鍵 


止め処なく溢れる涙にほのかの首も胸元も濡れていく
奥歯を強く噛締め 硬く拳を握り締めて耐えた
抱きしめたくて疼く腕 抉られるような胸の痛み
それでも”もうこれ以上触れてはならない”
その言葉を必死に紡ぎ出してセーブを掛ける

「・・・泣くな・・帰って来るから・・・」
搾り出された台詞は予定外のものだった
期待させるようなことを言ってどうするのか
それとも期待しているのは自分なのだろうか

「・・・ホント?ホントに本当!?」
「・・・あぁ・・だからそんなに・・困らせんな。」
「・・ウン・・」

ほのかは縋りもせずにずっとオレを見ていた
一途な瞳でまっすぐにオレの瞳の奥を
嘘は吐けなかった 暴かれてしまうとしれた
いつもならオレに簡単に身体を預けるのに
身構えたことに気付いているのかいないのか
縫い付けられたようにその場を動かない
ほっとする反面でオレの腕は痺れたようだ
”どうしていつもみたいにオレに触れてこない?”
そうして欲しくないくせにそんなことを思った
ほのかは零れ続けていた涙を乱暴に自分の腕で拭った
制服は雨に打たれたように染みだらけになった

「大丈夫か?・・・帰れるか?」
「ウン・・あ、雨降って来た・・!」
言われて窓に目を向けてから雨音に気付いた
「・・降ってきちまったな。」
「あのね、やっぱり送ってくれる?なっつん。」
「あぁ、わかった。」

いつもの喧しいほのかの声が無い帰り道
オレの腕に凭れるように廻される両手もやはり無い
傘を差していたから だとしても
二人で黙々と慣れた道程をゆっくりと歩く
涙の染みは雨に紛れたのか乾いたのか
横顔を覗いてみると赤い目尻が目に入る
目を反らし何も言えずにまた歩き出した

家の前まで来るとほのかが口を開いた
「なっつん」
「・・何だ?」
「前にお掃除中にほのかが見つけた鍵・・」
「・・ウチのスペアキーのことか?」
「アレ・・まだあるよね?」
「あるにはあるが・・・」
「借りとけばよかった。そしたらお掃除しに行けたのに・・」
「掃除なんかして怪我したらどうする?いらねぇよ。」
「あのお家で待ってたい。」
「・・・・」

前にほのかが偶然に見つけた家の鍵の予備
オレ自身置き場所すら忘れていた
捨てろと言ったがほのかは抗議した
「ダメだよ、もし落としちゃったときとか困るじゃんか。」
「オレはオマエみたいなドジはしねぇ。」
確かそんなやり取りをした覚えがある
結局元の場所へとその鍵は収められた

「なっつん・・早く帰って来てね?」
「待ってなきゃいいだろ?」
「待つよ。」

コイツの頑固なことを知っているオレは黙った
「・・勝手にしろよ・・」
ほのかと目を合わせないようにそう言った
「・・風邪引くなよ。」
「ウン・・なっつんも・・気をつけてね。」
元気の無い声と今にも泣きそうに歪んだ眉
涙が零れる前にと 急ぎ足を元来た方へと返す
背中に視線を感じながら「じゃあな・・」とだけ
逃げるような勢いで足早に去った
追いかける声も足音もしないことを確かめながら
しかしアイツの視界から消えたであろう場所まで来ると
立ち止まった 見えない何かに呼び止められたように
”アイツは今 泣いている”
そう思うと踵を返し 戻りたい気がした
帰ったらすぐに準備して家を出ようと決めた
また少し歩調を速めたがきっと逃れられない
”これ以上アイツに執着してはならない”
”アイツはオレのものじゃないんだから”
自分に言い聞かせた言葉に愕然とする
身体が急激に冷えていく 雨のせいではなかった




小さくなる背中 いつでも追いかけたい背中
行ってしまう 去ってしまう どこか遠くへ
涙がどこから湧いてくるのかわからないけれど
この雨のようにいつか乾いてしまうのだろうか
いつまでも降り続けて欲しいと思った

部屋へ駆け上がるとドアの内側に座り込んだ
膝を抱えて蹲る このまま小さくなって消え去りたい
あのひとに必要とされない自分なんか要らない
私は思いあがっていたのだ 傍に居てあげなければなどと
全然違った 私が傍に居たかったのだ
妹さんの代わりでもなんでもよかった
傍に居ればいつか傷ついた心を癒してあげられるんじゃないかと
・・馬鹿だ・・こんなに自分が馬鹿だとは思ってなかった
”ゴメン、ゴメンよ、なっつん”心の中では伝わらないのに
もう逢えないかもしれない そう思うと苦しさで息が詰まった

夕食も摂らず部屋に篭っていたので家族に心配させた
泣きはらして顔を見せることが出来なかったのだ
翌日が休日だったことを思い出すとまた涙が出た
二人で出かけようと思っていたから
眠れずに一夜を明かした朝、お母さんがやって来た

「ほのか、入るわよ?」
「・・ウン・・」

鍵を掛けておけばよかったと思ったけれど
あまり心配掛けてもいけないとなんとか起き上がった
「お早う。朝ご飯も要らないの?」
「ウン・・ごめんね、風邪引いたのかも・・」
「熱は計ってみたの?」
「え、ウウン・・無いよ、たいしたことない。」
「そう?でもあまり顔色良くないわね・・」
「大丈夫だよ。今日ね、予定無くなったから寝てるよ。」
「・・・そうみたいね。あのね、コレ、あなた心当たりある?」

不思議に思いながらその手の平を見て驚いた
見覚えのある鍵が載せられていたからだ

「どうしたの?!コレ・・お母さん!」
私はベッドを飛び起きてよろけてしまい母親に支えられた
「落ち着きなさい、もうコレを置いていった人はいなかったわ。」
「!!・・・あ・・・」
あれほど泣いてもう枯れたかと思った涙がまた鼻の奥を痛くする
「新聞を取りに行ったときよ。朝の7時頃だったかしら。」
「お母さん・・・」
ベッドに再び崩れ落ちた私の肩に優しい手が置かれた
「ほのか。よかったじゃないの。」
その言葉が意外で顔を向けると母は微笑んでいた
「これ谷本君のお家の鍵なんでしょ?つまり留守を頼まれたのね?」
私はぼんやりと母の言葉に耳を傾けていた
「きちんと預かって待ってないとね。」
「でも・・・なっつんは待ってなくて・・いいって・・」
「こんな風に泣いてたら嫌だと思ったんじゃない?優しいひとだものね?」
「なっつん・・帰ってくるの?」
「だから預けたんじゃないの。」

たまらなくなって私は母に縋りついて泣いた
小さな子供みたいに泣いて撫でられる手にあの人を思い出す
母の胸は柔らかくてあの人とは違うけれど優しいのは同じだった

「ほのか待ってていいんだよね・・?」
「ええ、そうよ。」
「お母さん、ほのかね・・なっつんが好き」
「知ってるわ、ほのかのお母さんだもの。」
「ウン・・ありがとう、お母さん・・」


もう一度初めからやり直せるだろうか?
もしかしてなっつんもやり直ししたかったの?
きっとこの鍵を置いて行くことに悩んだろうに
ありがとう なっつん 私ね 恋したの 
また逢えたら きっとまた恋するの あなたと







次は夏くんサイドですが、彼何処行ったんでしょね?
(無責任な)いやまぁその・・帰ってくるんで・・
終わりそうですが、終わらなかったり・・(^^;