MUSICA後日談第1話〜メロディ〜


初の旅行を終えて帰国したのは出発から10日後だった。
ほのかの両親が迎えに来ていて、白浜家へ直行となり、
流れで夕食もご馳走になった。土産話でほのかは忙しい。
母親と楽しげに語らっている横には父親の寂しそうな顔があった。

「長いことお世話になったね、谷本君。」
「いえ、長い事ご心配お掛けしました。」
「元気そうで安心したよ。・・あまり変わらんようだね、ほのかも。」
「・・そうですね。助かりましたし、助けられました。」
「そうか。・・・君は飲めたかね?今晩付き合ってもらえるかい?」
「はい。」
「疲れているところをすまないね。」
「いいえ、お気遣いなく。」
「うむ・・」

父親と一対一で会話することは、覚悟はしていてもやはり緊張した。
大切な娘であるほのかのことを思えば、殴られるくらいならまだいい。
しかし父親は何も言わなかった。拍子抜けするほど穏やかだったのだ。
兼一はほとんど晩酌に付き合うことがないらしく、オレが結構飲めることを喜んだ。
旅行前より一段と親しく息子のように接してくれる父親に向かい合うのは面映かった。
だがほのかと母親の楽しそうな笑い声が聞こえてくると寂しい横顔が垣間見えた。
オレは掛ける言葉が見つからず、黙ってそれに気付かぬふりをするしかなかった。

翌日から久しぶりに仕事漬けになり、ほのかと会う余裕はなく数日が過ぎた。
その間にオレは不測の事態に陥った。

久しぶりの我が家に帰宅した夜にそれは始まった。自宅を空けることはままある。
使用人を置かないのでガランとした家は灯りもなく、空気も澱んで蟠っていた。
ごく有り触れた状況だ。明日は掃除だなと溜息を一つ。そこまでは何も変わりなかった。
用は全て明日にして寝てしまおうと荷物を解くことすら投げ出して寝室へ向かった。
部屋のライトを点けた、そのとき初めての違和感に気付いた。
深くは考えずに腰を落としたベッドを何気なく見た。・・・なんか変だ・・・
そこでようやくはっきりと”違い”を感じた。違いは明らかで疑いようがないことだった。



・・・ほのかがいない・・・



そこはオレの部屋なのだからいないのは当然だ。そのほのかを送って戻ってきたんだ。
感傷的な自分に驚いた。シャワーを浴びてそんなことなど流してしまおうと思った。
しかし甘かったのだ。物足りなさは大きくなるばかりで途惑う。会いたさは募った。

どうしたんだと自分に突っ込んでも何をしても振り切れないことで焦燥までもが襲った。
ほのかを抱いて眠った数日はそれまでの月日と比べてあまりにも短い期間だったはず。
それなのにこれからもずっと一緒のような気がしていた。そんな予定はまだやってこないのに。
眠れるだろうかという漠然とした不安は的中した。それ以来、オレは夜ほとんど眠れなくなった。

3日くらいは仕事やその他の忙しさが手伝って普通に過ごせた。夜は眠れなかったがなんとか。
本格的にマズイなと思い始めたのが4日目だ。とにかくどんなに体が疲労を訴えても眠れない。
目を閉じてもアイツのことばかり浮かんできた。そのせいで少しも眠気が襲ってこないのだ。
閉じた目蓋にはほのかがまた映る。色んなことに消耗して弱り果てた頃、救いが来てくれた。


 ”かわいいほのかちゃんをほったらかしにしてる罪な男に警告!”
 ”このままだと浮気しちゃうかもだよ!会いたいよう!(><)”


そういえばメールすら着てなかったなと思うと文面だけで顔が弛んだ。
2日目くらいに着ていないとわかったが、躊躇してこちらからもしていなかった。
愚かにも”会いたくない”とまではいかなくても、”会えない”の返事を怖れたのだ。
しかしもう待てないと思った途端に打診してくれたわけで、情けないが嬉しかった。
どうして夜メールするんだよ!と理不尽な怒りを抱きつつ時計の時刻を恨めしく確認した。
もう会いに行くのは憚られる時間に間違いなく、舌打してメールに視線を戻した。
今晩眠れなくなっても構わないと思った。何が何でも明日会うと決めて返信した。

 ”明日休むことにした。オマエだって同罪だからな!”

