「ナツ恋」 


ほのかは夏休みの予定か何かを話していた途中のことだった。
楽しそうに瞳を輝かせ、あれやこれやと計画を口にしていた。
夏はというと話の内容はおおよそしか耳に入れていなかった。
理由は色々あるが、一つは彼も多忙で頭の中の予定を思い浮かべていた。
ほのかの要求を全部叶えてやることは不可能に近い。折り合いをつけねば。
なのでほのかのことをまるきりおざなりにしていたわけではないのだ。
だが、ほのかは心あらずな態度に見えて面白くなかったのである。
夏に思い切り顔を近づけ、口を尖らせた。抗議しようとして、である。
その唇に自分のそれを軽く押し付けてしまったのはほぼ無意識の行動だった。

お互いに”あ”と気付いた瞬間、しばらくの沈黙が降りた。
夏はマズイと慌てると同時に”少し当てただけだから・・セーフか?”と思った。
しかし目を丸くして固まっていたほのかにとってはそう簡単なことではなかった。
はっと我に返ったほのかは意外にも冷静な口調で夏に眉を顰めて言った。

「・・なっち、今のほのかだってちゃんとわかっててした?」

その疑うような口ぶりに今度は夏の方が目を丸くした。予想外だった。

「オマエ以外にねぇだろ?なんでそんなこときくんだ。」

夏は演劇なぞやってはいるが、その答えには芝居の欠片もなかった。
眉を顰めたままじっとその様子を見ていたほのかもそう感じたのかほっと息を吐いた。

「そんならいいけど、ダメなんだよ!ここは・・特別な人限定なんだから。」

ほのかは上目遣いでそう呟くと、突然ぱっと離れて部屋を出て行こうとした。
驚いて夏が「どこ行くんだ!?」と声を掛けると背を向けたまま「・・おトイレ」と答えた。
取り残された夏はほのかの行動に怪訝な顔つきだったが、変わりない態度に少し安心もした。
ところがほのかが中々戻らない。心配になって夏は洗面所へ向かった。

顔でも洗ってるのだろうかと想像すると夏は複雑な想いが交錯し立ち止まった。
ほのかが幼いせいもあって、まだはっきりと告げられていない彼の胸の内。
傷つけるほどショックを与えてしまったとしたらなんという失態だろうと胸が痛む。
恐る恐る覗いた洗面所にほのかは居た。膝を抱えて蹲り顔が見えず、その姿に青ざめた。

「ほのか」

声を掛けるとびくりとしたが顔を上げない。彼の好きな無邪気な顔は隙間なく覆われていた。

「・・すまん。オレが悪かった。けど・・聞いてくれ・・」
「なっち、あっち行ってて!」

夏は近づいた身体ごと金縛りに合ったかのように動けなくなった。
そんなつもりではなかったとはいえ、大切な少女をこんなに傷つけて動じないではいられない。
このままほのかが自分の前から去っていってしまうかもしれないと思うと怖ろしさに身が竦む。
しかし今は傷ついたほのかが立ち直るための助力に何かしなければと彼は気を引き締めた。

「行く前にこれだけ言わせてくれ。ほのか、間違いじゃないとさっき言っただろ?」
「間違うわけない。オマエが顔を近づけたから思わず触れた。ほのかだったからだ。」

「好きなんだよ、オマエが。」

聞こえているはずだと思うが、ほのかはじっとしたまま顔を上げなかった。
真剣に伝えたが、ほのかもリアクションに困っているのかもしれなかった。
言われた通り少し離れた方がいいのかと夏はほのかの傍らから離れようとした。
だが立ち上がろうとしたとき、ほのかが顔はそのままで夏の服の端を引っ張った。
驚いたがそっと再び跪き、ほのかの様子を窺う。すると小さな声が聞こえてきた。

「なっちぃ・・どうしよう・・」
「え?どうって・・どうかしたのか!?どっか痛むのか?!」
「ちがうよ。けど顔・・治まらない。心臓も・・なっちのせいだ。」
「顔?顔どうしたんだよ、見せてみろ。」
「あっやだっ!?ダメ!!」

夏がほのかの腕を取るとほのかも釣られて顔を上げた。そして夏はもう一度目を丸くした。

「ヤダ!見ないでよう・・!!」

ほのかの顔が真っ赤に染まっていた。そして少し潤んだ瞳で夏を見た。
しかし慌ててその顔を元通りに隠そうと下を向いたが後の祭りというやつだ。
見間違いではない。伏せた後に見える耳や、首までも赤く染め上がっている。

