「掠めるようなキス」 


涼風が頬を撫でていったように微かで、
不意を突かれてはっとする、そんな唐突さ。
掠めたのはそんな風だった。途惑う間もない。

ほのかがぽかんと口を開けてオレを見ていた。
オレもしばらくの間そんな風だったのだろう。
間近に迫った大きな瞳が驚く自分を映していた。

間抜けな顔をして二人して沈黙の狭間に佇んで。
結局その緩く張った糸を切ったのはほのかの方だった。

「あ、あのさ・・今・・くっついた?一瞬・・」
「・・くっつくっつうか・・掠ったんだろ?」
「そ、そっか!びっくりした。その・・事故みたいなもの?」
「まぁ・・そうだな・・」

ほのかがさっきのことを打ち消したいのなら、仕様のないこと。
オレも意図して顔を近づけた訳ではなかったし、ほのかもそうだ。
勢いよく振り向いたほのかの口元がオレの同じ箇所を掠めた、ただそれだけ。
動揺したことは隠せただろうかと少し不安もあったのだが、
ほのかの顔にはもっと動揺が見えていて、オレの不安などどうでもよくなった。
もしオレのことを”兄キ”や”友達”みたいに思っているのなら、
それを”事故”で済ませたい気持ちはよくわかる。そしてその通りなんだろう。
だからほのかの気持ちに添ってやるつもりで話を合わせたのだった。
なのに雲っていたほのかの表情は晴れるどころか、辛そうにも見えた。

「・・なっつんさぁ・・キス、したことある?」
「今みたいのなら・・妹とだがな。」
「そうか。それならほのかもお兄ちゃんとしたことあるんだ。」
「・・覚えてないようなちっさい頃だろ?」
「そう。それ以外はほのかはしたことないよ。」
「じゃ一緒だな。」
「そうかぁ・・なっつんはなんとなく、したことあると思ってた。」
「残念ながら。」
「残念?したかったことあるの?・・ほのかは・・あるんだよね。」
「キスしたいって・・オマエが?誰とだよ!?」
「う・・・んとホラ、したことないからどんなかな〜ってさ。」
「へぇ・・」
「でね、ぬいぐるみのクマとしてみた。」
「ぬいぐるみ?」
「そう、バカみたいだなって思ったけどね!?」

ほのかはちょっと照れたようにははっと笑い混じりにそう言った。
キスしたいなんてことをほのかが思うと聞いて軽くショックを受けた。
子供っぽいイメージが強いせいだろうか、そのくらいのことは普通だろうに。
そしてもっと気になったのは本当はそうしたいと思う相手がいるのかということだ。
気が引けて聞けなかったが、頭にはその質問が渦巻いた。

「ほのかね、・・好きな人とキスしたいな。」
「そっ・・そりゃ・・普通そうだろ。」
「そうだよね。なっつんもそう?・・今までに好きになった人いた?」
「・・・オマエ・・キスしたいヤツがいるのか・・?」
「ほのかが聞いてるのに。なっつんが言わないならほのか教えない。」
「オマエの兄キはソイツのこと知ってるのか?」
「えっお兄ちゃん?・・・知ってる、けど・・」
「・・・オレも知ってたり、するか?」
「なんで?」
「いや、別に。」
「気になる?」
「別に。オレには関係ない。」
「・・・ふぅん・・」

寂しそうに伏せたほのかの睫が頬に影を落とす。驚くほど大人びた表情に見えた。
そんなほのかを知らない。そう思うとまた揺り動かされたように鼓動が早くなる。
どうしてそんないつもと違う仕草をする?まるで知らない女のように。

「不思議だね、好きな人とは・・想像しただけでもドキドキするよ。」
「ソイツのことが・・好きだからだろ?」
「!?・・そ、そだね。やっぱりなっつん好きな人、居るんでしょ!?」
「・・そんなこと言ってない。」
「嘘。・・・どうして嘘吐くの?」
「嘘なんか言ってねぇよ。」

