「花盗人」 


「花一輪、失敬するのは罪にならない」

どこで誰に聞いたのだか忘れてしまった。
それを思い出してまず何を連想したかというと
例えばあの隙の無い男の唇を奪うっていうのは!?
などという乙女にしてみると少々はしたない、
そしてほのかにとってはらしくない思いつきだった。

だってちっともわかってくれないし・・・

ほのかは当初友達だと自ら言い張っていた。
そのことが悔やまれる日が来るとは思わずに。
静かにそして確実に、惹かれていると自覚した。
初めての胸の痛みに手を当てて、感動した。

おお・・これが俗に言う”恋”の痛みか、と。

好きだと何度も言った。今ではしゃれにならない。
毎年バレンタインにはチョコを手作りしてもらった。
自分も作ったことはある。爆発物のような代物なら。
それを食べてくれたときの感激もちゃんと覚えている。

なんていい男なんだ!そう何度目かの確認をした。

しかし振り返ってみればそれらの楽しい日々は
絵に描いたように一方的な片思い的シチュエイション。
なんとなく通じるものでもないのだろうと気がついた。
では今更、どうやって好きだと、本気だと伝える?
そんなことを考えていたとき思い出したのだ。花盗人を。
ほのかは真剣だった。突飛な発想は彼女の常だから。
なのでそれならば試みてみようと決心し即行動に移した。
その辺は彼女らしい選択だった。現実にそぐわなくとも。


ほのかのそんな野望を知らず、夏は怪訝しんでいた。
いつも妙なことを思いつくほのかだが、今回は・・
どうも人の寝込みを襲いたいらしいと見当をつけた。
だがその理由がわからない。元々昼寝の趣味はない。
逆にほのかなら他人の、それも男の夏の家で当然のように
恥も外聞もなく寝るという傍若無人ぶりが板についている。
何がしたいのかと夏は悩んだ。そして一つの仮定を浮かべた。
まさかと思いつつ、ほのかならば有るかもしれないと。


寒い日だった。外では雪がちらついている。
冷え込みが強く、日差しは重い雲に遮られていた。
学校の課題を手伝っていた夏は、舟を漕ぐほのかに気付いた。
そういえば昨夜も夜更かししたみたいなことを言っていた。
しょうがないと立ち上がり、抱き上げてソファに寝かせた。
少しも気付く様子がない。いつも夏は感心しつつ呆れてしまう。
無防備にも程がある。寝込みを襲って欲しいと思える所業だ。

オマエがオレを襲いたいんじゃないのか?本末転倒だぞ

溜息交じりに毛布を掛けてやり、夏は静かに居間を出た。
寝顔を見ていると本当に襲いたくなる。だから見ないように。
呆気なく触れられるだろうから手が出ない。いつものことだ。
そして一汗かいてシャワーを浴びた。もう起きる頃かと戻ると
まだほのかは安らかに眠ったままだった。

おいおい・・結構たっぷりと鍛錬してきたってのに・・・

夏はほのかの顔を覗きこんだ。誘惑を打ち消すと鼻を抓んだ。
苦しそうに夏の暴挙に顔をゆがめるほのかだが、起きない。

マジか!?・・・コイツって・・信じられねぇ・・!

こんなにしても起きないならもう最終手段しかない、と
正当化するにはあまりに稚拙な理由をこじつけた。そうして
幸せそうに眠っているほのかの唇を許可を得ることなく盗む。
ほんの少しなら罪になるまいと。誘惑に耐えたご褒美だとも。
ところがそれでもほのかは目を覚まさなかった。

ウソだろ?!・・鼻を抓んでも起きないなら当然か・・?

