片想い 



”・・アイツ・・また来たのか・・・”

谷本夏は『涼しげで優しさの満ち溢れた笑顔』で他人に手を振った。
知人にすれば失礼な話なのだが、彼の長年の習性のような形だけの挨拶だ。
昔から不特定他数にもてた為、自衛の意味で等しく境界線を引いた結果である。
そんな彼が愛想を振りまく必要のない人物というと、結果的に多くない。
色々とあって彼も丸くなったとはいえ、家族もなく、恋人も同じく不在で
腐れ縁の仲間はいるが大学生になっても基本単独行動の一匹狼だった。

「なっちー!ほのかちゃんがお迎えにきてやったぞ!光栄に思いたまえ!」

彼の少ないテリトリーに一番深く潜りこんでいるのがほのかという少女だ。
中学生当時は子供っぽさが勝って夏と並んでも兄妹としか見られなかったが
今ではどちらかというとカップル以外に見る方が難しいくらいに成長した。
本人も昔と変わりなく夏を慕っていて、しょっちゅうこうして会いに来る。
可愛い妹分の少女が日頃から世話をしてくれるというと本来惚気の類である。
ところが夏の表情は王子様の笑顔から苦虫を噛み潰した本来の顔へと一変した。

「なっちー!まーた告白されてしまったのだよー!」
「またか・・で、先週俺が脅しといた例の奴は?!」
「ああ、あいつは大人しくなったよ、ありがとね!」
「お前、このところどうなってんだ。周りが煩過ぎるだろうが!?」
「んなこと言われてもほのかはいつも通りさ。妙な話だけどねえ。」
「・・・俺と付き合ってるって言っていいんだぞ?」
「ああ・・誰も信じてくれないからそれはいいよ。」
「・・そうかよ。」

夏の内心の落胆を知らず、ほのかはご機嫌に並んで歩き始めた。
高校に上がった途端にもて出したほのかは記録を更新するばかりで
対応に追われるようになった。夏も何度か救済に借り出されていた。

横目で窺うまでもなく、ほのかは凛として美しいと夏は思う。
中身も変わりなく無垢で稀有な天然石のままでいるのも好ましい。
男の目を引くことも承知している。本当に綺麗になったのだから。
あどけなさは残っているが大きくて黒目勝ちな瞳は星のように耀き
背は小さいままだが脚は程よく肉付きもあり男を誘う滑らかな曲線。
本人には不満らしい胸の辺りも中学当時を知る夏には身を瞠る成長で
サイズなどは当然知らないが十分に柔らかさと存在を主張している。


兄という立場のなんというやるせないことか。実際兄ではないのだが
ほのかとの関係は慣れ親しんだ兄妹ポジションのまま動く気配もない。
あいも変わらずで夏はほのかとオセロ勝負をして我侭を叶えてやったり
勝手に付き合ってやったりなどの都合の良い男を演じ続けている。
演じなければならなくなったのはほのかに春が来た頃からだった。

男の話を聞かされるのがどれほどの苦痛かは体験者でないとわからない。
夏はおかげで自分の気持ちには気付けたが、遅かったというしかない。
ほのかの口から好いた男のことなどを聞きたい訳など欠片もなかった。
やるせなさばかりが募る。距離を置くことも試みたが結局叶わず今に至る。
救いは、先の想い人なる男への想いが結局は成就しなかったことだった。

内心では万々歳だったのだが、顔には出さずほのかを慰めるのに努めた。
そこで逆転を決めることが出来れば幸せなストーリー展開だったのだが
「なっちはいつまでも友達でいてね!?」の言葉に遮断されてしまった。
望みを無碍に出来なかった。そして理解してしまった。ほのかは男として
夏を必要としていないことが。絶望という名の淵を生まれて初めて知る。
初めから望んでいたわけではなかったが、逃した幸福は間近の距離だった分、
訪れた寂しさはそれまで知っていた孤独とは別物の冷たさで夏を打ちのめした。
それ以後、ほのかは恋をしたと夏に報告をしてこない。しているのかどうか、
それすらも怖くて探れなかった。今隣に感じている温もりは悲しいまでに遠い。

「なっちってさ、もてるのにどうして彼女作らないの?」
「必要を感じねえ。」
「なんと!?不思議。男の子には珍しいんじゃない?!」
「そうかもな。どうでもいいんだからしょうがねえさ。」
「ふ〜ん・・・あのさあ、もしかしてなっちって・・・」

夏はこのとき期待した。無意識かもしれないが気にしてくれるということは
自分にも脈があるのかと。しかしほのかの質問はあっさり期待を裏切った。

「・・・男のヒトのがいい、とか?」
「・・・なんで期待の目をしてる?」
「あ、ちがうのか・・いや、別に。」

夏は大きめの溜息を吐いた。この場合それくらいは許されるだろうと。
全く男として見られないというのは辛い。だが仮にほのかに迫ったとして
これまで培った友人としての信頼を失ってしまうのは忍びなく、出来ない。
しかしそれは会えなくなることを怖れている言い訳なのだとわかっていた。

「ねえねえ、なっちー!今度の映画決めたよ。」
「予約しとけよ、予約席じゃねえと見ないぞ。」
「らじゃっ!なっちのおかげで立ち見とは無縁だよ、ほのか。」
「俺だって立ち見は嫌だ。利害の一致というやつだな。」
「ふむ・・利害ね・・そうなのかなあ・・?」
「何のことだ?」
「なっちがいるから彼氏できないのか、ほのかがいるから彼女できないのか、」
「・・・・・」
「どっちだかわからないけどさ、ようするに二人でいたいからなのかな・・?」
「・・・・お前は・・そう思うのか?」
「彼氏出来たらこうして二人で会えないなら・・やっぱ要らないかも。」
「けど友達・・がいいんだろ?!」
「そもそも彼氏彼女というのがよくわかんない。」
「俺もよくは知らんが・・」
「いっそ付き合っちゃう!?って思うことも実はあるけど・・」
「!?・・けど、なんだ?」
「それも・・なんでか嫌なんだ。」
「・・・・・そう・・か。」
「なんだか・・そんなのいつか終わっちゃいそうだからさ・・」
「終わる・・ああ、熱はいつか冷めるかもしれんと思うのか。」
「もったいないじゃないか。なっちとはずーっと一緒にいたいんだもん。」

