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”好きだってわかったから”

昨日のことがどうしても引っ掛かってしまいぼうっと考えてしまう。
うっかり洗濯機の操作を間違えたり、読んでいた本の栞を忘れたり、
何かしら小さな失敗を繰り返しては舌打ちする、そんな調子の夏だった。
告白されて生まれて初めて動揺し、返事に思い悩んだのは僅か数分程度。
大声で泣き叫んだ本人はけろっとして”何もしてくれなくていい”
今のままで何の不満も問題もないといった明るい表情で微笑んでいた。
オマエはそれでいいのかもしれねぇけど・・・なんでこうイラつくんだ?

それはありがたい結果だったはずだ。期待しない、そのままの意味ならば。
ところが寧ろそこが気になるのかもしれない。期待・・期待って何をだ?
通常告白が相手に歓迎されると「お付き合い」という交際へと移行するらしい。
全くそこへ至る道を考えたことがなかったため、どうするものかは知らない。
ただそこからは不特定多数から特定された関係に相互の同意の元変化するのだろう。

ほのかはまだ中学生だ。当たり前すぎるが完璧に未成年の義務教育期間なわけで。
どこへ行くのも何をするのも・・・今までと何も変えようがないと判断できる。
だからほのかの言うまま、今のままでいればいいのだと結論付けて正解ではないか。
でありながら夏の意識のどこかが納得しない。昨日までと同じではいられないと訴える。
今までだって振り回されてきたが、現時点の自分はこれまでとあからさまに違っている。
ほのかはきっといつも通りにやってくるんだと予想できるのでそれが憎らしい。
オレはどうすれば昨日までの態度とやらがとれるのかがわからなくなっているのに。
溜息を吐く数が格段に増えて重い体。どうやら睡眠不足も手伝っているようだった。


「なっちー!来たよ〜!?」

果たして能天気な声が現実として耳に響いた。あっさりと夏の予想は的中した。
どうしたもんかと思いつつ、そこは年長者としてのプライドもあったので背筋を伸ばした。

「あれ〜!?何かあったの?!」
「何が?オレはいつも通りだ。」
「熱は・・ないねぇ?おかしいな?」

ほのかは夏の顔を見るなり寄ってきて、自分のおでこをぴたりと夏の前髪を上げて擦り付けた。
いきなりのアップで夏の眉間に新たな溝ができたが、ほのかの方は全くのマイペースだった。

「顔色か?何を根拠にしたんだ。」
「目が赤い気がしたんだけど・・やっぱりちょびっと赤いじょ!」
「別にどうもないぞ。」
「そっか。目薬どこ?!ほのか挿してあげる!」
「どうもないと言ってんだろ!?聞いてねぇのかよ!」
「目薬ないの?どうもなくても一回挿しておこうよ。」

ほのかは夏が怒鳴ったところできょとんとするばかりだ。また溜息が出てしまう夏だった。
抵抗を諦めて夏は薬箱を探し始めたほのかに要らない場所をかき回されないよう先回りした。

「ホラ、ここだ。自分でするから。」
「一人でできるの?ほのかヘタなんだよね。」
「オレはヘタじゃないから。」
「でもせっかくだから挿してあげるよ。」
「せっかくってのはなんだ?!」
「一人じゃないからってことさ。」

呆気に取られた夏の手からさっと目薬を取り上げ、ほのかはいそいそとキャップを開けた。

「なっち背が高いから座ってよ。」

もう好きにしろとばかりに夏は近くの椅子にどかっと腰を下ろした。顔を上向けろと命令がくる。
早いこと終わらせたいとその通りにすると、ほのかの片手が夏の頬に添えられ、夏ははっとした。

”顔!近っ・・”

ほのかは座った夏の膝に乗り上げるような格好で、動かないようご丁寧に手で支えている。
そして自分の顔を上から被せてきたのだ。止めるべきか慌てるのはおかしいかと夏は迷った。
しかしさっさと終わらせるのだという当面の目標を思い出し、動かずに耐えることにした。

「い〜い?いくよ〜!?」
「とっととしてくれ・・」
「あ、右からね。なっちからだと左。」
「ああっ!まだかっ?!」
「えいっ!・・あ、失敗した。」
「・・・も、いい。貸せ。」
「ごめんごめん、もう一回!」

