「告白」V 


ほのかの兄、兼一は天然で、邪気の無い暴言が得意な奴だ。
ずかずかと遠慮なしに踏み込んでくる、家だろうが人の心の深部であろうが。
妹はそれに輪を掛けて図々しい。あれで憎まれないのが不思議なくらいだ。
慣れというのは怖ろしいもので、奴らの馴れ馴れしさにも随分耐性ができた。
腹立たしいが、奴らから離れるという選択を捨ててしまったのはこのオレだ。
好まざるに関わらず、抗えない何かによって。孤独の先に何も無いという言葉も後押しした。
見てみたかったのかもしれない。虚無と真反対の先には何があるのかということを。
あくまでも傍観者でいるつもりだった。自分らしくあるために。
しかし動き出してしまった歯車を戻すことが困難であるように、
オレは影響を受けてしまった。是非や否応もなく、ごく自然に。

『妹』というのはそういうものか、ほのかは兼一を一途に信じ、慕う。
昔の思い出を辿れば、懐かしく悪くない光景だった。兄と妹、その様が。
行き過ぎているとは思わなかった。羨ましくなども思わない。ただ・・・
時折兄と間違えて甘えるほのかの、寝ぼけたときや、ふと覗かせる寂しさに気付くと
心のどこかが苛立った。兄への信頼をオレに重ねられることが不快だと感じる。
”わかっていても、離れたくない”ほのかの目線の先にはいつも兼一がいる。
オレと居るときもそれは変わらない。向かい合っていてさえ、『兄』を見ているのだ。
一心に願う兄への想い。だがその兄の想いは当然だが、妹以外の女へと向かっている。
”もう戻ってきやしないんだ””オマエの望みはもう絶たれてる”
そう言いたくなる。そんな望みを持ってたって、辛いのはオマエじゃないか、と。


兼一がまた深刻ぶった顔でオレに相談したいなんて言ってきやがった。

「やっぱりちょっとほのかの兄好きって問題なのかなぁ・・夏くん。どう思う?」

「その呼び方も止めろ。・・ほっとけよ。しょうがねぇだろ、そんなこと。」
「でもなんか何もしないのも気が咎めてね。取り合えずアイツと一緒に寝るのはもう止めようかとか・・」
「オマエ妹と寝てんのかよ?!」
「や、なんかその言い方・・別にその・・小さい頃からの延長だよ。たまにね?」
「とっとと止めろ。オマエがそんなだからオレのとこでも遠慮なく寝やがるんだな、アイツ。」
「ついね、甘えられると可愛くて。でも昨夜はちょっとどぎまぎしちゃってさあ・・」
「・・・」
「僕がいれば嫁にも行かないとか言いだすし。ちょっと心配が増したんだ。」
「・・・」
「それにあいつなりに育ってきたみたいでわりとその・・はは。それはともかく!」
「あぶねーな・・なんもしてないんだろうな、オマエ。」
「当たり前だよ!さすがに。それでえっと、・・なんだっけ・・?」
「もうこれ以上妹に夢を見させるな。イライラすんだよ、オマエら!」
「やっぱり行きすぎなのかな・・でもね、あいつの目が他にいくのもなんか寂しくて」
「それじゃあいつまでたってもアイツは諦めねぇだろうが!!」
「諦める?・・何に怒ってるの、夏くん?あの、もしかして・・」
「アホらしい話にこれ以上付き合ってられるかってんだ!じゃあな。」
「あっ夏くん!」


むかついてどうしようもない。あの馬鹿、やっぱりあんときに殺しとくんだったぜ。
ああ、妹が慕ってくれるのは可愛いだろうさ、アホらしい!オレには関係ない話だ。
いい年になって妹と同衾とか・・すんなってんだ、あのヤロウ・・!
浮かんだのはアニキと間違えて擦り寄ったほのかだった。寝ぼけて”お兄ちゃん”と呟いた。
いっそぶんどってやって、ざまあみろと言ってやりたいくらいだ。むかついて吐き気がする。

「・・ちくしょう・・!やってらんねぇ・・・」


その日はほのかが家に来るのが心底嫌だった。どう言って追い返そうかと考えた。
しかし名案の浮かばないまま、いつものように呑気な顔をして押しかけてきやがった。
オレの不機嫌さに気付きもしないで、ほのかはいつものようにくだらない話を始めた。
意地の悪いことしか思い浮かばず、とうとうほのかにしてみれば唐突なことを言い出した。

