MAGIC BOX 


荒涼高校の屋上には人気がなかった。昼時であるにも関わらず。
数年前から基本的に立ち入り禁止となっているためである。
簡単な施錠もされているため、せっかくの空間もひっそりとしている。
溜まり場になることを回避するためらしいが、谷本夏にはありがたいことだった。
人前では仮面を被っている彼にとって、そこは格好の息抜き場所だった。
実際は少しばかり危険を冒せば、彼のような心得のあるものでなくとも入り込めた。
そんな闖入者が無いとも言えないため、彼は一番高い場所で油断を怠ることはしなかった。
しかし概ね独りになるのに苦労ないことから、夏は好んで昼時にそこをよく訪れた。

数年来独りで暮らしてきた彼にとって、昼食は簡単に済ませるのが常であった。
その彼にこのところ異変が起きている。目の前に置かれた存在感を放つモノによって。
それはとある人物を彷彿とさせる、緊張感のないクマの絵が描かれた布に包まれている。
布を解くと、そこには誰でも予想のつく「弁当箱」が現れた。箸箱も添えられている。
その一見して「手製」であろう弁当を何故か少し緊張した面持ちで夏は見つめた。
覚悟を決めたとばかりに手を伸ばし、蓋をそっと外すと、中味を確かめるように凝視した。

「・・・・・今日はまだまともだな・・いや油断できんか・・」

つい口から零れたのは気の弛みだと、夏は自覚するとすぐにまた気を引き締めた。
そして誰も居ないのに丁寧に手を合わせると、その弁当を食し始めるのだった。


夏は一応の本人の思惑通り、学校では人気のある生徒、という立ち位置だ。
手作りの弁当ならば望めば簡単に叶えられただろう。しかし彼は望まなかった。
学校では役を演じているに過ぎず、本来の彼は人を避けるほどに孤独を望んでいた。
過去に由来して人を信用しなくなってから、人との関わりを尽く嫌っていたからだ。
そんな夏がこのところどう見ても手製の弁当を隠れるように食べている。
毎日というわけではないが、だんだんと頻繁になってきているのも事実だった。
こんな状況を望んでいた訳ではないが、選択したのは自身だ。夏は人生の妙を感じた。
まさに「妙」と言える味のおかずを噛締めながら、夏は仕掛け人のことを思い浮かべた。



「なっつんってお昼ご飯もパンとかを買い食いしてんの?」

夏と知り合ってから毎日のようにやってくるようになった少女は尋ねた。

「それがどうした?」

演技なしの素で居たときに出逢った少女に、いつも調子を崩される夏。
その問いかけにも、何も取り繕うことをしないでつい正直に答えていた。
亡くした妹に少し面差しが似ていたとはいえ、少女は当然ながら別人だ。
ほのかは初めから不思議なほどに夏の懐中へとふわりと飛び込んできた。
お節介でやかましく、図々しい、そんな印象のほかに、夏はどこか憎めないとも感じる。

「それはいけないね。よし、ほのかがこしらえてあげるよ、お弁当!」
「そんなもん要らんっ!」

当然のように拒否した。これ以上関わりたくないと思い真剣に。
しかし頑固者でどこまでもマイペースに一歩も引かないほのか。
夏がその姿を登校途中の路上で見つけたとき、予感は的中だと告げていた。
いつもより早めに家を出たというのに、相手は彼の予想を一歩超えていた。
夏に気付いて、大きな弁当だと思われる包みを頭上に抱えて示した。

それを確認すると、夏はくるりと踵を返した。方向転換して走り出す。
逃げようとしたのだ。何故か後ろ髪を引かれれる自分に途惑いながら。
向こうから声が追いかけていた。おそらく「待て」とか言ってるのだろう。
夏は一旦走り出したものの、交差点に来ると、ぴたりと足を留めた。
後ろから息を切らしてやってくる気配を感じながら、彼は目を閉じて自分に問いかけた。

”なぜだ、どうしてオレはアイツを待ってやってんだよ!?”

足を留める必要などなかったのだ。信号は青で、点滅すらしていなかった。
ほのかが走って追いかけ、夏のすぐ後ろまで来ると信号は赤に変った。

「なっつーん!追いついたじょ〜・・・信号に助けられたみたいだねー!?」

ほのかの方に振り向く前に、夏は小さく舌打ちした。自分自身に対してだった。

「ハイッ!なっつん。お弁当だじょ。」

大きな包みを両手で差し出すほのかはどこか誇らしげに胸を張っていた。

「・・・要らんっつっただろ!?聞けよ、人の話を。」
「いいから、ハイ。頑張って作ったんだから食べて。」
「オマエが作ったのか・・?」
「ウンッ!お母さんも褒めてくれたじょ。」
「そんで手がぼろぼろなんだな・・」
「えっ!?あー・・気にしない気にしない。見なかったことにしたまえ!」

照れ笑うほのかからその弁当を受け取ってしまうと、夏はその包みを見つめた。
実の母を知らず、谷本に引き取られても彼は手製の弁当を食べたことはなかった。
かといって他人の弁当を羨んだことすら無い。それくらい縁遠い代物だったのだ。
彼が感じる重みとほんのりとした温もりは、初めての感慨を伴なってそこに在った。
妹が作ってくれたのが彼にとって唯一の「手作り」であった。その味までもが記憶に蘇る。
その昔、他のどんな高級料理よりも彼にはそれがご馳走だった。比べるものも無いほどに。

