猫も食わない 


 よっぽど美味しくないものを指していう言葉に
『猫またぎ』だなどというのがある。実際にどうか
ほのかはやってみた。美味しさを控えたりせずに、
気合を入れて作った手料理を近所の猫のたまり場に
置いた。アレルギーの為猫のいないときを見計らって。
本当にまたがれたらショックだろうなと一応身構えた。
離れた場所で双眼鏡でもってそこへ猫がやってくるか
見張っていると好奇心で始めの一匹、すると二匹、三匹
野良猫たちが器の周囲をうろついた。どきどきしてくる。
ほのかは希望を心の中で唱えた。”食べておくれ!”と。

 結果は惨敗だった。ほのかはひっくり返された器を
涙ながらに回収、掃除してとぼとぼ自宅へ戻ってきたのだ。
母親は慰め、父親にはそういうことは無責任にするなとの
説教を食らった。そして部屋で一人溜息を吐くのだった。

”ほのか上手になってないんだ・・なっちが慣れちゃったか・・”

 黙々とほのかの手料理を平らげる夏の様子を思い浮かべた。
優しいからという理由だけなのか躾をされたなどの環境なのか
夏は最初に出会った当初からずっとほのかの手料理を食べている。
うまいとまでは言わないが、最近はたまに悪くないような口ぶり。
ほのかは自分の腕が上達したのだとばかり思って喜んでいたのだ。
しかし先日兄が帰宅した際にこしらえた時に疑惑が生じてしまった。
兄は表情に出る人だし、素直な行動から見ても料理は失敗だった。
味見はしたつもりだったのだが、残ったものを口にして慌てた。
どういうわけか味見したときとはとんでもなく変化していたので。
そして落胆するとともに、夏のことを想った。申し訳ない気持ちだ。

”慣れてないんなら・・なっちは今も我慢してくれてるんだあ・・”

 そういえばいつの間にか夏自身が作ることが多くなったのだが
それももしかして自分の手料理から逃れるためだったのだろうか。
そう考えると惨めな気持ちにもなる。はっきりと言わないのは
ほのかを傷付けないためかもしれないが、それにしたって・・・

「猫も食べないもの食べさせてたなんて!ほのか・・くやし〜!」

 思わず叫んでしまった。なんとか料理の腕を上げたい。
せめて猫がまたいだりしない程度に。ほのかは真剣にそう願った。


 翌々日、夏はほのかの手が絆創膏だらけなのにすぐ気付いた。
質問してみてもなんでもない、体育でスライディングしたと答えた。
おかしいなと感じたのはそのときだけではなかった。その後オヤツを
用意する夏の後ろで睨みつけるような視線が背中に叩きつけられたので
なんとなく夏は察してしまった。意図して隠していたのは事実だった。
しかし気付いてしまったのならば仕方のないことだと夏はあきらめた。

「そこからじゃ見えないんじゃねえか?こっち来いよ。」

 学ぼうというならばと、夏はほのかに手元を見せようと声をかけた。
なんだって覚えようと思うなら見て実際動かしてみるのは有効だろう。
ほのかは怪訝な顔ながらも近づいて、夏の仕事振りをじっと見つめた。

「ねえねえ、それ順番もいっしょじゃないとダメなの?」
「そうだな、覚えるつもりなら同じにしとけ。」
「ほのかにだってできるよね?!」
「ああ、俺のが混ぜるのに時間かからんだろうけどな。」
「あー・・うん。結構しんどいよね、それ。」
「電動の・・ミキサーはないのか?お前んち。」
「混ぜるやつはない。ミキサーならあるけど。」
「レアチーズケーキとかなら普通のミキサー使えるぞ。」
「そうなの?へー・・なっちプロみたいな発言だね!?」
「簡単なのからしろ。基礎が大事だ、何においてもな。」
「うん・・なっちに教えてもらうのは不本意なんだけどね・・」
「なんでだよ。」
「だって・・・なっちにおいしいって言わせたいのにさ・・」

 ほのかが悔しそうに眉を寄せるのを見て、夏は口元がゆるんだ。
気付かれないうちに表情を改めたが、かなり内心は浮き足立った。
時折夏はほのかの何気ない言動に一喜一憂する。この時もそうだった。