夏は半ば自棄になって再び唇を塞いだ。ほのかが目を開けるまで。


「っ!!!・・・・なっち!?」
「・・いつまで寝てんだ!もう帰る時間だぞ。」
「そうじゃなくて何して・・・えっ今の夢!?」
「なに言ってんだ。」
「・・おかしいな・・あれぇ・・!?」

ほのかはあまりに普段と変わりない夏の様子に途惑った。
今の今だ。勘違いではないと思う。なのに冷静な夏の眼差し。
自分の胸はばくばくとやかましく鳴っている。これは現実だ。
したかったことを夏にされた・・ような気がするのだが。
確信が持てない。そのことがされたことよりも衝撃だった。
夏は何も言わない。ほのかは結局夢だったということにした。

「何か飲んでから帰るか?喉渇いたろ。」
「・・・・・ウン。喉カラカラだもん。」
「じゃあ冷たい方がいいか?何にする?」
「レモネード。」
「待ってろ。その間に帰り支度しとけ。」


夏はそれだけ言うとやはり弁解も何もせずに居間を出て行った。
取り残されたような気分でほのかはその夏の後姿と扉を見守った。
やっぱり勘違いだ。・・何にも言わないなんておかしい。
だが生々しい感触が残っている。これはどうしたことか。
もしこれが自分だったらとほのかは思い浮かべてみた。
ほのかの野望が叶って眠っている夏の唇を奪ったとしたならば
気付いたとき何て言うだろう。自分なら・・あやまる?いや違う。
気付いてくれなかったら?・・ショックだ。それは困る。
もしかしたら・・・ほのかは何かを間違えたような気がした。

もやもやとした気分の晴れぬ間に夏は戻ってきてしまった。
程よい温度のレモネードはとてもおいしくて渇いた喉を潤した。


「あーおいしかった!ごちそうさま。」
「あぁ。・・支度は出来てるな。」
「できてるよ。送ってくれるの?」
「そのつもりだ。」
「じゃあよろしくね!」

なるだけ平静を装ってほのかはソファから立ち上がった。
コートを着て玄関へ向かう。いつもの帰りと同じ光景だ。
玄関で靴を履き、習慣のように「お邪魔しました!」と一礼。
するとほのかをじっと見ている夏に気付いた。

「・・・オマエ、ほんとに夢だと思ったのか?」
「・・・・・・・・・・え?!」

今度はさっきよりさらに驚いた。心臓が軽く飛び出したと感じる。
夏は冷静な普段と変わりない表情だが、真直ぐにほのかを見据えている。
ほのかは明らかに動揺してしまい、おろおろとなって取り乱した。
そんなほのかにお構いなしで、夏は玄関の扉を開けようとした。

「ちょっ・・ちょっと待って!なっち。」

大慌てで名を呼び、ドアノブに掛かっていた腕を掴んだ。
夏はゆっくりとほのかを振り向いたが、黙ったままだ。

「ゆ・・夢じゃなかった!?あれって現実?」
「あれを夢だと思うのはオマエくらいだ。」
「じゃっじゃあなんで?なんでなんにも言わなかったの!?」
「夢にしたいならそれでもいいと思ったからだ。」
「どうしてよ!ほのかなら・・ほのかならショックだよ!」
「先を越したが・・謝るつもりはないぞ。」
「ええっ!?なっち知ってたの?!ほのかが狙ってたの。」
「まぁ・・かもしれんとは。」
「そんな・・ヒドイ!ズルイ!なんかすごく悔しいっ!!」
「そもそもなんでそんなことしたかったんだ?」
「え・・それは・・ほのかのことす・・好きかなぁって・・」
「試したかったのか?寝込みを襲われる振りでもしろって?」
「・・そんな意地悪なこと言わなくてもいいじゃないか・・」
「オマエこそ。告白したいならすればいいのに後ろ向きなこと考えたな。」
「・・なっちに伝わったらどうなるかなって、怖く・・なったんだよ・・」
「それで寝込みを襲うって結論になる過程がわからん。」
「なっちは前にほのかがキスしてって言ったら怒ったじゃないか!」