朝一で飛び出してやろうと思い描いて目を閉じてはみたが、やはりその夜も眠れなかった。
アイツの怒る顔や笑い顔が次々と浮かんでもどかしい。それでも会える期待で嬉しかった。
朝は中々思うように訪れずに焦れたが、そろそろ朝と呼んでも許される時刻に寝室を出た。
日課の訓練はメニュー通りこなした。シャワーを浴びて朝食をどうするかと悩んでいた時、
玄関でけたたましく呼び鈴が鳴った。小学生のピンポンダッシュのような押し方はアイツだ。

「なっちーっ!!??」

朝っぱらからチャイムを連打すると、もっと騒がしい足音が近づいて来る気配だ。
合鍵を持ってるんだから鳴らす必要はないのだが、来た事を知らせたかったんだろう。
オレも急ぎシャツを羽織って玄関を目指した。面倒なので階段は途中から飛び下りた。

ほのかはオレの姿を見つけると笑顔になった。同時に両手を広げると高く掲げた。
数秒後、抱きしめたほのかは懐かしい匂いがして不覚にも涙腺が弛みかけた。
さすがに格好悪いのでなんとか耐えたが、ほのかは遠慮せずに大声で泣き出した。

「なっち!なっち!なっちぃ〜!ばかばかばか、会いたかったよう〜!」

怒る声にまで聞き惚れるなんてオレは相当イカれてるなと思ったが構わなかった。
責め立てるほのかの様子を堪能した後、再び抱きなおすと口付けて喚き声を黙らせた。
そのせいで早朝に似つかわしくないことをしたほのかを咎めることができなくなった。
オレの方が余程朝にふさわしくない求め方をしたからだ。息を継ぎ損ねたほのかが咽た。

「ちょっ・・と待ちなさい!しっ舌が・・あう・・」
「噛んだりしてねぇぞ?苦しかったか・?」
「舌が痺れた・・なんだ、なっちも会いたかった?」
「何してたんだよ、オマエは。」
「なにって!待ってだんだよ!」
「・・オマエだったら待ったりしねぇで会いにくるかと・・」
「なに〜っ!?それならなっちから会いたいって言えばいいじゃんか!」
「オレは仕事ほっぽり出すわけにいかねぇから・・邪魔しに来ないかと思ったんだよっ・・」
「呆れた。イイ子ぶって待ってたりするんじゃなかったよ。」
「悪かった・・オレから会いに行こうと思ったらメールが着たんだ。」
「なっちも我慢してたってことでおあいこね!ほのか許してあげる!」
「そりゃよかった。オマエこんな早くに来るなんて朝飯食ったのか?」
「食べてない。一緒に食べようと思ったから。」
「そっか。何食いたい?」
「パリから戻った後お買い物したの?何にもないんじゃない?」
「冷凍庫にスープある。パリで買ったバゲットもあるし・・・」
「じゃそれと、お土産のジャムで。あとはまぁ適当。」
「ああ、そうするか。」


ほのかの顔を見たら腹が減った。おかしなもんだ。ここのところ食欲もなかったのに。
旅行中のようにほのかのおしゃべりを聞きながら朝飯を拵えて食った。美味かった。
食後のカフェオレがなみなみと注がれたマグを両手で抱えて、ほのかは息で冷ましている。
その光景も数日ぶりで可愛いと思う。まぁ何をしていてもほのかを見ているとそう思うのだが。

