「秋桜」 


「またな」

それだけ書き残して行ってしまった。
梅雨が終わり、夏が来て秋になっても帰らない。
なにもかも幻だったんじゃないか、
そう思えるほど変わってしまった。
涙も出なくなり、呼ぶ名を声は忘れた。


兄に消息を尋ねても答えてくれない。
ただ生きている、それだけを抱きしめた。
それならばいつか会えるかもしれない。
兄は言葉を濁した。大人になった兄は。
昔とは比べ物にならないほど強くなった。
あの人は?今も一人でいるのだろうか。

私のことを好きだと言う男の人たち。
付き合ってみても少しもときめかない。
今は一人。私も一人、ずうっと一人。

「またな」っていうのは、また会えるってことじゃないの?

嘘吐きになったあの人は今も素直じゃないままかな。
あんなに寂しがりだったのに、平気なの?信じられない。
私?私には友達もいるし、楽しくやってるよ。ホントさ。
ただ、いつの間にかあの家に向かうの。足が勝手に。
そこは今誰もいない。売りに出されても買い手がつかない。
これは現実?時だけが過ぎ去って、私は立ち止まる。


コスモスの咲いていた場所を知っている。
その花を嫌いだと目を背けていた人がいた。
夕陽を見にそこへとたまに出かけていった。
あの人と手を繋いで歩いたこともある丘がある。
いつか「待たせたな」と歩いてくるようで
一人がつらくなるとそこで陽が沈むのを眺めた。
遅くなると心配していたくせに。でももう・・・
私は子供じゃない。多分、完全には大人じゃないけれど。


ねぇ、どうして「またな」って?
「さようなら」ではなかったよね。
それを確かめたくて何度も繰り返し問い掛ける。
答えはない。周囲は暗くなり星が見え始めるだけだ。
ふと、あの思い出の家を見て帰りたくなった。
ゆっくりとした歩調で向かう。変わらない門構えの家へと。

真っ暗な邸が星空を背景に聳える。神様、いつですか?
ここは私の家でもあったのです。いつ、戻るんですか?
もう売られて、壊されて、跡形もなくなるんでしょうか。
そう聞きました。そうしたら、どこへ帰ればいいんでしょう?
神様、あの人は帰る場所を見つけましたか?そこで幸せですか。

涙が頬を伝った。もう長いこと見なかった涙が。
自惚れていたんです、神様。必ず帰ってくるのだと。
だから「またな」と知らせたと、そう信じていました。
確かめる術はないですか?打ちのめされ、傷ついてもいい、
あの人が一人じゃないのならそれでいいんです、確かめたい。
でないと前に進めない。立ち止まったまま動けないのです。


星空を見上げて同じことを祈っていると、足音が耳を打った。
はっとなって振り向いた。もしかしたらとまた期待して。
何度もその期待は裏切られていて、それでもしつこく振り返る。

「・・・・そこで何をしてる?その家は誰も住んでないはずだ。」
「ごめんなさい、取り壊されると聞いて・・名残惜しくて・・・」

月が隠れていて、その人の姿が見えなかった。背の高い男の人だ。
懐かしいような声だったけれど、自信がない。こんな声だっただろうか?
声を掛けたその人も、私の姿がよく見えないのか少し近付こうと一歩前へ。
雲間から少し月が顔を出したのはそのときだった。照明のような月明かり。
そこに照らされて立っている人は・・・昔のあの人によく似ていた。

「この家にそんな思い入れがあるのは・・一人しか思い当らない。」
「一人だけ?そんなことない。もう一人はいるはず。」
「・・・それで待ってたっていうのか?人違いじゃないなら・・」
「わからないの?ほのかだよ。忘れるなんてヒドイじゃない・・」

昔の口調が自然と零れ出た。だってあんまり・・・懐かしくて。

「「またな」って言ったくせに。待ってたのを責めるの?!」
「驚いてんだ。随分・・変わったなと思って。」
「変わってない。ちっとも・・変わってないのに、ヒドイ・・」
「意外に泣き虫なところとかか?」
「ばかもの。遅すぎる言訳はどうなったのさ!?」

大きな手が頭を撫でた。久しぶりで眩暈が止まらないから支えてもらった。
涙は放っておいた。溜まっていたから止まりそうもないと諦めたのだ。
ああ、温かい。覚えていたことに感謝した。この人は私のものだ。
ずっとそうだった。私だけのものなのだ。間違えようがないではないか。

「買い手がつかないと聞いて・・元に戻した。中に入るか?」
「え?!掃除・・中は怖ろしいことになってるよ、きっと。」
「だろうな・・今日は止めとくか。おまえ、家は今も自宅か?」
「まさか送るとか言うんじゃないでしょうね!?怒るよっ!」
「いや、困ったな。どこか・・適当なとこでいいか?」
「適当なとこって?」
「帰るつもりかよ?」
「帰らないけど・・」

相変わらずだなと相変わらずな人に言われて腹が立ったけれど許した。
歩き出して、あの”コスモスの丘”を覚えているかと尋ねてみた。

「ああ、あそこか。まだあの頃のままか。」
「そう!明日行こうよ。明日。」
「なんで明日だ・・オレは忙しいんだぞ。」
「じゃあ今晩あの家へ何しに来たの!?」
「・・・忘れ物が・・あったかもなと・・」
「忘れ物!?」
「やっぱいたんで・・びっくりした。」
「失礼しちゃう!誰が忘れ物よっ!?」
「・・・喜んでんだ。悪いかよ?」
「悪くはないけど・・手も繋いでくれたしね。」
「恥ずかしいな、大きくなると・・」
「夜だしいいじゃない、誰も見てないよ?」
「そうだな。」
「お、ちょっと素直になったんじゃない。」
「おかげさまで。」

懐かしい人との思い出話はまた今度にして、未来の話をした。
けれどそれも語りつくせそうもないので追々ということにして、
二人で夜の街を少し歩いて、”適当なところ”で泊まった。
幸い二人共大人だったので、誰に遠慮もいらなくて助かった。
朝まで泣いていることにした。忘れていた名を何度も呼んで。

私とおなじで一人だったけれど、寂しくはなかったなんて言った。

「おまえなら待ってる、そう思ってたからな。」
「へ〜え、随分言うことは大人になったんだねぇ!?」

言うこともすることも大人になってはいたけれど、変わらない。
寂しがりの甘えん坊。私とおなじだ。だからすぐにわかったよ。
何度も呼んでいたことを。お互いがお互いをいつも求めていたこと。
もう離れないと誓った。これで私は前に向かって歩いていけるのだ。

神様、神様、ありがとうございます。ありがとう!
待っていてよかった。くたびれていたのです。けれど報われました。
私はこれからもこの人と共に生きるのです。ずっと、ずっと・・・

あの秋桜の咲く丘を明日も、遠い未来も私たちは二人で歩きます。







パラレルで別れた後再会する二人。数年間会えずにいた感じです。