HOLD UP  


「やった!?目標撃破だあっ!!」

”・・・除けないでやったんだ!”
と夏は怒鳴りかけたが、結局はその言葉を呑み込む。
ほのかの水鉄砲の攻撃で頭からかなり濡れてしまっている。
手前勝手な勝利にはしゃいでくるくる飛び回っている様子は
仔犬のようだ。夏はそんなことを思いほのかの方へ目を向ける。
彼女は学校指定の水着を着ているが、そこは谷本家の風呂場だ。

「ひゃははっ!水もしたたるイイ男だねっ!?」
「・・おい、もう時間だぞ。」
「あれっこのままでいいのかい!?ちみは負けない人でしょ!?」
「・・キリがねぇ。後は一人でやってろ。」
「付き合い悪いー!もっと遊ぼうよ〜!」
「充分付き合っただろ・・」

夏が呆れ顔で大抵の家よりかなり広い浴室を退こうと背を向ける。
するとその背中にまたもや水責めがあったが夏は見向きもせず。
ちぇ〜っと落胆の色濃いほのかのぼやきにも反応は示すことはない。
ところが、ほのか自身も気付かないような小さな物音で夏が突然振り返る。
同時にほのかの体勢が崩れ、そのままでは完全に転ぶであろう場面だった。

「・・・あっぶなーっ!!ありがとー・・」
「・・・・・」
「そんな怒らなくても・・おかげで助かったよ。」

ほのかは抱き上げられ、見上げている夏の表情を見て肩を竦めた。
ちょくちょくこういう場面はある。その度に夏が素早く救助するのが定番。
今回も夏はどのように危機を察したのかは不明だがしっかりと間に合った。
しかし無言で圧力を掛けてくる。つまり不注意なほのかにおかんむりで。

「ごめんよ、なっちぃ・・」

抱き上げられて上からの目線だがほのかにしてはしおらしく頭を下げた。
そしていつまでも下ろしてくれない夏に怪訝な顔で首を傾げながら問う。

「なっちってばぁ、黙ってないでなんか言って。怒っていいからさ!」

何時になく夏の怒りが解けない。ほのかは少し暴れてみるがびくともしない。
というより、この状態はもしかして態となのではとほのかは推理してみた。

「これってお仕置きなの?・・このまま下ろしてくれないとか?」

だんまりの夏はさっきからほのかをじっと見つめたまま動こうとしない。
密着した肌が水着越しとはいえ、今さらに意識されてきてほのかは焦った。
困ったなぁと内心焦り始めた頃、ようやく夏の腕の戒めが弛んでほっとする。
しかしそれは瞬時に打ち消された。下ろされたと思ったら再び動けなくなる。
夏によって抱きしめられているのだと理解したのは数秒経った後だった。

「あっあのっ・・なっち!?えっと・・えと;」

さっきは単に抱き上げられていただけだった。夏がいつもそうするように。
両手は拳に握られていて、接触場所を極力控えているかに見える抱き方だ。
その普段の夏の行動とは違ってほのかは驚き、そしてあることに気付く。
不意に抱きしめられて、まだ発達途上の胸が潰れ、多少の痛みを感じた。
そしてこんな風になっていることを夏はわかっているのかと想像すると・・
途端に体の頭から爪先までもが熱くなったような気がした。恥ずかしいのだ。
その無遠慮な抱擁に泡を食っていることを、夏が気付いていない訳はない。
しばらくして夏はほのかを解放した。真っ赤に茹だっているほのかに視線を送り

「・・お仕置き終わりだ。」と告げた。
「やっぱりお仕置きだったの!?はぁ〜・・びっくりした。」

ほっとした表情を浮かべるほのかの顔はまだまだ赤く火照っている。
しまったなと夏は思った。が、少し思い知らせたという思いもまたある。
年頃になっても二人きりでもなんの危機感も抱かない少女に警告できたと。
しかしそれは言訳だということも自覚していた。違うのだ、警告ではない。
ほんとうは”知って欲しかった”が正しい。少しは意識しろと伝えたかった。
夏の顔が複雑な想いに陰を浮かべていることにほのかはようやく気付いて

