「光りの地図」 


穏やかな日差しに眠くなるのは当然のこと。
ましてや空腹を充分に満された午後ともなると。
よく寝るヤツだから珍しくないのだが、部屋は途端に静かになる。
窓から零れる光りがカーテンと一緒に揺れて床に地図を作っていた。
自分も少しうとうとしていたが目が覚めたので手持ち無沙汰だ。
だから床に揺らめく光りをぼんやりと眺めてみた。
オレの腹の上ではほのかが規則正しい呼吸でかすかに上下していた。
暇に任せてねこっ毛を一筋すくうと指でもてあそんでみる。
つるっと零れてしまうのでまた一筋すくう。揺らしてみても反応はない。
ほのかの軟らかい頬は厚手の服の生地の上からでもそうとわかる。
軽く握られた小さな手が片方は温かく顔の横に、片方はわき腹を掴んでいる。
しがみついたような格好だ。無意識に両脚を寄せて猫のように丸まっている。
ちらちらとまた光りがカーテンから漏れる。起こすかなと少し気になったが、
おそらくは気付かないで眠っているだろう、閉じた目蓋はぴくりともしていない。
細い睫もまた呼吸で上下しているように思えた。ふっくらした頬に落ちる影。
つられてしまいそうに安らかな寝顔なのに、目が冴えて眠れない。
”ほのか”と普段はあまり口にしない名を声を出さずに呼んでみた。
心なしか唇が動いて小さく「・・ん」と返事が聞えたような気がした。
しかし、ほのかは起きなかった。すやすやとオレの上で眠ったままだ。

寝かせておいて、したいことをすればいいのにどうしてじっとしているんだ?

自分に問いかけてみる。答えはすぐに思い浮かばなかった。

ソファに横たわらせても起きた試しなんかないじゃないか、夏。そうだろ?

そうなのだ。よく寝ているからきっと気付かずに眠っているに違いない。
いつまでも布団かクッションの役目を果たしていなければならないことはない。
悪戯に頬や額に触れても誰にも気付かれることもない、今ならほのかにも。
余計な秘密を増やしたくないのに、どこかで誘うような声もする。
気付かれたって構わない。どうぜコイツのことだからあっけらかんとしているだろう。
それなのにそんなことも出来ず何をしているんだよ?と何度も問いかける。
尋ねているのは自分だ、答えを選び出す必要もない。

「・・・・ん・・」

”オイコラ、いつまで寝てんだ”
”終いにとって食うぞ、と言ってやってるのに・・”
”安心してんのか、それとも待ってるのか?”

温もりのシャワーを浴びた床は光りで鮮やかな色に変っている。
踊るように光りは位置を替え、また戻ってくる。
光りは捕まえることは出来ない。ただ感じて安らぐことはできる。
やがて日が落ちてゆくと消えてしまい、温度は跡形も無い。
夜の居間は昼間とがらりと違う風景になり、居心地すら変えてしまう。
光りは天気次第だが、いずれまた床に新たな地図を描く日もくるだろう。
そしてここがどんなに居心地の良い場所であるかと家主に訴えるのだ。

夜、オマエの居ないこの場所がどんなに寒いか知ってるか?
この世に光りなどないのではないかと思えるほど、暗いことを。
閉ざしたカーテンのせいではなく、夜を支配する闇のせいでもない。

オマエが居ない・・・ただそれだけの理由でこの場所は変るんだ。

それは光りの地図のように曖昧でとらえどころの無い在処。
手にすることも、望みどおりにみることも適わない。
こんなにも今、オレが感じる温もりがまるで幻のように・・・


「・・・ん・・なっつ・・ん?・・おはよー・・・」

ぼんやりと見つめていると、ほのかが目を覚ました。
まだ眠そうな目を擦った後、でオレを見つけて微笑んだ。

「なっつんはお昼寝しなかったの?」
「・・あぁ・・なんか目が覚めた。」
「起こしても良かったのに・・・ありがとう、なっつん。」

自分を起こさないようにしていたと思ったほのかが礼を言った。
そんなことは考えていなかった。寧ろもっと勝手なことを考えていたのに。
莫迦なヤツで、オレのすることを全部善意に捉えるクセがある。
オレだけでなく、どんなヤツであってもそうかもしれないが。

「なっつん、どうかした!?何か怒ってるの?」
「・・・いいや。礼なんか言うなってのに・・」
「あぁ、いんだよ。ほのかが嬉しかったから言ったんだよ。違っててもおっけーさ。」

オレの思ったことがわかったかのようにそんなことを言った。
笑顔はオレを攻め立てる。けれどその笑顔を手離したくないのもこのオレだ。
軽く溜息を吐くと、まだオレの上に乗っかっているほのかをどかそうとした。
するといつもならあっさりと退くくせに珍しくしがみついてきた。

