恋 人  


谷本があからさまに不愉快を示した先にいたのは
耳の敏い悪友の新島とその忠実な配下の一人、松井だった。
行き先をくるりと変えるというのも幼稚な気がして、
谷本は苦虫を噛み潰した顔のままその先を進んだ。
すると予想通り、軽い挨拶と余計な一言が彼に贈られた。

「よう、谷本。可愛い恋人は元気か〜?」
「あっ自分は最近会ってないっす。彼女さん元気っすか!?谷本隊長?」
「・・・・誰のこと言ってやがるんだ・・?」

新島のにやにやと人の悪い笑顔を浮かべる横で、邪気のない質問が投げられた。
どこまでも人の良い笑顔で裏表のないいつもの様子は新島とは対照的だ。
松井はその人懐こい疑いを知らない部分が谷本に密かに気に入られている。
そうといえど、投げかけられた質問に谷本は笑顔で返すことはできなかった。

「誰って、ほのかちゃん?ですっけ?!あの可愛い彼女さんに決まってます。」

全く嫌味のない彼の台詞に益々渋る谷本、それを見て面白がる新島である。
二人の様子は明らかなのだが、その辺りの空気の読めない松井は更に続けた。

「お似合いっすよね!いつも彼女さん傍にくっついてて羨ましいっすよー!」
「松井、落ち着け。”彼氏”さんが照れて固まっとるぞ?!」
「え!?すいません、隊長。自分からかうつもりはないっすよ!?」

妙に生真面目な松井に毒気を抜かれたように谷本は一つ溜息を吐いた。

「・・アイツなら元気だ。」
「そっすかー!?良かった良かった。仲良くしてください。応援しとります。」

なんと答えて良いかわからず谷本は口ごもり、新島はひきつった笑いを零した。
会長のひきつり笑いに心配した松井に免じて谷本は今回は引き下がることにした。

「新島。情報は正確なのがモットーなんだろ?!ちゃんと説明しとけよ。」
「・・・クケケッ・・・オレは何も間違ったことは教えちゃいねーぜえ!?」

忌々しい!松井がいなければいつもどおり何発か殴ってやるところだ。
谷本は内心の腹立たしさを抑えきれずに滲ませたまま、二人を通り過ぎた。
後ろからは松井のどこまでも人の良い声が「隊長〜!次の会合出席よろしくですよー」
だとか叫んでいたが、その声に振り向いてやるだけの心の余裕は彼になかった。


そんなことが学校であったために谷本は自宅でほのかの顔を見るなり眉を吊り上げた。

「今日はまたむつかしい顔してるね!?なっち。」
「ああ、ちょっとな。」
「ほのかちゃんが来たからご機嫌直すといいよ。」
「オマエの顔みたら思い出したんだよ!」
「へ?ほのかのこと!?」
「どいつもこいつもオレとオマエのこと勘違いしてやがる。」
「ああ、ほのかも最近よく言われるー!彼氏元気ー!?とかって?!」
「・・オマエそれに答えてるのか・・?」
「面倒じゃない、説明するの?だから元気だよーっ!って。」
「いいのか!?そんなのすぐ噂になるぞ!?」
「なっちはイヤなの?噂になったらもてなくなるとか?」
「オレはともかくオマエは女なんだから困るだろ!?」
「虫除けになっていいって言われたよ。」
「誰に!?」
「お母さんとか。」
「はぁ・・相変わらずオマエの母親って・・・」
「ほのかもいいよ。だってなっちだったらそのうちホントに彼女になるし。」
「勝手に決めるな!そんな約束してないぞ!?」
「ちょっと、忘れたとは言わせないよっ!?」
「どの話だよ!?」
「このままなっち以外に好きな人ができなかったら恋人にしてくれるって。」
「そ、それは・・」
「おっぱい大きくなったらお嫁にもらってもくれるって言ったじゃないか!」
「・・・ものすごく人聞きが悪い。その後半のだけでも取り消してくれ・・」
「おっぱい大きくならなくてももらってくれるならいいよ。」
「どうしてそう・・・オレ限定のそういう具体的な話を進めるんだ・・!?」
「なっちが好きだからだもん。」
「いい加減にしろよ、オマエいつまでも・・」
「ほのかは”恋”はしてないって言うんでしょ!?そんなのどうしてわかるの!?」
「わかるさ、子供の言う好きかそうじゃないかなんて。」
「すーぐ大人ぶったこと言って誤魔化す〜!?」
「オマエのこと心配もするし、特別だとも言った。だけどそれは・・」
「アニキぶるなっ!なっちのばかっ!!」
「うるさいっ!」

二人は口論になったが、その内容は慣れたものらしかった。
ほのかは拗ねて半べそになり、泣くなヒキョウモノと谷本が宥めにかかる。
傍から見ると痴話げんかにしか見えないそれを二人は延々と繰り返している。
どうやらお互いにそこは似ているのか頑固者同士どうしようもないらしい。

だが今日はいつもと違っていた。ほのかは涙を拭うとぼそりと呟いた。

「・・なっちこの前ほのかにキスしたくせにっ!」
「はっ!?そんなことした覚えないぞ!?何を・・」
「ちょっとほのか寝ぼけてたけど、そうだったもん。」
「ちがっ・・あれは違うぞ!?誤解だ!」
「そうだもん。ほっぺにしたもん!」
「ふ、触れたかもしれんが、わざとじゃねえ!」
「・・うっかりってこと!?・・ヒドイ・・」
「そ、そうじゃなくて・・抱き上げたとき顔が・・」
「違うのかなぁって思ったよ、あのときはぼんやりしてて・・だけど」
「そんなことしない。そんなヤツだと思ってんのか!?オレのこと!」