絶対に自分でした方が早かったと思う夏だったが、なんとか文句を言うのを堪えた。
ほのかはというと、一大イベントを成功させたかのような得意で満足気な表情だった。
成功の瞬間に嬉しくて夏の膝の上でわーいと跳ね、椅子から落ちそうになって夏は支えた。
目薬一つでこの騒ぎだ。支えたときにほのかの柔らかい体が顔に押し付けられて息が詰まった。

「はぁ・・・」

何か途轍もなく疲労したような溜息を零す夏にほのかは首を傾げた。

「なんか・・元気ないね?溜息も多いし。熱はないけど休んだら?」
「風邪も引いてないし、正常だ。」
「・・・じゃあなんでほのかから目を反らすの?」
「!?・・反らしてないぞ。今目薬挿しただろ!」
「そんとき以外。来たときもオヤっ?て思ったんだ。」
「気のせいだ。気にするな。」
「気になるレベルに反らしてるよ。今だって。」

夏は思い切ってほのかの方を向くと「ホラ、気のせいだ。」と目を見て言ってみた。
するとほのかはパアっと花が咲いたように笑った。夏の心臓がどくんと一跳ねした。

「なんだぁ、よかった!」

そう言ってほのかは夏の腕によくするようにしがみつくともう一度顔を上げて微笑む。
目薬投下のときほどではないが、近い距離で目が合うと夏はまた心臓が妙に騒ぐのを感じた。
しかし振りほどいたり目を反らせばほのかは再び追求するだろうと努めて顔色を変えなかった。

”変だな・・なんか今日はヤケに・・可愛いような・・いや、気のせいだよな”

実は居間に入ってきて顔を見たときから夏はいつも通りではなかった。心中がである。
まずほっとした。言った通り普段のほのかがやってきたことに。そしてがっかりもした。
予想通りだったことにだ。自分はほのかを見て動揺しているというのに変わりないほのかに。
そしてなんとなく可愛く見える。どこがどうと問われてもわからないのにどうしたわけか。
それでやんわりと、なるだけ不自然じゃないように慎重に目線をずらしていたのだ。
しかしそんな微妙な夏の行動をほのかは目聡く気付いていたらしい。夏は少々感心した。
いつものようにしているつもりがやはりできていないのだということも確認されてしまった。

「なっち、オセロするー!?」
「あ・あぁ。そっちに用意してある。」
「おや、準備いいねぇ!やろやろー!」

勝負は散々な結果だった。夏は途中ほのかの伏せた目蓋の睫などに見惚れ、我に返ると赤面した。
ほのかはそのときは下を向いていて夏の奇行は目にしてはいなかったことに胸を撫で下ろした。

「調子よくないねぇ!ホントにどっかおかしくない?」
「こんな日もあるだろ。逆にオマエが調子いいんだ。」
「ふーん・・ま、いいや。何してもらおうかなぁ・・・」

本当にどうしたことかと夏は自分に呆れた。ほのかの告白一つでこんなことになるとは。
もうほのかは昨日言ったことなど忘れているのではないかという不安さえも覚えている。
落胆し過ぎているのだ。つまりは自分とほのかの関係を変えたかったということなのか?
変えようがないと想像してみたくらいだ。やはり期待してしまったのだ。昨日のほのかに。
認識したくなかった事実を夏はようやく噛み砕いて胸に刻んだ。そうだったのか・・・
そんなに嬉しかったのか、オレは。そう思えば思うほど心中のもやもやが晴れてくる。
そのおかげで多少元気は取り戻したようにも思えた。途惑いの根拠に気付いたからだ。

