恋のはじまり 


送っていった帰り道、空に星が瞬いて
ふとあいつの顔を思い描いてしまう
誰も居ないのに首を振って打ち消す

怪我をした指を口に咥えて血を舐める
小さい指がほんの少し震えると力を緩めてやる
そんなに強く握っていたのだろうかと思う

ぼんやりと見ていたらしく近付いて驚く
「何?どしたの?!」と心配そうに除く瞳に
オレが映るのを見て何故か安堵する

「もう来なくていいぞ」と口にすると痛むどこか
「また来るじょ」と言われて癒される痛んだ場所
顔を見るたびにどこかが前と違う気がするおまえ

「なっつん、好きだよ」聞くたびに刺さる棘
「そうかよ」と投げやりに返して目を伏せる
「どうして信じてくれないの?」問われても
信じたくないとどうしても告げることができない



別れた後、一人の家に帰るのは寂しくないだろうか
夜更かししないでちゃんとお布団で寝るかなとか
色んな場面を思い浮かべては気になって眠れない

壊れ物のように扱われるのも何気なく触れられるのも
緊張して、何も考えられなくなる ただ見つめる
優しい眼を見つけるとどうしてだか泣きたくなる

邪魔でも煩くても鬱陶しくてもいい
顔を見ていないと気になって仕方ない
毎日見る顔でもやっぱり昨日とは別だと思う

「なっつん、好きだよ」と繰り返し言ってみる
「そうかよ」といつでも本気にはとってくれない
「どうして信じてくれないの?」と聞けば
とても苦しそうにするのに答えてはくれない


ずっとこのまま居られるだろうか
ずっとこうして二人一緒に兄と妹みたいに
変りたくなくても変っていくものがある
大事に思う気持や愛しいと感じる心が
毎日積み重なっては重くなっていく
いつも不思議に思うことは・・・いつから・・?



「あ・あのさ、なっつんとほのかってさ、・・友達・・かなぁ?」
この頃よく真面目に聞いてくるほのかに「・・・さぁな」とだけ返す。
「近頃よく言われるんだ・・・ホントは付き合ってるんでしょ!って。」
居心地が途端に悪くなる、そんなことは断じてないと思う。
「ちがう・・よね?」
「・・違うだろ。」
「そうだよね?!・・・でもなんか最近よくわかんない・・」
「人の言うことなんて放っておけよ。」
「あ、そだね。ほのかも気にしてなかったのにどうしてだろ・・?」
次第に苛々してくる、答えを求められてもオレにわかることは限られている。
「ほのかじゃ・・なっつんの恋人になれない・・のかなぁ?」
「・・・知らん。」
「知らないって・・まだダメってこと?」
「オレは・・そんなもんはいらねぇ。」
「!!いらないの?ずっと?!」
「うるせぇ、くだらないことうだうだ言うならもう来んな!」
いつもそうだ、うやむやにしてしまうのはオレの悪い癖かもしれない。
だがそれはいつものことで、こいつはいつもなら文句を言って反撃してくる。
なのに黙ったままオレを見ているから、急に胸が騒いだ。
「おい・・?どうした。何も言い返さねぇなんて・・」
「・・・うん・・ごめんなっつん・・バイバイ・・元気でね?」
らしくない硬い声と表情のままほのかはオレにそう告げた。
「もう・・来ないのか・・?」
「こんなこと聞くほのかはダメなんでしょ・・?」
「・・・」
オレはこんなに真剣なほのかを見たことがなくて答えに窮したまま呆然とした。
しばらく無言のまま向かい合っていたが、答えを待たずにほのかは静かに出て行った。
ドアの音が閉まる音でやっと我に返ったオレは何も出来ずに立ち竦んだままで
もうこれで毎日あいつの世話に忙しい思いをしないで済むんだ、
心配したり、ハラハラしたりせずに自分のことに専念できる、
日常が戻ってくるんだ、たった一人のあいつと出会う前の日常が。
などとそんなことばかりを頭の中で自分に言い聞かせていた。
握り締めた拳から力が抜けていくのを感じて俯くとふと眼に留まったものがあった。
目の前のテーブルにぽつんとオセロの駒が一つ置いてあった
たったひとつぽつんと。摘み上げてみるとそれは少し温かい気がした。
あたかもさっきまであいつが握り締めてでもいたかのようで・・・
冷えていく駒を握リ締めるとオレは頭を空にして走り出していた。


