恋 


抱きしめられて 世界が変る


くらくらと目が眩む
自分が誰かもわからない
足元が覚束ない
ここはどこだったろう
目の前のひとしか見えない

私は どうなってしまったんだろう



まったく突然で不意をついていた
まさか、と思うほど意外だった
だってごくいつものように居ただけ
途惑ったような顔をしていたのは
どちらかというと私じゃなかったけれど

初めてじゃないし 嫌じゃない
ただ抱きしめられたことが不思議で
なんだか夢を見ているようだった
私を 口付けを求めるようなあなたに
どうしちゃったんだろうと慌てた
「なっつん」だよね? ホントに!?
馬鹿みたいにそんなことまで思った

まるで愛しいと思われているような
そんな気がしてしまうほど
でもそう感じると身体が熱くなった
熱くて息まで苦しいみたい
どくどくと血の流れる音が聞えそう
どうして どうしてとそればかり浮かんで

「カン違いすんなよ。」
”カン違い?”心の中で反芻した
ぼやけた私の頭にそう聞えた
私の行動を止めようとしたんだって
”そうか、そうだよね?効果てきめんだよ。”
私は何をしようとしていたのか完璧に忘れた
けれど”カン違いすんなよ”の言葉に
熱かった身体が急激に冷えたようだった
そうだった、彼にとってコレはどうってことないんだ
”口を塞ぐ手段”だとも言っていた
行動にも効果があるんだね・・・とぼんやり思った

私が言葉と行動の行方を見失っていると
舌打ちが聞えて彼は顔を顰めていた
くるっと背中を見せたかと思うと彼はドアを目指した
「なっつん!」
振り向きもしないで部屋を出て行った
追いかけたかったのに身体が動かない
心は名前を呼んで叫んでいるのに声が出ない
私は自分の身体を抱きしめた
自分で自分が制御できない?
焦ってみても思いだけが空回った

彼はこの広い屋敷のどこかへ行ってしまった
探し出すことはその気になれば出来るだろう
なのに身体が言うことを利かない
”探し出して、どうするの?”
”どんな顔して何を言うつもり”
私はそんなことは初めてで愕然とした
『もう一度、抱きしめて?』
そう口走ってしまいそうで怖い
ダメだ、そんなことは出来ない
でも何故?前にしたどのキスとも違うのは
ねぇ、今のは・・・どうして?
どうしてこんなに・・・身体が熱いの?

私は正直、戻って来て欲しくなかった
混乱して自分がおかしい
帰ろうかと鞄に手を伸ばそうとすると震えていた
「何コレ・・」
明日いつもの顔をしてここへ来れるだろうか
私はなんだか変ってしまった
前に見られた貧弱な身体が急に恥ずかしい
”私 なんで平気だったんだろ?”
痛いような初めてのキスを思い出してしまった
カッと身体がまた熱くなる
思い切り首を振って振り切ろうと試みる
「やだ、こんな私、私じゃない!」

帰ろうとして、もし彼が戻って来たら?と思った
私が居なくなっているのに気が付いたら・・
いけないだろうか、このまま黙って帰るのは?
けれど今は顔が見られない きっと紅くなる
途惑いが増すばかりで途方に暮れた

暗くなってきた空は雲っていた
雨が降るかもしれない、だから帰らないと
だけど、傘がない またどうしようかと悩む
どうでもいいことばかりにくよくよして
私は本格的に自分がわからなくなってきた
思い切って帰ろう、ようやく決心してドアへ向かった
ドアノブに手を伸ばした途端 ドアは開いた

「あ・・」
「・・まだ居たのか・・」
「あ、あのね、今帰ろうとしてたの。」
「雨、振るかもしれないぞ。」
「う、ウン。傘どうしようかな?それよりなっつん何処行ってたの?」
「・・・送ってく。傘ならおまえが前に忘れたのを持って行け。」
「あ、ああ!あれかぁ!ありがと、忘れてたよ。」

彼はいつもより元気がなく、声も低かった
それとは対照的に私は声が妙に上ずって恥ずかしかった
「なっつん、今日はいいよ。私一人で帰れるよ。」
「・・・」
「暗いけど時間はそんなに遅くないしさ。ねっ!」
「ああ。じゃあ・・気をつけて帰れよ。」
「ありがと。・・・また・・また明日ね!」
「・・・明日は無理だ。ほのか、オレはしばらく留守にするから。」
「え?・・・どうして?何処か行くの?」
「しばらくな。だから・・オマエも来なくていい。」
「!?・・・そうなの・・・なんだか・・急だね?」

なんとなく、嘘を吐いてるのかなと思うのに問い質せない
顔を見なくて済むのならと心のどこかでほっとしていた
なのに身体が引き裂かれそうに痛いのは・・・
また背を向けかけた彼の腕を思わず掴んでいた
「なっつん。・・いつ帰るの?!」
「・・・わからん、そのうち・・」
「じゃあ、ほのか待ってる。ここで。」
「待たなくていい。なんでそんなことすんだよ。」
「待ってたい。ね、お願い。・・・寂しいもん・・」
「・・・」
彼は明らかに迷っているようだった
私は今にも涙が出そうで息を詰めて返事を待った
「・・・頼むから・・来るな、しばらくは。」
その返事に絶望すると目の前が暗くなった
「ウソ、しばらくっていつ!?どのくらい?帰らないつもり!?」
とうとう涙が溢れ出した でもそんなものに構ってられない
「嘘じゃねぇ、ホントに・・居ないのに来ても無駄だろうが。」
「ウソだぁ・・・なっつん・・・イヤだ・・!」
「・・・何駄々こねてんだよ、仕方ねぇだろ。用が出来たんだよ。」

涙が後から後から零れて落ちた
なんだかなっつんも泣いてるみたい
ただ涙で視界がゆがんでいただけかもしれない
だけど私を見つめる目はとても苦しげだった


こんなに烈しい感情を知らない
こんなに苦しい想いがあることも
この気持ちをなんと呼べばいいの








次回の予告を少し。タイトルは「鍵」
夏くんはほのかから離れます。
白浜沙織お母様が出る予定。