今日もあしたも 


 「ぬおおっ!たったいむ!待って待ってそれっ!」
 「タイムが多いぞ。3回までじゃなかったのか。」

 新白連合でよくある光景である。オセロに興ずる二人は
実に仲良しで、周囲から微笑ましい眼差しで見守られていた。
今日は連合本部ではなくほのかの学校が早い下校だったので
兄達の学校の連合部室へと遊びに来ているがメンバーは同じだ。
そんな中、二人の片割れの兄である兼一だけが態度がおかしい。
今も不審な目つきで妹のほのかと対する彼、谷本夏を見ている。

 「なんだよ・・人目のあるとこなら一緒でいいんだろ!?」

兼一のあからさまな態度に夏が面白くなさそうに突っ込んだ。

 「そうは言ったけどね・・ほのか、来過ぎじゃないかい。」
 「前ほど来てないよ。お兄ちゃん最近どうしちゃったの?」
 「コホン。お前も年頃なんだから自覚をしないとね。」

兼一の言葉には明らかに険がある。ほのかは呆れ顔、夏は無表情だ。
毎日のように谷本宅へ入り浸っていた当時はお咎めなどなかった。
それどころか、オセロの相手というだけでなく、買い物や遊園地など
あちこちに同伴を強いられている夏に対し、世話になってと感謝すら
示していた。そんな兄の態度の急変にほのかは内心途惑っていた。
夏との関係を勘繰られるのは何も懸念要素がないだけに不思議だ。

 「変なの。お兄ちゃんどんどんやかましくなってくよ・・」
 「・・・兄の立場でならわからんでもない。許してやれ。」
 「変といえばなっちも変だ。お兄ちゃんを妙に庇うしさ。」

オセロの駒を持った手が一瞬止まる。ほのかの視線が盤上からそこへ、
更に上の夏の顔の正面でピタリと停止すると夏はふっと目を伏せた。
そして徐に駒を置く。ほのかは夏への視線をゆっくり下ろすと慌てた。

 「ちょっと待った!くうう・・困ったのだ。むむむむ・・」

容赦ない攻撃にほのかはたじたじとなりながらも必死で抵抗する。
勝負は兄がおかしくなった時期とほぼ同時に夏に勝利が傾いてきている。
ほのかの圧勝であったのは最早過去のこと。現在は拮抗し、時には夏に
勝利が続くことも増えている。ほのかには面白くない。兄と夏どちらの
変化にもだ。二人には何か共闘めいた雰囲気すら感じられて嫌だった。

 「あ〜・・・もうだめだ・・!ほのかの負けだああ〜・・」

見ていて可哀想なくらいほのかはショックを受けていた。それを見る
夏はというと、勝利に酔っている様子はなくむしろ気の毒そうだった。

 「そんなにしょげるな。ギリギリだったじゃねえか。」
 「負けは負けだじょ・・なっちのお願いはなんなの?」
 「あぁ、今回は・・・」

夏に鋭い視線が突き刺さった。兼一が刺々しい気をも加えて放ったのだ。
しかしそれらの痛い程の注目を無視するように夏は涼しい顔のまま告げた。

 「今度の留守番の土産、菓子じゃないから文句言うな。」
 「え?毎回おみやげなくてもいいよ?それに負けたのに?!」
 「ついでだ、ついで。物は秘密だからきくなよ。」
 「うん!サプライズだ!なんかほのかが勝ったみたいだね!」
 「食い意地張ってるからな。がっかりしなくてよかったぜ。」

ほのかは負けたダメージから打って変わって満面に笑みを湛えていた。
夏もほのかに甘い条件に不満もないらしく満足気だ。兼一はというと
刺々しい視線から一転して物悲しい顔になっていた。そして文句も言わず
連合の部室である教室を出て行った。間際に

 「ほのか、あんまり我侭言うんじゃないぞ。」とだけ言い残した。


 「ねえ、なっち。ちみ友として兄のことちゃんと見てますか?」
 「・・・あいつが変わった原因か?ああ、まあなんとなく・・」 
 「ほのかには秘密なの?」
 「お前は心配しなくていい。」 
 「心配するなって言うから余計心配するんだけどねっ!」