玄関を出て、振り向かないように思い切りダッシュして走った。
辛かったから、どうしようもないくらい胸が痛かったから。
さっきまで握り締めていたものを手離したのは自分なのに。
一緒に居るだけでもよかったのに!恋人になんてなれなくったって。
『馬鹿、おお馬鹿、私のおおばかものー!』心の中で叫んだ。
涙が途切れるくらいにと加速して心臓が悲鳴を上げるほど走った。
脇目も振らずに走り続けたけど歩道橋を駆け上がった所でとうとう立ち止まってしまった。
橋の下で乗り合いバスが夕刻のラッシュで満員の乗客を抱えて去って行くのが見えた。
しばらくして息が落ち着くと夕陽が橋の上を照らしているのに気付いた。
それをぼんやりと眺めていたら止まったはずの涙がまたぽつりと落ちていった。
「明日から・・・どうしようかな・・?」
急に汗をかいたせいか風が身に染みてぶるっとひとつ身震いした。
「帰らなきゃ・・風邪引いちゃう・・」私が帰る方向へ足を向けたとき靴音が聞えた。
すごく乱暴な足音で、さっきまでの私みたいに必死で走ってるんだと思った。
それでも振り向いて見たりしないで歩き出そうとしたら・・・・・私は捕まっていた。
後ろから抱きしめられて驚いたけどすぐに誰だかわかるとなんだかとても嬉しくて・・
「・・おまえ人の話は最後まで聞けよ・・」
「・・だって何も言ってくんないと思って・・」
「言ってねぇよ、まだ答えてない。」
なっつんは私を抱いたままだから、声が耳元でくすぐったかった。
「じゃあ・・聞くよ。なっつん?」
「・・・勝ち逃げは許さんって前に言っただろ。」
「なんだそれかい!?勝負の話なの・・?」
「と、とにかくおまえは毎日でも来ないとダメなんだよ。」
「来ちゃダメなんじゃなくて、来ないとダメなの?」
「ああ。でないとオレが困るだろ。」
「何に困るの?」
「色々」
「なんだそれは!?」
「うるせぇ。オレは・・恋人なんざ要らんが・・おまえは・・別だ。」
「別って・・もしかして特別ってこと?」
「そういうことだ。」
「それってさ、恋人より上ってことなんだね?」
「・・・ずっと上だ。」と告げた声が少し緊張で上ずっていたのが可笑しかった。
彼はきっと恥ずかしくて赤い顔をしているに違いなかったから顔が見たかった。
だから、言ってみた。きっと彼は気付かずに顔を上げてくれると思ったから。
「なっつん、夕陽が沈むね!・・綺麗だよ?」
「あ?・・・あぁ・・そうだな・・。」
思った通りだったから嬉しくて笑った。弛んだ腕から抜け出して顔を見た。
「なっつん、顔赤いね!」
「夕陽のせいだろ。おまえだって赤いぜ!」
「一緒だね。」
「一緒だな。」
「ほのかね、なっつんの特別なら許してあげるよ。」
「偉そうだな。言ったろ、恋人なんかより・・」
「うん、ほのかもなっつんが好きだよ、比べるものなんてないくらい特別に!」
「・・そ、そんなことは言ってねぇ・・恥ずかしい奴だな、まったく・・;」
「どうして恥ずかしいの?なっつんて誰かに好きって言ったことないの?もしかして。」
「おまえはほいほいと気楽に言い過ぎなんだよ!」
「本気にしてないんだもん。本気だったら!一度くらいは好きって言ってみ、ホレ!」
「そういうことをおまえみたいに簡単に言えるかよ。」
「ほのかだって勇気出してるよ!?男でしょうが!?」
「お、男はいいんだよ、言わなくても。」
「じゃあちゃんと態度で示してよ!」
なっつんは更に赤くなったけど、私なんか変なこと言ったかな・・?
「なっつんてさ、見た目に反して晩生だよね?」
「むかつくやつだな。おまえは経験豊富だとでも言う気かよ!?」
「告白なら何度もしてるじゃんか!うも〜、こんな奴好きになっちゃって参るよ!」
「なんだと!言いたい放題言いやがって!こっち来い。」
「あ!?」


オレの腕の中で夕陽より赤い顔したほのかにオセロの駒を「忘れ物」だと示した。
すると首を振って「ほのかのじゃないよ、それ」と幸せそうな微笑を浮かべた。
「なっつんのだよ。ほのかのだと思ってくれて嬉しいな、二人のだよね、それは。」
取り残された駒は一つだけだったが、思いは二人分あったということで
指で摘んだ駒を見ながら「そうか」と納得させられる自分がいた。
いつからかきっとこのオセロの駒が二人のものだと思ったときから
もう始まっていたんだろう・・・オレとおまえがお互いを必要だと思う気持は。
小さな駒を握り締めると片方の手でほのかの小さな手を包み、送って行った。
「また明日ね」「ああまたな」といつものように別れて帰る道すがら、
オレは寂しくなかった。二人分の想いをこの手に握り締めていたから。