「・・・だいじょうぶ・・か?」
「だいじょうぶじゃない。ばかばか!苦しいよ!冷まそうとしてたのに追い討ち!!」
「泣いたりしてたわけじゃないのか?」
「だって!あんなに・・何気なくされたら・・ほのかだけバカみたいじゃないかあっ・・」
「照れてたの?オマエ・・なんだよ、オレはまた・・」
「離してよう・・さっきから腕掴んだまま。でもって顔見ないでってば!!」
「見せてくれよ。見えないと寂しい。」
「さっ!?・・何言ってんの。もう〜しんじらんない・・」
「信じろよ、好きだ。ほのか。」
「きゃああ・・なっちが、なっちがおかしくなっちゃったよう!」
「オマエはどうなんだよ。どうみてもその・・喜んでないか!?」
「ばかぁ・・ほのかだって・・好きに決まってるよ。なんべんも言ってるじゃないかぁ・・」
「オマエの好きと同じだと思ってなかった。スマン。」
「うう・・ヒドイ!なっちぃ・・どきどきが治まんない。どうしたらいいの?」
「悪い。わからん。」
「ズルイよ、なっちはちっともどきどきしないの!?さっきだってあんなに平然としてさ!」
「さっきのはちょっと当てた程度だったし・・今はそれなりにしてるぞ?」
「ちっともみえないし!ちょっなんで近づくの!?離れてっ!」
「そんなこと言わずにやり直させてくれ。」
「・・えええええっ!?!?だっだめっ・・無理!ヤダなっち、反則。」
「反則ってなんだよ?」
「いっつもオレは好きじゃないとか、ガキだとか、子ども扱いしてるくせに〜!」
「それはまぁ・・ゆるせ。あんなファーストじゃイカンと思ったんだ・・」
「ふぁ・・もういい、いいよ、さっきので。やり直したりしたら・・心臓壊れ・・」

幸い焦りや心配は杞憂に終わり、夏が触れてもほのかの心臓は壊れなかった。
だが涙腺の方に支障が出たらしく、夏はしばらく闇雲にぽかぽかと殴られていた。

「も、なっちなんてキライ!ダメって言ったのに・・もおおっ!」
「しょうがねぇだろ!?オマエだってなぁ、可愛すぎるんだよ、いちいち。」
「可愛くなんかないもん!ばかっ!!・・イヤだもう力入らない〜〜〜!!」
「ほのか、移動するぞ。」
「へ?あっ・・」
「場所変える。ここじゃああんまりだったな。もう一回やり直しだ。」
「いっ!?いやああっ下ろしてっ!どこ連れてく気だーっ!?」
「どこって・・どこがいいんだ?」
「うう・・わかんないよ、そんなの・・」
「どこなら怖くない?」
「・・・いつものソファとか・・かなぁ?」
「わかった。」
「あっ!ちがっ・・いいなんていってないよ!?」
「怖くない程度に努力する。」
「なっなっちぃ・・元に戻って・・ほのかもう・・なんだかへとへと・・」
「そんなに喜んでくれるとは思ってなかった。悪かったな、今まで子ども扱いして。」
「ちっがっうーーーー!!!」

がっちりと抱き上げられたままほのかは洗面所を後にした。夏の足取りは軽い。
まだまだそんなことは叶わないと抑えてきた気持ちが突然開放されたからだろう。
ほのかも心底嫌がっているのではないようだが、やはり突然で気持ちが追いつかない。
だが抵抗に疲れてしがみついた夏の胸は広くて、安心したようにほのかは赤い顔を寄せた。
そんな様子に夏は目を細めた。隠し切れない想いに溢れた眼差しで。


「・・いつから・・?なっちいつからほのかのこと好きだったの?」
「・・大分前だな。はっきり自覚したのはそれほど昔じゃないが。」
「ほのかねぇ・・なっちに恋してたよ。もうずうっと前から・・・」
「オレもそうだ。・・じゃあ初めからかもしれないな、お互いに。」
「いやになっちゃう。なっちってば嬉しそうだね。」
「オマエが嬉しそうな顔してるからだ。」
「なっちってほのかのことダイスキなんだね!?」
「イヤなのかよ。」
「ほのかのが先に好きだったって言いたかったのに・・」
「負けず嫌いめ。」
「なっちのがうつったんだ、きっと。」
「元から負けず嫌いだよ、オマエも。」
「そうかな。」
「そうさ。」
「一緒ならいいか。」
「そうだな。」
「・・ほのかが顔近づけたら、いつもしたかったの?」
「そうだよ。」
「そうなのか。」
「気を付けろよ、これからも。」
「なんで?もうだいじょうぶだもん。」
「あんなに慌ててたのに順応が早いな。」
「だいじょうぶ・・だと思う。」
「じゃあ次は身の危険を考えろ。」
「ええっ!?そ・そうなの・・?!」
「さすがに無意識にはしないだろうけどな。」
「そういうもの?」
「けどな、あんまり誘惑されたら・・わからんぞ?」
「それって誘惑していいの?よくないの!?」
「するなら覚悟しとけってこと。」
「はぁ・・そうかぁ・・」
「まだ顔赤いな?」
「ウン・・だってなっちのせいでしょ!?」
「オマエのせいだ。」
「なっちだもん。」
「オマエには負けるっての。」


夏休み前にいきなり報われた夏の恋の行方は予定通りにはいかないだろう。
だがどんなに変更されたとしても、未来の予定表は色鮮やかに輝くに違いない。
誰よりも一番大切な少女の笑顔が、いつも傍にある限り。







私もこの話突然思いついたんです。^^