マスターH


 「ねえねえ、たつじんのことますたーっていうの?」

舌足らずな甘い声がすぐ傍で尋ねると、夏は目を瞠った。
まぁなとだけ答え視線を元に戻すとそうかと呟きが返る。

 「あのね、ほのかもますたーなんだって。」
 「・・オセロならマスタークラスかもな。」
 「ほえっ!そうかな!?」
 「違うのか?なんの話だ?」
 「ほのかね、なっちーますたーってゆわれたのだじょ!」

夏はにこやかに微笑み、同時に手にしていた紙コップを握り潰した。
そして傍らでジュースを飲んでいるほのかに怒気を抑えつつ問う。

 「言った奴は達人なのか?それともいつもの人外野郎か?」

ぷはーっと飲み終え、晴れやかな笑顔を向けながらほのかは答えた。

 「ううん?なっちーくらいのひと。いつも歌ってる羽帽子だじょ。」
 「ジークだと!?あいついったい何のつもりでそんなことを・・!」
 「んと、ちみは残念なひとだけどほのかがますたーだといいって。」

彼は”貴女が導いておあげなさい!小さなマスター!”とも語ったそうだ。

あのやろう!と言葉には出さないものの、夏はこっそり歯噛みした。
そんな夏の心の内とは裏腹にのんびり平和な口調でほのかは続ける。

 「とゆうことはあ・・なっちもほのかますたーだね!」

それまでもやもやを内に押しとどめていた夏から一気に険が取れた。
”ほのかマスター”の方向に思考がベクトルを換えたわけである。

推察するとその単語をほのかは”己の意のままに操る”という意味と
解釈していないことは直ぐに理解した。そのことに安堵を覚えつつ、
ではどういう意味かと思考を繋ぐ。それは互いをよく知るということ
の拡大解釈なのか、それとも各々の行動を予見できる程親密であると
そういうことなのかと夏は考察した。黙りこんだ夏を見て、ほのかは
自分の与えた疑問とは知らず、何か真剣に考えてるんだなあと思った。

 「なっちとほのかはとっても仲良しだもんね。」
 「そ、そんなでもねえし!おまえのことを一番わかってるのは・・」
 「おとーさんおかーさんより最近はなっちのほうが知ってるじょ?」
 「えっ!?い、否待て待て。おまえ、・・一番の兄貴はどうした!」
 「おにいちゃん最近冷たいし・・いまはなっちが一番だじょ!」

つまり一緒に過ごす時間が長い分、最近の動向を把握しているという
ことらしい。それなら夏も納得できる。ほのかは深く考えてはいない。
夏はそう結論付けつつそれなりの優越感を得た。表情は変えなかった
つもりだったが、ほのかは意外に目ざといのである。

 「なっちうれしそう!やっぱりほのかのことだいすきだねっ!」

またもや言葉に詰まったものの、平静を保ちながら確認を取った。

 「・・それもジークのやろうが言ってたのか?」

こくんと素直に頷くほのかに夏は今度こそ複雑な顔を隠せなかった。
そんな夏を前にほのかはとても嬉しそうに告げるのだ。

 「ほのかもなっちがだいすきだからますたーくらすなのだね!」
 「・・ばっ、ばか。能天気度は確かにマスタークラスだがな。」
 「ちがうの?なっちほのかのことよーく知ってるじゃないか。」

 「・・クレープ・・あっちで売ってたの食いたいんだろ。」
 「そうっ!ほらね、やっぱりなっちはほのかますたーさ!」

ふっと口元を弛めて夏は降参した。「もう、そういうことにしとけ」
とまで口に出してしまう。慌てて「これは誰にも言うな」と付け加えた。

 「知ってるじょ?だってそんときみーんないたもん。」
 「なっ・おまえ〜!行くなって言ったろ!連合本部に一人では!」
 「その日なっちが約束破ったから一人で行くしかなかったのだ!」
 「そういう時も一人では行くなってんだよ。」
 「なっちと一緒じゃないとどうしてダメなの?」
 「何言われるかわかったもんじゃねえからな。」
 「・・だって一人でつまんなかったんだもん・・」
 「う・そんな顔するな。その・・つまりあそこは」
 「けどわかった。なっちの言う通り一人じゃ行かないじょ。」
 「お、おう・・!そうしろ。」 

ほのかはにっこり笑ってそれ以上は何も言わなかった。クレープに
気が反れたのだろうと夏はほっとしたが、それは正解ではなかった。
先を続けると夏がもっと怒るだろうと判断してのことだったのだ。

 ”なんでほのかなっちますたーだといいの?”
 ”彼は意地を張って友情を疎かにしているからですよ。”

そんな会話をほのかは思い出していた。そしてその後ジークに例の
台詞を頂戴したのだが、そのときもほのかは彼に言ったのだった。

 ”心配しないでいいじょ!なっちはいい子だもん!”
 ”そうですか。さすがですね、マスターほのか。”
 ”なっちは皆のことも大事だじょ。ほのかにお任せするのだ。”
 ”御意。マスターほのか、頼みましたよ!おお、メロディが!”


