事始  


神の住まう場処は多くの祈りで出来上がっている。瀑布のごとき
時の流れが呑み込んできた数多の祈りと願いが織り成す混沌の渦。
終わり始まる二ヶ年を挟みながら、想いは神の居と世を行き来する。

社にて礼をし手を合わせ、一年の念頭に祈願する慣習に基づいて
ほのかも神妙に願っていた。夏は知的な横顔を伺いながら礼をする。
倣ってはいるが祈りは捧げない。彼にとって参賀は付き添いなのだ。
信仰心や道徳心など夏には余所事。勤めはボデイガードなのだから。
白浜家の大切な娘、ほのかを無事に参拝させ連れ戻るのが任務である。
元より信仰心のない彼が御神籤を引くほのかを手持ち無沙汰に待っていると

「どっどうしよう!?なっちい、凶!凶だって。いやだあ〜!?」

取り乱した声が耳に届いた。慌て過ぎだろうと溜息を隠し夏は腰を上げた。
目の前の社務所で借りた筆を手に、夏はほのかをそちらへと呼び寄せた。

「それ、よこせ。」
「えっ!?なになに、なんで!?」

一年の占いを載せた和紙の裏側の面に、さらさらと夏が筆を走らせる。
ほのかはそれを興味深々と見守った。すると瞳は字を追う毎に耀いた。
「ほらよ。」と渡された御籤の裏には夏の筆で描かれた文字が鎮座する。

    『一生大吉』

子供騙しである。夏はほのかが単純なことを知った上で宥めようとした。
染み付いた兄の立場がそうさせたとも言える。なのでほのかの反応にぎくりとした。
ほのかが花を咲かせたような笑顔になったことは夏の行動の成功を意味していたが、
それはまるで隠していた夏の願望を言い当てられたようだと感じてしまったのだ。

「ありがとう!なっちがほのかを一生大吉にしてくれるんだね!?」

ほのかはあっさりと本心を曝け出した上、夏が困惑するほどに喜んだ。
そういう意味じゃないと言い掛けた言葉は飲み下した。寧ろそっちが嘘のようだ。
ほのかが今見抜いて言ったのではないならば、既にそうと知っていたことになる。

”一生!!?俺が、お前を・・ってそれって・・!?”

夏の頭に先程のほのかの言葉が駆け巡る。ほのかも無意識にそれを望むのだろうか?
それではあまりに都合の良い話ではなかろうか。夏にとって神に等しい娘であっても
幸福を祈りはしても、己の手を懸けていいかどうかとなると全く別問題になってくる。
ようやく落ち着いてきたらしいほのかが手に持ったそれを夏に捧げるようにして

「なっち、約束だじょ!ここに誓うのだ。神様の前で嘘はいかんよ!?」

そう言って念を押してきた。それこそ罰当たりな気もするがそこはほのかである。
脅迫しているつもりはない。それは夏にも判る。夏は取り繕うのを諦めて告げた。

「・・お前に、誓う。・・そんでいいか?」
「よっしゃあ!誓われた!聞き届けたよ!」

万歳しているほのかにダメ押しとばかり夏は歯で指先を切ると血判まで押した。

「ホラ、こんで文句ねえだろ。ちゃんと仕舞っておけ。」
「了解!ふふふ〜・・ちみは律儀者だね。感心したぞ。」

悦に入るほのかに長い息を吐く。しかしどうにも落ち着かずつい愚痴がでた。

「本当はなあ・・俺の運・・吉を全部お前にやるって言いたかったんだよ。」
「なっちの!?いらない、そんなの。」
「なっ・・結構酷いな、お前・・!?」
「なっちならほのかだってあげるけどさ、基本自分のは大事にしなきゃだよ。」
「そう・・いうもんか?」
「そうさ。ちみの幸せはちみのもの。ほのかを幸せにしてくれるのとはべっこさ。」
「幸せに・・なあ・・俺がしていいんだな?お前・・あんま考えてないだろう?!」
「考えるってなに考えるの?なっちがほのかを一生幸せにするって意味でしょ!?」
「否、だから・・!一生・・とか、幸せにとか・・・なんで説明が要るんだよ!?」
「ゼンゼン問題ないじゃん!?そうしてくれるなら一生なっちの傍にいるもんね!」

夏は呆気に取られた。軽々しいというか浅はかというべきか言葉が見当たらない。
しかし意味は追々知るだろう。そのときにやっぱりやめたと言うこともある。そして
傍にいてくれなくなっても、幸せを祈り続けることはできる。それだけは譲れない。

ずっと秘めてはいたが、夏はほのかに誓っていたことがある。それはほのかの
幸せを願い続けることだ。夏の外れて落ちかけていたレールから引き戻してくれ、
望んでいたことも気付かない真っ暗な舞台の幕を開いたのはほのかだと思うからだ。
妹しか信じることも愛することもないはずだった。誰かの操り人形のような人生の
糸は容易く消え去った。仲間も師も愛する者も己が見てはいないだけだったのだ。
凶の占いごときで嘆くなど滑稽にすら感じられる。ほのかは、ほのかそのものが
幸運が具現化したものではないかと思える。それくらい恩恵を受けている身には
己の持っている運であろうが未来であろうが、投げ打っていいと考えていたのだ。