伏せたほのかの顔を上げたくて、頼りなく震えるような肩を抱きたくて、拳を強く握る。

「あっあのさ!」

話題を変えようとしたのか、ほのかは顔を上げた。張り付いた笑顔は強張っていた。
オレは相変わらず平静な振りをしながら、ほのかの次の言葉を待っていた。

「さっきね、ちょっとどきどきしちゃった。なっつんなのに。」
「・・好きなヤツでもないのに、ってか。・・悪かったな。」
「あ・・の・・」
「出会い頭ってヤツだ。さっきのはカウント外だと思え。」
「ウン・・・そうだね・・」
「何そんな泣きそうな顔してんだよ。気にするなって、あんなのはキスじゃねぇよ。」
「そう・・掠っただけ、だよ・・ね・・・」

今にも泣きそうな顔のまま、ほのかは言葉を途切れさせ、また俯いてしまった。
どうしてだ?嬉しそうには見えなかった。そのことにも胸を突かれたのに。
あんな一瞬の出来事でオレはどうしてこんなに変になっているんだろう。
ほのかもだ。いつもと違う顔して、オレから目を反らすのは何故なんだ。
ほのかはもしかしたら、あんなことでも好きなヤツに悪いとでも思ったのだろうか、
そう思い当たった途端、握られていた拳から怒りの感情が溢れ出した。

「・・・むかついてきた。」
「・・?!・・なんで・・?」
「オマエ、ソイツのことは諦めろ。」
「えっ!?誰のこと?」
「キスしたいヤツがいるんだろ!?オレじゃない、誰かと。」
「え?え?・・ちょっと待って、なっつん?!」
「オレ以外の男は全部諦めろ。」
「あの、なっつん・・なんで怒ってるの?」
「怒る?怒ってんじゃねぇ!むかついてんだって言っただろ。」
「ほのかのせいで?」
「そうだよ、クマとかとするのもやめろよ。」
「・・練習のこと?」
「とにかくオレ以外はダメだ。」
「・・そ、そか・・ウン、わかった。」
「あんな掠っただけのことで泣きそうな顔しやがって・・」
「え、だって・・なっつんがあんなのキスじゃないって言うから!」
「違うじゃねーか、あんなの。」
「なっつんとだから、どきどきしたんだよ?!」
「オレなのにとか言ったじゃねーか。」
「あんなちょっと掠っただけでもどきどきしたってことっ!」
「・・・・・待て、オレだと?」
「・・そうだよ・・」
「オレと・・したかったってのか?」
「いっ言わないで、なんかヤダ!」
「・・・んだよ・・・焦らせやがって・・」

「・・キスしてよ、なっつん。」
「・・いいのか?」
「ウン・・・」
「想像と違ってたって、泣くなよ?」
「もう想像なんてしないもん。ホントにしてもらうから。」

ほのかは溜まっていた涙をぐいと拭うと、挑むようにオレを見た。
負けないようにオレも見つめた。ほのかはゆっくりと目蓋を下ろす。
やけに心音が響いてきて、何緊張してんだ、と自分に突っ込みを入れる。
触れたかったのではなかったか、ほのかもそうだと言った。だから、いいんだ。
そう自分に言い聞かせたが、飲み込んだ息がみっともなく喉を鳴らした。
おかしくなるほどぎこちない仕草でオレはほのかの頬をそっと手で引き寄せた。
さっきと同じくらい微かに触れて、すぐ離した。その柔らかさに驚いて。
ほのかの瞳が開くと視線が絡む。気恥ずかしさで頬が弛んだ。
それはオレだけではなかったようで、ほのかもふっと微笑んだ。

「・・笑うなよ。」
「なっつんこそ。」
「うっせぇ・・」
「思ってたのと違う。」
「え?」
「なんだか・嬉しいね?」
「・・・ばぁか・・掠っただけじゃねぇか、今のだって・・」
「離したのはなっつんだよ?」
「む・・」

ほのかの可笑しそうな顔が憎らしくて添えていた手で頬を抓った。
痛いと小さく悲鳴を上げた場所にも触れて、もう一度。
今度はさっきよりはぎこちなくなかった・・はずだ。
掠めたのは”オレも思ったよりも・・ずっと・・”そんな想いだった。
微かに震えたほのかの睫と指先、そして二人分の想い。
きっとオレたちはずっと・・・忘れない。








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