MUSICA (Y) 


いつものように一日が終わり、新しい一日へと移行しようとしていた。
日本にもフランスにもその世界のどこであろうと、未来へと時は運ばれる。
特別な意味のある一日もあれば、昨日と変わらない一日もあっただろう。

ほのかと夏の二人で過ごしたその夜も、他者からすればありふれた一日だ。
彼らにとってさえ長い人生からすればほんの一時に過ぎず、何れ過去になる。
いつまで二人が同じ時を過ごしていけるのかどうかは誰にも予見できないが、
その時を同じく過ごしたことはそれぞれの記憶になり、歴史の一部になる。


永い夜だった。時から二人だけが切り離されたようにも感じられるほど。


何もかもわからなくなるのを怖れるように、ほのかの手は夏の手を求め、握り締めた。
言われるままに思考を手放したほのかにとって、拠りどころは夏自身しかなかったから。

夏も思い悩むのをやめ、押し込めていた蓋を外したせいで、制御不能の体を持て余した。
しかし体とは逆に頭の方は冴えていった。何をしているかもくっきりと鮮明になってゆく。
余分なことが振り落とされ、収束するように浮き彫りにされる一つのこと。求め続きてきた。
そのほのかの名を何度も呼んだ。呼応しようとしてはくれるがほのかの声は言葉にならない。
全てを差し出してくれている、そう感じられて幸せで涙が滲む。抱いたまま離したくなかった。


永い永い夜。過ぎ去るのをどれほど惜しんでも、時は朝に近づいていった。


初めてだとわかっているのに、優しくしてやるどころか夏は何度もほのかを抱いた。
傷つけることをあれほど怖れていたのは誰だったのか、そう自分を疑うほど烈しく求めた。
抑えられなかったのだ。頭が冴え、ほのかを大切に想う分だけ求めてもいることがわかった。
曝け出してしまった幼い自分に対して、歳下のほのかの方がどれだけ大人で優しかっただろう。
必死で辛さに耐え、夏を全部受け入れてくれた。叶わないという想いに打ちのめされた。
解放されて気を失うように眠り込んだほのかを綺麗にしてやって、寝巻きを着せた。
あまりに深い眠りで、心配になり何度も寝息を確かめた。髪を梳き、夜明けまで寝顔を見つめた。

ほのかは夜明けが来てもまだ眠っていた。穏やかな呼吸に癒されつつ、夏は次第に寂しさが募った。
自分も眠ればいいのだが、出来ないのだ。体がまだ興奮を覚えているのか、鎮まってくれない。
一睡もしないうちに朝になり、取り残されたような気分になったのだ。子供のようだと自覚した。
見た目とは間逆でほのかは見た目ほど子供ではなく、夏は見た目に反してまだまだ完成されていない。
そのことを実感する夏だった。置いてけぼりされた幼児のように拗ねているのが恥ずかしかった。

起こしてはいけない、自分のせいで疲れてるんだ。できるだけ寝かせてやらなければ。
そう思うのだが、つい柔らかい髪を撫でたり摘んでみたり、昨日握ってくれていた手を突いたりした。
そんな一人だけ昼寝の出来なかった園児のような夏の横で、ようやくほのかが目を覚ました。
ぼんやりとした目つきで夏を見た。まだはっきりとしない意識で無表情のままだった。

「・・・・なっち・・・おはよお・・・」
「おはよ。よく眠れたか?」
「早起きさんだね・・今何時くらい・?」
「そんな早くもないぞ。けどもう少し寝るか?」
「ウウン・・・起きる〜!起きたい・・・んだけど、あれ・・?」
「どうした?!」
「起きれない・・体重た・・なんでだろ?」
「なんでってそりゃ・・・・スマン・・・」
「?・・なんで謝るの・・?・・・・・あ!」
「まさか・・忘れてたのか?昨夜のこと・・」
「!!??」
「ほのか!?」

突然顔を真っ赤にしたかと思うとほのかはベッドの中に潜り込んでしまった。
亀のようになって中で何かを叫んでいる。悲鳴のような声も聞こえてきて夏は不安になった。

「何叫んでんだ?!おい、出て来いよ!怒ってるのか?それとも泣いて・・るのか?!」

盛り上がったシーツの山が揺れた。どうやら”違う”という意味らしい。
困った夏は少しシーツの端を摘んで引っ張ってみるが、ほのかは抵抗して出てこない。

「なんでだよ!?なぁ、ほのか!顔を見せてくれ!」

夏にしては情けない嘆願だった。塊になっていたほのかはそうっと窺うように顔だけをこちらに向けた。
シーツを頭巾のように被ったままでちょっと笑える光景だったのだが、夏は真顔で待っていた。

