「告白」U 


私は昔から皆があきれるほどお兄ちゃんが好きだった。
よく”ブラコン”ってからかわれた。気にしなかったけれど。
だから、お兄ちゃんをたぶらかす女は皆敵だと思っていた。
お兄ちゃんに好きな人ができたと知ったときも酷く傷ついた。
きっとたぶらかされたんだ!そう思って邪魔もたくさんした。
ずっとお兄ちゃんといたかった。けれどそれは叶わないらしい。
そのことを知って理解できる年になっても、ずっと恨めしく思っていた。
お兄ちゃんよりも好きになる人なんて現れないと思い込んでいたから。
友達が待ってるという『王子様』にも興味がなくて、変だと言われた。
皆が騒ぐアイドルのことも、話を合わせていたけどそれほど好きだと思えなかった。

「だってお兄ちゃんがいるもの。」

私はいつもそう言っていた。けれど、それ以外に理由がなかったのだ。
私から離れていくお兄ちゃんを感じるといつだって辛かった。
強くなると言って家も飛び出してしまい、どんどん二人の距離は広がっていった。
そんな中で知り合ったのが”なっつん”だ。初めは名前も知らなかった。
良い奴だとわかると、お兄ちゃんと友達になるといいなと思った。
武術をやっていたし、年も同じできっと気が合うだろうと考えたのだ。
私は何故だか、寂しい目をしたなっつんのことを初めから放っておけなかった。
お兄ちゃんのため、いつもそう思ってしていたはずの行動だったけれど・・・
いつの間にか”なっつんのため”の行動も増えていった。
知り合って友達になると、なっつんはお兄ちゃんとは随分違うと感じた。
素直じゃないし、わかりにくいし、口が悪くて気が短い。とにかく寂しがりや。
世話の焼ける「弟」の方が近いと思った。年はもちろん自分よりも上だと知っていたけれど。
あるとき私はなっつんといるとお兄ちゃんと離れていても辛くないと唐突に気付いた。
それはお兄ちゃんが自分から離れていくと感じたときと同じくらい納得がいかなかった。

”どうして?!お兄ちゃんが絶対の存在なのに、どうかしてる!”
自分が信じられなかった。認めたくなくてお兄ちゃんを見たらすぐにその腕にしがみついた。
「お兄ちゃんが好き。お兄ちゃんがいればそれでいい。」私はそう何度も口に出して言った。
なのに、なっつんに会えない日が続いたりすると寂しくてたまらなくなった。
前に一度、『お別れ』を告げられたことがある。あのときも随分ショックだった。
事件に巻き込まれた私を遠ざけるためだとわかったら、一層別れるのが嫌だと思った。
またいつか、今度は『お別れ』さえもなしにどこかへ行ってしまわないだろうか?
それは私が寂しいと思うのと同時に、あれからずっと心のどこかに抱えていた怖れだった。
お兄ちゃんは好きな人ができて行ってしまった。なっつんもいつかそうなるかもしれない。
そう考えたときの胸の痛さは今までに感じたことのない大きさで、その深さにも途惑った。
何故だろう?どうしてだろう?いつも私の頭は答えが見つからなくてぐるぐると回った。

そんな悩みを隠していた私に、ある日なっつんがいつもより暗い顔をして尋ねた。

「オマエさ、アニキに好きな女がいるの知ってるんだろ?」
「・・・知ってるよ。・・まだほのかは認めてないけど。」
「オマエもアニキと同じだな。そんなことオマエの決めることか?」
「なんでそんなこと言うの?」
「オマエの大好きな”お兄ちゃん”はオマエに言われても諦めないそうだぜ?」
「お兄ちゃんがそう言ったの!?」
「ああ、ご愁傷さまだな。」
「・・なっつん、感じ悪い・・」
「アニキ好きもいい加減にしとけって言ってんだ。」
「なっつんまでそんなこと言うの!?キライだ、なっつんなんて!」
「・・オマエが思うほどにはアイツは思ってくれやしないんだよ。」
「そんなことない!違ってたってほのかが一番好きなんだからいいんだよ!」
「そんなにアイツが好きなのかよ・・?!」
「う・うるさいっ・・なっつんのばか!なっつんなんてキライだっ!!」

