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とある昼下がり、夏は本を読むべく手にしていたが
先ほどからずっと同じページが開かれたままだった。
彼の視線は本の上を通り過ぎ、その先に収束している。
そこには穏やかな寝息を立てるあどけない寝顔の少女
ほのかがソファの上でぐっすりと眠っていた。

いつの間にか凝視していたことに気付いた夏は首を振る。
そして静かに立ち上がると本を置いてほのかに近付いた。
少しずれたブランケットを引き戻してやり、前髪を退ける。
長い睫が揺れたが、寝息は途切れることなく続いている。
夏はしばらくじっと動かなかったが緩慢に数歩遠ざかると
ローテーブルに置かれていたお茶を立ったままで呷った。
予想以上に喉は渇いていたらしく、飲み干しても物足りない。
冷め切ったお茶は彼にとっては喉に丁度良かった。しかし

”ほのかの分も・・淹れ直してくるか。”

音を立てないよう注意を払いながらテーブルの茶器を片す。
そして名残惜しそうにもう一度ほのかを振り返り部屋を出た。

台所で湯を沸かそうとしていた夏だがふと手を止めて考える。
ほのかはまだ起きそうになかったことだし水でも浴びてくるかと
思い直した。頭を冷やし切り替えたかったのだ。今の気分を。

寝顔をつい見てしまったのがいけなかった。色々と思い出した。
ほのかの唇の弾力や彼女とそうしたときの様々な記憶や情報を。

”あいつ・・息継ぎが下手くそで・・逆にエロいんだよな・・”

マズイと知りつつ思い起こしてしまうのが性というやつだろうか。
さすがに寝込みを襲うような真似はしなかったが少々危なかった。
元より警戒心の無いほのかだ。夏が自制しなければ終わりがない。
まだ体を重ねるまでには至っていない。だから余計厳しいのだが。

”何か・・他に気を紛らわせる方法はねぇもんかな・・”

夏はこっそりと溜息を落とし、気分を白紙に戻す努力を試みる。
ところが試みるだけのことで全くそのつもりにはなれないのだった。

”あー・・・・・・してぇなぁ・・・”

夏はそんな年相応の自分が情けない。みっともなくて落ち込む。
自覚して誤魔化せなくなり、ほのかを遠ざけようともしたが無駄で
終には誤解して泣かせ、折れて告白するという最も恥ずかしいコース。
若さで開き直るにはプライドが高すぎた。そんなプライドは逆に惨めで
逆ギレしそうだった。ほのかもよくこんな自分を受け入れたと感心する。

夏にいきなりキスをされてもほのかは泣いたり怒ったりしなかった。
当然驚いてはいた。多少怯えさせたかもしれない。それなのに

『すとっぷ!すとーっぷ!!待ってよ、なっちー!!』

必死な抵抗を始めたほのかだが、それは身の危険を回避する為ではなかった。

『落ち着いてよ。ほのか逃げないから。ほら、ね?!』

年下の普段子供だと馬鹿にしまくっていた少女に反対に宥められた。
頭に血が昇っていた夏を優しく。少女は何もかもが初めてだったのに。
いつもの立場は崩れ去り、以来夏はほのかに完璧に歯が立たなくなった。
それでも惚れた弱味だろうか、愛しさが薄まることは全くなかったが。

一度許されてしまうと夏はどんどん甘えと欲が出た。そして思い知る。
いかに未熟であったか。ほのかの懐の深さも。抑えていたはずなのに
ほのかがほんの少し触れたり笑うだけで堪えきれなくなってしまった。
キスも重ねる度に深く長くなってしまい、ほのかを困らせてしまう。
困った状況は夏の方が深刻だったが、そこは今はなんとか保っている。

”したいが・・ブレーキがな・・最近さっぱり自信がねぇ・・”

重い溜息が体から押し出される。水を浴びても大差ない結果に終わった。
無理矢理に気持ちを押し込めて蓋をする。何も無かった顔で戻ってみると
ほのかは目を覚まして夏を待ち構えていた。

「どこ行ってたの!?またトレーニング?シャワー浴びたっぽいね。」
「あぁ・・待ってたのならすまん。」
「いいけど・・元気ない。やりすぎちゃったの?!」
「・・・・・・いや。お茶、飲めよ。」
「?・・うん。なんなのさ?変な顔。」

こくこくとお茶を飲むほのかも結構喉が渇いていたのだろう。
おかわりを淹れたポットに手を伸ばし二杯目を自ら注いでいる。

「美味しい。これ昨日買った紅茶?!」
「そうだ。フルーツのが好きだな、お前は。」
「ちょびっとブームなのだ。別に他のでもいけるけど。」
「お前が不味いって言うのはそんなにないけどな。」
「それよりさ、どうしてそんな顔してんの?なっちー・・」
「そんなってどんなだよ?」
「欲求不満っぽい。」

