夏遠からじ 


 「・・嫌なら無理すんなよ。」
 「イヤじゃないよ!さあ来い!なのだ。」
 「気合入れるとこか?おかしいだろ?!」

 ようやく訪れた春、めでたしめでたしでは完結しない。
新たなステージへ二人一緒に上がれたものの、出鼻から
見事に躓いた。意思の疎通は時に困難を極めるものだ。 

 「別にそういうことをしなくてもだな・・」
 「それはそうだよ。けどしたいんだもん。」

言行不一致にも程があった。ほのかは夏にキスしろと迫る
くせに肩や頬に手が触れただけでもびくついて身を縮める。
元よりほのかを傷つけぬよう大事に大事に接してきた夏には
罪悪感を煽られるばかりで痛々しく余計に手を出し辛かった。 
試しにそうっと額に口付けを試みたとしても同じ結果だった。
ほのかはぎゅっと目を瞑るのみならず顔を背けてしまうのだ。

ぽんぽんと頭に手を置いて(それは平気そうだったので)
怖がるほのかの緊張を解してやる。それなのにほのかは
何故しないのかと言って責めるのだ。夏は遣る瀬無かった。

 「何か・・焦っているのか?ほのからしくないぞ。」
 「わかんない・・すごくしたいのに・・変だよね。」
 「変だろうがなんだろうがそんな顔されたら辛い。」
 「ツライの?」
 「今までと同じってのも無理かもしれないができれば」
 「そうだよね、ほのかもなんだか前のがよかったかも」

ほのかに勿論悪気はないが、言葉がぐさりと夏の胸を抉った。
考えたくないことだが思わずにいられない。ほのかの想いは
兄を慕うのと同じで、恋だと勘違いしているのではないか。
ありえることだ。憧れはあるのかもしれないが憧れは現実とは
別物であるし、ほのかが勘違いしても夏に責めることはできない。
そう考えるとやはり夏は引いてしまい、以前のように距離を取る。
無かったことにするのは難しい。だがほのかの為なら耐えられる。

 「ほのか、もう少し妹でいてくれないか。俺はその方がいい。」
 
夏は出来る限り優しく告げた。それでもほのかの眉は垂れ下がり
悲しい顔をするので夏も揺らぎそうになる。夏自身の想いは皮肉にも
確かめられることになった。ほのかを今まで同様に妹とは想えないと。

 「なっちはやっぱり・・ほのかのことそう思ってたんだね。」

泣き出しそうな声。ほのかも疑って、それで卒業を切り出したのか。
お互いにどこかでボタンを掛け違えた感覚を抱いてすっきりしない。
ただその時の夏にはどうすればほのかを笑顔にできるのかが最優先で
それぞれの想いの行方より重要だった。全て手探りであったとしても。

 「ほのかはほのかだ。俺のどこを好きになってくれたか知らんが」
 「あっあのね!それほのかも気になってたんだ。なっちはいつ?」
 「・・・さぁ?少なくとも・・最初からそうとは思っていない。」
 「ほのかも。お兄ちゃんはちゃんといるもん。なっちだって・・」
 「そうだよな。楓を思い出すことはあった。だけど楓じゃない。」

夏が淡々と記憶をたどって話す言葉をほのかは真剣に聞いていた。
夏は怖がりだと思っていたほのかだったが自分もそんな部分があると
この折に気付いた。夏とほのかは存外よく似ているのかもしれない。

 「なっちい。手、つないで。」

真面目な面持ちで差し伸べる手を夏がゆっくりと両手で包み込む。
ほのかは怯えなかった。そのことにほっとするとほのかも息を吐いた。
そして次に包まれた手に小さな手指を絡ませ始めた。夏は目を瞠る。
ぎゅっと強く握るのに合わせて夏も加減をしつつ握り返してみた。 
そうするとようやく、ほのかの顔に薄い微笑が浮かんだ。頬は赤い。

 「どきどきする。なっちは?」
 「ああ、そうだな。」

夏の答えを確かめて今度は花が咲くような笑顔を見せた。体全部が
浮き立つようだった。顔にこそ出なかったが夏は嬉しくて震えたのだ。

 「妹じゃいやだって思ったのはねえ・・なっちに、」
 「・・大事にされてるんだってわかったときだよ。」

少し予想外で夏はほのかを見た。一つ頷いてほのかは続けて話す。
握りあった手は温かい。まるで繋がっているのが当然のように思える。

 「最初は友達になれたらいいなって思ってたんだけど」
 「なんだか物足りなくてね、家族だともっといいなって思った。」
 「だから妹みたいなものでもよかったんだ。それなのにさあ・・」
 「なっちはふっと遠くに行ってしまうことがよくあったでしょ?」
 「待ってるのが寂しかった。お兄ちゃんもだけどなっちはもっと」