「お仕置き・・になってないかも。ほのか嬉しかったし?」と告げた。

数秒の沈黙。そして夏は「バカ・・何言ってんだ。」と吐き出すように言う。
「ほんとのことだもん。なっちからぎゅうって・・えへなんか照れる。」
「・・・・それじゃ確かに警告になってねぇな。」
「ん?お仕置きじゃなかったの?警告って何さ。」
「わかってんだろ?少しはわかるようになったんだろ、というべきか。」
「前から嬉しがってたよ?なっちからのリアクションは珍しいもんね。」
「けどそんなに照れたりしなかった。前は・・もっと平然としてたぞ。」
「う・・だってさぁ・・おっぱい・・潰れて痛かったから焦っちゃって・・」

「・・・悪・・い・・!」

口から出た正直な感想に夏があからさまに固まったのを見てほのかは慌てた。
夏はそうしようとして抱いたわけではないのだろうと申し訳なく感じもした。

「あ、いやいや今のなし。遠慮してなっちがもうしてくれなかったら困る!」

ほのかのフォローの言葉はフォローにはなっていない。夏は益々困惑顔だ。
ほのかはそれでまた顔を赤くして手をばたばたと振り、混乱を呈している。

「・・とにかく着替えるぞ。体冷えてきてないか?」
「え?ううん、なんか熱いくらい。けど着替えようか・・」

夏に促されてタオルを受け取る。夏の着替えはいつも早い。いつの間にか

「先行くぞ。なんか飲むもの用意しとく。」と言い残して出て行った。
取り残されたほのかはまだタオルで体を包んだままぼんやりと立っていた。
落ち着いてきたらあれこれと思い出してしまい、身動きがとれなかった。

”ほのか間抜けなこと言わなかった!?なっち呆れてたかもだよ?!”
”っていうか!胸!こんなちっさい胸のこと、わかんないでいてくれたほうが!”
”わーっ・・それよりなんかさっきのぎゅうって・・なんか違ったよ!”
”なっちが裸だったから?・・・いやいやいや水着着て・・っでもなんかっ!?”

思い出すと際限なくぐるぐると場面が眼の前に浮かぶ。ほのかはぷちパニックだ。
知っているはずの、よく自分から擦り寄っているはずの腕が腰を引いたときの力。
抗えないと感じたのは、好きなひとだからか、それとも本能が危険を察したのか。

”!!?・・・・スキナ・・ヒト!”

濡れた水着は張り付いて脱ぎにくい。その脱ぎにくいもどかしさは
今の自分のようだとほのかは思いながら必死で服を脱ぎ捨てようとした。
絡まって落ちる重い水着、裸になってぼんやりと自分の胸元を見た。
貧相・・・と呼べるその辺りがいまさらのように恥ずかしくて俯いてしまう。
オマケに胸だけじゃない。夏の腕や体と違って何故にこうも幼いのか?
比べたって仕方のないことなのだが、あまりに違い過ぎて眩暈すら感じる。
どんどん迷路に踏み込んでいるようでほのかはブルブルと犬のように首を振った。
ほのかのクセなのだが、思考力が低下するとそこで打ち切ってしまう。それは
普段なら簡単な作業なのに、そのときはそうしても着替えを済ませても治まらなかった。

なんとなく気まずい雰囲気を携えたまま、ほのかは居間へ戻ってきた。
既にテーブルには冷えて美味しそうな飲み物がコースターの上で待機状態だった。
美味しそう!とそこはいつものノリで言えてほのかはソファへと座り込む。
ところが、夏の方をまだ見れていない。困ったことに動悸がさっきから襲っている。

”なにドキドキしてんだ、ほのかってば。おかしいな、どうして・・?”

