「夏とほのか」B


胸を押さえ、目を閉じて落ち着こうと努力をした数分間。
ドアの向こうの気配は消えることなく悲しげに響いていた。
なかったことにできそうもないと判断した夏は意を決して立ち上がった。 
どうしてとか考えても無駄なことは止めにしてまずはあいつの・・着るものだ。
亡くなった妹の衣類を探して簡単に着れそうな数枚を引っ張り出した。
戻ってきたドアの向こうからは泣き声がか細くなっていた。
張り付いているかもしれないドアをそうっと慎重に開けてみた。
大好きな飼い主が現れて猫だったほのかは文字通り飛びついて来た。
覚悟をしていたとはいえ、やはり女の子の姿のままで夏は溜息を零した。
にゃあにゃあと抗議めいた声を無視して「ほのか」と呼んでみる。
懐に埋めていた顔を上げてほのかは「にゃー!」と返事をした。
「これ、着るんだ。ほら、オレも着てるだろ?着ないとダメだから。」
自分でもなんて科白だろうと思いつつ真剣にほのかに訴えてみる。
全く理解していそうもないが、仕方なく行動へ移す。
ほのかが考える暇もないくらいすばやく頭から服を被せたのだ。
着替えの面倒を減らすため、被るだけのワンピースにしたのだ。
妹の姿を思い出して懐かしむ余裕もない夏だったがほのかは意外にも嫌がらなかった。
「よかった。着るものがあって・・」
しかし、下着を履かせるのに相当てこずった。
だが履かずにうろうろさせられないと任務を遂行し、夏はとんでもなく疲れた。
嫌がって脱ごうとするほのかとひと悶着あったが、夏の必死の思いが通じたのか納得してくれた。
ほのかに「腹減ってるか?」と尋ねてみると「にゃん」とどうやら肯定しているらしい。
自分もあれこれとあって結構腹が減っていたので昨夜の残りもので済ませることにした。
お行儀には今回目を瞑って食事を終えると、次の任務が夏を待っていた。
だが仕方なくほのかをトイレの場所は今日からここだと連れて行って示した。
使い方を説明するのに冷や汗をかいたが、案外ほのかは理解を示し、夏をほっとさせた。
しかし水を流す操作が気に入ったらしく早速使おうとして夏を慌てさせたりもしたが。
幼い頃に妹の面倒を見た経験が多少あったことをこのときばかりは感謝した。

女の子になってもほのかは相変わらず夏に甘えてきた。
猫と女の子では勝手が違う、外見以外は変っていなくとも。
「そんなに寄って来るなよ・・」嫌がるとほのかは不思議そうだ。
癖の在る髪は猫のときの名残りだが感じるのはやはり人の肌の感触で。
それも温かく柔らかで、普段は感じることのない感覚だった。
妹とだってこれほど肌を触れ合わせたりしなかったなと夏は困惑した。
それでも邪険にすることができず、ほのかのしたいようにさせた。
妹だと思えばいいんだ、そういうことにしようと夏は自身に言い聞かせた。

「それにしてもおまえ、なんでしゃべれないんだろうな?」
ずっと疑問に思っていることの一つを口に出してみた。
「ほのか」
「にゃん?」
「オレの言葉、真似できるか?」
ほのかはきょとんとした表情ではあるが耳を傾けている。
「夏って言いにくいかな?・・・”お兄ちゃん”は?」
自分を指さして示しながらほのかに繰り返し「お兄ちゃん」と言ってみる。
「にゃ〜ん?」
「無理か・・夏、な・つ、は?」
「にゃにゃ?」
「・・・やっぱダメか・・;あとは普通の女の子なのにな・・」
耳と尻尾は普通とは言えないのだが、夏は違和感に目を伏せているらしい。
元々猫だったのだから仕方ないと思い込もうとしているのかもしれない。
「あと問題は・・風呂だよな・・・オレが洗うのか!?・・ふーっ・・」
「にゃーん」
「おまえ、いったいなんなんだろうな・・?」
姿以外はいたって変らないほのかは機嫌よく尻尾を振って夏に微笑んだ。
そして夏にとって風呂は大変最悪なイベントだった。
自分で洗わせようと説明するとソープが面白くてほのかが泡で遊んでしまう。
遊ばれて泡だらけになった夏はやけになってシャワーでほのかを強制洗浄した。
その結果泣き喚いて裸で飛び出したほのかを捕まえるのにまたひと苦労したのだった。
やっとの思いで捕まえ、お気に入りクッションの上でドライヤーの風を受けながらほのかは大人しい。
「にゃーん・・」どうやら猫のときとお気に入りは同じでドライヤーの風も好きらしい。
反対に夏はげっそりとした顔で精神的疲労に耐えていた。
”こんなこと繰り返し毎日すんのか!?どうすんだよ、オレ・・”
「にゃああん」
「こら、じっとしてろ。もう少しだ!」
甲斐甲斐しい世話は猫だろうと女の子だろうと変らない夏にほのかも嬉しそうだった。

夕食の片付けもほったらかして夏はベッドに倒れこんだ。
「にゃーん」
「!?ほのか、おまえはここじゃない!」
「にゃあー?」
「いいか、このベッドはオレのだから。おまえは・・・どこにしよう・・?」
寝床のことを失念していた夏は疲れてしまってもう考える気力が湧いてこない。
「もう・・・面倒だ・・今晩だけ・・だからな?」
「にゃあん」
ほのかにとってはいつものことなので既に夏にぴったりとひっついて丸くなっている。
「・・・妹とだってこんな風に寝たことなんてほとんどないんだぞ・・?」
言ったところでほのかは解するでもなく、もうすっかり目を閉じていた。
「・・・疲れた・・・おやすみ・・ほのか・・もう猫に戻っても・・いいぞ〜・・・」
結局夏は傍に女の子付きで眠れるだろうかとの心配を余所に眠ることができそうだ。
ほのかの規則正しい小さな心音を身体に感じて夏は深い眠りに落ちていった。


朝までぐっすりと眠った夏は朝日が差し込む部屋の窓から傍らの存在に目を向けた。
そして何かの思い違いであって欲しいと祈るような思いで目を擦り見直してみる。
「おまえ・・?!」
「・・んにゃん・・」
ほのかが寝返りを打った。姿は女の子のままだったが、昨日と様子が違う。
「ほのか・・・なんで・・おまえ、大きくなってないか・・?!」
夏は目の前に突きつけられた事実をまだ受け止めきれずに呆然とした。







三話目はほのかとの生活スタート編です。お疲れ様、夏くん・・;すまんね!
次回は徐々に成長するほのかに対応を迫られる夏くん。受難は更にエスカレートです。
これ、読んでくださる方も気苦労しそうでコワイです・・・怒っちゃやーよ?