First Step  


ほのかは不思議そうな顔を浮かべ、繁々と彼を眺めた。
友達だったけれど、好きになって、「大好きだよ」と告げた。
けれど自慢じゃあないが、自分はちょびっとばかし人より幼い。
認めたくないがよくそう言われる。その彼にもしょっちゅうだ。

”なっちはほのかのことなんて・・てんで子供扱いだったのに・・”

初めて恋をした。その相手は彼女より3つほど上の男子。
兄と同年だが、同じ年頃の男子より内面は少し大人かもと思っていた。
幼い頃から苦労の連続で、普通より厳しい生き方をしてきた人だから。
そして彼はほのかのことを特別に好きだとは全く思っていなかった。

”驚いた・・あんななっちは初めてだったもん。別人みたいだった”

ついこの間のことなのだが、彼が突然見たことの無い顔で近付き、
キスされそうになった。あんまり驚いて逃げたので未遂に終わった。

”うあっ思い出すとまたドキドキする!ひぃやああっ・・・!”

そういうことは恋愛感情が伴わなくてもできるものらしい。
ほのかにとってそれは疑問の余地があったが、そうだとすると
この間のアレはなんだったのか?好きでもない、子供だと思ってるはずの
自分に突然そんな気になるなんておかしい。どうしてもわからない。
悪ぶったりするときもあるが、根は至って真面目な性格の夏だと知ってる。
おまけに生い立ちや性質も手伝ってか、かなり人間不信でもあるのだ。
女性に対しても全く同じ。寧ろ嫌っているのではないかと疑うほどである。

”そんななっちがさ・・あんなことするなんて予想外もいいとこだよ”

夏は学校でももてて”谷本王子”などと呼ばれている。もしかして・・
ほのかの知らないところでは女の子とそういうことをしていたりするのか?
それも信じられない。そうであって欲しくはない。もやもやして辛くなる。
とはいえ、自分もようやく好きだと自覚したばかりでそんなこと思いもしない。
そういえば周囲の彼氏持ちの話ではキスくらい当たり前のことなのだが。

”ほのかには当たり前じゃないよ。まったく他人事だったんだ、今までは”

思っても見ない事態にほのかは悩むが、一番問題なのは現実的なことだ。
アレ以来、夏が近付くと無意識に引いてしまうのだ。おまけに以前ならば
ほのかは無遠慮に夏に引っ付いたり、腕を絡ませたり、べたべたしていた。
それができなくなった。実は好きだと意識してしまったせいも手伝っていて
躊躇を覚えるようになった。それが寂しくてどうにも気持ちが沈みがちだ。
なんとか以前のように甘えたい。なのに何故か金縛りにあったようにできない。

”あ〜!・・どうすればいいんだ。なっちだって傷つくよ!”

もし逆に夏が自分に引いたり怯えたりしたら傷つく。そう思うとやりきれない。
夏の悲しそうな顔も、傷ついた顔も見たくない。寧ろそれはほのかを傷つける。
そうやってぐるぐると悩んでいるほのかを見るにつけ、夏も複雑な想いだった。

急にほのかが変わってしまった。そのことにこうも当惑するとは思わなかった。
近づけなくなってしまった。必要以上に意識してしまっている。お互いにだ。
怖がらせるつもりは毛頭なかった。しかしこうなったのは自分が招いたこと。
悔やんでも仕方がない。必然といえる結果だ。いずれ訪れるだろう分岐点が
予想外に早かった。ほのかを遠ざけ、今度こそ別れるべきか、そうでないか。
ずっと心の奥底で迷っていた。見守るだけでこのままずっと傍にいられるか否か。
出会った頃抱いた警戒心は彼女を遠ざけようとした。掴りそうな予感がした。
けれど遠ざけることはできなかった。どうしても。ほのかの図々しさに
負ける振りをして、身近に引き込んだ責任は自分にあると夏は思っていた。

