糸電話  


「もしもしなっち?」「もしもーし!」

 あれ、おかしいな?と小首を傾げる。自作の糸電話を手に
ほのかは糸を引っ張ってみたり紙製のコップをつついてみた。

何のために?夏はしみじみとほのかに尋ねたが答えはなかった。
それは秘密だと片目を瞑り、人差し指を口元に押し当てながら。
夏はほのかの手から糸電話をそっと奪うと細部をチェックした。
粗い作りの繋ぎ目をその場でできる限り修整し、それをほのかに戻す。
そして再トライするほのかの声が夏の耳にちゃんと届くのを確認すると

「・・聞こえるようになったぞ。声を大きくする必要はねえ。」
「あっ!?ホントだちゃんと聞こえる!ありがとう、なっち!」

ぱっと輝くほのかの顔に苦笑する。「だから・・意味ねえだろ。」
そうなのだ。こんなに近くで目の前にいるというのに。その上大きな声と
大げさな身振り手振り。ほのかが何の為にわざわざ糸電話をしたがるのか
夏にはさっぱりわからない。付き合いはしても意図が見いだせないままだ。

「ふふーん・・これからわかるかもだじょ。」
「テストの点が恥ずかしくて大声で言えないとかか?」
「そっそんなこと・・ふむ、それも使えるのう・・」

夏の耳に届くほのかの声がいつもよりこもるのは当然だ。しかしながら
不思議に実際の電話より一層近く感じられる。声が囁きのように変わって。

「なんか声がちょっとちがって聞こえるな。」
「うん、そうだね!わーぷしたみたいだじょ。」

似た感想を口にするほのかに思わず笑みが溢れる。耳がくすぐったい。
距離を縮めたくて?夏はふと思ったことに目を瞬いた。己が恥ずかしい。


「なっちい、聞いて?」
「あ・ああ、なんだ?」

ほのかは一旦糸電話から顔を離した。何かを決意したように顔を引き締める。
そのうえすうっと深く息を吸い込むのを夏は不可思議に見守っていた。

「ちゃんと電話を耳に当ててよ。それじゃあ聞こえないじょ!」
「!すまん・・」

夏が耳に糸電話を戻すとほのかはそれを確かめてからゆっくりと言った。

「・・すき。だじょ、なっちい。」

夏の耳元で何かが弾けた。確かにほのかの声だった。
ただ気のせいかいつもよりずっと甘い響きで耳から全身に広がった。
ほのかはちょっと糸電話を離して夏のことをうかがったが、動かない夏を
見つめながら再び糸電話に向かって囁いてみた。

「なっち・は・・?」

それだけ言って返事を待つべくほのかは耳に電話を当て直す。ところが
夏からの返事が待てども聞こえてこない。訝ると夏は電話を手にほのかを
見てぼんやりと立っている。戸惑うような驚いているような表情を浮かべて。

「これならナイショ話みたいに素直に言えるかと思ったんだけど・・ダメかあ・・」

ほのかは意図を呆気なく暴露すると溜息を吐いたものの、ニコリと笑みを浮かべた。
駄目と言いつつもほのかは諦めていないのか、またもや糸電話を手にすると

「もしもーし、応答願うんだじょ。これからも一緒にいてね?どーじょー。」

新たな問い掛けをして今度こそと糸電話を耳に戻す。と、ようやく夏が動いた。
のろのろと彼らしくない緩慢な動作で糸電話を持ち直すと口元にそれを当てる。
躊躇いがそうさせるのか、それとも緊張しているのか夏の声は中々出なかった。
しかし辛抱強く待つほのかの耳にとうとう夏の声が響いてきた。