居た堪れない気持ちでほのかは睨みつけるように夏を見上げた。
悔しさと恥ずかしさ・・そもそも唇を盗もうとしたことも含めて。
どうしてはっきりと言えなかったかと問われて、気がついた。
ほのかは怖かったのだ。夏に拒絶されること、以前そうされたように。
子供だと言われたあのとき、確かに傷ついた。既に好きだったからだ。
今はあの頃と変わったかときかれると自信がない。それほど変わらない。
だけど好きな気持ちは同じだ。いやずっと好きになっているのに。
ちゃんと言おうとほのかは意を固めて夏を見た。
向き合った顔が重なった。まだ一言も発していない。
夏の瞳が閉じられたとき、慌てて自分も倣った。
息は止めた。止まったのだ。苦しくて涙が込み上げる。
夏の片腕がいつのまにかほのかの肩を捉えていた。
手の大きさが嫌に強調されて伝わってくる。びりびりと。
特に力など入っていないようなのに動けない。焦るほのかに
夏は一度離して呼吸を促せると、角度を変えてまた触れた。
かくんと首を上向きにされた。足元が震え出したのがわかる。
仕方なく夏にしがみつくと両腕でしっかりと抱き込まれた。

「・・・まっ・・まだ・なんにも・・言ってな・・」
「好きだ。これでいいのか?言葉だけなら安いもんだ。」
「なんでそんな・・怒ってるの!?」
「オレは何度も言ったはずだぞ。襲われても知らんぞって。」
「そ・そうだっけ・・?」
「そうだ。待てとも言った。まだオマエは中坊でガキだからって。」
「う・ウン・・だから・・待ったよ。けどっ待ちきれなくなった!」
「オレだって待った。待ってた。なんでわかんないのか不思議だ。」
「え・・ええ?!けど・・なっち・・」
「好きだとは言ってなかった。だからオレが悪いのか?」
「悪いよ。でもってほのかも。頭悪い。」
「怒ってない。オレも悪い。だから・・許せよ、盗んだこと。」
「ほのかも狙ってたから同罪だよ。」
「そうか・・そうだな。」
「あのね、花盗人は罪にならないんだって。」
「・・・一輪だけならな。」
「ほのかだけでいいって言ってよ。」
「オマエだけだ。初めから。」
「そんなに・・待ってた?怒っちゃうくらい?」
「待ってた。寝込み襲うとかバカか?キスしたかったら言えよ。」
「そう、そうか。こっそりしなくてもしてくれたんだ・・!」
「いくらでもしてやる。引くくらいしてやる。イヤだと言うくらい・・」
「わかった。でも引くくらいなのはまだいい。もうちょっと待って!」
「ちっ・・しょうがねぇな。ならあと一回。今日のところは。」
「ぷっ・・はっ・・ははははっ!!」
「笑うな。こっちの気も知らねぇで。」
「わかんなかったんだから仕方ないよ。カンベンしてよ!」
「カンベンしてやる。だから・・」

そんな夏を見たのは初めてだった。そんな欲しそうな顔は。
動揺はしていたし、相変わらず胸は派手な音を立てていた。
けれどほのかは目を閉じた。もう待たなくていいのだから。
いつのまに両思いだったんだろうと頭の片隅でちらと思った。
盗まれていたのだ、いつの間にか。大切な心を少しずつ。
自分も盗んでいたらしい。とうの昔に。一体いつからだろう?

帰らなければならない時間だというのに、二人は忘れている。
外灯が点り夜は帳をおろす。扉の内側では口付けに酔う夏とほのか。
しばらくしてコートを着ていたから熱いと二人して溜息を吐いた。
顔を見合わせて笑うと、次から玄関ではやめようと意見が一致した。

「気が合うね、こういうことは。」
「前から合うだろ、そのほかだって。」
「そうか、気付いてなかっただけか。」
「やっとわかったか。」

肩を竦める夏にほのかはおまけのキスを頬に乗せた。

「お待ちどうさま」と。







遅くなった言い訳を考える帰り道です。