「彼の事情と彼女の秘密」(後) 


大人しくなったほのかと黙り込んだ夏の二人。
室内は穏やかなのに静けさがどこか空々しい。
今ほのかは緊張しているが抵抗はしていないが
抱きとめている夏の腕もそこから動かなかった。

互いの距離は普段と変わっているわけでもないのに
耳に痛い沈黙が何時にない状態だと二人に知らせる。
進むのか、戻るのか、それともここが行き止まりなのか、
埒の明かない不安と焦燥と治まらない鼓動に惑いが増す。

きっとほんの少し、僅かなことで大きく変わってしまう。
選択を違えたくない気持ちと決まりきった答えを殴り捨てたい
そんな想いがぶつかる。どちらもが鬩ぎ合っているのだ。

そんな中、溜息が零れた。夏とほのか同時にだ。
驚いて二人して目を瞠った。可笑しくなってほのかが笑う。

「息ぴったりだったね・・ふふ・・ははっ」
「笑うな、といいたいが・・・・笑えるな」
「あー!なっちも可笑しかったんだ。だよねぇ!?」
「締まらねぇな」
「えへへ・・」
「今なら逃げようと思えばできるぞ。」
「さっき止めたのに?いいの?」
「・・俺は退けとも言っただろ」
「ほのかはここにいたいなぁ」
「逃げないんだな」
「そうだよ」

ほのかの緊張は笑ったことで解れたらしく夏もほっとした顔になる。
しかし直ぐに真面目な顔つきで片手を伸ばすとほのかの頬に添えた。
抵抗はなかった。ほのかが引き寄せられてゆっくりと夏と向き合う。
ほのかの大きな瞳を覗きこむようにした夏が穏やかに言葉を紡いだ。

「お前は逃げるべきなんだよ。俺に逃がすつもりがなくても。」
「・・ここがいいって言ってるのに?」
「お前に選べだなんてのは・・都合のいいことを言ってると思わないか?」

引き寄せられたほのかの額に夏は目を閉じて同じ額を押し付ける。

「こんなずるくて卑怯者の手に落ちたくないと思うなら今すぐ逃げろ。」

夏の言葉は脅しを含んでいるというのに、とても穏やかに優しく響く。
目を閉じた夏は一心に祈っているようにも見えた。ほのかの目には。

「いいか、これが最終警告だ。ここから先は・・逃すつもりは無い」
「なっちが逃げたいんじゃなかったの?ほのかから」
「そうだな、だが逃げられないことくらい知ってる」
「さすがはなっち、それ正解だよ。」

ほのかが夏の鼻先でふふと笑うと夏は閉じていた目を開けた。
笑い声は止まり、ほのかは夏の眼差しに息を飲む。

「ほのかはなっちのこと逃がしてなんかあげないよ」
「気が合うな。俺もそう思ってる。」

にっと不敵に笑ったのも同時だ。触れていた額同士が揺れた。

「ねぇねぇ、ちゅーしようよ。してして。」
「・・・・どうすっかなぁ・・?」
「してくれないの!?なんでよ、してよ!」
「そんなせがまれ方じゃなぁ・・」
「贅沢だね、ちみは〜!ならどんな風がいいの?」
「とりあえず降りろ。」
「ええ!?」

夏は膝の上に居たほのかを降ろしてしまった。ほのかが膨れる。

「なんでなんでっ!?」
「ほのか」
「な、なに?」
「いいか、次に膝の上に乗ってきたら触られても文句言うなよ。」
「?!・・・どこを?」
「そうだな・・まずは脚あたり危ないだろうな。」
「うえ、なんか・・具体的だとヤラシイ・・かも」
「そうそう、そこをもっと自覚しろ。お前さっぱりわかってねぇから」
「そうなの?ヤラシイことしたいの!?」
「対お前だけになら仕方ないと諦めろ。」
「・・えーっと・・まだほかにもある?」
「ある。今度意図的に押し付けてきたらなぁ・・」
「ばれてた?!あ、でもいつもじゃないんだよ?」
「アホゥ」
「・・あとほのかが逃げたら掴まえる?」
「当然」
「おお・・なら逃げちゃおうかな・・?」
「そんなに襲われたいか」
「うん!」

ほのかがあまりにきっぱりと頷き、返事が予想外に真剣だったので
夏は思わず吹きそうになったが耐えた。誤魔化すように咳払いする。

「ほのかからもお願いしていい?」
「あぁ、なんだ」
「黙ってどこにも行かないこと。」
「・・・今更」
「改めて、だよ。それとほのかに遠慮しないこと。」
「遠慮はしてない。配慮だろ?」
「ん〜・・・つまり余計なこと考えないって約束するの!」
「余計って?」
「ほのかがなっちをダイスキなことを疑っちゃぁ、だめ。」
「・・・疑ってるように見えるのか。」
「っていうか・・なんか・・なっちはよく誤魔化してる。」
「・・・・・」
「あ、当たった!やっぱそうでしょ!?正直に言ってごらん。」
「色々と・・」
「具体的に!」
「言・・えねぇから誤魔化すんじゃねぇかよ。」
「もしかしてそれもヤラシイことぉ・・?」
「お前も余計なこと勘繰るのやめたらどうだ?」
「う、だって」
「俺のことも疑ってるわけだな。」
「ちみはもてるから・・心配なのだよ。」
「お互いサマだ。お前もこの頃は特にな」

ほのかの口がへの字になって夏を上目遣いに睨んだ。すると
夏は子供が面白いことを発見したかのように目を輝かせ、鼻を抓んだ。
痛いと悲鳴を上げると離し、夏は赤くなったそこをぺろりと舐め上げた。

「んなっ!?・・なにすんの・・」

「これからはお互いに探りあいは止めだ。それでいいな。」
「なっちにしては前向きな提案だね。よっし、わかった!」

腰に手を当て夏を指差しながら答えたほのかに夏が顔を顰めた。

「人を指さすなと何度言わせる・・」
「う・ごめ・・いったあっい!!?」

ほのかは飛び上がった。夏がほのかの指を咥えて噛んだからだ。
びっくりして口をぽかんと開けるほのかに夏の方は澄ましたもの。
言うことをきかないやつには今度から噛むと宣言までして驚かせる。

「噛むのはほのかの必殺技なのに〜!ちゅーは?どうなったのさ!?」
「あ、そうだったな」

ほのかが何かを喚き出す前に夏が口を塞ぐ。またほのかは驚かされたのだ。
離れた後口惜しさと恥ずかしさで真っ赤になったほのかに夏は悠然と告げる。

「ついでに言っておく。お前にせがまれなくてもしたくなったらするぞ、これからは」
「〜〜〜〜〜っ!ほっほのかだって負けないもん!したいときに迫ってやるじょ〜!」
「ああ、それこそ遠慮はいらないからな。」
「なんかっ・・開き直ったなっちは・・可愛くないじょっ!!」

互いに利害は一致したようだが、双方の納得までは時間が掛かりそうだ。
夏は思案顔で、これから人外の輩の探りをどう交わしていくかと考えていた。
ほのかはといえば、憎らしい夏にどうにかリベンジをするべく秘策を練る。
彼らの蜜月は相変わらずなのだが、これからは一層秘めたくなりそうだった。







毎度ばかばかしいお話で・・・;