「口伝」 


夏が示してくれたのは言葉ではなかった。
元々素直に紡げない人だから仕方ないのだろう。
初めてのときから数えて3度目にしてようやく気付いた。
かなりわかりやすく示してくれていたらしいのだが、
それでもまだ3度くらいなのだから自信があるわけでもない。

もしかして今までに気付かなかったことがあるかもしれない・・
夏の視線に合せた自身の視線が揺らいでいないかが気に掛かる。
どくんと鳴る心臓。息が止まると時までが止まるかのようだ。
夏の大きな手が喉元に添えられると首を絞められそうにも思える。
実際にそうしようと思えば彼は容易くほのかの首を折れる。
しかしもちろんそうしないとわかっている。触れる手は優しい。

本当に優しいのだ。怯えているかと疑いたくなるほどに。
視線ははっきりと強く、手の優しさとのアンバランスに途惑う。
親指だけで器用にほのかの顎を軽く上向ける。ゆっくりとだ。
慣れていないので下ろす目蓋がひくと痙攣しそうで不安になる。
大丈夫、別にどんな風に閉じたっていいんだから。と自分に言う。
なんてやかましいんだろう、心臓。呼吸の仕方もわからなくなる。
かなりの動揺でほのかはパニック寸前なのだが、必死に自らを抑えた。

重なってしまえば何もかもスパークして真っ白になる。
そして触れ合っているのはそれほど長くないのだ、今までの経験から。
寧ろ呆気ないほどの寂しさを感じて恥ずかしくなってしまうほどだ。
こんなに緊張してるくせになんなんだろう、私って。いたたまれない。

その手と同じように唇も柔らかく優しい。頬はいつも熱くなる。
唇もそうだが、触れた途端にそこから熱が体全体に広がってゆくようだ。
くらりと目の廻る感じも嫌ではない。足が浮いたように思えることも。
色んなことをこの行為から学んでいる気がする。例えばキスするとき
たまにしてくれるような抱擁はされない。逆に距離は空いている。
片手で触れてくれているけれど、もう片方の手は抱き寄せないのが不思議だ。
ほのかはこの距離がわざとそうしているのだということはわかる。
けれど4度目にしてようやく、そのことが物足りないと感じ始めた。

私から手を伸ばしてみようかな、そう思ったときまた一つ気付いた。
そうか、今までは固まって体が竦んだようになっていたんだ・・
だから自分から触れるということが思い浮かばなかった。されるがままで。
しかしそう気付いたまではよかったが、行動に移すとなると途惑った。
どうしていいかわからない。そしてまた新たに気付いた事実に更に困惑した。
いつもより長い?どうしよう・・息が苦しくなってきた。手が震えて動かない。
悩んでしまって体が緊張した。するとふっと夏はほのかから離れていった。

「あ・・」

思わず声が出て焦った。すごく残念、と聞こえたかもしれない!
恥ずかしくて頭に血が昇った。夏は気付いた。絶対わかったはずだ。
さっきよりいたたまれなくなってほのかは俯いて赤い顔を誤魔化した。

「嫌だったんじゃ・・・なかったのか?」

降ってきた言葉に驚いて顔を上げると、夏が不安そうな顔で見ていた。

「なんで?反対・・だよ。」

こういうとき自分の正直さが恨めしい。うっかり本音を出してしまう。
けれどこの場合、ほのかは恥ずかしいが夏にはそれが救いだったのかもしれない。
一瞬目を丸くしてすぐに安堵の表情が浮かんだからだ。それを見てほのかもほっとした。

「オマエには全部伝わってるみたいで・・おっかねぇよ。」
「え?全部って?!」
「いっぱいいっぱいかと思うとそうでもないしな。」
「なっちもいっぱいいっぱいなの?そんな風に見えないけど。」
「そうなのか?ふー・・ならいいが。」
「ほのかに伝わると怖いって・・どんなこと?」
「オマエって・・相変わらず直球というかど真ん中だな、訊く事が。」
「そっちが気になること言うからじゃないか。」
「そういうことは気になってもスルーしろ。」
「訊いちゃいけないことなの!?」
「言えないから言わないんだ。」
「・・・わかったようでわかんない・・」
「嫌じゃなかったんならいんだよ!」
「そんなわけないでしょ。嫌ならほのか嫌がるし。」
「あぁ・・そうだな。それは助かる。」
「あ、じゃあこれは訊いてもいいかな?どうして片手でしか触らないの?」
「・・・あーーー・・・それは・・だな;」
「わざとだなぁってことはわかるよ。」
「口で言わないとダメか?ダメだな、この場合。」
「説明しずらいことなんだ。」
「・・誘惑に負けて押し倒さないようにだ。」
「あ、そうか!って、え!?」
「ちっともわかってねぇのな・・・やっぱ。」
「だ、だってなんでいきなりそういう話になるの!?」
「スイッチ入ったら困るだろ、抱き寄せたりしたら。」
「なんのスイッチ?なっつんスイッチ!?」
「うー・・・口で説明できるかこんなことっ!」

赤い顔を反らして、背中を向けた夏にほのかは少々失敗したかと感じた。
素直だったり正直なのは長所だと思っていたのだがこういうときは違うと思う。
夏はすっかり拗ねたようで、さっきの続きとはいかない雰囲気になってしまった。
遠慮しないでと、そういうことを伝えたかったのだ。ほのかはがっかりした。
せっかく夏がキスしてくれるようになったのに。ものすごく待ってた気がしたのに。
初めてのときはただびっくりした。二度目もやっぱり途惑いと羞恥でいっぱいで。
3度目でやっと彼女らしい自分を自覚して嬉しかったのだ、だから物足りなかった。
もっとキスしようよと、これは言っていいことなのか?口で説明すべきだろうか。
抱きしめてくれたらもっと嬉しいと・・どうもこれは叶えてもらえないようだ。
夏はそうするとどこかのスイッチがオンになって・・押し倒す懸念があるそうだ。
ほのかはしばし考え込んだ。でも”押し倒す”とマズイのはどうしてだろう・・?