「あっそうだ!なっちー、今日のお願い!」
「決まったのか?なんだよ。」
「昨日のやり直し!」
「は・・?何をやり直すんだよ?」
「ほのかね、ファーストだったからもう一回ちゃんとしたい。」
「・・・・ファーストってまさか?」
「そう。だからやり直しさせてよ。」
「・・・オマエが?・・オレに?!」
「そうそう。ワンモア!ぷりーず!」
「・・・や・・やめとけ。」
「なんでよ!」
「口・・以外ならまぁ・・なんとか。」
「なんとか?まさかイヤなの!?」
「ィ、イヤとかじゃなくてだな・・」
「何が問題なの?」
「そんなオマエあっけらかんと!」
「だって・・ぶつかったとか事故とか?そんなのヤダ。」
「最初なんて・・大抵そんなもんじゃねぇか?多分・・」
「え〜!?じゃあさ、なっちから正しいキスでもOK!」
「ダメだっ!!正しいってなんだよ?!」
「正しいじゃないのならなんていうの?」
「本気でキスがしたいと言ってるのか!?」
「ウン・・ダメかなぁ・・?」
「イカンだろ!そんなこと!」
「どうしてなのさぁ〜あ!?」
「いやっそのっ・・オレはしないぞ。言ったろ?!犯罪だって。」
「口同士当てるくらいでどうしてイケナイのかなぁ・・?」
「・・・・・・・・・はは・・そ・・うだな・・」
「あれっ・・どうしたの!?なんかガッカリした?」
「・・ちょっとな・・疲れたっていうか・・」
「今日はどうもなっちがおかしい。ちゃんと熱測ってみようか!」
「いらん。もう大丈夫だ。」
「あれま・・急に元気になったの?」
「今までと同じでいいと言ったんじゃなかったか、オマエが。」
「言った。・・わかったじょ!キスするのは違うってことか。」
「何もしなくていいんならさせるな、そういうことを・・・」
「そうかぁ・・がっかり。じゃあ何をお願いにしようかなぁ?」
「・・・・」

ほのかは不満気に頬を膨らませはしたものの、思ったよりあっさりと引いてくれた。
頑固者で言い出したらきかないくせに、おかしなほど素直に納得してくれたほのかに
夏は寂しいような取り残されたような気分を味わってしばらく口を利けずにいた。
そしてほのかのことを見るともなしにぼんやりと視線だけ向けていた。

”ほんとに・・変わらないな・・いや、素直すぎるんじゃねぇのか・・?”

「すきありっ!」

ぼんやりとしていた夏にほのかの唇が押し付けられたのを感じた。
あっという間で、昨日の事故より短かったくらいだが、しっかりと。

「やったあ!今日のは上手だった!?ねぇっ?!痛くなかったし。」

ほのかがほんの少し紅潮した頬で嬉しそうにはしゃいだ声をあげているのを夏は見た。
しかしあまりにノーリアクションでぼやっとしている夏に気付くと不思議そうに近づいてきた。

「やっぱり熱あるんじゃあ・・?」

おでこではなく手だったが、夏の眼の前に迫ったほのかに、夏はようやく気付いた。
急いで片手を掴んで触れるのを阻止した。少し驚いてほのかが目を丸くした。

「・・やめろって言っただろ!」
「・・・普通イヤじゃないって・・ほのかからなら・・ちがったの?」

ほのかは唇を尖らせて文句を呟いた。夏が怒ったのかと眉を下げ悲しそうな声だった。
掴んだままの片手がふいに引かれてほのかが夏の方へよろけて一歩前へと倒れこんだ。

夏のほのかを掴んでいないほうの片手がさっき目薬を挿したときのように頬に添えられた。
数秒、思わず目を塞いだほのかの唇が温もりに覆われた。

離れていった温もりにそうっと目を開けるとほのかの前に夏の顔が当然だがあった。
見たことの無い顔だとほのかは思った。泣きそうなのかな?と不安な気持ちが湧く。

「・・なっちからでもイヤじゃなかったよ?」

ほのかは思ったままを言ってみた。固まってしまって動かない夏を訝りながら。

「あのさ、なっちの方が上手だね!?」

黙ったままの夏にそんなことも言ってみた。怒るかもと思うが沈黙を破りたかった。

「・・・そんなにイケナイことかなぁ・・?」

ほのかはいけないことだから夏がダメ出ししたのだと思ったのだ。言って悲しげに目を伏せた。

「・・・わかってねぇ・・」
「えっ!?」

長い間固まっていた夏がやっと口を利いてくれたのでほのかは嬉しくて顔を元に戻した。
しかしそこにあったのはさっきよりも更に苦しそうな夏の表情で、ほのかの顔も曇った。

