返してみた。すると笑顔が浮かんだことにほのかは感動した。

「なっちが怒ったら、こうすればいいんだね。ほのかわかったよ!」
「・・かしこくなったじゃねぇか。」
「ウン。あのね、だいすきなんでしょお?ほのかのこと。」
「なんでわかんねぇんだろうなと・・むかついてた。」
「あはは・・そうかぁ!でもキスしてもらえたからいいや。」
「なんだよ・・怒ったくせに。」
「よくわかんなかったんだもん。もういいよ、わかったから。」
「オレが怒ったときしか・・してくれないのか?」
「んじゃあもう一回?」
「一回だけか?オレはもっとしたいぞ。」
「じゃあいっぱい。いっぱいして。」
「了解。」



それから二人がくだらないやり取りをしなくなったかといえば、全然そうではなく。
相変わらずぽんぽんと噛み合わない言葉を投げ合っていたりする。即ち仲が良いというわけだ。







・・・甘すぎた。おっかしいな・・?!
当初ほのぼのの予定だったんですけど;