 一緒に帰ることは許されたのでほのかは夏のことを部室で待つことにした。
連合の面々もそれぞれに散っていき、誰もいないと教室はガランと広く感じる。
下校を告げる鐘が聞こえた。窓から見ていると生徒達がちらほら帰宅している。
部活動の生徒達は忙しくしているようだ。ほのかはふっと疎外感に襲われた。
ほのかは部活が休みなので来ているのだが、部長になって仕事がない訳はなく
明日は遅くなる予定でここへも谷本宅への訪問も無理。最近は毎日は会えない。

 ”ほんと・・会える日が限られてきちゃったなあ・・”

 兄が修行で家を出てからというもの、めったに会えなくなった。そのことに
慣れてくると今度は夏が家を空け勝ちになり、次は自分の環境が変わったことで
結局会える日は少なくなり、そのことにも慣れつつある。そのことが悲しかった。

同じ年、同じ時を過ごしていたとしても本当は皆それぞれに違っているのだ。
同じ年などなく、二度と戻れない。わかりきったことが身に染みるようになった。
高校を終えて兄たちがここを去る日も近い。そうしたらまた何か変わるのだろう。

 ”今日も明日も・・変わらないものって案外少ないのかもねえ・・”

 オセロの強くなった夏はよそよそしくなった。自分のことを心配する兄も
強くなって頼もしくなった反面、昔の兄が懐かしく思える。遠くなったのだ。
新白の皆も少しずつ道を選んで変わっていく。自分だって変わっていると思う。
変わらないものはないかとほのかは探してみた。たくさんあるのではないかと
探すものの浮かんでこない。夕暮れの校庭に伸びた生徒達の影に溜息が出た。

 「待たせたな。」

 扉が開いて夏の声が掛かってもほのかは窓際でじっと校庭を見ていた。

 「ほのか?」

動かないほのかを訝って夏が背後に近付く。気付いていたが振り向かない。
振り向けなかったのだ。ほのかは慌てて片手で濡れてしまった頬を拭った。

 「・・・・」

夏は何か言いかけていたがやめた。ほのかが泣いているのを察したのだ。
気付かない振りをして夏も窓の外へ視線を外すと「日が落ちるのが早いな。」
呟いて夕焼けに目を細めた。見ないでくれている間に涙を飲み込むとほのかは

 「ほんとだね!寄り道する時間もないねえ?残念だ〜・・」

明るい声で答えた。夏もそれに合わせて頷く。こんなに二人は遠いとほのかは思う。
それなのにどうして兼一が二人の仲を疑うのかわからない。教えてほしいくらいだ。

 「でも寒くなってくると鯛焼きとか美味しいよね?」
 「例の店は潰れたらしいからまた別の店探さないとな。」
 「えっ学校帰りのあの店なくなったの!?しょっく・・」 
 「鯛焼きなんざ他にも売ってる。」
 「でもあそこは・・もうないんだよ!なっちと一緒に食べたお店なのに。」
 「別んとこで食えばいいじゃねえか。」
 「・・うん、そうだね。」
 
気持ちというのは伝わらないものだ。そんな当たり前なことも知らなかった。
縋りつきたい想いもそうと気付いた途端できなくなる。それにも似ている。

 「やっぱり負けはいかんね!ほのか明・・今度は勝つから!」
 「明日は部活だろ。俺も用があるから・・・」

夏はまた言葉を口にする前にほのかの目に浮かんだものに止められた。
笑っているのに、夕陽のせいで隠しようのない光になって煌いている。

 「さー、帰ろ!まだ鯛焼きには早いよね。もうちょっと寒くならないと。」

涙が零れないうちにと歩き出したほのかの腕を夏が掴んで留めた。背中に向けて
夏が再び名を呼んだのだが、ほのかはやはり返事ができずに黙ったままだ。
困っているほのかの小さな背に夏の大きな胸が当たった。背中が温い。そして
目線にあった足元の影が夏のそれに重なって大きくなった。覆い隠されたのだ。