なんとなく言わないほうがいいだろうと頭の中の会話を閉じると
ほのかがクレープを頬張って汚した口の周りを夏がお説教付きで
拭うのに任せる。”お世話するのすきなんだよね、なっちは。”
などと思っているとは知らず、夏の機嫌はすっかり上向きだった。

 
 帰り道、夏に甘えるように腕にしがみついても文句が出なかった。
文句を言ってもしたいようにさせる点では同じようなものだったが。

 「ふふっ!なっちい。」
 「・・なんだよ?」
 「あのね、これからもほのかますたーでいてね?」
 「・・どうせ一緒にいれば嫌でもそうなるだろ。」
 「そんなことないよ!どりょくを忘れたらいかんのだじょ。」
 「はいはい、わかったから心配するな。」
 「へへーっ・・やったじょ!ほのかもずっとだいすきだからね!」

ほのかの幾度目かの告白に頬を弛めてしまいそうな夏は顔を背けた。
すっかり毒気を抜かれて気付いていない。彼も直接ではないものの
ほのかマスター、即ちほのか流でいうと大好きでいてほしいの要望を
あっさり肯定してしまっていることを。ほのかに悪意はないとはいえ
少々情けないほどだ。それでも誰よりも、あの一番のライバルと目す
兼一すらも凌いで、己が一番ほのかのことを知っているというお墨付きが
彼には嬉しくも誇らしくも感じられたのだ。浮かれてしまったとしても
ここは致し方なし、といったところだろうか。多分一番に知っていて
くれとまで言われて感動してもいた。
 
 
 「なっちー、こんどはいつ連合ほんぶに行くの?」
 「おまえあそこにもオセロ台用意させただろ、しょうがねえな。」
 「ほのかたちだけじゃなくて誰でも使っていいって言ったじょ。」
 「俺んちの台のが使い慣れてていいだろ?」
 「そりゃそうだけどさ・・ちかげちゃんも強いんだじょ!」
 「言っとくがあいつはおまえよか歳は下だがな・・」
 「ほのか負けないじょ!オセロもますたーだもん。」
 「あー・・まぁ遊び相手にはちょうどってことか。」
 「バカにしたみたく言わないの!みんなよい子じゃないか。」
 「どいつも”いい子”かよ、おまえには恐れ入るぜ。」
 「えへん、くるしゅうないじょ。」
 「日本語がまだマスターできてないようだがな・・」
 「え?まちがった?!どこどこ?」
 

珍しく夏が笑ってほのかも笑った。夏が笑うのは余程機嫌のよいときだ。
いつでもその笑顔が見たいほのかはこれまで一所懸命に夏を観察してきた。
だからなのだ。どんなときに怒るか、どんな風にすると嬉しいかがわかる。
ちょっとした言い方で妙なすいっちが入ったり、生真面目だから言い訳が
キライ。そのかわり正直に行動したり、よいことは優しくほめてくれる。
子ども扱いはイマイチだがそれもこれも大事にしようとしてくれているのだ。

すきになると色んなことに気付いた。マスターだとかは実はどうでもよく
これかもずっと一緒にいたい。そして正直にそう告げればきっと・・

 「なっちは約束をきっちりまもるとこがえらいじょ!」
 「なんだいきなり・・おまえは・・」
 「むりにほめなくていいじょ。ほのかほめてもらうより」
 「そうだったな。」

夏はほのかの頭をがしがしとやや乱暴に撫でるとそっぽ向いたまま言った。

 「おまえのえらいとこは・・俺だけが知ってればいい。」

驚いて目を丸くしたほのかはえ、それどこ?と意外そうに食いついた。
ほめてもらうより笑ってくれた方がいいって思ったのに、とまたもや
夏を蕩けさせるような台詞を口にするほのかに「言わねえ!」と口の端で
笑った。ほのかに教えてとねだられても誤魔化して最後まで言わなかった。

 ”なんの得にもならなくても俺と一緒にいてくれるところだ。”と

目を細めながら夏はこっそり心の中で告げた。







後無沙汰ですが、やはりなつほのが好きですv