「花束を君に」 


全くの偶然、だと思う。夏が出逢ったその人は
早朝のジョギングコースの脇にある外人墓地で見かける
老紳士だった。いつもではないのだが見知っている、
それくらい度々そこを訪れている人物ということだ。

巷に甘いチョコレートの香りの漂う大通りの街路上でのこと。
花束を抱えたその紳士は店先で忘れ物をしたらしかった。
花屋の店主が横断歩道を渡った先へと大声で客の名を呼ぶ。
ところが耳が遠いのか気付くことなく紳士は橋の向こうへと
行き過ぎてしまう、そんな折だった。夏は関わりないことと
捨て置くつもりだった。しかし、ほんのちょっとした偶然が
夏の足を止め、忘れ物を店主から預かると駆け出していた。

すぐに追いつき、肩を軽く叩くとゆっくりと振り向いた。

「あの、これをお忘れになったのではありませんか。」
「おお・・これはいけない。ありがとうございます。」

青い目を細める紳士は流暢な日本語と丁寧な物腰だった。
英国風な格好に不似合いなそれを大事そうにポケットに仕舞う。

「孫からの贈り物でしてね。助かりました。」
「いえ、知り合いが同じものを持っていて・・」

言わなくてもいいことをうっかり口にしかけて夏は語尾を濁す。
紳士は徐に抱えていた花束から一本の薔薇を抜くと夏に差し出した。
驚く夏に構わず

「どうぞ。その方へお礼に差し上げてください。」

そう言って夏の途惑いを他所に別れを告げた。
確かにほのかが持っているものだと気付かなければ届けなかった
かもしれない。そこまで推し量ったのかどうかは判断できないが
夏は受け取ってしまった薔薇を手に、元の道へと引き返した。
すると花屋の店主が頭を下げた。尋ねもしないのにあの方は常連で
などと話し始めるのに慌て、夏はそそくさと店先を離れた。

紅い薔薇を眺めながらの帰路、墓地に花を捧げる彼を思い出した。
誰が眠っているのかは知らないが、おそらく彼の家族だろう。
そういえば妹の墓参りに行っていないと気付いた夏は次は花を買う
かと考えた。そうして家に着くとほのかが待っていた。

「お帰りっ!遅かったねぇ・・ってそれどうしたの?」
「あぁ、やる。お前にお礼だとさ。」
「へ?!ほのかなんかしたっけ!?」

簡単に説明するとほのかはほーと感心し、すぐに薔薇を活けると
言って花瓶やらの場所を夏に尋ねた。居間のテーブルにそれを置く。

「素適なおじ様だねぇ。ほのかにってくれちゃうとこなんて特に。」
「女って花をもらうのが好きなもんなのか?」
「当たり前を不思議そうに尋ねるなっちに驚くよ。」
「お前でも嬉しいってことか。」
「ビミョーに失礼だよ、ちみ?」

しかしほのかの話によると外国ではバレンタインには男性から花を贈るのが
定番だと聞かされ、夏は感心しつつ「お前は欲しいって言ったことないな?」
と、疑問に思ったことを尋ねた。ほのかは腕を組んで偉そうに返答する。

「うちではお父さんがお母さんを怒らせたときはまず花だよ。常識さ!」
「つまり男から女にってのが決まりなのか?」
「まぁね。それに要求してもらうもんでもないのさ。」
「なるほど・・そういうもんか。」
「よーくわかったかね?ちみもまだまだじゃのう〜!」
「なんかむかつくな・・」

ほのかはその薔薇は居間に置くというので持って帰るつもりはないらしい。
もう花瓶に挿したから動かすのはよくないとか知った風な意見も付けた。

「そうだ、楓ちゃんのとこにも持って行くといいよ!きっと喜ぶから。」

それは夏も考えたことだった。驚いてほのかを見るとさも当然の顔だ。

「そういや墓前には定番だな。なんでか気付かなかった・・」
「楓ちゃんは好きだったんでしょ?お花とか。どうして上げないの?」
「・・・・そうだな。また今度・・・」

夏は言われてようやく思い至る。辛くて花を見るのも嫌だった頃の自分を。
大事に育てていたコスモスも踏みにじったことさえある。情けない己の心。
ほのかは責めた訳ではないが、なんとなく気不味くて黙った夏に気付くと