一息吐いたほのかは飲みかけのマグをテーブルに置き、お馴染みのソファの定位置に座った。

「ねぇ、なっち・・ほのかねぇ困ったんだ!旅行から帰ったら。」
「え?オマエも?!」
「なっちも困ったの?寂しくて!?」
「いやその・・オマエの困った理由ってなんだよ。」
「それがね、夜寂しくって・・なっつん2号を抱いてもクマさん抱いても眠れないの。」
「・・・・クマってあれか;あんなもん代用にされてもなぁ・・」
「代用ってわけじゃないけど寂しいから抱っこして寝てたんだよ。でもあんまり・・・」
「じゃあ今日はどこも出かけないで家でのんびりするか?」
「ウン。一緒にいてね!ああでも帰るのが辛くなるかなあ!?」
「それは・・」
「もういっそ結婚しちゃわない?」
「!?・・まだ学校があるだろ。」
「だって・・なっち不足で病気になりそうだもん。」
「・・この前親父さんさ、ものすごくほっとしてたぞ、オマエが帰って来た晩。」
「ウン・・お母さんも言ってた。寂しそうだったって・・・」
「せめて約束の卒業までってのは守らないと申し訳ない。」
「でもさ、お嫁に行ったってすぐ近くなんだからいつでも会えるじゃん。」
「それ、父親に言っちまったのか?!」
「ウウン、まだ。」
「だったら言うなよ。それに・・子供ができたらどうすんだ。」
「そりゃ産むよ!」
「そうじゃない。」
「学校は休学すればいいじゃない。元々ほのかは避妊したくないって言ったでしょ!」
「・・・それは旅行前に話し合ったじゃないか。まだ納得しきれてなかったのか!?」
「お母さんまで避妊しろって言うしなぁ・・」
「多数決ってのもおかしいかもしれんが、オマエ一人だからな、反対してんの。」
「産むのはほのかだよ。授かるものならありがたくそうするべきだと思うもん!」
「だからこそ、卒業を待てと親も言うんだ。気兼ねなくそうするためにな。」
「・・・ウン・・けどさぁ・・」
「旅行中はオマエが大丈夫だと言い張るから何もしなかったが・・やばかったのか?」
「お母さんと相談してちゃんと基礎体温とか測ったし、終わったばっかだったし大丈夫。」
「オレも薬は反対だからそれに任せたが、絶対安全とは言い切れないんだろ?」
「ウン。薬はほのかも嫌。なるだけ自然なのがいい。」
「オレはオマエの体第一に考えるのなら他は文句ない。前に言った通りだ。」
「へへ・・ありがとう。あっでも今日は・・」
「今日?」
「危ないかもだよ。どうしよう!」
「!?・・・・・・・・それって・・;その・・したいってこと・・・か?」
「え?!えと、今日そーゆーことになると困るなって思ったんだけど・・?」
「はぁ・・そういうことか。」
「なんで?」
「なんでもない。」
「・・・あのさ、こんなこと言うとなっち怒るかもだけど・・言っていい?」
「何を遠慮してんだよ?」
「赤ちゃんのことはともかく・・なっちとそーゆーこともしたかった。」
「っ!わっ!?」
「あやや〜!・・・なっちが飲み物零すなんて珍しいね!?」
「オマエが驚かせるからだろ!」
「むぅ・・ごめんよ・・」
「謝るな。」
「ん?どっちだい!?」
「オレは・・心配してたんだ。・・そのせいでこっちから連絡し辛かったってのもある。」
「ええ、どうして?!」
「旅行中オレもその・・いや出発前に聞いてはいたが・・避妊なんかそっちのけで・・;」
「あ、ウン・・;」
「随分無理させたって後で心配になったんだ。それでそのしばらくはそういうことを・・」
「ふんふん・・」
「しない方がいいのかなと思った。会いたいが会ったらまた止まらなくなりそうで怖くて」
「なっちもしたかったんだ。」
「ぐ・・オマエってよくそうあっけらかんと言えるなぁ!?」
「いいじゃないか言ったって。誤解するよりなっちも言えばいいよ。」
「・・間違うなよ?会いたかったんだ!したかったってのとは違う。」
「らじゃっ!ほのかといっしょだぁ!!」
「・・・ホント負けるな、オマエには。」
「勝ち負け関係ないし。喜んでよ、ほのかも会いたかったんだから。」
「そうだな。そりゃそうだ。」
「ふふ・・よかった。」

そのときのほのかの頬は紅い色が浮き上がっていた。間違ったのはまたオレだった。
ほのかだって少しも照れてないことはない。オレより勇気があるってことなんだ。
だからオレも敬意を払うべきだ。ほのかに伝える勇気を・・オレも出さなければ。

「ほのか・・オレの悪いクセだ。またウソ吐いた。」
「え?!」
「オマエを見習って正直に言う。会いたかっただけじゃない。抱きたくて眠れない夜を過ごしてた。」

真直ぐに目を見て言えた。正直になるってのは難しい。しかしほのかは嬉しそうにまた笑ってくれる。

「ご褒美はね、ほのかだよ。要らないなんて言ったら承知しないからね!?」
「一生言わねぇよ、そんなこと。」

ほのかは照れたように顔をくしゃっとゆがめた後、オレに手を差し出した。
その手を初めての夜のように受け取って甲に口付けた。どこにいてもほのかは変わらず愛しい。
今更のようにオレも気恥ずかしくなった。その場でしばらくの間二人して照れていた。






第2話〜リズム〜へ続きます







告知が遅れましたが、MUSICAの後日談は全3話になります。
今回は第1話。どうぞよろしくお願いします!(^^)