 「ほのかに心配かけないようにってお兄ちゃんみたく思ったでしょ。」
 「それは・・・」

 「ほのかはなっちに心配かけてほしかったんだよ。それとね・・」
 「お兄ちゃんには好きな人がいて、それも嫌だったけど仕方ないって」
 「思えるようになったんだよ。なのにさ、なっちはダメだったんだ。」
 「ほのかがもっと美人で・・美羽みたいだったらよかったのかなとか」
 「そんなことも考えたけどそれも嫌なの。ほのかを選んで欲しくて、」
 「ほのかのこと好きになってほしくって・・もっともっと・・そんで」

涙が途中込みあがってくるのを夏は見ていた。だから堪らなくなって
夏は繋いでいた手を解いてしまった。解かれて悲しい顔が浮かぶ前に
抱き締めて見えなくした。そんな風に遠慮しないで抱くのは初めてで
ほのかがくうと息を詰まらせたので慌てて加減した。夏も泣き出しそうな
顔をしていたことにそのとき気付いたほのかは笑った。とても嬉しそうに。

 「ねえやっぱり妹じゃいやだ。ほのかのこと好きになって!なっち」
 「最初っから妹じゃなかったと言っただろ。好きだ、とっくにな!」
 
 「・・よかったあ・・!」

ほのかの手が夏の広い背を包むように抱く。嬉しさで目頭が熱くなる。
泣くまいと堪える夏をぽんぽんと優しく撫で摩るのでとうとう夏は怒った。

 「あんま優しくすんじゃねえ!かわいすぎんだよ、おまえは!!」
 「おっ・・怒るとこ?・・ふふ・・あはは!なっちだ。かわいい」
 「かわいいのはそっちだろうが。」
 「ううん、なっちだよ。負けるよ。」
 「負けてねえよ、つか負けんな。」
 「じゃあおんなじ。引き分けだ。」
 「絶対お前のがかわいい。そんなのダメだ。」
 「頑固じゃの。まあいいや、なっち好きだ。」
 「なんべんも言わなくていい・・・おかしくなる!」
 「ほのかもうさっきからくらくらしてるよ!」

光る涙に縁取られた頬を夏の唇がなぞってもほのかは怯えなかった。
夏に抱かれてもこんなに距離をなくしてもだ。信じられない程だった。
だからというわけではないが、夏はほぼ無意識に唇を合わせていた。
びくりとほのかの体が跳ねたことには気付いたがお構いなしに重ねる。
もがくほのかが服をぐいぐい引っ張るのでようよう腕を弛めたのだが
その段になってやっと口付けていたことを理解した夏がさっと青ざめた。
恐る恐るほのかを窺う。しかしほのかは泣いても怖がってもいなかった。

 「・・ぷはっ・・く・苦しかったよう!なっちやりすぎ!」
 「〜〜っ・・すまん!その・・うん・・やりすぎた・・!」

 一瞬の沈黙。互いの顔を覗き込んだ後、二人同時に吹き出した。
一つ山を越したような感覚だった。もちろん未だ一つ目に過ぎない。
意思の疎通は簡単なときは呆気ないほどだが、困難を極めることもある。

 「なんであんなに怖かったのかわかんないけどもう大丈夫。」
 「いや無理はするなって。あんまり大丈夫でも俺が困る。」
 「困ることないでしょ?喜ぶとこじゃないの?」
 「怖くて当然なんだよ、寧ろ。はあ・・・」
 「?溜息なんで?怖がってもいいよ、さっきみたいに・・」
 「ダメだ。いけません。」
 「そんなこといわれてももう怖くないもん。」
 「そのうちぶり返す。俺も善処する・・が。」
 「ぶり返すの決定なの?!」
 「うん・・・それだけは自信ある。」
 「かえって興味が出てきたりして。」
 「こ・怖いことを言うな!焦るなよ。」
 「なっちも怖いんだ。おんなじだね。」
 「そりゃまあ・・けどお前のがもっと負担だろうし・・」
 「なにが?」
 「!?あっい・いやっ?気にするな。」
 「なんか怪しい。なっち何か企んでおるな!」
 「企んでねえ。誤解だ!」
 「きりきり白状するの!」
 「え・ええ!?」

 ほのかに噛み付かれようとも夏は白状しなかった。この先も
うまくいくとは限らない。ほのかに見限られたら終わりなのだ。
口を割らない夏をほのかはぽかぽか殴ったがやがてあきらめた。

 「もうっ・・なっちのごうじょっぱり。」
 「なんとでも言え。」
 「これだけは言っておくからね、なっち」
 「な・なんだ!?」

 「なっちがどんなに意地悪しても怖がらせてもほのか絶対に負けない。」
 「負け・・どういう勝負なんだ・・?」
 「間違えたかな?えっと・・そうだ、わかった!絶対嫌いにならない!」
 「それも無理することない。というかそれこそ無理すべきじゃないぞ。」
 「ちがうちがう!なっちもまちがえた。だからあ、なんていうのかなぁ」
 「?」

 「あのね、つまりほのかはなっちを愛しているの。世界で一番に。」 
 「それなら俺だって負けない。間違ってないぞ。俺が一番だから。」

向き合ってまた沈黙。互いの瞳は各々を映し出して輝いている。
意外に似たもの同士、笑顔と意地の張り合いはこれからも続きそうだ。







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