「・・・ちがうよ・・だからちゃんとしてって・・言おうと思ってたんだよう!」
「んな・・こと・・できるか!」
「そんなにほのかのこと嫌わなくてもいいじゃないか〜!?」
「嫌ってるんでも嫌がってんでもねぇよ!バカ!」
「うう・・バカ返しされた・・」
「バカなんだからしょうがねぇだろ。」
「なっちとキスしたいって思うのが悪いの!?バカなのっ!?」
「・・まだ・・もうちょっと待ってろよ。」
「待てない。なんかもうヤダ。イヤになっちゃった!」
「・・そういうことがしたいだけなのか?だったらオレは嫌だぞ。」
「・・・よくわかんなかった。どういう・・」
「キスしたり、そういうことがしたいだけなのか、と訊いたんだ。」
「う・ううん!そうじゃない。」
「オマエがふざけてキスしたいと言わなくなるなら待つ。いつまででも。」
「・・・・」
「オレじゃないとダメだと決め付けるにはオマエはまだ幼すぎるだろ。」
「周囲にだって公認にしてしまうのは早い。オマエの母親は例外だ。」
「早いって・・彼のいる子たくさんいるよ?高校卒業して結婚する子だって・・」
「オレはそんな成り行き任せは御免だ。欲求不満解消に一緒にいると思われたくない。」
「ほのかもそんなんじゃない。」
「けど付き合ってるって言ったら世間はいっしょくたにするんだ。」
「オマエのことそんな・・若いうちから男とそういうことする女だと思われんのは・・我慢できない。」
「だって・・」
「母親みたいな鷹揚な人物は稀だ。普通は悪い方に取られるんだ。」
「じゃあいつならなれる?なっちの恋人に。」
「オマエが考えてるような意味ならもうなってるだろ。」
「え!?」
「けど絶対今のオマエに手は出さない。だから付き合うとかは・・まだだめだ。」
「それって卒業するまでってこと?」
「そうだな、18を越えたら・・」
「恋人にしてくれる?誰にそう思われてもいいよ、ほのかは。」
「そりゃそう思われたら男は楽なんだ。母親の言うように余計な虫が寄ってくるのが減るから。」
「・・・なっちは・・古臭い。」
「なんだと?!」
「だけど・・かっこいい。ほのか惚れ直したよ。」
「何言って・・アホ!」

照れて横を向いた谷本にほのかは素早く飛びつくと、押し付けるように頬に口付けた。
不意を突かれて慌てた谷本に対し、ほのかはきゅっと眉を上げて抗議めいた声で囁いた。

「誰になんて思われたっていいのに。わかってくれる人がいればいいじゃないか。」
「そっ・・そんなこと言うけどな・・」
「ほのかはキスしたいし、我慢しないの。欲求不満の何がいけないの!?」
「オマエ・・無茶・・」
「誰のルールも関係ない。ほのかとなっちが決めればいいことだよ。」
「・・・・・」
「どうだ、参ったか!?ほのかの勝ちぃ!」
「なんでそんなえらそうなんだよ!?それに・・」
「それに?」
「悔しいじゃねぇかよ!オレも惚れ直したっての。」
「ホント!?じゃあ恋人認定してよ。」
「そこは譲れねぇな、まだ。」
「皆にはまだ認定もらえなくていいから。なっちだけに訊いてるの!」
「恋人にするならオレにしろ。オレはオマエ以外はいらねぇから。」

嬉しくて再びしがみついたほのかの髪を谷本は途惑い勝ちに撫でた。
可愛い恋人がいくら困らせても欲しいとねだっても恋人にしてしまうのはまだ早い。
そんなに簡単に手に入れたらもったいない。もっともっと惚れさせて欲しいのだ。
困らせて誘惑して、わがままで振り回して欲しい。そう谷本は思っていた。
もっと強くなって、オレもそうするから。オマエを困らせて誘惑するのだ。
本当は眠っているほのかの頬や額に触れたことはあるのだが、谷本は言わない。
けれどどさくさ紛れというのだけは認めない。それだけはしていない。
彼なりの拘りなのだ。面倒な男だと自分でも認めていた。そして腹立たしいのは
底抜けに単純な松井や情報屋の悪友新島、そんな真実を知るものも少なくないということ。
やはり、見抜ける者はいるわけで。おそらくほのかの母親にも知られている。
だからこそ、見損なわれてほのかと引き離されたくないという想いもある。
どんなにほのかが可愛いことを言ったりしたりしてぐらりと理性が揺らいでも、

正式に恋人認定してもらえるかどうかは、世間の目なんかよりずっと厳しいんだぞ?

ほのかを無償に愛している両親がある限り、監視の目を無視することはできない。
ほのかにそれをわかれというのはまだ少し難しいかもしれないなと思うが。
柔らかなほのかの髪と笑顔に癒されながら、谷本はまだ続くであろう厳しい生活を思い浮かべた。
しかしその眼差しには恋しい相手を見つけた歓びに溢れるばかりで、苦労の影は見当たらなかった。








母親からはすっかり認定済みだと思いますけれどね、私は。(^^)