春来たりなば 


 その日も晴天ではあったが花冷えのする朝だった。
だがこの日にと決めたコーデに冬の上着はそぐわない。
ほのかは暦の上では春なのだしとそのまま扉を開けた。
途端にふるりと身が縮む。母親も早いんじゃないかと
言いたげだったが、極力平気を装って出かけて行った。

 ほのかの気合の入り具合とは対照的に夏は冷静だった。 
いつもどおり買い物に付き合うだけなのだということで
あまり気負わないスタイルを選択した。コットンのセーターは
軽いものだが上着は要らないだろうとそこは省いてしまった。

 「なっち〜!お待たせーーっ!!」

そうやって手を振るほのかを一目見た瞬間、ラフな格好を
後悔した。後の祭りだ。夏は諦めて受け入れ態勢になった。
転びそうな勢いで我が元に駆けてくる春の妖精に目を眇める。
羽のように軽いほのかが息を切らせて腕の中に落ちてくると
先日見立ててやったワンピースとボレロの感触が薄く軟い。
内心で舌を打つ。今日着てくると予想しなかった己自身に。
特にジャケットはこの時期外すべきではないと認識した。

 「上着はどうした!寒かっただろ!」
 「うん、だから走ってきたんだよ!」

夏が心配するのはほのかも承知だったのだろう、そして
寒いのでおそらく自宅付近からずっと走ってきたかもしれず
じんわりと肌が熱いことに一層不安になった。夏はとうとう
着ていたセーターをほのかの目の前で脱いで押し付けた。
ぎょっとしたが直ぐに飲み込めたほのかは口を尖らせた。

 「え〜っ!やだよう、せっかくおしゃれしたのに。」
 「風邪引いたらそれどころじゃねえだろ!」
 「大丈夫だよ、今日はなっちに引っ付いとくから。」
 「そんなんじゃそれほど防寒にならねえだろうが。」
 「なっちはあったかいから腕を組めばポカポカさ。」
 「このセーターはコットンだ。それほど厚くない。」
 「いやなの〜!着るならデートの後で着る!」
 「後って家ん中でなら着る必要ないだろ!?」
 「むう・・い〜や〜な〜ん〜だ〜よーっ!!」

「デート」発言がスルーされたことを予想していたものの
ほのかはがっかりした。せっかくのおしゃれも喜ばれていない。
今日こそはと意気込んだ分、落ち込みが来そうだったが耐えた。
いつものことと思えばいいんだと自分に言い聞かせてみる。
夏の過保護ぶりは一生治らないかもと常々思ったりもする。
それを確かめる為には一生こんな関係でいなければならない。
ぞっとしたほのかは浮かんだ不安をかき消して夏にしがみついた。
それもただ寒いからなのだと解釈しているに違いない夏に対して
少々恨みがましい目を向けたが、それすら通じてはいないようだ。

 買い物は早々に済ませて映画を見ることにしたのは夏だった。
これもおしゃれした服の出番のない提案でほのかは不満だった。
しかし珍しくじゃんけんで勝った夏に渋々従った。そこならば
寒くないだろうと夏は考えたのだ。それと可愛らしく着飾った
ほのかをあまり他人の(男の)目に晒さなくて済むとも考えた。
じゃんけんはほのか相手ならば勝ち負けなど自由自在なのだ。

 映画が終わる頃にはほのかはすっかり機嫌を取り戻していた。
それも計算の内だった夏はほっとしながら帰り道をたどった。
お茶するなら夏の淹れたのがいいとのほのかの案に従ったのだ。
相変わらず夏の腕に取りすがっている様子にいつものことだと
己に言い聞かせる夏。親愛はありがたいがそのことに不満もある。
何故なら夏には密かに決めていることがある。そのせいだった。
変わらないほのかの肉親に近い情。それ以上を求めない戒めだ
どんどん綺麗に成長していると感じるのは身内でも同様だろうが
己がその関係を受け入れつつも変化を期待するようになったのは
凡そ3年程前。その頃ほのかはもっと子供子供した子供だった。
だからこそ夏は余計な想いは封印して兄代わりに徹してきた。

 ”ほのかが俺に触れることを躊躇する日は・・来るのか?”

春が来る度にそう疑う夏だ。もしかしなくとも兄でもなくただの
気の置けない友人枠だったとしても二人に春の訪れは無理なのか。
4度目になる春が近付き夏は変わらずに接するほのかを僅かに恨んだ。

 ”だがここで台無しにするわけには・・いかない。”

 そんなことを考えている夏の傍らでほのかもまた考えていた。
日頃は自分が鈍いと称されるのだが、夏はほのかに対してに限れば
相当なものだと感じる。服装も髪型も様々な試みをもってしても
夏はほのかを妹以上に扱うことはなかった。贅沢だとは思っている。
彼の妹扱いというのは他とは違って特上なのだと承知している。
だからこれ以上を望むのは困難だということも。それにしても、だ。
中学を卒業してからほのかも多少子供っぽさから脱却しつつあると
自覚している。夏は少しも感じていない風でそれも実の兄以上にだ。

 ”お兄ちゃんだって最近は心配するようになったんだけどなあ”

