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少女は誘惑する。そうと知らずに。
知らずにいたほんの僅かな時が既に懐かしい。
自分を見て欲しくて了解も得ずに触れた唇。
もう隠せない。欲しかったことも好きだったことも。

子供のくせにと、口では突き放してみたところで
浅ましい欲を抱かないとは実のところ絶対に言えない。
想いを否定されたようで口惜しくてまた唇を奪った。
好きなだけでは許されたことにはならないというのに。


「混んでるねぇ・・暑いよう」
「そうだな・・時間帯が悪かったか」

少し遠出をした帰り、電車の中は所謂すし詰め状態だった。
はしゃぎ疲れて舟を漕ぎそうなほのかに夏は眉を顰める。
普段は幼い言動や容姿からほとんどそういったことは感じない。
けれどこんな風に密着してしまうと・・夏は困惑に陥る。
相手はほのかなんだぞと戒めてもあまり役には立たない。
どうしても感じる柔らかな感触。普段知ることのない重み。

距離を置いてしまえばほのかはまだ幼さの勝る姿だというのに
確かめてしまう自分が悲しい。違うじゃないかと、あの頃とは。
出逢った当初からほのかは遠慮というものを知らなかった。
甘えるように縋ってくる。しかし夏はそれらに一切動じなかった。
頭の中にはまだ恋愛感情もない。つまり子供としか捉えていない。
それなのに急転直下、自覚してしまった途端におかしくなった。
それまで意識もしていないことが気になるようになってしまった。
無自覚なほのかの言動が自分のみならず他の男の目に触れることも
ものすごく不愉快に思えるようになり、出掛けるのが辛い。
かといって二人きりで邸に閉じこもるのもそれはそれで困る。
この頃はどうしても体が反応してしまうのだ。色々な場面で。

”ったく・・ガキの体に何歓んでんだかな、俺も”

溜息が深く長く漏れる。不思議そうにほのかがそれを見ていた。
安心しきった目で見るんじゃねぇよと言ってしまいたくなる。
考えないようにしても否定しても無駄だと知りつつ抗おうとする。

”どうしてもほのかだけは・・・他の女と束ねたくない”

「なっちー、好きだよ。」

ストレートに告げるほのかに嬉しさと疚しさが同時に湧き起こる。
警戒心なく飛び込んでくると抱き締めて己のものにしてしまいたい。
知られたくないことは沢山ある。そのうちの一つは根の深いものだ。
それだけは隠し続けていたいと思う。可能ならば死ぬまでずっと。

夏には幼い頃に性的虐待を受けた過去の記憶があった。

当時は武道に出会っておらず、立場的に逆らえない状況でもあった。
病弱な妹を守るために自分が泥を被るのは仕方無いと思う面もあった。
養い親が変わって厳しい教育を受けることになったがそれまでを思うと
忌わしいことから解放され安堵した。今に至るまで誰にも告げていない。
癒えかけていても消えることない傷。それは夏を縛る枷の一つだった。

当たり前の愛情表現を受けて育っていれば悩まなかったかもしれない。
周囲のごく普通の男子を見るにつけそう感じた。学校の中でのことだ。
男女を問わずもてたが、少しも嬉しいことはなく寧ろ不快極まりない。
穢れない想いもそうでない欲望も、境界線がよくわからなかったのだ。

何故ほのかだけが違っていたのか、と考えてみると
彼女は端から好意は持っていたが彼を異性とは見ていなかった。
そのことは大きな意味があったかもしれないと思う。
好きになってしまってから、ああ女だっけなと感じたくらいで。
始から好きだと迫られていたらどんなに純粋な想いでも受付けなかった。
ほのかとの出逢いはそんなデリケートな入り口を越えてしまっていた。
だから何も考えずにいられた。結果男女として初めて偏見なしに接したのだ。

可愛いと思えるようになったのも、好きだと自覚しても以前とは異なる。
あれほど病んでいたのに「好き」と言われて喜ぶほど夏は変わったのだ。

”俺も随分変わったんだが・・こっから先がな・・・”

今はまだいいと、ほのかは相変わらず子供っぽくて安心していた。
しかしそれは思い込みも手伝っていたのだろう、ほのかも育つのだから。
ふと気付く。ほんの些細な場面で女を感じて動揺を抑えるのに必死な自分に。
このままほのかが成長して彼を求めたときに真っ当に応えることができるのか

・・出来ることはできるだろう。しかしそれらは・・果たして正しいのか。
誰に確かめるのも憚られるそれに彼は自信がなかった。これから先どうなるか
成り行きに任せるのか、或いは他の選択を探すのか、考えただけで憂鬱になる。
期待に満ちた大人への階段も彼には峡谷の真ん中にある危うい道程に見えるのだ。
そんな自分をほのかに知られるのも辛かった。いずれわかると覚悟はしていても。

「なっち、気分悪いの?大丈夫!?」
「・・ああ、お前こそ。眠そうだが寝るなよ。」
「あ、わかる?昨日わくわくして寝不足してねぇ・・」
「っていうか今日はしゃぎすぎたんだろ。」
「え〜・・だって遊園地だよ?楽しまないと。」
「あと少しだから頑張れ。寄っかかってもいいから。」
「頼もしいね。でもなんか・・嫌そうじゃないかい?」
「お前くらい軽いぞ。」
「そういうんじゃなくって・・ま、いっか。」

聡いところがあるほのかだ。薄々感づいているのかもしれない。
接触に弱い部分は格闘技のおかげでほとんど改善できたと思っていた。
けれどそれとは別物だとわかった。ほのかであっても怖れている。
大切にしたいというのは建て前なのかもしれないと疑うときすらある。
結局繋がりは繋がりなのだ。接することを怖れては先に進めないのに。