夏は口にしていたお茶を吹き出しそうになったが奇跡的に耐えた。
取り繕うのは性分もあるが、あまりにあからさまな指摘にげんなりする。

「欲求不満て、誰が?」
「違うの?ほのかはねぇ・・うん、ほのかもそうかも。」
「はぁ・・あ?!」
「なっちがこのところどんどん不機嫌になっていってて気になる。」
「・・・・そうか?」
「うん。気付いてないの?ほのかのことじとーっと見るからそうかなと。」

”お前に指摘されるとか最悪だぜ。バレバレってことかよ、やるせねぇ・・”

「よっし!ここは一つほのかちゃんがちゅーして慰めてあげるからね!?」
「・・遠慮する。お前のはくすぐったい。犬か猫にされてるみてぇだし。」
「だってぇ・・ほのかなっちのするようなちゅー苦手なんだもん・・・;」
「・・嫌そうだもんな。だから遠慮してんだよ、俺も。」
「遠慮するから欲求不満になるんじゃないか。いいよ、しても。」
「押し倒しそうだからやめとく。お前人を煽るの上手いしなぁ・・」
「えっ!?ほのかなっちを誘惑してる!?おおお・・感動的。マジでか!」
「こんなアホそうな女に・・・はぁ・・・」
「コラ!そこ。彼女に対してなんてこと言うのだね。怒っちゃうぞ!」
「もうなぁ・・俺はダメだ。谷本夏はお終い、廃業するべきだぜ。」
「えらく落ち込んで・・自虐なヒトだね。よしよしサービスしたげる。」
「オイコラ、どこでそんな台詞覚えてくんだ!こっちも怒るぞ!?」
「あ、復活した。会長さんが言えって。サービスじゃなかったかな?」
「実行するな。あいつの言えって言ったことは瞬時に忘れてしまえ。」
「・・・ごめんね、ほのかが教えてって頼んだの・・今回は謝るよ。」
「なんだと!?」
「あのね、その〜・・なっちを誘惑するにはどうすればいいかなって」
「どうしてそんなこと相談する!アイツでなくても男に!馬鹿か!?」
「う・・だから謝ったじゃないか・・だってだって・・・」
「理由如何ではただじゃおかねぇからな。」

夏は本気で怒りを湛えた瞳でほのかを見下ろしていた。珍しくほのかは項垂れ
怒らせたことを反省しているようだが、夏の怒りは治まる気配が感じられない。
夏と違って正直なほのかは直ぐに居住まいを正すと説明をした。その内容は

「なっちとちゅーできるようになったのはいいけどほのか下手でさ・・」
「いっつもがっかりさせちゃうからそれ以上してくれないんでしょう?」
「だからそれ以外でどうしたらなっちをその気にさせられるかなって。」

夏が呆れたことは言うまでも無い。がっかりした覚えなど微塵も無いのだから。
明後日の方向を向いた夏は眉間にたっぷりの皴を寄せて考え込んでいた。
腕を組み、どう答えていいかと考えあぐねているといった様子だった。
ほのかは神妙な面持ちで夏のお叱りを待った。時間が経つと涙腺が刺激され
泣くまいと唇を堪えるほのかを垣間見た夏はいよいよ困った顔で溜息を吐いた。

「あのなぁ・・お前それじゃ俺がなんの為に我慢してたかって話だぞ。」

疑問符がほのかから飛び出てきた。明らかにわかっていない顔で見詰める。
凶悪さを感じる可愛さに夏はぐっと喉を鳴らす。これも伝わってはいないが。
夏の悩みはなんの解決にもならない、寧ろ火に油を注ぐ内容に途方に暮れる。
喜ぶべきところなのかもしれない。しかし夏は困惑し過ぎた。故に、
しどろもどろでほのかに向って一つの提案をしてみた。

「ほのか、一勝負するか?」
「オセロ?うん、いいよ。」
「俺が勝ったらどこでも好きなトコ触らせろ。」
「どこをっ!?いきなりそうくるのかいっ?!」
「お前が勝ったら俺を殴れ。思いっきり拳でだ。」
「ええっ意味がわかんない!なんでなんで!?」
「負けたら訳を話す。殴りたくなること間違い無しのな。」
「なんですかそれはー!?」

勝率に影響があったかどうかわからない。未だにほのかの勝ちが多くを占め
少しずつ夏の勝率も上がってはいるが五分を越えるには到底至らないのだ。
ほのかは気になって動揺していたのにも関わらずあっさりと夏を打ち負かした。
期待半分、不安半分にほのかは夏の訳とやらを待った。結果口と目を見開いた。

「ばっかじゃない!?」

そう叫んだ顔は真っ赤で、夏は青ざめた顔を床に限りなく近づけていた。
土下座状態の毎日ほのかを押し倒すまいと努力していた男は黙りこんでいて
ほのかはその夏の落ち込んだ重い頭を抱きかかえるようにして持ち上げた。

