「駆け抜けて」 


おかしい。ほのかは首を傾げ眼の前を凝視していた。
道を間違えたか考えてみるが、間違ったと思えない。
数メートル前にほのかはとある角で何かにぶつかった。
ごめんなさいと咄嗟に謝ったが、辺りには誰もいない。
しかし確かにぶつかってよろめいたのだ。おかしなことに。
躓いたのではなく”何か”にぶつけた額もじわりと痛い。
まぁいいかと前方を向いて歩き出すと、さらなる違和感。
あれっ?と思った。どこか違うのだがどことはわからない。
強いていうなら空気が違うと思った。変なこともあるものだ。
だがわからないものはしょうがないと再び歩き出した。

馴染みのお屋敷に差し掛かったとき、声が聞えた。
そこは谷本邸の庭に面した生垣だ。庭に見知らぬ人物が居る。
それも女!?ほのかは今度のことには心底驚いて立ち止まった。
生垣の隙間から覗き見しようとしたがほとんど何も見えない。
小柄なほのかにならばなんとかなる場所を思い出して移動した。
まるで猫のコのように狭い隙間に苦労して頭を突っ込むと・・
庭に居る人物が遠くに窺えた。誰だろう?見たことがない。
そもそも谷本家の当主である夏は一人暮らしで人間嫌いな男。
彼が普段女を連れ込んでいるとは思えない。昼間に限っては無い。
どうしたことだとほのかは混乱し、目の前がぐるぐる廻り始めた。

その場を抜け出し途方に暮れた。今から訪れるはずだった場所。
そこは夏と自分と二人だけの空間だと感じていたところだった。
それなのに親しげにお茶を飲んでいるように見えた女と・・夏。
髪が短いのでおかしいなとは感じたが、男は夏に間違いなかった。
青天の霹靂とはこういうのを指すのだろうか、ほのかは胸騒ぎがした。
門の前で立ち尽くした。間違いなく谷本夏の自宅だ。それなのに
入れない。そんな気がする。見えない圧力で押しつぶされそうだった。

どれくらい門の前に居ただろうか。ほのかは帰るきっかけも掴めず
ぼんやりと佇んだまま時間が経ってしまった。お腹も空いてきた。

「帰ろうかな・・」

そう呟いたとき、いきなり門が開いたのでほのかは飛び上がった。
しかし驚いたのはその門を開けた男も同様で、信じられない顔つきだ。

「・・・・ほのか!」
「なっち・・?!あっあれっ・・?違う?」

さっき庭で見た男だから夏のはずだ。遠目で僅かに見えただけだったが。
ところが眼の前の人物は、夏より歳がもっと上で・・しかしよく似ている。
親戚の誰かかと思ったが、彼は天涯孤独だったはずだと思い出した。
ほのかをじっと見つめていた男は不安そうに立ち竦むほのかに声を掛けた。

「・・とりあえずなかに入れ。お腹空いてないか?」
「ねぇ、おじさん誰?ここの家のなっち・・夏くんはどこ!?」
「今はおじさんの家なんだ。ってかおじさんか!まだ若いんだぞ?!」
「なっちにそっくりだね。なんだかなっちが大人になったみたい。」
「そりゃそうだ。オマエは・・こんなちっちゃかったっけな。」
「あ、そうか。名前呼んだってことは・・ほのかのこと知ってるんだ。」
「あぁ、よく知ってる。」

門をくぐって玄関まで来たところで、その男は立ち止まり何か考え込んだ。
少し思案した後、「いいのかな?本人同士会っちまっても。」と首を捻った。
どういう意味なのかほのかにはわからなかった。家の中が色々と違っている。
昨日の今日で模様替えなど在り得ない。遅くまで遊んで送ってもらって帰った。
おかしいなぁと家の中をきょろきょろと見回していると奥から誰かやって来た。
びくりとした。自分の母親に良く似た女性が目を丸くして立っていたからだ。
母親よりは若い。けれど・・そっくりだ。見つめているとにっこりと微笑んだ。

「ほーら、当たりだ!日記に書いておいて良かった。」
「しかし驚いたぜ。どう見てもほのかだしな。」
「フフン・・あ、ほのかちゃん。初めまして!」
「はじめまして・・誰・・?」
「えー全然わかんない!?」
「なんでここに住んでるみたいなの!?ねえなっちはどこ!?」
「落ち着いて。あらら・・」

堪えていたが涙が零れた。ここは違うのだとそれだけはわかった。
帰りたい。自分の知っている夏のいる場所に。そう強く願った。
えんえんと泣くほのかに優しい女の手と声とが掛けられた。

「大丈夫、送って行ってあげる。間違ってこっちに来ちゃったんだよ。」
「ここどこ!?なっちの家にどうして二人で住んでるの!?」
「えっとね、今日のこと書き留めておいてね。ほのかのいた処から+10年だよ。」
「え!?ぷらす・・?」
「お茶飲んでからにする?早い方がいい?!」
「帰りたい・・」
「う〜ん・・変えない方がいいかもだよね。じゃ、行こうか。」

