MUSICA (X) 


『あ』

言葉を発する際の初音が重なった。夏とほのか同時に声を出したのだ。
綺麗に重なった声は驚きで瞬時に飲み込まれ、意味のある単語を形成しなかった。
緊張の糸がプチンと切れて、二人ともが大きく目を見開き、次の言葉を継ごうとして

『な』

またもや見事に被さった。呼吸を合わせようとしているわけでもないのに、だ。
さすがに二度続くと、ほのかはおかしくなってしまい、ぷっと吹き出してしまった。
夏が抑えていた両手をそのとき思わず緩めたため、ほのかはベッドの上でお腹を抱えた。

「ぷっ・・・くくく・・!」

ピンと張った空気はたちどころに霧散した。夏は溜息を一つ吐くとほのかの横に突っ伏した。

「・・いつまで笑ってんだよ・・」
「ご・ごめ・・!ものすごく・・緊張して・・ごめんね!・・」
「いいけどな・・はは・・」

夏はうつ伏せから顔だけを上げると、ほのかに向けて力なく笑った。
ほのかも夏の方へと向きを変え、寝そべったまま顔を近づけると微笑んだ。

「ホントにごめん。緊張してたから余計におかしかったんだよ。」
「謝らなくていい。オレも緊張を解したくて何か言おうとしてたんだが・・忘れた。」
「ほのかも忘れちゃった!」
「そっか。」
「ウン」
「助けてもらった。オレこそ御免、だ。」
「助けたって・・?」
「オマエを緊張させたのって・・オレのせいだろ?」
「そうかな?違うんじゃない!?」
「そうだよ。」
「けどせっかくなっちが”その気”になってたみたいなのにほのかったら・・!」
「オレはいつでも”その気”になれるからいい。オマエだろ、時間がかかるのは。」
「え、そんなことないもん。ほのかだって・・」
「そうなのか?・・どうすればいいかよくわからん・・」
「う〜んと・・えっと・・あ、ホラもうドキドキしてきたよ?」

ベッドに伏せた状態の夏は、少し気の抜けたように目元が優しくなっている。
ほのかに急にときめかれる理由が夏にはわからなかった。ただ見ていただけだったのに?

「オマエのツボっていうか・・そういうポイントがマジでわかんねぇんだけど・・」
「・・そ、そう・・かもね。ほのかも特にこうって決まってるわけじゃないし・・」
「今なんか・・オレなんにもしてねぇぞ?」
「えっ!?えっと・・えと・・ね?」

ほのかは珍しく言いよどみ、顔を赤らめている。夏は不思議そうにその様子に見惚れた。

「あ、あのね?その・・じっと見てたでしょ?ほのかのこと・・」
「?・・見るのは見てたが・・」
「や、優しい目だなぁ・・とか思ったら、急にドキドキって・・した。」
「へぇ・・?」
「なっちは?どんなときそんなになるの?!」
「オレは・・さっきも言ったが、いつでも?」
「そんなことないでしょ!?ほのかが誘惑してもさっぱりだもん!」
「ああ、そうだな。オマエは無自覚の時の方が・・効果ある。」
「え?!どんなとき?」
「何にも考えてないときっていうか・・」
「あ、そういえばなっちってよく突然キスするよね!?びっくりする。」
「多分そういう時だ。」
「ほのかにわからないんだったら、どうやって誘惑すればいいのかな?」
「は?・・なんでそうなる!?」

夏がすれ違いを感じたとき、ほのかが突然起き上がってベッドの上に座り込んだ。
驚きで夏も腰を浮かしそれに倣う。するとほのかが寝巻きをがばっと捲り上げた。
ほのかが着ていた白いドレスのような寝巻きの下は、予想に違わず素肌だった。

「い・いきなり脱ぐなっ!!」慌てた夏は咄嗟に後ろを向いてほのかに背を向けた。

「!・・なんでそっち向いちゃうの!?」
「あ・あんまり唐突で・・驚いたんだよっ!」

夏の声は酷く慌てている。ほのかは脱ぎ捨てた寝巻きを胸元に当て、夏に擦り寄った。
びくりと夏の向けている大きな背中が揺れた。ほのかはその背に頼りなげな哀願を口にした。

「あのね・・がっかりしちゃヤダからね?」
「・・・するかよ・・何言ってんだ・・!」

背中越しに伝わった声がほのかとは信じ難いほどに弱弱しいことに夏は苛立った。
二人の気持ちがシーソーのようにあっちこっちへと揺れて定まらないことも腹立たしい。
しかし一番許せないのは余裕の無さ過ぎる自分自身だった。情けなさで逆に切れそうだった。

「・・もうそんなどうでもいいこと・・ごちゃごちゃ考えるな!」

余裕の無さはどう誤魔化せるものでもない。夏はそんなことをいつまでも悩むのは止めにした。
それよりも必死でオレに願っているほのかをこのままにしておくのが一番駄目だと、そう思う。
振り向いて、真っ先に滲んでいる目元の涙を唇で拭い、二人の間に挟まっていた服を乱暴に払った。
ほのかが恥ずかしがる暇もなく、その素肌を自分の体で覆い隠すように抱きしめた。

あっという間のことだったので、ほのかは目を丸くしたままだった。気付いたらまた仰向けだ。
さっきと違うのは、二人の体に距離はなく、僅かに夏の着ていたシャツを隔てて密着していた。
圧し掛かられた状態だと、ほのかの小柄な体は相当なプレッシャーを感じる。思わずしがみついたが
知っているはずの背中がいつもより大きく思われて、力の入らない指先が震えて背中を彷徨った。

”・・・どうしよう・・!?力・・抜けて・・入らないし・・・・・こわい・・・!”

