フォルツァ!  


ほのかはぐっと両の手に力を込め、口元を引き締めた。
挑むように上げた顔は気合が充ちて負けず嫌いの性格を良く表していた。
幼い顔立ちから、それらの好戦的な様子も微笑ましいものに映ってはいるのだが。
しかし見る人がそう思ってはいても、本人が真剣で大真面目なのは間違いなかった。

「あ、あのな・・その・・ケンカすんじゃねぇんだし・・」

今にも技を繰り出すかのような緊張した構えのほのかに夏はしどろもどろで呟いた。
護身用にと、ほのかにも習得可能な技や、いざというときの対策などは教えている。
しかし今はそんな色気のない師と弟子のようなやりとりをしているのではなかった。
寧ろ真逆の、男としては実に嬉し楽しい場面であるはずだ。だがしかし!

「ん?ケンカなんかほのかもする気ないよ?なに言ってんのさ。」
「ならその気合の入りまくった顔やめろよ。やりにくいだろ!?」
「そお?そんなに気合がもれてるのかな?」
「やっぱ気合入れてんじゃねーか!なんで気合が要るんだよ?!」

夏は頭を抱えたくなった。ほのかの方から擦り寄ってきたのだ。それなのに。
何か勘違いしているのではないかと思うのは当然ではないかと夏は自問した。

夏とほのかは言葉では端的に表現し難い関係でいた。わりと長い期間だ。
幼馴染というほどに昔ではなく、年数でいえば短いと言える数年間である。
その曖昧で微妙な関係から、ようやく彼らは昇格、又は脱出したばかりだ。
世間で”恋人”などと呼ばれる特別な関係が彼らの歴史に加わったのだ。
まだまだぎこちない段階で、二人とも恋愛には縁遠いタイプであったため、
傍から見ると、じゃれあっているくらいの無邪気で不慣れな交流ではある。
しかし二人にとっては劇的な変化なのだ。例え周囲には変わりなく映っていても。

ほのかは元来頭で考えるより感覚優先の行動派だ。積極的でもある。
夏はというと感情は内に秘めるタイプで、行動は大体が慎重で理性派だ。
従って無鉄砲なほのかを夏が窘めたり、抑えたりとフォローに廻ることが多い。
果たして恋愛に突入しても、そんな役割分担が幅を利かせてしまうようだった。

「言ってることとやってることがバラバラだろ?!」
「そんなことないよ、なっちの気のせいだってば。」

せっかくのほのかの”お誘い”もこんな成り行きになることが多い。
今回もどうやら雲行きは怪しく、二人ともが眉を吊り上げて睨みあった。
つまらないことで言い争うのは珍しいことでもなんでもないのだが。

「この前もそうだったけど、なっちはキスしたくないの!?」
「こっちの台詞だ。オマエこそなんでそうケンカ腰みたいなんだよ!?」
「だからケンカしたいなんて思ってないもん。なっちが悪い。」
「睨みつけやがって。どうしたってそんなことしたいようには見えないってんだよ!」

気安く何でも言える間柄にありがちだが、こういう場合どんどんと深みにはまって険悪になる。
夏もほのかもわかってはいるが、どうしたら甘いムードを盛りあげられるのかがわからないのだ。
その辺は似たもの同士で、不慣れさや気恥ずかしさもそんな状態に陥ることに一役買っていた。
今回もほのかが「キスして?」と夏の腕に擦り寄って可愛らしいお願いをしたというのに、
互いの心の中は”どこでまちがったんだろう?”という気持ちでいっぱいになっていた。

「もういいよ。したくなくなっちゃった。」
「そりゃよかった。オレもだ。」
「う・・なっちの・・ばかぁ・・!」
「泣くなよ、ひきょうもん!!」

泣くなと声を荒げる夏も泣けるものなら泣きたい、そんな表情だった。
彼とて可愛い彼女のお願いを叶えてやりたかったし、優しくしたいのだ。
泣かせてしまうといつも後悔する。なのに・・・不器用な夏は唇を噛んだ。
拗ねてクッションを抱えたほのかはわざと顔を見ないように不自然に顔を横に向け、
ソファの端でむっつりと黙って座っていた。夏もここまで拗ねたら仕方ないと放置だ。
頃合を見計らって夏がお茶を淹れてやる。そして仲直り、というがパターンのようだ。
付き合いだけは長かったので、お互いの行動はある程度読めてしまっている。
しかしこのままではいけない、夏もほのかもそのことはひしひしと感じていた。
せっかくゆっくりと想いを育て、培い、二人で未来を一緒に歩もうと結ばれた約束。
その気持ちは変っていないのだ。それはわかる。だからこそこんな”馴れ合い”が痛い。
特に夏は年も上で男だというのに、うまくリードできないことに苛立っていた。
元来暗いほうへと思考が落ち込みやすい性質だ。ほのかの影響で随分緩和されはしたが。
夏の淹れたお茶を飲んでふーっと溜息を吐いたほのかを見つめ、夏は意を決して話出した。

