ふぁいと!  


「ちみとは今日は敵同士なのだ!覚悟するがいいじょ!?」

谷本夏に向かって指を差し、宣言するほのかは仁王立ちに腕組と
勇ましく気合十分であったが、谷本よりかなり目線は下方になる。
小柄なので詮無いことだ。しかしやる気だけは少しも負けていない。
谷本の高校の体育祭に何故中学生のほのかが潜入しているかというと
ほのかの中学が休みだったこと、兄大好きなほのかが例によって新島に
新白連合応援団長に指名され、俄然張り切ったことが原因となっている。

偶々紅白に分かれてしまったために先の台詞である。実にバカらしい。
谷本は早々に終了を願い、殊更関わらないようにしようと心積もりした。
ところが、何の策略か元来権謀術数の訓練に持ってこいだと嘯く新島に
知らず知らず巻き込まれるのが彼の運命、というのに近い。何故ならば、
彼はほのかに関しては普段の部外者面を決め込むことができないからだ。

競技中の野次や罵声にほのかの声が混じっているくらいは無視できた。
しかし段々エスカレートしてきて飲み物を摩り替える等の戦略?になると
首根っこを捕まえて説教するしかない。その都度『谷本王子』の目線を意識して
当たらねばならない彼は普段以上に疲弊した。結果が暖簾に腕押しというのもある。

あかんべをして逃げ去るほのかはいたずらっ子そのままにはしゃいでいる。
楽しそうだからまぁいいか、となる胸のうちに多少親ばかを感じながらも
体育祭はなんとか進行してゆく。まだ事件と呼べる程のこともなかったのだ。

そんな中、それはプログラム中盤を過ぎた頃の『借り物競争』で起こった。

選手になった夏が借りものが書かれた紙片を手に取ると足を止めてしまった。
困惑した様子に周囲からも野次が飛ぶ。放送部はその様子をアナウンスし始めた。

「おおっと!6コースでは谷本王子が固まった〜!一体何と書かれていたのかー!?」
「いや〜珍しい!それにしても女性徒の声援がやかましいのが腹立ちますねえー!?」
「ここで情報が入りました!6コースの借り物は・・『好きな人』だそうです〜!!」

場内に悲鳴が上がった。「いやー!谷本さまあー!?」という悲痛な叫びは勿論、
中には「私、この私を連れて行って〜!?」などの熱の入った要望も多々ある。
真面目に本気の相手を選ぶ必要はないのだ。夏は無難な路線を探すことを試みた。
しかし誰を選んでも支障がありそうで足が踏み出せない。そんな夏が顔を上げると

ほのかと目が合った。どういうわけかほのかは騒いでおらず、硬い表情だ。
瞬きもせずに夏を見ている。眉が僅かに下がって泣き出しそうにも見えた。
瞬間地面を蹴っていた。夏があっという間に目の前に走ってくるのをほのかは
ぼうっとしたまま見ていた。近くで見てもやはりほのかは悲しそうな顔だった。

「なに湿気た顔してんだよ、ほのか!しょうがねえから来い!」

「しょっ・・しょうがないってなんだい!誤魔化しにほのかを使おうなんてっ・・」

夏の言い方にカチンときて喚き出したほのかをひょいっと抱き上げて夏は走り出した。
周囲からは盛大な歓声と悲鳴と声援とが入り混じって飛んでくる。途中ほのかは怒って
担いでいる夏の腕やらに噛み付いた。「好きな人ってホントは誰なの、なっちのばかー!」
じたばた暴れても夏は気にした様子もなく走る。ゴールラインは目前に迫った。のだが、

「う・・うえええええええんん〜!」
「えっ・・なっ・・ほのか!?」

ゴール直前、夏はまた足を止めてしまった。ほのかが大声で泣き出したからだ。
えんえんと小さな子供のように大粒の涙を零して泣くほのかに為す術のない夏。
よしよしと頭を撫でようとした手も振りほどかれてしまった。歓声はざわめきに変わる。
そんな二人を他所に、他のコースの選手が申し訳なさげに何組もゴールを通過して行った。

叱られた子供のように夏は項垂れてほのかを連れてゴールまで歩いた。とぼとぼと。
最下位という夏にとって生まれて初めての経験は本来ならば屈辱であったかもしれない。
しかしそんな不名誉がどうでもいいくらいに、借りてきたほのかを抱いて途方に暮れる。
心配したほのかの兄兼一や美羽、連合のメンバーも駆けつけてほのかを宥めようとした。

「すまん・・ちょっと抜けさせてくれ。」夏はそれだけ言って後を新島たちに任せると
顔を埋めてしゃくりあげているほのかと校舎裏へ引き上げた。途中で顔パスできたのは
谷本が日頃優等生を演じているお陰もある。人目の無い教室(道具置き場らしい)に着くと
そこでほのかを下ろした。ほのかは目を真っ赤にして鼻をすすったが泣き止んでいた。
夏は何と声を掛けるべきか、謝るにしても何に対してなのかわからず口が開けない。
ほのかは落ち着いてきたようだが、夏と同様に口に戸を立てて黙ったままである。
沈黙が夏の耳に痛い。もういいのか、それとも元の木阿弥かと迷いながらおずおずと