見守っていた男もほのかの手を取って再び外に出た女も名残惜しそうだった。
あーもっと一緒に遊びたかったなぁなどと女はぼやき、男に慰められていた。
しばらくするとさっき何かにぶつかった曲がり角にやってきた。

「私はちゃんと帰れたから大丈夫。じゃあね、あっちのなっちにヨロシクね!」
「え?あっちの・・?って・・」

どんと背中を押されてよろめいた。すると視界がぼやけて・・眼の前の二人が
手を振って笑いかけている姿が消えていった。その後どすんと尻餅をついた。
ぼけっとしばらく道の上に座り込んでいたほのかはお尻が冷たくなって立ち上がる。
空気が変わった。”今”だ。なんとなくそう理解した。自分は帰ってきたのだ。
不思議なことに、今さっき通り抜けてきた角を曲がっても何も起こりはしなかった。
”なんだったんだろう?よくわかんないけど・・よかった!戻ったんだ。”
ほのかはほっとして笑顔になると、急いで駆け出して今の夏のいる家を目指した。
玄関チャイムを躊躇なく鳴らし、「煩い!」と出てきたその姿が懐かしい。

「なっちーっ!ただいまっ!!」
「は?」

ほのかは懐かしい夏に飛びつき、しがみついて頬擦りした。
事情を知らない夏はいつもと違うほのかに途惑いながらも髪を撫でた。

「どうしたんだ?なんか嬉しそうだな。」
「なっち!なっちは大人になってもかっこよかったよ!」
「はあ?!何を言ってるんだよ、夢でも見たのか?」
「そんでね、ほのかおっぱい大きくなってた!やったね!」
「はいはい、そりゃよかったな。」
「信じてよ!名前聞かなかったけど絶対そうなんだから。」
「そうかよ。」
「へへ〜・・夫婦かどうかくらい聞けばよかったなあ!」
「昼間から寝すぎだろ。」
「夢じゃないったら。一緒に暮らしてたよ、アレはもう。」
「誰と誰が?」
「なっちとほのかに決まってるじゃない。」
「一緒に?・・何年後の話だそれ・・」
「10年後だって。」
「へぇ・・」
「10年経ったときびっくりすればいいのさ。」
「オレが?」
「そう、すごくびっくりしてたよ、なっち。」
「はぁ・・そりゃそうだろうな。」
「楽しみだ。大人になったらもう一度ほのかに会えるよ!」
「・・・それは・・面白いかもな。」
「ウン!」

ほのかは戻りたかったのだからいいのだが、今頃になって
こんな機会はもうないかもしれないのに惜しいことをしたかと感じた。
けれどしばらく考えてすぐにこれで良かったんだと思い直した。

「やっぱりすぐに帰ってよかったよ。面白くないもん。」
「・・ホントにそんな・・いや、オレも聞かないことにする。」
「なっちもそう思う?気が合うね。」
「・・未来は変わるものだしな。」
「そうか。ほのか今がいいよ。」
「それにしても・・迷子にも程があるぞ!捜せないとこへ行くなよ。」
「ウン!怖かったよ。今のなっちがいないとこなんて絶対ダメだね。」

ほのかは一度ブルッと身震いして、また夏を抱き直した。
いつもなら、離せと怒る夏なのにそうせずにほんの少し抱き返した。
俄かには信じ難い話だというのに夏はそれがほんとうのことだと感じていた。
そしてどういう運命の徒かわからないが、ほのかが戻れたことに感謝した。
10年ほど先に再び会えるなら、きっとそのときも感謝するだろう。
出会えた奇跡を。当たり前では決してない、ほのかのいる今を。
夏が珍しく抱きついても怒らないばかりか、抱きしめ返してくれたことで
ほのかは嬉しさとくすぐったさを感じていた。大人になっても変わらなかったな、
そう思い出してもいた。驚いてはいたけど大人の夏からも優しさは伝わってきた。
そしてその傍で幸せそうに微笑んでいた、初めはわからなかった未来の自分。
嬉しかった。当たり前のようにこうして傍にいるけれど、未来はわからない。
さっき夏もそう言っていたが、ほのかもそんな先のことなど予想していなかった。
しかし望めばそんな未来もあるということだ。離したくない。そう思った。
同じように夏もそう思っているといいなと。けれどそれを尋ねることはしなかった。
わからないから面白いのだ。そうだといいと思っていればそれでいい。
確かめなくてもわかることだからだ。ほのかが笑いかけると夏も僅かに笑った。







タイムスリップというか、迷い子になったイメージです。
お互いを必要としていればきっと未来も・・そう感じて欲しいなと。