敬愛する兄からの大人扱いはほのかに正直とても嬉しいものだった。
だがそれは二人の兄妹という関係性が普遍であるが故かもしれない。
夏とほのかは曖昧だ。そこは友人の範疇なのか、兄妹もどきなのか。
春を期待するのはその後に夏が待っているからだとほのかは考える。
大好きな季節の『夏』その名と同じ大切な『夏』どちらも愛している。
伝えなければいけないとは理解しているが夏は言葉だけでは信用しない。
というよりも「好き」は中学時代から口にしているが暖簾に腕押し。
ならばとあれこれアプローチするものの伝わらず現在に至っていた。

 ”どうしたら妹から抜け出せるんだろ・・?わかんないよ・・”

ぎゅっと腕を抱く手に力を入れてみてもいつもどおり反応はない。
それよりも嫌がられているような気がしてほのかは更に不安になる。
考えなしにしていた頃より勇気を出して寄り添っているというのに。
結局今日もデートといえばそうかもしれないが代わり映えのない一日。
夏の自宅に着いてお茶が香り立つまでの間もほのかの心は揺れていた。
 
 ”触れてもだめ、言葉でもだめ、じゃあどうしよっか?”

 カフェなんかで飲むより断然美味しいお茶を一口味わった後、
ほのかは長い息を吐いた。夏が怪訝そうに伺うが気にしない。

 「なっち、今日ほのかここにお泊りする!」
 「は?親がまたどっか旅行か?聞いてねえぞ。」
 「そうじゃない。ほのかがここに泊まりたいの!」
 「・・そろそろ外聞も気にしろ、親が甘いからってなあ・・」
 「そうだよ気にしてよ。女の子が泊まるって言ってんのに。」

ほのかは乱暴にティーカップを置くと挑むように視線を送った。
夏は呆気に取られた顔だがそれも想定内なので怯まなかった。

 「だってちっとも・・要するに”妹”を卒業させて!」

言ってしまうと後でかあっと顔全体が熱かったがそこは我慢して
ごちゃごちゃした作戦より自分らしいストレートな伝え方を選んだ。
勇気はある。たぶん・・あると自分を励ましていたが真実は一杯だ。
怖かった。春を待ち望んでも夏へ至るとはこの場合確かではないのだ。

ほのかのきっとした表情に最初目を瞠った夏だったが、直ぐに気付いた。
テーブルに置いた両手が微かに震えていた。ほのかは恐怖に耐えている。
晴天の霹靂くらいの衝撃ではあったが、夏はそのことに勇気をもらった。
彼女なりに今まで思い詰めていたのだろうか。気付いてやれなかった。
春は来ていたのかもしれない。未だ寒く風も冷たいからと騙し騙され。

 「・・・わかったからいきなり泊まるのはやめてくれ。」
 「わ・わかったって・・ほんとに?もう何回も言ったけど・・好きだよ?」
 「そんな自信なさげなお前って貴重だな。知ってるが、気付かなかった。」

ほのかの目の前に夏の旋毛が見えた。頭を下げているのだと理解すると
『お断り』されているのかと思いショックを受けた。うろたえるほのかに
頭を上げた夏の目が潤んでいるように見えたのは間違いかと目をこする。

 「あんまり都合の好い話だから・・夢じゃないよな?これ。」

夏が困惑しているのがようやくわかってほのかは緊張を弛めた。

 「夢なわけないし、ほのかの勇気をうやむやにする気かい?」
 「うん、まったくだな。すまん。」
 「なんか調子狂うなあ・・なっちもしかして寝てないとか。」
 「否それは・・お前との約束前は大概そうだから普通だが。」
 「なんですかそれは・・今日気の抜けた格好だったけど?!」
 「結構考えたが・・結局無難にする癖が付いちまったかも。」
 「あのさあ、返事って・・もらえないのかなあ、このまま。」

 「あ、妹ならとっくに卒業済みだ。言わせちまって悪かった。」
 「なんですと!?」

勢い立ち上がったほのかは夏が再び頭を垂れている上からポカポカ
叩き、夏は無抵抗でそれらの攻撃に耐えた。顔は下を向いたままだ。

 「ちょっと、顔見てちゃんと言ってよ!なっち、ねえねえ!!」
 「す・すまん!ちょっと待ってくれ。その・な、顔が・・」
 「ならぬー!きりきり表をあげい!往生際が悪いのだぞーっ!」

よく見ると夏の耳が真っ赤で両手で顔を覆っているが顔も同じだ。
ほのかはどうにか顔を上げさせようと夏を叩くが糠に釘状態である。

 「ねえねえ、ずるい。なっちも好きなんでしょお?!違うの〜?」
 「違うわけねえだろ!ばかもん。」
 「どっちが!ばかなつ。卒業証書ちょうだい。ねえったらあ!」

 突然訪れた二人の卒業式は涙と笑いに塗れた。
妹でない証にとほのかに強要された口付けは夏の抵抗により頬になった。
一気には無理だと夏が涙交じりに訴えるのをほのかが譲歩したのだった。
花冷えの春からこれからゆるく暖かい季節となり、やがて夏が来る。
二人一緒に迎える日はそう遠くない。その予感で夏もほのかも幸福だった。







タイトルの後半「〜夏遠からじ」は省略しました。