「・・何で百面相してんだ?」
「えっとね、悩んでるの。素直なほのかちゃんとしてはどうすべきか。」
「悩むって何を悩んでるんだ?」
「口で説明していいの?」
「オマエの場合それ以外ないだろ。あればそれはそれで危険だしな。」
「ときどきわかんないこと言うんだもんね、なっちって。」
「あー・・悪い。で、なんなんだ?」
「怒らないでね?・・・もっと・・さっきの続きがしたいです。」

「・・・なっち?・・聞こえた!?無視しないでよっ!」

ぽかんとした顔でほのかを見ていた夏がはっと我に返った。
そしてざっと音でもしそうなほど真っ赤っ赤になってしまった。
それほど恥ずかしいことを言っただろうか?!釣られてほのかも顔が火照った。

「あ・・アホっ!!!こっちが必死で抑えてるってのにオマエは〜!!」
「だからなんで抑えるの?ほのか嫌なんて言ったことないよ?」
「緊張してガチガチじゃねーかよ、いっつも。」
「えー・・なっちも緊張してなかった!?」
「そりゃオレもするけど・・じゃなくて怖がってるだろ!?少しは。」
「うー・・うん、まぁ・・少しね。」
「オレの服をいつもぎゅうって握って固まって・・それ以上できるかって話だ!」
「そんなことしてた?そうか・・でももう大丈夫だよ。」
「根拠は!?」
「だってなっちが離れたら寂しいし。ぎゅってして欲しいなって思うもん・・・」
「言ったな。今確かに言ったから忘れるなよ、その言葉。」
「ちゃんと口で伝えてるのになんで怒るんだよう!!」
「怒ってねぇよ。いいか、スイッチ入ったなと思ったら止めろよ!」
「そのなっつんスイッチってどこで入るの!?ほのかにわかる!?」
「わかるに決まってる。身のキケン感じたときだよ・・」
「わかんなかったらどうしよ?」
「そんときゃ・・オレが調子に乗って・・マジで押し倒す。」
「なんだ、ならおっけー!わかったよ。」
「・・・わかってない。その顔はわかってないぞ!」
「押し倒すのはいいけどさ、その後どうするの?わかんないから教えてね。」
「だーーーーーっ!!おしえりゃいんだな、おしえりゃあ!」

夏はほのかの片方の腕を引き寄せて、抱きしめた。多少痛いくらいの力で。
そして赤い顔でほのかに囁いた。「これで満足か?」と少々頼りない声だった。
ほのかが頷くと抱いていた腕を解いて、距離を作ってからそっと口付ける。
離したあとまた尋ねる。「足りないか?」上目遣いで窺うように慎重な声音でだ。
うんとほのかが笑顔で言うと大きな手がほのかの顎を再び這い上がるように捉えた。

「いいか、嫌ならすぐ抵抗しろ。わかったな?」

ほのかはあんまりしつこく尋ねるので内心むっとしたが黙って頷いた。
しかし触れてきた唇に満足して目を閉じると、いつもと違う感覚にびくっと体が跳ねた。
それは夏の舌だったのだが、驚いた拍子に目も口も開いてしまってあっさりと進入された。
言葉ではないけど、これもくちづて・・ってやつかなぁとほのかはぼんやり思った。
そしてすっかり教え込まれる頃には緊張を通り越して力の抜けた体は夏に抱きとめられた。

「オマエこんなんでよく押し倒していいとか言えるよな・・」
「・・・なっち・・スイッチは?」
「大丈夫だった。オマエにはまだ早いってことがよくわかったぜ。」
「・・そうなの?・・・ざんねん・・・かも?」
「この・・・アホ。誘うことだけは一人前なんだからな!」

夏は何やらまた顔が赤い気がしたが、ほのかはそれどころでなく。
やんわりと抱かれて夢心地だ。なんだか口を利くのも億劫で・・・
大人しいほのかの髪を撫でていた夏も「大人しいな」と苦笑した。
「うん・・いっぱい・・奪われた感じだよ〜!」
「まだ序の口だ。バカめ・・」

ぺしっとおでこをはたかれたが、ほのかは気の抜けた笑顔を浮かべた。
伝えたいことは伝わった。きっと夏の言いたいことも伝わるようになる。
こうして口伝で教わることもあるしね。ほのかは幸せな気持ちで目を閉じた。
”またしてね”って言うのはいいのかなぁ・・明日言ってみよう・・
そんなことを考えながら、甘えるように夏の胸に凭れたままでいた。
知らないうちに、お互いの片手同士は繋がっていて、また微笑みがこみ上げた。









夏さんのレッスンパート1でした☆(続けるつもりか!?)