「ほのか、聞いていいか?」
「・・・なぁに?」

夏は自分の気持ちを正直に吐露したり、あからさまに優しい言葉を紡ぐのが苦手だ。
なのでいざとなると、どう話すか、そもそも尋ねていいことなのかどうかと思い悩んだ。
逡巡している夏に助け舟を出すように、ほのかはなるだけ拗ねていない平素の声を掛けた。

「ごめんね、なっち。ほのか気合入れすぎちゃうんだよね。」
「あ、いや謝ることないだろ。オレが気後れすんのも・・悪いんだろうが。」
「あのね、いつもこんなんなっちゃうの辛いから白状しちゃうよ。いい?」
「ああ、教えてくれるのか?!・・わからなくてスマン。」
「やだねぇ、なっちこそそんなこと謝らないでよ。あのね・・」
「うん。」
「気合入れちゃうのはね・・怖いとかじゃないんだよ。」
「そうなのか?」
「あの・・笑わないでね?なっちとキス・・するとね、」
「笑わねぇよ。」
「力が抜けちゃって・・その・・ヘナヘナになっちゃったりするから・・」
「・・・・は・・?」
「ぐっと踏ん張ってないとって思って・・それに泣かないようにって。」
「・・・ええっ?」
「前に泣いちゃってなっちがすごく心配したでしょ?だから泣いたらダメだって思ったの。」
「・・・あんときか。」
「お、思い出さないの!うう・・それに泣いたら・・子供っぽいじゃないか。」
「・・・はあ・・??」
「なっちにそうでなくたって子供っぽいと思われてるから、それじゃ嫌なんだもん。」
「そんなこと思ってないぞ?!見た目のことじゃないんだろ?」
「見た目は!?う、まあ・・それでなっちが遠慮してるんじゃないかなって思ってたんだ。」
「つまり・・オマエはオレに気を遣って?」
「違うよ、その・・がんばってなっちに遠慮しないでもらおうとしてたの。」
「それは気を遣ってるのと同じだ。・・・ばかだな・・」
「ばかって・・どうしてさ!?」

ほのかはむっとして唇を尖らせた。子供っぽいとも取れる仕草だが無意識だ。
そんな部分を可愛いとしか受け取っていなかった夏に、ほのかの思いは意外だった。
それに気合を入れていた理由を知って、夏は水を被ったように衝撃を受けていた。

ほのかのこと、わかってるつもりでわかってなかった。なんてバカなんだオレは・・
そんな・・そんな理由ってありか!?そんなの・・可愛いにもほどがあるだろ!?

「なっち!聞いてるの!?黙ってないで答えてよ!」
「あ、ああ!?・・すまん。」
「ほのかにキスするの遠慮しないでよ。わかった!?」
「あぁ、わかった。」

ほのかの思っていたことを聞けて良かったと夏は素直に思い微笑んだ。
予想だにしなかった。ほのかが子供っぽいことに引け目を感じていただなんて。
嬉しかった。それでも一生懸命に夏のために手を伸ばしてくれていたことが。
しかし気を遣わせてしまったのは失態だ。それは改めなければ気が済まない。

夏は立ち上がるとほのかの座っているソファのすぐ隣に腰を下ろした。
驚いているほのかが何か言い出そうとする手前で下あごを捉えると唇を重ねた。
その一連の動作があまりに素早かったため、ほのかは驚きで目を見開いたままだ。
身構える暇はなかった。なので当然だが緊張も気合もまるきり無い。
夏がそれを確かめるようにゆっくりと唇の弾力を味わい、そっと舌を滑り込ませた。
びくっと反応したほのかの両の手が握り締められた。するとふっと口付けが途絶えた。

「それやめろ。がんばるな。」
「えっ?えっ?!」
「拳を握るんじゃねぇ。そういうときはオレを掴むんだ。」
「なっちを?だって・・」
「遠慮するな。爪立てたって構わん。」
「なな・・なんで・・?」
「それとな、オマエの力が抜けたってよろけさせたりしねぇから。」
「う、うん・・」
「オレに任せて掴ってりゃいんだよ。わかったか?!」
「そ、そうか・・ウン。わかった。」

夏の口調は怒っているかのようなのだが、頬は見間違いなく赤い。
ほのかはそんな夏を見つめて、こくんと頷くと夏は安心したような顔をした。

「それから泣いてもいい。子供にこんなことしねぇよ。」
「ほのかのこと・・子供だって思わない?」
「当たり前だろ。」
「よかったあ・・」
「遠慮すんな。オレもやめたから。」
「ウン。」