「・・・俺のせい、なら悪かった。すまん・・」
「・・・なっちは悪くない・・」
「!?それならなんで泣いたんだよ。」
「わかってないからだよ。」
「わからんから?!」
「なっちのばか。好きなヒトの身代わりなんて嫌に決まってるじゃないか。」
「身代わりって・・いねえし、そんな奴。困ってたらお前が見えたんだよ。」
「誰でも良かったんならほのかじゃなくてもいいじゃん。」
「よくねえよ!」
「なっちなんてキライだ!」
「・・・そうかよ。悪かったな!」

語尾が怒りに変わっていた。大人気ないが夏はほのかの言葉にむっとしたのだ。
まるで告白して振られたような気分になった。未経験なのでそんな気がするだけだが。
そもそも体育祭の競技上でのことだ。本気の恋愛を引き合いに出す必要などない。
なんでもかんでも本気にするなんて重たい話だ。そんな女は大概の男が敬遠する。
ほのかも夏が悪いのではないとわかってはいるのだ。八つ当たりされている夏が被害者だ。
それなのに自分が悪いと思うなんて馬鹿だと夏は思った。そのうえ「嫌い」とまで言われ
いい面の皮だ。すっかりむかっ腹を立てた夏はほのかから目を背け、腕を組んでしまう。

「・・・ほのかはなっちのだって思ってたんだ。」
「・・・俺の・・?」

意気消沈した呟きの意味が不明瞭で夏は思わず聞き返した。視線をほのかに戻すと
不機嫌さの消えたほのかは机の上に座っているのだが、膝に手と目線を落としている。
口はややへの字のままだが言葉は素直で厭味を言っているのではなく本音なのだろう。

「新島会長にすぐにほのかのとこ走って来るって聞いたから期待してたの。」
「新島!?まさかあれも・・・あいつの仕込みだったのかよ!?」
「なんか・・借り物の中身は調べたって・・そんでなっちのはそれだからって。」
「あんの・・・ヤロウ・・・」
「そしたらなっちは困った顔して・・あ、ほのかのこと好きじゃないんだって・・」

ほのかの声が震えた。また込み上げたらしいがなんとか泣くまいと堪えている。
くだらないことに巻き込んで・・こういう結果を怖れていたのにまんまとやられた。
否誰が良い悪いはこの際いい、夏は自分を恥じた。予想できたのに放置したことを。

「俺が悪かった。許せ、ほのか。」
「えっ・・?急にどうしたの!?」
「あいつらは面白がってるんだ。惑わされるな。」
「う・・ん?」
「要するにだな・・・その・・・あー・・・」
「なんなの?」
「誰が何言っても信じるな。ってのと、つまりだなぁ;」
「つまりどういうこと?!」
「困ったのは・・お前のほかに・・思いつかなかったからで・・だな!」
「!??」
「あ、慌てるなよ!まだ・・とっ特別な意味でじゃなくて」
「???」
「そもそも・・こんな風にぶっちゃけるのは違うだろ!?」
「なっちー・・ゼンゼンわかんないよう;」
「あーもー・・・めんどうくせえなっ!?」

夏は錯乱した。かのように思えた。ほのかはぽかんとしてそんな夏を見ていた。
一人で焦って顔を青くしたり赤くした夏が思い余ったように、終いに怒った風で
怖い顔をほのかに近づけたかと思うとほっぺたに何か当たった。乱暴なキス。
びっくりして目をぱちくりさせた。どこがどうなってこういう結論に至ったのか
さっぱり理解できない。ただ、キスをした当の本人が一番困惑顔になっている。
ほのかの両肩に手を置いたまま俯いている夏の顔は明らかに赤い。間違いなく
照れている。ちょっと可笑しくなってほのかは口元を弛めた。すると・・・

「ウケてんじゃねえよ!」と睨み付けながら夏は怒鳴った。
「だって・・ヘンなの!」とほのかはけろっと告げる。

どうも説明に窮したらしいとはほのかも感づいた。でもって意味の方だが、
よく反芻してみると、今は特別に好きな相手は存在していない夏であるが
強いて一人、それに近い人物を探すとすればほのかであるといったところか。
遠まわし過ぎてほのかにはピンと来なかったが、まとめるとそうなるはず。
一人で運動会をしたみたいにぐったりしている夏に労いの言葉を掛けてみた。

「なっちー、ナイスふぁいと!」
「おお・・」
「ふはは・・疲れとるねえ!?」
「誰のせいだと思ってんだよ!」
「ほのか」
「そうだ」
「ほのかのせいで疲れたんなら・・何かお礼してあげる。何が良い?」
「・・・気持ちだけで・・十分だ。から、あいつらには何も言うな。」
「あいつらって・・新白の人たちかい?」
「ああ、特に新島。それからアニキにもだ。」
「わかった。らじゃっ!」