「・・・ばかめ・・」

思わずむっとして皺の寄った低い鼻に夏が苦笑を漏らす。だがほのかが文句を言う前に
夏から次の言葉が届いた。ほのかはそのとき危うく電話を落としそうになった。

「一緒にいろと、おまえが望むならいくらでもいるぞ、ほのか。」

耳を通り越して夏の声は胸の奥にすとんと落ちた。ほのかは落ちた胸元が熱いのを
確かめるように手を当てた。そして間違いないと確信して夏を振り返ったのだ。
そのとき手にクンッと重みが加わった。糸電話を夏が離したためだ。慌てて持ち直し
それから顔を上げると夏が目の前から姿を消していた。えっと驚いて夏を探した。
電話を落としたのに気付かないまま、ほのかは見つけた背中を追いかけた。

「こ・こらあっ!いるって言ったじゃないかーっ!待ってなっちいっ!?」

ほのかの叫び声が冬の空気を震わせる。糸で繋がれていなくともその声は夏を
捕まえて立ち止まらせた。すかさず飛びついた。背中からしがみつくほのかは
必死で声を張り上げた。「待って待って。行かないで!なっちなっちなっち!」

「困らせたんならごめんだじょ!なっちってば。ねえおいてかないで!」

目を閉じてしがみついていたほのかの前髪を優しい手が撫でた。それでやっと
ほのかは騒ぐ胸を押さえつけ、おずおずと顔を上げて夏を見た。

ほのかのことを心配そうに見下ろしている夏と目が合った。
泣きそうだった心はそのことに安堵して泣き笑いの顔を作った。

「・・なっちどこへもいかない?ほのかカンチガイしたの?」

ほのかの前髪を撫でていた手が離れ、その手が夏の口元を再び覆い隠した。
夏の顔を半分以上隠してはいたが、そこからはみ出した頬はとても紅い。
照れていたのかと思うと一層身体から力が抜け、ほのかの口から息が吐かれた。

「もうっ・・心配させてからに!なっちのおばか!ダイスキ!!」
「うるせえ!何度も言わんでいい。」
「なっちはまだ言ってないじょっ!」
「・・糸電話どこに落っことしてきたんだよ。」
「やっぱり直接言えばよかった。なっちも直接言いなさい。」
「あれって何のためだったんだよ、マジで。」
「だからあ・・なっちと遠いからさ・・近くなろうと思ったのだ。」
「だからばかだと言うんだ。そんなこと気にするなんてらしくもねえ。」
「そんなこと言うけどチビってたいへんなんだじょ!」
「でもまあ・・別の効果はあったかもな。」
「え?なんのこと?」

 耳から入ったほのかの言葉は細い糸を辿ってきたからだろうか、夏のなかに
すっと抵抗なく入っていった。普段聞いている声なのにどうしてだろう、それは
無邪気さに隠れて見えていなかったほのかという女の真の姿を映している気がした。

「おまえも・・恥ずかしかったんじゃねえのか?」
「ええと、まあ・・ちびっとね。」
「そんで・・らしくないと思ったんだな。」
「ほのかじゃないみたく聞こえたってことお〜?」
「まぁな。」
「ふ〜ん・・で、お返事は?」
「う・しただろ・・!」
「一つ落っことしたよ。すきのお返事!」
「い・いやおまえそれはその〜・・・」
「糸電話拾ってこようか〜・・?」
「〜〜〜〜しょうがねえなあっ!!」


 夏の腰にあったほのかの両腕は解かれた。糸電話の代わりに
ほのかの耳には夏の手が当てられた。夏の手のひらが耳を覆う。
自らの手の甲に触れた唇はわずかな振動をほのかの耳を揺らした。

 届いたのは声ではなかったが、ほのかには聞こえた。
微かに震えた夏の手のひらを通してちゃんと響いたのだ。

ぱっと離された手を小さなほのかの手のひらが追いかけて掴んだ。
お返しだじょと小さく呟いて夏の手の甲にほのかが唇を押し当てる。
さっきと同じ振動が伝わった。今度もまたそれが夏を真紅に染めた。

 唇が震わせたのはほのかと同じ声の形をしていた。








とっても恥ずかしいものを書いた気がしてますが・・後悔はしてませんよ!(^^)