「どうして落ち込むの?ほのか願いが叶っていたんで喜んでるんだよ?」
「・・・なんでだよ・・・お前・・・怖くないのか?色々と・・その;」
「わかんない。けどなっちがほのかを好きならオールオッケーでしょ。」
「そ・・う・か・・?俺にはよく・・」
「わかんなくていいよ。ねぇなっち、キスしていい?」
「うん・・」
「よしよし。可愛いんだからこの子ったら。大好きv」
「お前の趣味だけは理解しかねる。改められても困るが。」
「ふははっ・・改めないよ。安心してね、なっち〜vv」

そしてあまり上手くはないキスをもらった夏は恐る恐るほのかを抱く。
抱き締め返す小さな体にほっと安堵の息を零すとあやすように撫でられた。

「あんまり甘やかすから俺も調子に乗るんだぞ?」
「これからももっともっと甘やかしてあげるよ。」
「調子に乗れってかよ・・なぁ・・いいか?」
「一々聞かなくても許してあげてるのにさ?」
「どこまで触れていいのかわかんねぇんだ。だから」
「そういえばさっきの勝負で勝ったらどこ触りたかったの?」
「一々聞かなくていいんだろ。」
「気になってきた。おっぱい、とか?」
「いや、やっぱいい。当分我慢する。」
「賞味期限があるのだよ、こういうのは。」
「いつ?誰が・・お前が決める期限って?」
「なっちが大好きなうち。嫌いになる予定は未定だけど。」
「さらっと怖いことを・・だからこっちも攻めあぐねてんだからな!?」
「難しいこと考えなきゃいいのに。ほのかが男だったら我慢しないよ。」
「お前が男だったら?・・あまり兼一と似てないな。」
「そお?なっちが女の子だったら即奪っちゃうんだ!」
「へぇ・・キスが下手でもか。チャレンジャーだぜ。」
「キスが下手でもきっとなっちならそんなこと気にしないもん。」
「・・・・そう・・か。そうだよな。」

夏はまじまじとほのかを見た。いかにも無邪気そうな顔をしているが
ほのかは実にさっぱりと男前で女なら確かに惚れていたかもしれない。
・・とまで思うくらいには参っているということだ。しばし思案して

「奪いたいって・・女のままだと思ったりしないのか?」
「いつも思ってるよ。ほのかって野獣かも?がお〜っ!」
「奪ってみれば?もうほとんど奪われてはいるけどな。」
「いいの?じゃあどこから奪っちゃおうか・・まずはここ。」

ほのかは可愛らしく唇を尖らせてとても大人向けではない軽いキスをした。
『奪う』には程遠いがすぐに頬、額、目蓋と同じように優しく触れていく。
今日はほのかが男の子で、なっちは女の子役。じっとしてるんだよ?と
何気に甘美な台詞を口にして、夏の自由を奪ってみせた。実に巧妙に。

「お前が男でなくて良かったぜ。俺なんかよりよっぽど・・才能ある。」
「才能って・・女の子にモテモテになる才能?!そうかな?!」
「浮気が心配でうかうかしてられなかっただろうな。」
「そんなことない。なっちを見つけたら一直線に決まってるじゃない。」
「ほらな、天然でコレだろ。おそろし・・なぁ、後はどこを奪ってくれんだ?」
「う〜ん・・どこにしよう。その前にぃ・・なっちの上手なちゅーをしてよ。」

甘えるように夏の肩に両腕を絡ませるほのかはすっかり女の顔になっていて
見惚れて夏は思うまま長いキスを贈る。拙い応対であっても体に火が点く。
ほのかに倣って腕を背中へと這わせ、甘えるようにほのかに強請ってみた。

「早く次を奪ってくれよ」
「・・・どこがいいの?」
「ほら、お前だって訊くじゃねぇか。」
「じゃあもうきかない。」

恥ずかしそうな顔を夏の胸に擦り付けて誤魔化すほのかに心臓が跳ねた。

「なら、俺もきかない。」

触れながら確かめていくのは地雷を探すように危険な香りがした。けれど
どうせお互いに経験の浅い者同士、爆発しても共に命果てるだけのことだ。
夏は初めてだった。こんな想いを味わうことが。恋なんて馬鹿にしていた。
欲望の処理しか知らない頃と比べ辛さは倍増したかもしれない。それなのに
死んでもいいと思える甘美で危険な、それでいて充たされる心と体を知った。

「次は・・・お前のこと泣かせたい。」
「なっちだって泣かせちゃう、絶対。」

抱き合って探り合う。二人は瞳の奥の
心の中を覗き込むようにして微笑んだ。







失敗しても笑い話だろうし。でも避妊はしなさいよ、と無粋にも思うんですが。