「オマエはなんもわかっちゃいない。」
「そっそうかな?なっちだって・・・」
「そうさ、オレもオマエがわからない。」
「わからないとダメってことないじゃんか。」
「・・・そうさ、わかるなんて思い上がりもいいとこだ。」
「誰のこと言ってるの?ほのか?」
「自分のこともわかんねぇんだからな。」
「わかんなくて困ってたってこと?」
「なぁ・・ほのか。」
「なぁに?」
「オレも・・オマエのこと・・好きらしい。」
「!?・・ええ〜!?すごーい!ウレシイ!」
「嬉しいのか?」
「そりゃもう!なっちは嬉しくないのかい!?」
「よくわからん。」
「わかんないのにチューしてくれたの?なんか確かめようとしたとか?」
「スマン。もうしない。」
「えっなんでよ!?」
「これ以上はマジで犯罪だ。」
「ほのかがいいって言っても?」
「ああ、ダメだ。オレを助けると思って待ってろ。」
「待つって・・なにをどれくらい?!」
「昨日オマエが誰が見ても妹じゃなくなるまで待てっていったろ?」
「いったねぇ!?」
「オレも待っててほしい。つまりその・・あまり誘惑すんなってんだよ・・!」
「ゆうわく?!なんと!?ほのかそんな高等技術持ってないよ!いつしたのっ!?」
「だから・・わかってないって・・そりゃそうか。無意識なんだからな・・」
「で、いつまで待ってればいいの?」
「それがわかれば苦労ない。」
「ふぅん・・なっちって面倒なこと考えるんだねぇ?」
「オマエは考えなさすぎだろ!」
「へへ〜!だってこういうのって感じるもんだよ!脳みそは関係ないのさ!」
「関係なくはないだろ!?」
「んだって・・誘惑かぁ・・できたらもっとしたいなぁ!」
「するなといってるだろうがっ!?」
「わかった!”おあずけ”ってヤツだ!ねっ!?」
「・・・犬じゃねぇんだから・・それ・・」
「むむ〜・・じゃあ・・”ヒミツ”ならどお?!」
「・・・・秘密ね・・・・」
「なんかやらしくてドキドキするね!?」
「どこまでわかってていってんだ・・?」
「わかんないけどワクワクするじょ〜!」
「そうか・・なるほど、そう思えばいいんだな。」
「なっちもわかんないとか・・ぷぷーっ!!」
「ちょっと来い。その憎たらしい口・・」
「えっまたチューすんの!?」
「残念だったな。こうすんだ。」
「ほえ?っ!いたたたたっ!!」

口の端を摘んだら思いのほか伸びたので吹いた。柔らかなほのかの頬と心に夏はほっとする。
胸中は反省で頭を垂れていた。ほのかの目に見えない”指導”に素直に参ったと告げている。

わからなくて途惑って抵抗したり、拗ねたり・・オレはオマエといると子供みたいだな。
ほのかは感覚でわかってるのかもしれない。夏はそこは自分には真似できないとも考えた。