「無理しなくていいんだよ?花でなくたってなんだっていいんだから。」
「別に無理ってことはねぇよ。今度は持って行ってく気になったんだ。」
「そうか!偉いね。・・一緒に行ってあげようか?」
「いや、いい。大丈夫だ。」

ほのかが気遣っているのがわかって苦笑した。相変わらずこういうことに
聡いなと思う。年下だがそういう部分は夏よりずっとしっかり者だとも。
老紳士はいつも亡くなった誰に花を捧げているのだろう。辛くないのか。
故人は妹のように花の好きな婦人だったのだろう、それだけは確信した。

数日後、バレンタイン・デーはほのかが毎年チョコを持ってくる日だ。
兄のオマケで始まった恒例行事だが、現在は本命、と夏は知っている。
というかそうであって欲しいとやっと気付いたのが前年であったりする。
しかし結局ズルズルともらってはホワイト・デーに返すしかしていない。
なので夏は色々と考えて準備した。今年はされるがままではないと決意する。
そして気合たっぷりの包みをほのかが差し出したときに緊張しつつ切り出す。

「受け取る前にちょっと目を瞑ってくれ。」
「はい?ほのかが?!なんで?」

なんでと問いつつ素直に目を閉じるのにおかしくなるが笑いを堪え、
夏が隠し場所から準備していたものを取り出すとほのかの前に構える。

「もういいぞ。」
「なぁに・・!?」

ほのかの大きな目がいっぱいいっぱいに開かれる。微かな甘い香り。
夏が手にしていたのは花束で、真紅ではなくほんのりとピンクの薔薇だ。
慣れないことに照れた夏の顔も少し紅い。そしてほのかはもっと紅かった。

「男から贈る日でもあるんだろ?」

あんぐりと口と目を開いたままのほのかに夏が視線を反らしつつ告げる。

「え、ほのかにくれるの?!ほんとに?相手間違ってない!?」
「間違うかよ、お前にだよ。こんな恥ずかしいことよくするもんだな。」
「ふへへ・ねぇねぇ、これって家族へも贈るんだよ、・・どっちなの?」
「あ・あぁ・・楓へはもっと・・別のにする。薔薇だと聞いたんだよ。」
「誰に?ストラップを届けたおじ様?それとも花屋の店主さんかい!?」
「・・・買いに行ったら偶然また会ったからどっちにもだよ!!」
「縁があるんだねぇ?!嬉しいね。で、どっち?」
「お前・・人が悪ぃぞ!知ってるんだろ、その・・今日贈るっつったら」
「愛の告白だよねぇ!?」

ほのかが勢いよく飛びついたので夏は花束を落としそうになった。
しかし落とさなかったのでほっとした夏の足元で嫌な落下音がした。
それはおそらくほのかが持っていたチョコの箱に違いなく、夏は眉を顰めた。
けれどほのかはそれどころではないらしい。夏にしがみつく体も頬も熱い。
止むを得ず花束ごとほのかを抱き寄せると耳元で「ありがとう」が聞えた。

「大好き。なっち・・来年も薔薇を贈ってくれる?」
「そのつもりだ。毎年な。で、お前はこれからもチョコ作れよ。」
「一生ほのかのだけ食べて。薔薇はなっちからしかもらわないから。」
「それは言っておこうと思ってたんだ。誰からも受け取るなって。」
「お墓参りも一緒に行こうよ。ね?」
「そうだな・・そうするか。」
「あ、そうだ。あのおじ様にも会いたい。会ってお礼をするの。」
「会えるんじゃねぇか?よく会う場所知ってるし。」
「うん。」

「あー・・その・・ほのか?」
「ん〜?なぁに、なっちぃ?」

「・・・・いいか」と訊かれたがほのかは答えられなかった。
答えられなかったが、応えることはできた。唇で受け止めた。
やわらかい感触に溶けそうになる。薔薇の香り付きのキスだった。
その後二人でほのかの作ったチョコを食べたのだが・・・

「なんで拾ってくれないのさ、つぶれちゃった!」
「花束とお前を抱きとめてたんだ!落としたのはそっちだろ。」
「んもう・・なんでこれこんなしょっぱいの!?」
「だからそれもお前が!?塩と砂糖と間違うとかベタ過ぎだ!」

そんな些細な口論はあったがそれも想い出になるだろう。
夏はどこかで妹の楓がくすりと笑ったような気がした。








バレンタインに間に合ったー!^^v