今の状況は望んでいたことだと・・認めるしかない。けれどいいのか?
本当にいいのだろうか。ほのかは全うなこれからの一生を台無しにしないか?
その想いがずっと迷わせていた。傍にいさせて置きながら心を隠して接した。
甘えて縋る体を怒ったり窘めたりしつつ悦んでいた。無知な幼さをいいことに。
だからもしほのかがこのまま怖がるようなら、それは正しく本能が告げているのだ。
どれだけ辛くとも、それならば身を引こう。夏は心の中でそう結論を出した。


ぎこちなさが二人の間に続いていたが、それでもほのかは夏の元へやってくる。
拭えない不安に付きまとわれながらも、夏は終わるかもしれない時を喜んだ。


「・・雲行きが悪い。ほのか、送るから今日はもう帰れ。」
「え!?あっもしかして雪が降りそうなのっ!?そうでしょっ!」
「喜んでる場合か。足元が心配だ。おまえ普通にいつもの靴だよな?」
「なっちにつかまって歩くから大丈夫さ!早く降らないかな〜!」
「降らないうちに帰れってんだよ・・・アホゥ・・」

雪にはしゃいだ声をあげるほのか。玄関を出るとすぐに降り始めた。
夏は逆に眉を顰めた。犬のように駆け回りそうなほのかが心配なのだ。
案の定、ほのかは次第にたくさん落ちてくる雪に歓声をあげて走り出す。
掴まえてしまいたいが、以前のように気軽に体を抱き上げるのは躊躇われる。
恨めしく空を仰ぐ夏の元へ、ほのかが走って戻ってきた。

「わーい!これは絶対積もるよね!?明日雪ダルマ作ろうよ、なっち!」

そう言って夏の懐に飛び込んだ。以前の無邪気なほのかに戻ったように。
つい嬉しそうなほのかの笑顔に夏の口元も綻んだ。おずおずと手を伸ばすと
ほのかははっと思い出したように体を離した。戻った気がしただけだった。
仕方ないと夏も引くと、ほのかはしばし考えた後、小さな手を差し出した。

「なっち。手、繋いで。」
「・・いいのか?」
「ほのかが頼んでるんだよ。」

夏は躊躇しつつもほのかの差し出した手をそっと握った。
ほのかはびくりとしたが、笑顔を作ってそのまま歩き始めた。

「あのさぁ・・なっちにお願いがあるんだ。」
「・・・なんだ?」
「ちょっと今はほのかヘンだろうけどさ・・」
「・・・あぁ・・」
「気にしちゃダメだよ。ちょっと待ってて。」
「・・・・うん・・」

ほのかは思わず夏の方を振り向いた。頼りない返事に驚いたのだ。
ほのかの手を遠慮がちに繋いでくれている夏はまるで小さな子供に見えた。

「なんだかなっちが可愛い。今のなっちならほのか大丈夫だきっと!」
「今なら、だろ。」
「なっちはぁ・・ほのかのこと好き?」
「・・・・・」
「なんで黙るのさ!?言ってよ。」
「・・好きだ。」
「ヒミツにしてた?ほのかちっともわかんなかった。」
「・・そうだ。」
「ふへへ・・そうかぁ!よかった。」
「ほんとうにそう思うのか?」
「うん。じゃないとやだ。あとね、誰にでもちゅーとかしちゃダメだよ!」
「・・・おまえにならいいって聞えるぞ、それ。」
「いいよ!そのうち大丈夫になるから。ほのかにお任せ。」
「・・・怖いくせに・・」
「怖いんじゃないよ。ドキドキするの!好きなんだからしょうがないでしょ!」
「!?・・・そう・・なのか。」
「まぁその・・ちょびっとおっかないこともあるけど・・気にしないの!」
「・・・うん・・」

夏がまた子供のような返事をしたので、ほのかはおかしくて笑った。
その頬が紅潮しているのは寒さのせいだけではないだろう。夏は見惚れた。
ほのかに比べて自分が小さく、情けなく思えた。確かに立場が逆転している。
しかしそんな頼もしいほのかに癒され、励まされた。少し握る手に力を込めてみた。
するとほのかは驚いて真っ赤になり、慌てたが手を振りほどこうとはしなかった。