夏はふと立ち止まった。ほのかは数歩行過ぎて慌てて向き直ると

「急に止まるなー!・なっち・・?急にどしたの!?」

夏が固まっているのに気付いてほのかが近寄る。不安に瞳が揺れていた。
不安はほのかのもので、夏がそのとき感じていたのはこれが好機なのかどうかだ。
二人共に、もしかするとお互いに遠慮して踏み出せないでいたのではないかとは
些か好都合に解釈し過ぎているとも感じる。しかし、それでも

「俺も一度や二度・・否、何度でも挑んでみるべきだったか。」
「なんのこと?!何に挑戦するの!?」

一歩、夏が歩を詰めるとほのかは後ずさった。それは気後れか拒否の表れかと
夏は迷いを生じた。またもや怖気付いてしまったのだ。験しに自分を煽ててみる。

”何度でも・・諦めないって選択肢なら、割合得意なはずだろ、夏?!”

「冷めても・・途中で飽きても構わねえから・・俺と付き合えよ、ほのか。」
「・・・・・えっ・・・・!?」

真っ直ぐに目を見て告げることに成功した夏は言ってみると意外にも清々した。
何だ、もっと早く言ってりゃ良かったなと思うくらい悪くない気分だったのだ。
ほのかは夏の突然の告白に鳩が豆鉄砲を食らうという状態でぽかんと立っていた。
数秒経ってもほのかは動かない。夏も終いには”あ、これは振られたな”と思う。
或いは引かれたかと夏は考えた。それでも言ったことを後悔はしなかった。

ドサッと音がした。足元にほのかが鞄を落としたのだ。驚く前に受け止めた。
ほのかが飛び込んできたからだ。反射的に抱きとめ、鞄が落ちた拍子に開くのを見た。
”うわ、中身が・・”とぶちまかれた物の心配を先に頭に思い浮かべてしまい、
首に纏わり付いたほのかの柔らかな髪や甘い香りに気付くのが遅れた。タイムラグで
それらを認識すると急に焦る。なんだ、これは!この状況はひょっとして・・!?

「冷めたりしないもん!・・そんなのこっちの台詞じゃないかあっ・・!!」

耳に届いたほのかの声は涙交じりで少し震えていたがはっきりしていた。
ぎゅうと力任せに首を絞めるので夏はほのかを抱えなおすと耳元に返す。

「なら付き合うか?ほのか、顔見せろよ。」

びくっと反応は返ったものの、ほのかは顔をあげる様子を見せない。

「お前に冷めることも飽きることもない。・・俺はな。俺が信じられねえか?」
「・・・んじて・・いい?ほのか・・こわくて・・なっちに・・ふられるのが」
「ふられると思ってたのはこっちだ。ふっ・・お互いさまってやつだな。」

ほのかの首が左右にぶんぶん揺れて、くすぐったさで夏は首を竦めた。

「おいそれってどっちなんだよ、イエスかノーか?」
「・・つきあう・・つきあって・・?なっちぃ・・」
「そうか、よかった。・・にしてもお前、重くなったなあ。」

がばっとほのかが顔どころか体を勢いよく引き剥がした。顔が真っ赤だ。

「おもくないもん!中学のときよりは増えたけどっ・・なっちのばかあっ!」
「ああ、別に悪く言ったわけじゃ・・重くなったなと喜んだんだ。」
「喜ぶなあっ!ひどい・・ばかばか・・デリカシーゼロ!!いーーーっだ!」
「なんだよ、付き合うってのナシか!?俺は諦めねえことにしたけどな!」
「まっ真似するなっ・・ほのかだって・・あきらめないんだから!ねっ!」

ほのかはぐいと涙を拭うと、夏を睨み付けるように決然と言い放った。
夏もそれに負けずニッと口元を弛め、行き交う視線から微笑みが零れた。
気恥ずかしいけれど、心地良い。探り合うより簡単な心の交換。それは長年に
渡って育んだ友情も手助けしているのかもしれない。そう思うと共に嬉しかった。
ほっと肩から荷を下ろした気持ちになった夏はうっかりするとほのかを抱き寄せて
周囲に構わず口付けでもしそうな自分に気付いて視線を外した。外した先にあった
ぶちまけられたほのかの鞄と中身を拾ってやるかと屈みこむ。するとほのかが
慌てて自分で拾おうと手を伸ばし、夏とゴツンとぶつかってしまった。

「いたっ!・・なっちの石頭!おでこイタイ・・;」
「意外に広いデコなのにな?」と何気なく夏が摩ろうとすると

「おでこ広いとか、重いとか・・なっちはほのかのこと好きじゃないのかいっ!?」
「それと好き嫌いと何の関係があるんだ?!わけわかんねーこと言ってんなよ!?」
「なんだとー!?」

結局そこからまた口論が始まった。以前と少しも変わったところがない。
付き合う前もこれからも大した差がないことに二人が気付くのも多分遠くない。
そしてそれがとても幸福な日常だと夏とほのかの両方ともに認識するのもだ。







片恋を書いたときもご指摘がありましたが、今回も片想いじゃなかったという・・;