「妹に見えなくなるまでってのもなぁ・・」
「ねぇねぇ、ヒミツだってことはぁ、ほのかとなっちの関係は・・なんていうのかな!?」
「妙なこと人に話すなよ!誰が聞いても不信感持つに決まってるからな!」
「ヒミツの関係ってヤラシイか、やっぱ・・」
「〜〜〜;あ、あのな・・つ、”つきあってる”とかいっておけ。誰かに聞かれたらだぞ?」
「付き合ってるっていっていいの?」
「わざわざ言う必要ないからな!言うなよ?どうせ勘繰るヤツは勘繰るんだろうが・・」
「そういえばね、近所でなっちは評判なのだ。」
「なっなんだと!?」
「お母さんが、お迎えにくるなっちのことよく尋ねられるんだって。」
「そっそうなのか!?・・で、なんて説明してんだ?!オマエんとこの母親。」
「お兄ちゃんの友達で、ほのかのボディガードのお願いしてもらってるって。」
「・・そっそうか!なるほど。」
「だけど年の差があるから気をつけないとっていわれるって。」
「は?どういう意味だ・・?」
「知らない人が見たら小さい子が好きなお兄さんだと間違われるよって。」
「!?・・・・ああああああああ・・・・やっぱ犯罪者かよ!?オレは!」
「チューもしちゃったしねぇ・・!」
「っ!?あ、あれはその・・お・おおおおまえがっ・・う・もうしないから許してくれ!」
「ほのかがゆうわくしたからなのだね!?よしよし、ヒミツにしてあげるよ。」
「・・・なんだこの状況・・オレってなんか・・ものすごい失態を演じたんじゃ・・・!」
「元気出して。ほのかがついてるよ!悪いことしてないんだから堂々とすればいいじゃん。」
「あのな・・普通高校生が中学生にそーいうことするとイケナイんだよ、ほのかちゃん・・」
「そうなのかい?知らなかった。それで二人だけのヒミツなのだね。ふむふむ・・」
「胃が・・痛ぇ・・」
「あ、やっぱり具合悪かったの?寝なさい、なっち。チューしてあげようか?」
「・・・・・ふ・・はは・・」
「あれ?元気そうだね?顔色も悪くないし・・」
「負けた。くっそ〜!負けるわけにいかねぇってのに!」
「わぁ!なっちが復活した!よかったぁ!!」
「悪くなったのはオマエのせいだし、良くなったのもオマエのおかげだ。」
「へえ?そうだったのか。」
「けろっとした顔しやがって!むかつく・・ほんとむかつくぜ!」
「好きなくせに!気付くのが遅いよ、ちみ!」
「く・・・”めちゃめちゃ悔しいぞっ”」
「負けず嫌いめ〜!悔しかったらほのかを悔しがらせるといいさ〜!」
「ほのか覚えてろよ!いつかこの悔しい分取り返してやるからな!?」
「それは楽しみだねぇ!」
「口のへらねぇガキめ!」


ほのかが変わってないと拗ねていたが、変わらないでいてくれて良かったのだと夏は思った。
でなければ、怖れを抱いたままほのかを遠ざけたり、悲しい顔をさせたりしたかもしれない。
信じられなくて認めたくなくて背を向けそうになってた。どんだけ怖がりなんだろう、オレは。
死に対する恐怖なんかよりよっぽど怖ろしいのだから仕方ないと・・夏はそう思いたかった。
ほのかに見損なわれる、それだけのことが死ぬより怖かった。ありのままを知られることが。
やつ当たって、ほのかのせいにして逃げようとしていたんだ。それはできないことだというのに。
開き直るしかない。まだほんの子供にしか見えないが、ほのかはそこらの中学生じゃない。
オレにとっては特別な存在だ。今はまだ、名づけるには足りないほど僅かに、恋心も隠してた。

”・・隠しておきたかったんだ。格好悪い気がして。しょうがねぇな・・オレって”

夏は今日で何度目かの溜息を吐いたが、それは気持ちを入れ替えるための呼吸だった。
ほのかもそれがわかるのか、心配そうな顔はしなかった。バレバレなのが恥ずかしい。

”侮るな 目を反らすな 信じろ 生きると強く願え!”

夏は修行中によく自己を戒める言葉を思い浮かべた。そうだ、逃げたら負けだ。
負けない誓いは己に対してなのだ。ぐずぐずと迷って眼の前の崖から転げるところだった。
霧の晴れたような表情の夏にほのかは見惚れた。”あれ?なっちさっきまでと全然チガウ!”
こっそりと惚れ直したことは胸に秘めておいた。”なっちは可愛いけど時々すごくかっこいいよね”
そんなことを思いながら、初めて夏からもらったキスも思い返すと顔が熱くて困っていた。

「・・今度はオマエが顔変だぞ?顔赤くないか?」
「えっ!?いやいやどうもしないさ!だいじょぶだよ!?」
「そうか?・・ならいいが。」

せっかく立場が逆転してリードしたことに夏は気付いていなかった。
まだやっとスタート位置に着いたくらいの気持ちなので余裕もない。
胸中ではこんなことを考えていた。

”ほのかに当分色気の方は目覚めないでいてほしいぜ。まったく・・”
”色気のない無意識の今でこれほど惑わされてるんだからなぁ・・?”

気付いたのは悪いことではなかった。二人はまた一歩未来へ踏み出したのだ。







前作「SING OUT」の夏サイドでその後、みたいな感じです。
ほのかの方がリードしている部分あると思うんですよ。精神的にね。