ほのかの返事を待たずに夏は再び体を抱き寄せ、口付けは再開された。
夏は初めに怖がらせて泣かせたことが負い目のようになっていたのだと気付く。
ほのかから求めてくれてたのに。怖がってるのかと遠慮したのがいけなかった。
嫌われやしないかとかびくついてた。子供なのはオレだと夏は反省した。
こんなに想ってくれる可愛い女を・・ばかと言ったのは自分になんだよ。
夏は感謝とお詫びも兼ねて、ほのかとの口付けに没頭した。


このままでは治まりがつかなくなるギリギリのところで唇は離された。
ほのかは涙を滲ませ、必死に夏を掴んでいた指先は痺れていた。
夏は優しく髪を撫で、赤く染まった頬や潤って艶めく唇に見蕩れた。

「オマエってやっぱ侮れないよな。」
「・・?」

唐突な台詞が理解できず、ほのかは怪訝な顔つきで夏を見た。
まだ震えているような気のする指先は夏の服を引っ張った状態で繋がっている。
幸せそうに見える夏の微笑み。ほのかはさっきとは違った鼓動を感じる。
さっきは確かに烈しく鳴っていた。でも今はそうじゃないのに胸が苦しい。

「どういう・・意味?」
「見た目よりずっと。それはオセロでわかってたのにな。」
「オセロが強いこと?ああ、大抵の人は油断するんだよね。」
「オレもその口だった。んで、コテンパンにやられたんだよな。」
「へへ・・懐かしいね。今は大分強くなったじゃないか、なっち。」
「それでもまだ連勝は難しいもんな。どんだけ強いんだってんだ。」
「悔しいんじゃないの?なんか嬉しそう・・」
「悔しいさ。で、あんときもオレはオマエを侮れないヤツだと思った。」
「ウン?それで・・?」
「オレはオマエにまたやられた。」
「ほのかなんにもしてない・・」
「まだまだ余裕ありそうなのがたまんねぇな。」
「なっち、わかんないよ!」
「これ以上惚れさせんな。身がもたん。」
「ほのか・・なにしたのさ!?」
「教えてなんかやらねぇ。」
「なんだいそれっ!?」


「好きだ。」
「!?・・・どしたの!?」
「覚えとけよ。絶対疑うな、それだけは。」
「・・わかった。」
「よし。」
「なっち・・」
「ん?」
「すき。」
「あぁ。」
「ほのかの方がすきなんだからね。」
「なにぃ!?そこまで負けず嫌いかよ!」
「だってそうなんだもん。忘れないでよ?!」
「よく言うぜ〜!このお〜!!」
「いっいたたたた・・・っ!」
「負けねぇ、それも。」
「勝負だね!?」
「好戦的だな。」
「ほのか負けたくない。」
「オレだってそうだ。」
「ふふ・・」
「ふっ・・」

夏とほのかは睨み合い、互いの額をこつりと当てて堪えきれずに笑った。
色気がないと言われてもしょうがない。好戦的で甘くなかったとしても。
譲れないのは想いの深さと強さだ。ほのかは服から離した手を夏のに絡めた。

「指痺れた。撫でて。」
「しがみついてたもんな。」
「だって・・いいんでしょ!?」
「そうだ。それでいい。」
「よかった。ほのか子供っぽくってもなっちがすきだったらいいや。」
「・・ホント・・身がもたねぇかも・・」
「なっち?」

夏が溜息交じりにほのかの肩に頭を載せ、腕を組むようにして取り囲む。
ほのかはくすぐったそうにしながらも夏の髪をよしよしと撫でてやった。
さっきまで夏にしがみついていた指先が、今は彼を癒すように優しい。
愛しさに溺れそうになって夏はほのかを囲んでいた腕を狭めて抱きしめた。

「なっち、まさか泣いてる?」
「泣いてねぇ。」
「ほのかの負けでもいいから元気になって。」
「そうか、そんなにオレのこと好きか。」
「・・・なんでさぁ・・いいじゃないか。」
「悪いなんて言ってねぇ。なんかもう離したくなくなったんだ。」
「じゃあさぁ・・帰るのやめようかな・・?」
「誘惑ばっか上手くなりやがって。」
「なっちだってさ、すごくどきどきしたんだから。さっき・・」

ようやく顔を上げた夏は予想通りのほのかに苦笑を抑えられない。
少しばかり気合は入っていたが、恥ずかしそうに横を向いていて余計に可愛い。
こつりと額を当てた夏にほのかがはっとして膨れかけていた顔を素に戻した。
じっと見つめられて一瞬、ほのかがおずおずと両手を夏に向けて伸ばした。
どちらが誘ったか、吸い寄せられるように重なった二人には最早どうでもいいことだった。








えーと、お疲れさまですv 念のために補足いたしますと、
「フォルツァ!」というのはイタリア語で「ファイト!」と同義です。