「・・・寝巻きなっちが着せてくれたんだよね?ありがと・・」
「あぁ・・そんなことより・・どうしたんだよ。それと・・大丈夫か?」
「だ、大丈夫って・・?」
「え、その・・体とか・・;」
「だっ!だだだだだ・・・だいじょぶ!」
「なんでそんな・・慌ててるんだよ?」
「慌ててないよ!ちょっとまだ痛いけど平気。」
「まだ痛いのか・・もうちょっと寝てろ。それとも何か飲むか?」
「や、平気だってば!そそ、そうだ朝ごはんは!?」
「腹減ったのか?なら・・ルームサービス頼むか?」
「あ、やっぱりいい!起きる。起きて一緒に朝市行こうよ!」
「は?・・そりゃいいけど・・どこでやってんだ、それ。」
「調べてきたよ。地図見せるね。それとカフェでブランチしようよ。」
「それも調べて来たのか?」
「ウン!こうしちゃいられないね!?起きなきゃ・・っ!!」
「?ほのか・・?」
「う・うぇ〜・・ん・・・」
「どうしたんだよ!?とにかく出て来いって!」

夏はもどかしくてとうとうシーツを剥がした。するとぺたりと座ったほのかがべそをかいている。
何事かと近づくと、「いやあ〜!来ないで。あ、でも立てない・・なっちぃ・・たすけてぇ〜!」

何がなんだかわからなかったが、ほのかは泣きながら夏の首にしがみついた。
昨夜のことが思い出されてしまうが、それどころではないと夏は口元を引き締めた。
ほのかの要領を得ない説明を集合すると、予定していたことを実行しようと思ったが腰が立たないこと、
それでもなんとか立ち上がろうとしたとき、昨夜の名残がぼたぼたと足の間を零れ落ちたことに驚いたと
涙ながらに訴えた。夏も驚いて顔を赤くした。そして「・・昨夜拭いたつもりだったんだが・・すまん;」
などとぼそりと呟いたため、ほのかは「やだあ〜!」と余計に泣いてしまったりしてしばし大変だった。

抱き上げて風呂場に連れて行った夏に、ほのかはぐずぐずと文句を言った。

「お風呂入れて!気持ち悪い・・まだ中に入ってる気がするよう!」
「そういうことを言うな!なんか・・マズイ気になるだろうが!?」
「なっちのえっち!お漏らししたかと思ったよう〜!いやだあ〜!」
「・・・・・悪かったからもう黙っててくれ。マジでヤバイ・・・」
「なんでよ!?ほのかヤラシイこと言ってる?」
「かなり・・刺激的ですけど?」
「くすん・・わかんないけど!」

朝風呂と聞くと優雅なイメージだが、ほのかの文句と夏のぼやきとで相当かけ離れていた。
終いには「ごちゃごちゃうるせー!大人しく洗われてろ!」と怒鳴ってしまう夏だった。
そしてそれに大人しくなるほのかではない。益々やかましく喚き立て、賑やかな朝となった。
二人共が落ち着いたのは着替えを済ませ、出掛ける準備がようやく整った頃だった。

「もうお腹ぺこぺこ!なっちのせいで朝市行けなかった!」
「明日にしろと言っただろ。とにかくそのカフェ行って飯だ。」
「ウン!あ、そうだ地図忘れてた!えっと〜・・どこだっけ?」
「時間食ってんのはオマエの方だろ!?・・ったく・・」
「あ、あった!あったよ、なっち。よかった〜!」

ほのかはぱたぱたといつも通りの軽い足取りに戻っていて、夏はその様子にほっとした。
賑やかで、楽しそうで、音楽のようなほのかのおしゃべり。昨夜のことが夢のようにも感じられる。
しかし・・違うのだ。あんなに泣かせたのも事実なら、この今の安らぎも夢ではない。
夏は何度目かわからないが、また幸福感に眩暈した。そんな夏の眼の前でほのかがにこりと微笑んだ。

「お待たせ!なっち。」
「あぁ。じゃ行くか。」

笑顔に胸をときめかせ、夏は差し出された手を取った。何も言われないまま自然に。
寄り添って部屋を後にした。外は良い天気で、ほのかは夏の傍らで笑っている。

ホテルを出たとき、ふと思いついたように夏はほのかに言った。

「ちゃんと手を繋いでろよ、足元危ないから。」
「?あぁ石畳?!でも昨日は大丈夫だったよ?」
「けど繋いでてくれ。心配だから。」
「やれやれ・・心配するのが好きだねぇ・・!」
「そうじゃなくて、オマエが好きだからだよ!」
「はえ!?」
「なんだよ、その顔は。文句あんのか、コラ!」
「・・素直だからびっくりしたんだよぅ・・!」


頬を染めるほのかに夏は得意そうな顔になった。
それを見て悔しそうに舌を出すほのか。笑う夏。

ありふれた一日が今日も送られるのだ。素晴しいことだ。
昨日は二人の特別な日だったが、当たり前の一日でもある。
大切なかけがえのない、ありふれた日。これからも二人で過ごしていきたい。
夏とほのかの繋がった手はお互いの温もりを大事そうに握り締めていた。









聞いてください、皆さん!この6話の前に5話の終わりから6話にかけての、
つまり『本番』(5.5話)を書いていたのです。書き上がってやった!と思った瞬間!
パソコンが・・・固まりました。その後復活しましたが・・データはパア!(また)
なので・・気を取り直したらもう一度書くことにしますね〜!?(笑)