いきなり片腕の手首に火が点いた。なっつんが握ってソファに押し付けたのだとわかった。
”怖い”向き合ったなっつんの顔を見たとき、そう思った。気付くともう片方の手も掴まれていた。
何か言おうと思うのに声が詰まったように出てこなかった。見たことのない顔が怖かった。

「なっつん離して。・・痛い。」

なんとか搾り出した声は少し震えていた。胸が外に聞こえそうな音で鳴っていた。
何も言ってくれないまま、なっつんと私の距離がどんどん狭くなっていった。
私の脚の間になっつんの片膝がずいと入ったとき、身体が驚いて飛び上がった。

「いやっ!お兄ちゃんっ!たすけてえっ!!」

思い切り叫んだけれど、大きすぎる程のお屋敷では無駄だった。
それにそれ以上は叫ぶこともできず、身動きすらできずに固まった。
”噛み付かれた”のかと思った。息もできなくて苦しくて涙が出た。
やっと自由になった口から伝った透明な糸がなんなのか、すぐに飲み込めなかった。
相変わらずの心臓の音と、騒がしい呼吸が部屋中に響いているようで嫌だった。

それで開放されたなんて思った自分が浅はかだったらしい。身体は自由を失ったままで、
私をそうして動けなくしているのは分厚くて熱い塊だった。なっつんの身体だ。
息苦しさと恐怖で喉が変な音を立てた。生々しい感触がするというのにどこか現実的でなかった。

「どう・・どうして・・?」

優しいいつものなっつんとの隔たりがあまりに酷くて、混乱したまま私はきいた。

「オレはアニキと違うんだ。」
「なっつん・・?」

「オマエはオレのことなんだと思ってるかしらんが、オレはオマエのアニキじゃない。」
「・・・なっつんは・・お兄ちゃんじゃ・・ない?」

私の頭は理解しようとはするものの、うまくいかずに同じ言葉を鸚鵡返しした。
同じだなんて思ったことない。そう言いたかったけれど、言葉が出てこない。
竦んでしまった身体のせいで、頭や喉も仕事を忘れてしまったみたいだった。
私はなっつんを友達だと思って・・ううん、それもなんだか”違う”気がしていた。
じゃあなんだろう?またいつものわからないことが回り出す。”どうして?”
二回目に口を塞がれたときは、なんとか息をすることができたけれど、それでも苦しかった。
”これ・・なに?なにをされてるんだろう・・?”ぼんやりとそんなことを思った。
初めに覚えた恐怖はいつの間にか和らいでいた。変わらずに胸は派手な音を立てていたけど。
さっきよりも優しいと感じたからかもしれない。頭が舌と同じように痺れていって麻痺した。
じんじんするような頭はもう考えることを止めてしまったけれど、繋がって熱いとだけはわかった。
湿ったせいで離れたとき、寒いと感じた。ぼんやりと目を開けたということは目を閉じていたんだ。
そんなこともわからなくなってたのかと思いながら、目に映った泣きそうな顔を見上げた。

「なっつんは・・・・どこにも、行かない?」

私は自分で言った言葉に驚いた。そんなこと聞くつもりはなかったのだ。
けれどいつも不安に感じていたことだ。置いていかないで欲しかった。
私の問いかけにわずかに目を瞠ると、言いかけた言葉を飲み込んだ。

「ねぇ教えて、なっつんはずっとほのかの傍にいてくれる?」

「どこへも・・行かない。」

「よかった!・・」

答えにほっとした私は思わず微笑んでいた。笑った拍子に涙がつと零れた。
ふっと身体が軽くなった。ソファに座り直されたのだ。けれど今度は・・
なっつんが私の肩に額を乗せ、柔らかく・・優しすぎる程柔らかに私を包んだ。

「誰にも譲らない・・オマエを。」

「・・・なっつん・・・」

顔を見せずに伏せたまま、なっつんが言った。もうどこも押さえられてはいないのに、
胸を締め付けられるような気がした。私はそうっとなっつんの背中に手を伸ばし摩った。
怖がっていた子供にそうするみたいに、よしよしと撫でたのだ。また新しい涙が落ちた。
今度のはなんだかあったかい涙だった。だから嬉しくて撫でた手で少し抱き返してみた。

”ああ・・よかった・・・だいすきなひとは・・そばにいてくれる”

私は目を閉じて、心に浮かんだその言葉を忘れないようにと胸に沈めた。