「お前には俺にできることならなんでもしてやる。これだけは嘘も隠しもない。」

ただ、そのためにずっと傍にいてくれと願うのは己の勝手だとも思っていた。だが
ほのかは夏の傍にいると宣言した。またも目も眩む幸運が降ってきたようなものだ。

「あのね、ほのかだけじゃダメだよ?なっちと一緒に幸せで『一生大吉』だから!」

酷く真面目にほのかが訴える。夏は確信した。とんでもないことを考えていた。
遠くからでは見届けられない。傍にいて欲しい。欲だとばかりに否定してきたが

「お前が幸せなら、俺にはおなじことだ・・ほんとに俺でいいんだな?」

夏も負けず生真面目に問うが、それを聞いたほのかはかあっと顔全体を赤く染めた。
そうさせた当人は目を丸くしていたが、ほのかはくすくすと照れ笑いしながら、

「うん、ほのかなっちがダイスキさ。傍にいてくれるなら占いなんて関係ないね!」
「ああ、お前に災いなんぞ寄り付かせねえから。」
「うわ〜!?なっち、後で後悔するんじゃないのう!?恥ずかしいなあ!!」

正直に本音で話していたと気付いて夏は口を噤んだ。確かに後悔しそうな勢いだ。
思ったことを伝えるのはやはり難しい。芝居でない真摯な台詞は苦手な夏だった。

「・・・雪が酷くなってきたな。帰るぞ、ほのか。」
「ええっ!?ダメだよ、まだ甘酒も飲んでないし、ぜんざいもあったじょ!?」
「なにい!?・・しょうがねえな・・傘は持ってきたのか!?」
「邪魔になるから持ってきてない。防水のコートとショールがあるから平気。」
「ったく・・それ頭から被っとけ。雪だるまになっちまう!」

ほのかの頭にかかる雪を手で払いのけ、夏は少しでも避けようと軒先へ引っ張った。
勢いで夏に倒れ掛かったほのかを当然夏は支えたが、見上げてきたほのかを見ると
大きな目でじっと夏を窺っていた。不思議に思いながら覗き込むと夏の目の前で
ほのかが瞼を下ろした。「!?」またもほのかに意表を突かれて何やら口惜しい夏だ。
しかし寒さで赤くなった鼻先に口付けるとほのかを両腕で乱暴に引き剥がしてしまった。

「ふにゃっ!?いまのナニ!?鼻っ!!??」
「ナニ期待してたんだ、このマセガキっ!!」
「あんだとー!?ほのかを子ども扱いしおってからに!ゆるさんじょ!?」
「お前なんて一生・・赦さなくても困らねえよ、俺は・・」
「???・・・んん?どゆこと!?困りなさい、なっち。」
「!?・ふ・・ふははっ・・」

珍しいことに夏が声を立てて笑った。楽しそうな歳相応の笑顔に和まされたのか
ほのかは夏にしがみついて顔をひっぱると無理やりに頬に口付けを仕返しした。

「てめーなにすんだ!」
「んとね、・・”ことはじめ”なのだ。」
「なんだと!?だったらやり直しだ。」
「なんでよ!?」
「お前からってのが気に食わねえ!」
「お鼻にしたじゃん。あれはナシなの?」
「あ、そうか。・・なら好い。」
「ソコかい!?なっちって変わってるよね?!」
「お前が言うか。」
「告白はほのかのが先だもんね。へへ〜んだ。」
「む・・・ああ、あれか。」

夏が難しい表情で固まった。そんな夏の腕を引っ張り、雪の降りしきる中へ出た。

「二人で甘酒しよ!それから遊ぶの。でもって〆は善哉なのだー!」
「待てよ、どっかで傘買わねーと。否、やっぱ温まってからだな。」
「そうそう、風邪引くといけないしね。」
「・・・父親との約束時間まであんまり残ってねえ!急げよ、ほのか。」
「やだーっ!一緒に楽しんでからじゃないと帰らないもんねーっ!?」

除夜の鐘が何度目かの煩悩を打ち払ったが、夏とほのかの耳に届いたかどうか。
はしゃぐほのかを転ばさないように、着物を濡らさない様にと夏が気遣ってやる。
神の前で誓うのは永遠の約束。三々九度宜しく甘酒を啜る夏とほのかだが、未だ
そんなつもりはなく、いつかの予行演習のようなものだったかもしれない。
考えてみればこんなに二人でいるのが心地良く、離れる理由が見つからない。

「美味しいね、これ。あま〜いv」
「あまったるいが、あったまる。」
「酔っ払うかな!?」
「こんなもんで酔う訳ねえだろ。」
「酔ったらなっちにおぶってもらおうっと。」
「したいならそうしろって言えばいいだろ。」

甘酒を振舞った宮司も屋台の親父も二人に当てられっぱなしの笑顔だった。







『一生大吉』のくだりに関してはやまんばさんの漫画から拝借したエピソードです。
ご利益を賜りたくお断わりの上、文にさせていただきました。ありがとうございます。
ご挨拶が遅れましたが本年も”なつほの”を宜しくお願い致します。m(_ _)m