「そんなにドキドキするのか?なぁ、ほのか。」
「うっ・・ウルサイ!なんだね、余裕ぶって。ちょびっと年上だと思って・・」
「余裕なんかない。おまえのがよっぽど・・強い。」
「そお?なんかさっきからなっちが可愛いぞ、ほのかおかしくなったかな?!」
「おまえが怖いと感じる部分は確かにオレにはある。それでも・・いいんだな?」
「怖がるかもと思って隠してたのか・・なっちらしいね。へへっ・・」
「おまえにだけは・・・隠さないでいいか?引くほどおまえのこと好きなこととか。」

夏が真顔でそんなことを言うのでほのかは今度こそ真っ赤に茹で上がった。
湯気でも出そうな様子に夏がぷっと吹き出した。ほのかはむっとむくれてみせる。

「笑うなっ!慣れてないんだよっ!スゴイこと言うし!マッタク。」
「すま・・ぷぷ・・悪い。マジでツボに・・くっ・・・くくく・・・」
「ちみねっ!人が悪いよ、ホントに。うもお・・・悔しいじょ・・!」

腹を抱え、必死で堪えているようではあるが夏は完全に笑っていた。
そんな夏は珍しい。飾らない気取らない、素の夏。ほのかの好きなところだった。
笑っている夏の背中をほのかはポンポンと叩いてやった。夏の顔を覗きこんでみる。
すると至近距離で目が合った。ほのかはまた胸がドキっと音を立てるのを感じた。

「そんな近付いて・・早く退かないとキスするぞ。」

夏は本気でキスをするつもりなどなかった。ほのかは当然引くだろうと思った。
ところがほのかはむっと口をへの字に折り曲げ、ぴょんと飛び上がった。
驚く夏の顔に、ほのかの思い切りキツク目を閉じた顔がぶつかってきた。
唇の端にほのかの唇が掠った。すぐさま離れたほのかの顔はさっきに負けず紅い。
夏は呆然としたままそれを眺めた。拙いほのかからのキス。と言っていいだろう。

「そんな脅しに毎回引っ掛からないじょ!ほのかだってちゅーしてやったのだ。」
「・・・命中・・してないぞ。」
「いっいいのっ!ちょびっと当たったじゃないか。」
「そうだな・・やられた。まさかおまえに奪われるとは・・」
「ふふーん!どうだっ・・ほのかだって負けないんだから。」
「勝負なんかしない。端からおまえの勝に決まってる。」
「えっなんで?!」
「惚れた方が負けらしいから。」
「ほのかだって好きだからおあいこだい!」
「そうか・・負けてないのか。」
「そうだよ。嬉しい?」
「・・嬉しすぎて・・泣けてきそうだ。」
「え〜!?ならほのかがヨシヨシってしてあげる。」
「ふっ・・・頼んどくか、そんときは慰めてくれ。」
「ちっとも泣いてないじゃん。まぁいいけど。」
「おまえが泣いたらおれも慰めていいんだな。」
「うん・・て、泣かないよ。もう・・多分・・」
「なんだ・・抱きしめてやれると思ったのに。」
「!・・なんだかひょっとして・・なっちはヤラシイとこもあるのだ!」
「当然だろ。男だし。」
「そういうものなの?」
「ヤラシイと引くか、やっぱ。」
「う〜ん・・どうだろ?わかんない。」
「せいぜい嫌われない程度にしておく。」
「そうして・・・ひっくしょん!」
「おい、大丈夫か!?冷えたか。」
「うう・・寒い。なっちあっためて。」

ほのかは離れていた手をもう一度差し出し、再び二人は手を繋いで歩き出した。
繋いだ手はすぐに温まった。時々ほのかが照れたように繋いだ手を見る。
夏はその度にぐっと力を込めるので、最初は悲鳴、次は文句が出たが、
三度目はすっかり観念したのか、黙ったままだった。しかし頬は紅潮していて
夏は愛しさを込めてその横顔に四度目にほのかが視線を寄越したとき口付けた。
わーっ!と慌てたほのかに「お返しだ。」と言った夏の笑顔に免じて、

「許してあげるよ、しょうがないなぁ!」と悔しそうに告げた。







ま、どっちみちこうなるのですよ☆