「オマエさ、アニキに好きな女がいるの知ってるんだろ?」
「・・・知ってるよ。・・まだほのかは認めてないけど。」
「オマエもアニキと同じだな。そんなことオマエの決めることか?」
「なんでそんなこと言うの?」
「オマエの大好きな”お兄ちゃん”はオマエに言われても諦めないそうだぜ?」
「お兄ちゃんがそう言ったの!?」
「ああ、ご愁傷さまだな。」
「・・なっつん、感じ悪い・・」
「アニキ好きもいい加減にしとけって言ってんだ。」
「なっつんまでそんなこと言うの!?キライだ、なっつんなんて!」
「・・オマエが思うほどにはアイツは思ってくれやしないんだよ。」
「そんなことない!違ってたってほのかが一番好きなんだからいいんだよ!」
「そんなにアイツが好きなのかよ・・?!」
「う・うるさいっ・・なっつんのばか!なっつんなんてキライだっ!!」

オレが嫌いなら、なんで来る?アニキの替わりなんてご免だ、オレはそう思った。
思った瞬間、ほのかを捉えていた。細くてあっという間に折ってしまいそうな手首を。
座っていたソファに押し付けて、膝でほのかの両足を割った。遠慮も何もなしに。
突然のことに驚いてほのかの身体が跳ねた。それはそうだろう、ほのかに警戒心など微塵もない。
裏切り行為とも言えるだろう。こんなことをするつもりはオレにも無かったはずだった。
言い訳はできない。感情に任せた最低な行動。それでも止めるつもりは・・なかった。

乱暴に口を覆って舌を割る。一方的で暴力以外のなんでもない。
本当は口付けようとする刹那、”止めろ”とオレ自身は命令したのに、それを守らなかった。

「いやっ!お兄ちゃんっ!たすけてえっ!!」

ほのかがそう叫んだ。こんなとき、やっぱり兄を呼ぶんだなとどこか冷静な自分もあった。
来る来ないに関わらず、叫んで当然だ。ほのかの絶対的な存在だ。それはわかっていた。
想うままにほのかの口を蹂躙しながら、オレは背後から迫る絶望感に包まれていた。
”こんなことをしたら、もうおしまいだ””取り返しがつかない結果になるんだ”
刺されるような悪感に覆われたまま、短くて長い間、オレはほのかを繋ぎとめようとした。
苦しそうなほのかに息をさせるため、少し離してやったが、更に身体の自由は奪った。

「どう・・どうして・・?」

擦れた声でほのかが尋ねた。涙の滲んだ瞳もオレに問いかける。

「オレはアニキと違うんだ。」
「なっつん・・?」

「オマエはオレのことなんだと思ってるかしらんが、オレはオマエのアニキじゃない。」
「・・・なっつんは・・お兄ちゃんじゃ・・ない?」

わかっていないように壊れたおもちゃみたいに繰り返し、ほのかはそれでもオレを見ていた。
何か言いたいのに、出てこない。そんな風だった。あまりにもその様子が哀れで泣きたくなった。
誤魔化すようにもう一度触れたときは、もう二度と触れられないかもしれないという悔恨も加わった。
一秒でも引き止めていたくて長いこと味わっていると、ほのかから怯えが消えてきたようだった。
初めは止めていた息もできるようになったらしい。強張りの解けた舌は甘さを増した気がした。
一層離したくなかったが、ほのかの喉が喘いだときとうとう放した。惜しさに奥歯を噛みしめた。
きつく閉じられていた目が緩やかに開いていく。その瞳をなんて透明なんだろうなと見つめた。
オレの中までも覗き込めそうな視線を浮かべながら、ほのかが再び尋ねた言葉に目を瞠った。

「なっつんは・・・・どこにも、行かない?」

オレにはおめでたい部分もあるのだと思った。それは”オレに居て欲しい”と聞こえたのだ。

「ねぇ教えて、なっつんはずっとほのかの傍にいてくれる?」

「どこへも・・行かない。」

「よかった!・・」

ほのかはほっとしたように長い吐息を零し、夢から覚めたような微笑を湛えた。
胸が潰れるかと思った。押し付けていた身体をそっと起こして座り直させた。
懺悔したかった。どうしてもオマエにオレを見て欲しくて無茶をしたことを。
しかし言葉が見つからない。どうしようもなくなり、縋るようにほのかを包んだ。
顔を見ることができずに肩に置いて隠したまま呟いたのは、自分でも気付かなかった本音。

「誰にも譲らない・・オマエを。」

「・・・なっつん・・・」

柔らかい手がオレの背中を摩った。怖がらせたオレを労わるように。
あまりにも優しいほのかの行動に声はすっかり出番をなくし、オレはうなだれたままで。
これ以上ないと思っていた優しさに絶句するオレをそのうえ抱きしめてもくれた。
どうしてそんなことができるんだろう、いやオレは知っていた。知っていたから・・・
オレはオマエに甘えたんだ。兄ではなく”オレ”を見てくれと強請った。わがままに、勝手に。

身動きできないままでいたいと思った。こうして優しく抱かれていたくて。
言えなくてずっと仕舞っていた。ひたすらに隠して。知られるのが怖かった。

オレはオマエを・・・失えないほどに愛している