「・・これっきりだ。もうお節介はやめろよ。」
「まさか。これからだよ、なっつん!」
「なんだと!?」
「こらからたくさん作ってあげるよ。」
「・・・・なんのためにだよ・・・」
「そりゃあ、なっつんが喜んでくれたら嬉しいからだよ。」
「押し付けんなよ、オレはこんなもの・・」
「もらってよ。なっつんのなんだから。」
「・・・」

「えへへ・・じゃまたね!なっつん。行ってらっしゃい!ほのかも学校行くよ。ばいばーい!」
「あっ・おい・・」

ほのかは大きく手を振ってあっさりと元来た路の向こうへと去っていった。
どうして受け取ってしまったのか、引き止めるような素振りまでして。
手の中の温もりを抱えながら、夏はしばらくほのかが去った後の路に立ち竦んだ。

それから言った通りに何度も弁当を拵えてはほのかは夏のところへ届けに来た。
そうしてお昼時に屋上で隠れるように弁当を食べる習慣が出来てしまったのだ。
夏はそれを食べるところを人に見られたくなかった。それは表向きは説明が面倒だから。
本当の理由を知る者はいないだろう。夏自身でさえもそれを認めるまでに時間を要した。
どんな味だろうが彼はいつもそれを残さずに平らげる。義務感や思いやりではなかった。
自分のためだけ拵えられたそれがとても尊いものに感じられたからだ。
望むべくもなく、期待したこともなかったそこに秘められた想い。
妹だけがくれた”無償の喜び”を再び手にした、そんな感動が夏にはあったのだ。
とても大切に感じられるのは他ならぬ自分だからか、と思い至るには少し時間がかかった。
押し付けがましいのにも関わらず受け取ってしまったのは、ほのかが何も夏に見返りを望んでいない、
そういうことではないだろうかと夏は思ったのだ。だからそこに懐かしく温かい感動を覚えた。
食べるのに勇気を出す必要や胃を傷める覚悟すらしていても、夏にはその弁当が大切に思えた。
それが嬉しくて、どこか誇らしい気までして。子供が親から受け取る気持ちを理解できたようだった。
食べ終わるとまたきちんと手を合わせ、彼は包みを綺麗に元に戻した。
空を見上げると、あのお節介なヤツの顔が浮かぶ。”なっつん、おいしかった?”
そんな声までが聞こえるようだった。空を睨んでこっそりと”ごちそうさま”と呟く。

これは秘密だ。誰にも知られたくない、夏はそう思いながら包みを鞄に仕舞い込む。
こんな風に世話を焼かれることを心のどこかで待っていた。もう二度と無いと思っていた。
嬉しそうに”よかったぁ”と笑うほのかの笑顔、この箱にかけられた統べての魔法。
食べ終わってしまうと、どこか寂しく、そのくせ満足で泣きたくなるような気さえした。


「なっつんて絶対残さないよね。エライじょ!」
「・・・フン・・・」
「ねぇ、玉子焼き上手になったでしょ?」
「まだまだ・・」
「えーっ?!・・・じゃあさ、リクエストある?」
「別に。」
「海老フライは?うーん・・それから・・」
「・・・あれ、美味かったな。」
「えっ?どれどれ!?」
「なんかホイルに包んだ魚?大葉の乗ってるヤツ。」
「あれか!?よっし、また作るね。」
「焦がすなよ?」
「大丈夫。あれ焼くんじゃなくて蒸すんだよ。」
「・・ふーん・・・」
「ねぇねぇ、ほのかイイお嫁さんになれそう?!」
「嫁修行でやってたのか?!人のこと練習台にしてんのかよ?」
「違うよ、なっつんのお嫁さんになるんだもん。」
「は!?・・んな・・あ・アホか・・・誰がオマエなんか;」
「絶対上手になってなっつんに毎日美味しいもの食べさせたげる!」
「人の話を聞けって・・・オマエを嫁にするなんて言ってねぇし・・」
「じゃあ言ってね、いつか。」
「なんでそう決め付けてんだよ!?」


”大体なんでいきなり「嫁」なんだよ、ガキのくせして・・・”

昨日の会話を思い出しながら見上げる空にはのんびりとした雲が風に流れている。
ませた口をたまに利くほのかだが、まだまだ「妹」の域を出ない。
けどアイツもそのうち好きな男が出来たら、そいつのために弁当を作るのだろうか?
そんなことを想像した途端胃の辺りがむかむかした。何故だかそれはやたらに気分が悪い。
アイツは妹でもないんだからそんな心配することない・・・そこまで考えてはっとする。
ほのかは実際には妹ではないということに気付く。まったくもって今更な事実だ。
それ以上は考えないことにした。夏は自分の顔が熱く感じて眉を顰めた。
バカなこと考えた。オレが・・そんなことあるわけない。そう、あるわけが・・
いつもうっかりアイツに乗せられるが、これは乗せられてはいけないと自戒する。
だから声に出して否定した、・・つもりだった。

「まだ嫁になんかしないからな!」

無意識に「まだ」と口走ったことに愕然とする。
夏は周囲を見渡すと、とりあえず誰も居なかったことにほっとした。







懐かしいです、これ。だってもう大分昔に書き掛けて放置してたんで。
夏くんが18巻でお弁当から逃げてる絵がとても可愛かったんです。
逃げようとする彼が顔を赤らめていたので、なにその嬉しそうな顔!?ってv
久しぶりのほのぼのが書けてとても嬉しいし、楽しかったデス♪