 ほのかに「味見するか?」とクリームをひとすくいして指し出す。
するとぱくりと素直に口に含み、ほのかはへの字だった口を綻ばす。

「おいしい!・・ってほのかが喜んでちゃいかんのだった・・!」

 両手で口元を押さえて笑顔を隠そうとするほのかに夏がデコピンする。

「喜べ。お前が喜ばないってんならもう俺は作らねえぞ。」
「えっ!?うぬぬ・・それは・・やだな、なっちの美味しいもん!」
「なら今までどおり俺の作ったの食え。」
「でもさ、ほのかだってほのかだってその・・」
「お前のだってたまに食ってるだろ。」
「美味しくないのに無理してるんでしょ・・?」
「無理なんかしてないから気にするな。お前の作ったのは俺が食う。」
「だっ・・て猫も食べないんだよ!?ほのかの・・へたっぴだから。」
「猫になんか食わすなよ、あと誰にも食わさなくていい、俺だけで。」
「そんなんじゃ・・ほのかちっとも上達しないかもしれないじょ!?」
「少しはしてる。残したことないぞ、いつだって。」
「・・・うん・・なっち・・・ありがと・・!」

 ほのかの顔がぱあっと輝いたと同時に夏の片腕にしがみついた。
感激しているのか紅潮した頬は熱く、興奮気味の声で夏に告げる。

「だいすき!だいだいだあーいすきだよっ!!なっちい!」
「う・・るせえ。耳元で騒ぐな。」

 照れたようにしか見えない夏にほのかは遠慮なく声を下げることなく
好きだの、もっと上手になるだの、おいしいっていってもらうと喚いた。

「落ち着け!ったく・・んなことくらいで・・大げさなんだよ。」

 混ぜていたボールの中身を型に流し込み、空気を抜いてオーブンに入れた。
余熱はしてあったので設定温度と時間を確かめると夏はエプロンを外した。

「あと30分くらいだ。それまでどうする?オセロでもするか。」
「うん、しよしよ。ほのかが勝ったら生クリーム追加するの。」
「おっし・・俺が勝ったらお前に肩もませるぞ。いざ勝負だ。」
「おーう!受けてたつじょー!」


 甘い香りが台所から居間にまでも漂ってくると、勝負は着いていた。
ほのかが勝ったので生クリームの泡立てをするために夏は再び台所へ。
すると夏とおそろいのエプロンを着けたほのかが「ほのかもする」と
くっついてきた。混ぜるだけなら簡単さ!などと言いつつ腕まくりだ。
生クリームがそこらじゅうに飛び散って台所が汚れると予想した夏は
こっそり息を吐いた。それでもほのかが楽しそうなので止めることはない。

「なっちのケーキにもたっぷりのせてあげるね。」
「俺のにはそんなに・・・好きなだけのせろよ。」

 ほのかの笑顔には弱いのだと夏は自覚している。猫になぞわかるまい、
そう思う。どんなことをしてもほのかのすることに腹は立たないし、
かなり食うことに難儀な味であろうと、絶対に権利を譲り渡すつもりはない。

「お前マジで猫になんか食わしたらお仕置きだぞ!二度とすんなよ。」
「うん、お父さんもダメって。お母さんもなっちだけにしときなさいって。」
「なに?母親がそんなこと言ったのか?!」
「そう、なんで?ってきいたらそれが一番平和だって言ってたよ。わかる?」
「・・・うん、まぁ・・そういうことだ。わからなくていいんじゃね・・・」


 機嫌良く出来立てのケーキを食べる幸せそうなほのかに微笑みを漏らして
夏は思うのだ。ほのかの母親にはきっちり把握されていることを。それでも
それはそれ。猫に奪われるわけにはいかない。ほのかのことを喜ばせる役目を。
クリーム多めに眉を顰めつつ、ほのかがあーんと放り込む度に口を開けてやる。

 そんな二人の間には猫も犬も食う余地は残されていないようである。







書いてたらおなかがすきました・・・夜中なので食べずに夢でみることにします。^^