困っている様子のほのかを見詰める夏の瞳にも困惑と途惑いが映る。
抱きしめてしまった体は確かに以前より女になっていて、中身もまた変わっている。
そう確信してしまう。どうすれば自ら招いたこの状態を収拾できるのか、そして
どうしたいのかと自らに何度も問い掛けてみる。夏はほのかを困らせたかったのでは
ないのだ。少しばかりそう思ったかもしれないが、これ以上は罪が重いと感じる。

「美味しい!冷たいしさっぱりだね!?」
「そうか。おかわりするか?」
「ウン!するする!」
「じゃあちょっと待ってろ。」
「今度はほのかが持ってくる?」
「いい。その間にオマエは・・そうだ、宿題は?」
「うげっ・・・そういやあるんだった!」
「見てやるから準備しておけ。」
「うぇえ〜・・・りょうかーい・・」

可哀想な程にほのかのテンションが下がった。夏はそれを見てほっとする。
こんなときはそれでいいと夏は学校教師に初めて感謝に似た思いを得た。
まだ早い。そうなのだ。ほのかをどうこうしようなんて輩は断じて許せない。
そこには自分自身も含まれている。不埒なことを考えたと認めるようなものだが
それでもなるだけそんな不届きな感情や本能的な行為から遠ざけたいのだ。
何故なら・・・

   ”        ”

おかわりの飲み物を用意して戻ると、ほのかは頭を抱えてノートを凝視していた。
夏はその姿に苦笑するが安堵もした。これ以上彼女を翻弄しないよう気を引き締める。

「難しいのか?どれ、見せてみろ。」
「ううう〜・・・頭よくないと困るよねぇ・・これです。お願いします〜!」

涙目になっているほのかの頭に、夏はぽんと優しく手を置いた。

「オマエは頭悪くない。慌てるからだ。手順通りにすりゃいいんだよ。」
「ウン・・その手順が面倒だって思うことない?なっちは、」
「・・手順が狂う方が落ちつかないな、オレは。」
「ふぅん、そうかー・・なっちとほのかは逆だね。」
「・・・ああ、これか。いいか?説明するから聞け。」
「はっはいっ!ゆっくりね、ゆっくりお願いだよ!?」
「慌ててんのはオマエだっての。・・ったく・・」


ほのかの大の苦手の数学が片付くと、ソファに大の字になって伸びていた。

「なんつー格好だ。こら、足閉じろ!」
「はぁ〜ああ・・・ハイハイ、お兄さんは元気だね。」
「なんだその老け込みようは。」
「数字とかと格闘するとこうなるの。ほのか消耗したんだよ?慰めてよ、お兄さん。」
「学生が数字見ない日とかあるのか?オマエどんだけサボってんだよ。」
「真面目だなぁ、ちみって。たまにはこう・・・羽目を外したくならないかい?」
「・・・・・あんまり・・」
「マジで!?スゴイな!ほのかなんて外したくていつもウズウズしてるのに!」
「そうかよ・・」
「なっちにオオカミになってもらうのって難しそうだねぇ・・!」
「・・・・ちょっと待て。今なんか不穏なこと言わなかったか?」
「あっ!?ううん、こっちの話。なんかほのかもちょびっと真面目になるよ!」
「そうなのか?」
「ウン、反省したんだ。ほのかまだまだお子様かもって。」
「・・・そうか、殊勝だな。誉めといてやる。」
「へへへ・・そうはいってもやっぱり成長したいな〜!胸とかも・・」
「慌てるなと言ってるだろ、オマエは全く落ち着かないヤツだな。」
「だってさぁ〜!・・・でもさ、なっちに一つお願いしておくよ。」
「何をだ?」

ほのかは夏の傍につつつと寄ってくると、耳元に囁いた。

「・・・たまにはぎゅってしてね?恥ずかしくてもいいから。」

言うとぱっと夏から顔を離して元の位置に戻る。赤い頬は誤魔化せていない。
甘い誘いの言葉に痺れたように夏はしばらく何も言わずにほのかを見ていた。

「・・・オマエには・・・勝てそうにないな。」
呟きは小さかった。しかし浮かぶ眼差しと同じに甘く幸せそうだ。

   ”        ”

想いながら大切な少女に目を細める。そんな夏にほのかもまた照れた笑顔を返した。
夏がほのかを想う気持ちとほのかが彼に対して真面目に応えたいと想う気持ち、
それらはどちらも同じところに源流にある。お互いを尊重するという。

   ”唯一で特別な 愛しい君だから”







ほのかの誘惑にたまに負ければいいと思いマス
※5/23一部改稿