「新たな約束」〜読書をしよう〜 


オレは忙しい。一人暮らしな上に武術家としての鍛錬もある。
色んなことを兼ねてこなす。だが、たまに息抜きもしたくなる。
そんなオレの手っ取り早い気分転換は「読書」だったりする。
小説などはあまり読まない、数学や科学分野の専門書の類が多い。
速読でかなりの数は読む。必要ならば分野に関わらず何でも読む。
しかしそれらは知識を仕入れるという意味合いがほとんどだ。
そんなオレの場合は「読書家」と言うのは少し違うかもしれない。
反対に妹の楓はとても「読書家」で「読書愛好家」だった。
最初に読み聞かせてやったのはオレだが、いつしか立場を変えて、
オレに本を読んでくれたり、自身も楽しんで特に物語を好んで読んでいた。
もう読み手の居ない物語の本棚は長いこと外の空気を知らず納まっている。


学校を終えて洗濯している合間に読んでいた本をソイツが覗き込んできた。
例のごとくほのかだ。慌てることなく「きやがったか」と身構えた。

「げっ、何コレ!?さっぱりわかんないこと書いてあるじょ!暗号!?」
「ほっとけよ。オマエが読むんじゃねーんだから!」
「面白いの?なっつんて変ってるよ、ほのかが面白い漫画とか貸してあげようか?」
「要らん、オマエの趣味を押し付けんな。勝手に好きなの読んでろ。」
「・・・じゃあさ、なっつんのお勧めってある?たまには読んでみるよ。」
「何!?オマエが本を・・熱でもあんのか・・?」
「なにをー!ほのかだってたまには本くらい読むさ!」

珍しいことを言うほのかを大人しくなるかもとの期待も込めて書斎へ通した。
広いだの、埃臭いだの、なんだここは図書館みたいじゃないかと一々煩い。
読み手を失って随分になる児童文学の棚から適当に一冊取り出してみた。
妹の楓が昔病床で読めたくらいだから、いくらコイツでも少しは持つだろう。

「ホラ、これとかオマエ向きじゃないのか?」
「おっ豪華な本なのだ!スゴ・・こんなの初めて。・・」
「小学生でも読める。読めないと逆に恥ずかしいぞ。」
「むむ・・大丈夫だよ。・・しかし字ばっかりだね、これ・・」
「当り前だ。これ以上子供向けのはウチに無いから我慢しろ。」
「馬鹿にして・・よーし、そんじゃあ早速読書タイムなのだ!」

読み始める前、ほのかは本を抱えて居間をウロウロしていたので不審に思った。
何をしているのかと思えば、読む「場所」を探しているということだった。
あっちでもない、こっちでもない、とくるくる回ってようやく落ち着いた。
落ち着いた先は結局いつものソファだったから、何のことはない。
初めのうちは難しい顔をしながら頁を捲り、たまに首を捻ったりしていた。
数十分過ぎた頃に様子を窺うと、眉間の皺は消えて読むことに熱中している。
ソファの端と端に座っていたので、ほのかの手元は横からよく見えた。
ペースは速くないが、オレの方をちらとも見ずに没頭しているのがよくわかる。
そのおかげでオレは予定より随分早めに自分の本を読み終えることができた。
”この手は使えるな”と思いながらオレは三時も近いのでお茶を淹れに立った。
居間へ戻るとまだ読みふけっている。すぐに投げ出すと予想していたので意外だ。

「休憩しろよ。お茶淹れたぞ。」
「えっもうそんな時間!?すごい、ほのか新記録更新かも。」

本に栞をして、ほのかはお茶をいつものように美味そうにすすった。
与えた本は「当り」だったらしく、オレに本の内容について話し出した。

「あれ?!なっつんは子供のときに読んでないの?」
「その辺は妹が好きでよく読んでたが、オレは読んでない。」
「なんでなっつんは読まなかったのさ?」
「オレはあまり物語とかには興味ないんだ。」
「へぇ・・これなんかものすごく面白いよ。ほのかきっと楓ちゃんと気が合ったと思うな!」
「・・どんな内容かってことなら妹が粗筋を話してくれたから大体知ってるけどな。」
「おお!うーん、やっぱりほのか楓ちゃんと逢って本の話とかしたかったなぁ・・」
「・・・」
「あ、あのね、ウチのお兄ちゃんも本が大好きで結構沢山読んでるよ!」
「へぇ?」
「小さいときお兄ちゃんに感想文書くときよく助けてもらったんだ。」
「・・粗筋を聞いたりとかか?」
「ウン、当り。一緒だね!?ほのかとなっつん。」
「オマエと一緒にされるのはどうもなぁ・・?」
「えへへ、持つべきものは兄妹ってことだよ。幸せだね、良い兄妹が居て。」
「・・フン・・まぁ・・そうかもな。」


楓がもし生きていたら・・そんなことをオレは考えない。虚しい作業に思える。
そういえば生前妹は自分に良く似た元気な女の子に夢で逢ったと言っていた。
そしてその子にいつか本当に出逢って友達になるのだとも言って嬉しそうだった。
妹を励まそうとオレがそう言ったのだったか・・しかし妹はその子には逢えなかった。
自分のかわりにオレに逢って欲しいと・・・そんなことも言っていたかもしれない。
続きが気になるらしいほのかの顔をほんの少し見つめた。