やっと大きな駅で車内に余裕が出来、ほのかと夏は席に座った。
やれやれ〜と年配のような感想を漏らしつつ席に座った途端寝てしまう。
あまりの呆気なさに驚く。人ごみで眠るのは夏にとっては至難の業である。
当たり前の平和と日常に時折ついて行けない。しかしそれも受け入れていく。
傾くほのかを自らの肩に寄せて、目を閉じてみた。眠らないが振りだけだ。
確かな安らぎが肩越しに伝わる。ほのかがこうして安らいでくれるのが嬉しい。
怯える自分が接すればきっと伝わってしまう。だから怖れるなと言い聞かせる。


「・・・ほのか。もう着くから起きろ。」
「んん〜・・・わかったぁ・・むにゃ・・」

ふらつくほのかを支えるようにして降りると辺りは夕闇に包まれていた。

「わーっ!日の落ちるのが早くなったねぇ!?」
「そうだな。送ってくが家にメールしとくか?」
「だいじょぶだよ、なっちとお出かけって知ってるもん。」
「お前の親もなぁ・・似てて当たり前だろうが呑気だぜ。」
「そんなことないよ。ちゃんと見る目は確かだって!」
「そーかよ。そりゃどーも。」
「自信ないの?ほのかが保障してあげる。なっちは優しくてイイ子だじょ!」
「お前がそう言うならありがたく受け取っとく。」
「困ったなぁ・・信用してよ。」
「お前こそ何を心配してんだ。」
「・・・ねぇ、今日ウチに泊まってって。一緒にご飯食べてさ。」
「はぁ!?いきなりそんな・・無茶言うなよ。」
「ちょっと待ってね。・・・もしもしー!あ、お母さん?」
「!?おいおい・・」

夏の許可も得ないうちにほのかは家に電話すると夕食に呼ぶと親に話した。
それに二つ返事だったのだろう、話は見る間にまとまって携帯は仕舞われた。

「ということでお母さん待ってるって。」
「・・・強引な・・・親も躊躇ないな。」
「なっちだもん!特別ビップ待遇だよ。」
「・・はぁ・・じゃあとにかく行くぞ。」
「しゅっぱつー!嬉しいな〜っ!vvv」

ほのかの家は絵に描いたような円満家庭だ。夏には居心地が悪い程に。
母親は聡いところがほのかにそっくりでほのかの将来を彷彿とさせる。
年齢のわりに見事なプロポーションで目のやり場に困るときもあった。
そして帰宅してきた父親がまた兄の兼一を思い出す人の好さで当惑する。
しかしちやほやされるより何より、夏が困るのは子供扱いされる時だった。

こんな生ぬるい毎日が兼一やほのかを育てたのだと妙に納得もした。
そして自分とはまるで異なるということも。見せ付けられてしまう。
それでもほのかと正面から向き直ってから、辛さは感じなくなった。
ほのかの両親はほのかそのものだった。どんなことも受け入れてしまう。
表向きなど関係なく素を認められることは思った以上に嬉しいことだった。
ほのかや彼らの前ならば無力な子どもであっても何の問題もないのだ。

「へへ〜・・一緒に寝るのはダメって言われちゃった〜!」
「当たり前だろ。夜中に俺んとこに来るなよ、お前。」
「・・なんでわかったの?」
「・・絶対、ダメだぞ!?」
「ちぇ〜っ・・つまんないの。真面目だねぇ、なっちは。」
「ったく・・」

駄々広い邸宅と違って一般家屋の狭い部屋は意外に落ち着くが寝付けない。
夏は遥か昔に施設で妹と身を寄せ合っていた頃の小さな部屋を思い出した。
それでも妹のおかげで寒くなかった。温かさを分け合い束の間の夢を見た。
現実は厳しかったが、あの頃は夏は素直にそれらを受け入れていたはずだ。
どこでだか道を誤った。しかし回り道を経験したから今の道が正しいと思える。
この同じ屋根の下でほのかは眠っている、そう思うと胸が温かかった。

ほのかが生まれて良かった。そう思える自分が嬉しい。両親にも感謝できる。
過去にどんな傷を負ってもおそらく、彼が怯えるようには怖がったりしない。
寧ろ慰められるかもしれない。けれどまだ・・もう少し待っていて欲しかった。
不器用でも愚かでも、愛したい。穢れたものを振り切ってそこにたどり着く。
そのための準備が必要なのだ。夏は眠れないまでも窓の外から漏れる月明かりに
誓ってみる。いつか躊躇うことなしにほのかに触れられる自分になると。
愛しさをそのままに伝えるのは怖ろしい。けれどきっと大丈夫だと笑うだろう。

穏やかな明りを浴びて目を閉じると彼はいつもより深く眠れた。


「起床ーーーーっ!突撃ほのかちゃんだよーーっ!?って、あれっ・・?!」
「お前思ったより早いんだな。」
「いやなっちこそなんでもう起きてんの?ってか外を走ってきたっぽい!?」
「俺はいつも通り起きて顔洗って走ってきた。朝食の手伝いは断られたし。」
「ええええっ!?どうしてほのかも起こしてくれないの!?つまんない〜!」

ほのかは朝食時も拗ねていた。次は絶対ほのかがなっちの寝起きを襲うと言って
父親が慌てていたので「誰がお前に寝込みを取られたりするかよ。」と夏は返した。
口惜しそうなほのかに皆で笑う。繋がりはこんな風にも確かに築かれていっている。
それを確かめると夏は未来への不安が少し軽く思え、待ち遠しいとさえ感じられた。







ほのぼの白浜ファミリー!後日夏くんのお泊りを知って兄が嫉妬したりしてね。
あと夏君に辛い過去負わせて申し訳ないです。><;