ほのかがなす術を失くしてぎゅっと閉じた目蓋に夏の唇が触れた。すぐに離れて額や目元へも触れてゆく。
彷徨うような夏の唇がどんどん下降していくのがわかると、ほのかの喉から苦しい息が零れ出た。

「待っ・・なっ・・ち・・」

ほのかが一時停止を訴えたことに夏は気付いていたが、敢えて止めなかった。
首筋にあった唇が耳元へ這い上がるとほのかの頭に夏の声が直接響いたように感じられた。

「なにも・・考えなくていい・・」

耳元で囁かれたからなのだが、ほのかの体はそのとき勝手に大きく波打った。
けれどその波も夏の体に伝わるだけで、なんの抵抗にもなってはいない。
びくともしない体に包まれている、ほのかに理解できたのはそれだけだ。頭は既にぼやけていた。
耳からの刺激でもうとっくに思考は空っぽになっていた。それが不意に解放されたと思うと深い口付け。
抑えられた頭は痛いわけではないのだが、髪をかき混ぜるように彷徨うのでそれだけで息が上がる。
おまけに口を塞がれて深く舌を絡まされたほのかは、荒波に流され溺れるような感覚だった。

唇が一旦離れたとき、陸に打ち上げられた魚のように必死の思いで呼吸した。胸が烈しく鳴っている。
痺れたような舌のせいで、言葉が出てこない。休む間もなく唇と夏の手がほのかを追いかけてくる。
必死なのは自分だけではない、それがわかるまでには時間が掛かった。なにも考えずにいたからだ。

滲む涙の隙間から見た夏にも余裕など感じられなかったのだ。体はどんどんと熱を帯びてくる。
ほのかは夏にもう一度訴えようと試みた。そしてか細い声がやっとの思いと共に届いたようだった。

「・・なっち・・手・・つないで?・・こわいの・・」

震えながら差し出された手を夏が力強く握った。ほのかに少しだけ微笑みが浮かんだ。

「オレも怖い。・・・あんまり・・幸せすぎて・・・」

ほのかの手を握るのはまるで縋っているかのようでもある。切なくて泣きそうな声だった。
そのことにほのかはさっきまでの怖さが引いていくようだった。再び口元を緩めて夏を見つめた。

「よかった・・・いっしょだね・・」

嬉しくてほのかがそう言った途端に手が離れた。驚くほのかの眼の前で夏がシャツを脱いだ。
訓練などで何度も見たことのある夏の半身であるのに、ほのかは胸が締まるような苦しさを覚えた。
先ほどほのかが服を脱いだときに夏が目を背けたのは、今のような感覚が襲ったのかとほのかは思った。

そしてぼんやりと見惚れていたせいで、自分も見られているということに気付くのが遅れた。
夏の脱ぎ捨てた服から視線を戻すと、夏が見下ろしている。素肌の自分を、だ。

「あ!?やだっ・・!」

もう今更遅いのだが、ほのかはカッと顔が熱くなったと同時に胸元を隠そうとした。
しかし夏は少しも気にする様子もなく、ほのかの両腕をひょいと退かしてしまった。

「!!??」

まるで意に介さない、そんな夏に途惑い、ほのかは抗議したかったのだが叶わなかった。
それどころかその場所へと夏の手と唇が同時に吸い付いたときには悲鳴を上げた。

「やっ!?・あっ!」

二つの未知の感覚がほのかを同時に襲った。手指で弄ばれる感覚と、唇と舌の這う感覚。
どちらも初めての感覚だ。持て余し混乱した。勝手に飛び出す自分の声に更に焦って取り乱した。

「い・・や・・ぁ・・!」

いつもならほのかの声には敏感なほど反応するはずの夏が、少しも止まらない。
それがほのかの混乱を煽る。寧ろほのかが何か言おうとする毎に加速している気さえした。

知っているのに知らない夏と自分でも気付いていなかった自分。働かない頭と過敏に反応する体。
何もかもがおかしい。おかしなことになっている・・けれど夏の言葉通り、それ以上は考えられず、
ほのかはひたすらそれらの様々な感覚や事実に翻弄されるままだった。

大きくて広いベッドは海原になり、掴むシーツは頼りなく波打つだけ。
溺れるように喘ぎ漏れる声は宙を漂い、世界にただ二人きりと片方の指を絡ませる。
二人して深い海の底へ潜っていく。夜はまだ深く鎮まりゆく途中で、夜明けは遠かった。








スタートを切ってしまいましたが・・・これもR指定でしょうか・・?(汗)
本番はすっとばす、或いは裏へとリンクする・・とか色々考え中です!(^^;
↑ この単語もヤバイのでありましょうか!?もしや・・(あわわわ)