夏がフーと大きな息を吐くとほのかはよしよしと背中をさすった。
すっかり泣き顔は笑顔になっているのを確認して夏もほっとする。

「戻るとするか。」
「うん。まだ勝負の途中だもんね。」
「・・・早く帰りたいぜ・・」
「赤組の勝利を見てからだじょっ!」
「へえへえ・・・」

適当な相槌を打って夏はほのかと会場へ戻った。競技は滞りなく進んでいた。
最終レースは当然ながらリレーだ。男女混成でラスト一番を盛り上げる種目である。
夏も選手であるため、入場門の待機場所へと向かうとほのかが駆け寄ってきた。

「負けろとか言うのは聞かんぞ、ほのか。」
「そんなケチなこと言わないよ、全力出すがいいのだ、なっち!」
「へえ・・それならいいが・・?」
「お兄ちゃんが勝つに決まっておるからね。」
「なに、あいつが赤のアンカーなのかよ!?」
「お兄ちゃんが勝ったらほのかの勝ちだからね、奢ってもらうじょ!」
「・・・俺が勝ったらどうすんだ。」
「ふふーん・・なんでも言うこといっこ聞いてあげてもいいじょ〜!」
「よぉし・・忘れんなよ。」

赤組みはリードしていたのでほのかはいくら夏でも勝てまいと思っていた。
しかし殺気を含んだ夏の追い上げに兼一が一瞬怯んだせいかどうか・・結果
僅かの差で夏の白組が抜いて逆転勝利という劇的なクライマックスを演じた。
黄色い女子の悲鳴で谷本王子はまたもや記録を更新し人気に拍車を掛けた。
そして、兄を必死で応援したほのかをがっかりさせたのは言うまでもない。



「ほのか・・約束したろ!?」
「べーだ!知らないよ、そんなの。」
「帰ったらなにしてもらうかなあ?」
「・・・・なっちのあほー!」
「疲れたから労ってもらわんとな。」
「ふんだ!ふんだ!なっちなんて・・」
「なんか文句あるのかよ。勝負に手を抜くなって言ったろ?」
「くうう・・あのときお兄ちゃんがよろけたりしなければ!」
「残念だったな、ほのか。」
「いいよいいよ!なんでもするって言ったもん。するさっ!」
「よーしよし、そうだな。二言はないよな。」
「・・・・・」

口惜しそうにほのかは夏を睨むと、勢いを付けて突進した。
夕暮れの帰り道、夏の影とほのかの影が長く一つに重なった。

「こうしてやるー!なっちなんてー!」
「ばかじゃねえ・・?おまえって・・」

体格に差があるため、タックルしてもほのかは夏の腰にしがみつくだけで
周囲から窺うと抱き合っているようにすら見える。報復措置とは言えない。
あまつさえ攻撃しているつもりのほのかの頭に置かれた手は優しく撫でる。
口惜しさを募らせたのか、ほのかはくっつけていた顔を離し夏を見上げた。

「こうなったらお土産のお饅頭はほのかのものなのだ。」
「食えばいいだろ。俺はいらねえし。」
「どうすればなっちは困るのさ!?あっ・・そうだ。」
「・・なんかろくでもないこと思いついた顔だな!?」
「なっちー?いま好きなヒトは誰!?」
「あぁ・・誰もいねえよ。」
「なら、ほのかはすき!?」
「すっ・・きらいじゃ・・」
「すときの間が開いてたけどまあいいか。」
「ちがっ!ちゃんと聞けよ、きらいじゃないと」
「きらいじゃないならすきでしょ!?」
「!?・・いやしかし・・」
「すきって言うまで離さないことに決めたじょ!」
「なんだとぉ!?」

ぎゅうと強く腰を抱くほのかは本気だ。夏はしてやられた。
夕暮れに赤く染まる全身に紛れて頬は目立たないまでも同じ。
このままひっついていても暗くなるばかりだ。言うしかない。

「・・しょうがねえなあ・・・」
「またしょうがないって言った!それ却下なのだ。イエローカード。」
「言っちまったもんは・・イエローカードだとどうなるんだ?」
「すきって2回言わないといけなくなったのだよ。ざまみろ!」
「言い間違えたらもう一回ってか!?・・・考えたな・・」
「どうする〜?!ねえ、困った!?困ってる?!へへ・・」

夏は選択に迫られた。「すきだ」と素直に二回言う。或いは
昼間苦し紛れにしたように、このままほのかに唇を落とす、
もしくは抱き上げて連れ帰り、好きなだけ文句を言わせるというのもある。
口惜しくて胸が苦しくなる。どれを選んでも意味は同じだと漸くわかった。








体育祭っていうのと運動会って言うのとどっちがどうなのか?
と悩んだのは作者です。甘いのを書いたぞ、甘いわ〜!(笑)
9/22 一部改稿。誤字が結構ありました。ごめんなさい!><