 「はなして。・・帰ろうよ、帰れないじゃないか。」
 「そんな顔のままでか?落ち着くまで待つぞ。」
 「もう泣いてない。だからはなして、なっち!」
 「いやだ。」

 びっくりして息が止まったかとほのかは思った。太い腕が目の前にあって
後ろから抱き込まれたのだとわかる。足元がゆらゆらするのは震えて・・?
怖いのとは違う。傍に落ちた鞄を眺めた。落とした覚えがなく不思議だった。

 「お兄ちゃん・・」
 「あいつは帰った。助けを求めるつもりなら遅い。」
 「・・に怒られるよ?ひっついちゃだめってほのかも怒られちゃう。」
 「そんで兄貴の言う通りにするのか?あいつの命令は絶対だからな?」
 「なっちだってお兄ちゃんに言われるままほのかと離れてたじゃない!」
 「言われたからそうしてたんじゃねえ!お前とは違う。」
 「うそだもん・・うそつき・・ほのかはともだちでしょ・・?!」
 「そんなことはどうでもいい」

 今日と明日とは違う日だ。だから違っていていいのだろうか。
何が違っていたんだろう?もしかすると何も違っていなかった?

 「はなしてったらはなして!」

 ほのかがイライラした声で言ったかと思うと夏の腕に思い切り齧り付いた。
瞬間弛んだ腕をかいくぐって逃れるとほのかは怒りに燃えた顔で夏に向かった。
涙が滲んでいてもほのかの顔に弱さも儚さもなく、幼さも見る影がなかった。

 「なっちのおおばかものっ!すきならすきって言ってみろ、腰抜けっ!」
 
厳しい糾弾に夏は怯まなかった。正面切って叫んだ。まるで脅しのような声で。
喧嘩腰で啖呵のような告白だった。「好きだ!」の叫びに優しさの欠片もない。
しかしそれがほのかの怒りを解いた。崩れそうな体を夏の前に必死で投げ出す。
受け止めた夏の耳元にほのかの悔しそうな声が届く。「なっちなんか・・・」

 「だいすきだ」と続いたほのかの声と夏の再度の告白が重なった。

 「誰に止められたって・・いいんだもん・・なっちがすき・・今日もあしたも。」
 「俺だってなあ、それだけは変わらねえんだよ!忘れるな、いつまでだろうと。」

きつく抱き合った後、二人が身を離すと教室は真っ暗になっていた。ほのかの
涙でどろどろの顔をごしごし夏が拭いて、やっと帰る頃には一番星が顔を見せた。
手を繋いでゆるゆると空を眺めながら歩く二人はやっぱりお互いに顔を見ない。

 「なっち・・月だ。なんか遅くなったねえ。お母さん怒るかもだねえ。」
 「俺も一緒に怒られるから。・・どうせ兼一にも明日・・やれやれ・・」
 「やれやれなの?なんかうれしそうだね。」
 「妹をとられるんだからな。悔しいだろうぜ。」
 「なっちはお兄ちゃんに同情してたんだね。ほのかだって口惜しいのにさ。」 
 「お前が口惜しいって、一体何に対してなんだ?」
 「お兄ちゃんとなっちのわかりあっちゃってるとこが。」
 「お前・・もしかして妬いてたってのか!?」
 「べーだ!教えない。ほのかをのけものにしたのは事実でしょ。」
 「お前なあ・・俺だってどんだけ・・」
 「お兄ちゃんに妬いてたの?!ふふーん、お互い様。」
 「くっそ!むかつく。絶対あいつには返さんからな!」
 「ほのかはお兄ちゃんのものじゃないよ。それになっちのでもない。」
 「な・・」
 「”お兄ちゃん”のなっちは楓ちゃんのでしょう?」

夏が困惑の表情を浮かべて考えるのを横目で見てほのかは微笑んだ。
変わらない想いを見つけた。どれも大切だ。兄達の想いだってそうだ。

 「ほのかおにいちゃんが大好き。なっちも大好き。変わらないよ。」
 「・・それってさっき俺が言っただろ?!」

 夜空に星があるように、ここにある。抱え続けていたい気持ちが。
笑顔になったほのかに安堵しながら、夏も同じ気持ちを胸に抱いた。







私はいつでも兄にぼこられる夏くんを期待しています。^^