「あー・・待って待って!」
「何だよ、もう起きるんだろ!?」
「うーむ・・なっつんが眠れなかったのに責任を感じたからもう一回寝よう!」
「はぁっ!?莫迦言うな。暇なこと言ってないで退け!オレは忙しいんだよ!」
「えー!?じゃあほのかが寝てる間何してたのさ!?暇で困ってたの?」
「何も困ってな・・いや・・その・・・」
「ん?何だい、何でも言ってごらん。怒らないから。」
「えっらそうに。『起きないから悪戯してやろうか』と思ったんだよ!」
「イタズラ?何するの?こちょこちょとか?いいよー!」
「阿呆。とにかく離せよ、熱いんだよオマエって体温高いし。」
「あったかいと言ってよ。抱っこして寝てくれたりするじゃないか。」
「そっそれは・・・たまに・・だろ!」
「格好悪いと思ってんの?いいじゃん、誰も見てないよ?」
「・・ウッセェ。」
「なんかさっきなっつんが寂しそうに見えたの。だからもう一回。ねっ?」
「寂しくなんかねェよ!!」

一人勝手なコイツはよくオレを莫迦にしたようにそんなことを言う。
腹が立つのだが、うまく言い返せない。少しも自分の考えを疑ってはいない。
オレを離さずにしがみついたままだったから、悔し紛れに抱きしめた。

「むきゅっ!・・やっぱ寂しかった?」
「ちっ・・違うっつってんだろ!?」

ほのかがまた”素直じゃない”とか言いそうで慌てて阻止した。
驚いてしがみついていた手を離したが、今度はオレが捕まえていた。
苦しそうにしているが、赦さずに締め付ける。舌も身体も。
”寂しい”なんて思っちゃいない。そんなもんじゃない。
コイツは脳天気で真の『孤独』なんてものを知らない。
どれだけオレがコイツを・・・欲しているかなんてちっとも知りやしねェんだ。
あまりにも悔しくて、思うままに任せて口を冒した。
抗っても容赦しないくらいの勢いだったのに、ほのかは抵抗しなかった。
必死にオレに掴まってはいた。押し倒されて目を固く閉じていても。
目尻に涙が浮かんで零れ落ちた頃、ようやく解放してやった。
愚かなもので、”ざまぁみろ”と泣かせたことに歓んでいた。

「・・なっつん・・だいじょう・・ぶ・・ほのかずっと傍にいる・・からね?」
「・・・オマエ・・懲りねぇな・・・まだわかんないのか?オレが考えてたことが。」
「ごめん・・寂しいのはほのかなの。もっと傍にいたいよ・・」
「オマエなんか誰だって居るだろ!?いつでもどこでも!」
「莫迦はなっつんじゃんか!!居て欲しいのはなっつんだよ!」

ほのかが噛み付くような勢いで反撃した。目を涙で一杯にして猶も怒っている。
「いつまでいじけてんのっ!?ほのかは嘘吐かないよ!好きだって言ってるじゃないかぁ!」

ほとんど言ってることに意味を成さなくなって大声で泣き喚き出した。
「もお知らないっ!」と両手で顔を覆っておいおいと・・・酷い有様だ。
仕方なく落ち着くのを待った。さっきまでの勢いはどこへやらで叱られた子供のようになって。
ようやく治まってくるとじろりと睨みつけられた。まだ怒っているらしい。
どうして穏やかな午後がこんなことになったんだろうと冷静になってみると恥ずかしい。
もう居間には昼間の日差しはなく、傾いた日が少しずつ影を落とし始めていた。

「・・オマエが帰った後はいつも・・つまらないって思ったんだよ・・正直に言ったぞ!?」

ほのかは黙ってまだ怖い顔をしたままオレを見ていた。
「暢気に寝てるから・・・このまま夜まで放っておいてやろうかとか・・・悪かったなっ!」
「・・・悪くないじゃん。もう・・素直じゃないんだから。」
「くっそ〜・・・!それ言われるのが腹立つから阻止しようとしたつもりが・・」

オレは決まり悪くて目を伏せた。開き直ってみたものの猛烈に恥ずかしくて顔が熱かった。
そんなオレの傍にほのかがまだ怖い顔をしたままやってきて、そっと顔を掴んで正面に向けた。
顔に添えられた両手は思った以上に冷えていたので、つい温めたくて手を添えた。
すると強張っていたほのかが頬を染めた。そしてゆっくりとオレに唇を寄せてくる。
抑えられた手を握るとびくりとした。目を閉じて三度目は二人ともの意思で口付けた。

「・・・なっつん。泊まっていこうか?」
「今日は・・止めとけ。また・・今度な。」
「どうして?」
「うまい言い訳を思いつかねェ・・」
「・・・ほのかも考えておくよ・・」

二人はそう言った後、額をこつんと合わせるとふふっと笑った。
可笑しくなって声立てて笑う。なんてことない、オレはやっぱり寂しがってただけだったのか。
いつもより少し遅くに送って行った。怒られるかもな、と心配していたのだが、
「上がって休憩していく?」と母親にほのかそっくりの口調で言われ、慌てて辞退した。
帰り間際、ほのかがオレに「忘れ物」だと走って寄ってきた。
耳元で「あのね、寂しくても浮気しちゃダメだよ?わかった!?」
心配だからそう言いに来たらしい。「忘れ物」とはそのことだった。
「浮気出来たら・・・苦労してねェよ・・」と溜息交じりに呟いたら満足そうに笑った。
オレはコイツに”骨抜き”にされちまってるらしい。可笑しくなってオレも笑う。
「じゃあ、うまい言い訳考えよう。」と約束して別れた。
もう光りの地図を探さなくていい、地図は要らないと思うと寂しさはどこかへ消えた。