お茶を片付けた後もほのかは本に夢中でオレに構うことは無かった。
願ってもない状況なのに、オレは何故だか落ち着かない。
妹が逢いたかった、友達になりたかった子供・・・まさか、そんなことは・・
自分が莫迦らしいことをつい想像してしまってそれが気になったのだった。
ほのかのことをぼんやりと眺めていると、しばらくして異変が起こった。
どうやらオヤツでお腹が膨れたせいもあってか、眠いらしい。
一生懸命眠気と闘っているらしく、何度か首を振って目を覚まそうとしていた。
かなり頑張っていたのだが努力虚しく、ほのかはこっくりこっくり舟を漕ぎ出した。
本を抱えるように膝を立て座っていたので本はそこに乗ったまま留まっている。
片方の手だけがぱたりと本から離れて、下方へと滑り落ちていった。

「おっと・・」倒れそうな身体は幸い隣に居たオレの方に傾いた。
分厚い本は半ばほどで、まだ物語は途中らしかったが、思ったよりペースは速い。
栞を挟んで本を閉じてやった。ほのかは寝息を立てて暢気な顔をしていた。
知らず苦笑が浮かぶ。”子供だな、まったく・・”と小さな肩を感じて思う。
そっと顔を覗きこむ、そして心の中で楓に尋ねてみた。「コイツがそうなのか?」
返事などがあるはずもないが、オレは妙に正解のような気がしていた。

”楓のお願いの一つを・・オレは叶えてやれたのか・・?”
”それともオレと楓の願いのために、現われてくれたのか”

ほのかが夢でも見ているように閉じた目蓋の中で瞳を動かしていた。
夢の中でもいいから、妹に出逢ってやってくれないか、と願ってみる。
友達になりたいと、元気になってその子と色んなことをして遊ぶのだと言った楓。
きっと仲良くなって、オレを二重に振り回していたに違いないだろう。
どっちも・・考えていてふと恥ずかしくなって思考を止めた。
妹もほのかもオレの目の前で笑っている、そんな光景を思い浮かべていたから。
”何考えてんだ、オレ・・”すっかり寝込んだほのかを膝の上に乗せた。
猫みたいにオレの膝を枕にしてすやすやと眠っている。

”ごめんな、楓はもう膝枕してやれないけど・・”
少し後ろめたいような感情が襲ってきたが、不思議と気持ちは落ち込まない。
楓が微笑んだような気がしたからだ、”いいよ、お兄ちゃん”って。
ほのかの顔に掛かる髪をどけてやりながら、ぬるま湯のような心地よさに浸る。
”ちょっとくらい、いいよな”と思いながら。


「ふあっ!?待って!楓ちゃん!!」
「!?なっ何!?起きたのか・・?」
「あれっなっつん!楓ちゃんは!?どこ行っちゃったの!?」
「落ち着けよ、楓がここに居るわけないだろ!?」
「だって今・・・・そうか・・・夢か・・・でも夢じゃないよ、なっつん。」
「・・どうしたんだ、大丈夫か?」

オレは目の前で突然ぽろりと涙を零したほのかを見て慌てた。
「また逢えるって約束したもん!ねぇ、だから逢えるよね!?なっつん!」
「そ、それは・・・」
どう答えていいのかわからないオレを見て、ほのかがうわーっと泣き出した。
おろおろとするオレはお構いナシに、涙を拭きながらしばらくして泣き止んだ。

「ウン、絶対。だってもう『友達』になったもん!」

一人で完結してそう言うほのかにオレは成す術なく、ただ見ているしかなかった。
「なっつん、楓ちゃんて可愛いねぇ!なっつんが甘いお兄ちゃんになるはずだよ!」
「・・・オマエ・・ホントに楓に・・逢ったってのか・?」
「ウン、ちゃんと名前教えてくれたよ。ほのかも名前言ったんだけど、もう知ってるって。」
「楓が・・」

長いこと読み手の居なかった本に楓が魔法でも掛けていたのだろうか。
きっと「その子」に逢えたら、この本を手に取るだろうと?
オレがそんな莫迦みたいなことをぼんやりと考えていると、ほのかが言った。

「なっつん、ありがとう!この本ね、楓ちゃん読みたかったんだって。」
「へ・・?いや、オレは別に何も・・・たまたま手に取っただけで・・」
「なっつんが好きだった本を選んでくれて、嬉しかったって言ってたよ。」

「不思議なことってあるんだね」とほのかは嬉しそうにオレにしがみついた。
オレもなんだかそのまま受け入れてしまいそうでただ呆然としていた。
「ほのか、楓ちゃんの好きだった本全部読むよ。なっつん教えてね!?」
「あ、あぁ・・さっきの本棚はほとんど全部・・・楓は好きだった。」
「えっ、あれ全部!?そりゃスゴイ・・でもいいよ、ぼちぼち読むから。」
「・・まぁ・・そりゃ・・良いけどな。」

そんなことがあってから、オレとほのかの間に「読書時間」が設けられることになった。
「オセロ勝負」に続く定番が出来たというわけだ。そういや「オヤツの時間」もあったな・・
どんどんほのかに「オレの時間」が侵食されてるとついぼやいてしまった。
すると「失敬な。『侵食』じゃなくて・・えっと・・『共有』っていうんだよ!?」
ほのかがオレにそう訂正を入れてきた。こんな心地よい時間ばかり増えたら腑抜けそうだ。
オレのそんな思いに気付いたのか、「ダメだよ、約束だから護ってね。」と釘を刺された。
「約束は護る」と言ってやった。そう、それはオレの「誓い」でもあるのだから。
妹とオレとの・・そして妹の友達になったほのかとの。







これは以前書いた小説「楓と夏」の中のエピソードがベースになっています。
「夏ほの以外」の頁の方に置いてますので良かったら読んでやってください。