抱かれたい男  



「”抱かれたい”ってつまり好きってこと?」

平和な午後の谷本家でのお茶の時間、その質問はのんびりと為された。
眉間に皺寄せながら、夏は質問者の平和で邪気の無い顔を見詰め返す。
またどこからかくだらない話を拾ってきたのだろう。まるで猫の習性だ。
あちらこちらで茶菓子をもらっていることからもそんな連想をしてしまう。
彼女にとっては谷本家も単なるおやつ補給所と看做されているのだろうか。
そう考えると無性に腹立たしい。別宅、即ち本宅でないのは已む無しとしても
単なる立ち寄り所というのが気に食わない。ここほどの好待遇はないはずだと
そこまで考えて我に返る。質問者が不思議そうな顔で夏の答えを待っていた。
反応がないことに痺れを切らしたのか、ほのかは尋ねた内容を説明し始めた。

「新白WEB隊が調べたって言ってた。なっちがダントツだったって。
”抱かれたい男”ランキングで校内第一位!すごいね!?なっちい。」
「またお前は・・あそこには出入り禁止と言ったはずだぞ?」
「お誘いを受けたんだもん。ほのかから行ったんじゃないんだじょ!?」
「どうせ菓子に釣られたんだろう。お前明日のオヤツ無しだ。」
「ええっ!?そんなのないよ、ほのかちょびっとしか食べなかったよ!」
「俺が作ったのが最高とか言うくせして・・」
「モチロンだよ!ねえねえ、ごめんなさい!ゆるしてえ!?」
「・・・・・そんな・・泣くこともねえだろ。わかったよ。」
「はあ〜よかった。ほのかなっちのオヤツなしには生きてけないのだ。」
「よく言うぜ。」

調子のいい奴、と思う夏だが甘いことにもう機嫌を直してしまっている。
ほのかが谷本家を最重要としていれば満足なのだとしたら親バカ的発想だ。

「そんで話を戻すけどほのかも考えてみたのだよ。」
「なんの話だ?ああ・・」
「ほのかもなっちに抱かれたい!」

急に咳き込んだ夏をほのかが気遣って近づいてきた。「大丈夫?」と
心配そうに覗き込んでくる。小首を傾げたほのかの可愛い顔が近かった。

「だっ・・大丈夫だ。お前それより・・」
「もしかして嫌だったの?ほのか傷つくじょ・・」
「!?マジで言ってんのか?意味わかってるか?」
「ん?抱っこは大きくなってからは恥ずかしいけどね。」
「・・・ああ、そうだな。(良し!わかってねえな!)」
「なんでそういう聞き方するんだろ、好きなヒトじゃダメなのかね?」
「普通嫌いな男にそんなことされたかねえんじゃねえか?」
「それはそうだね。まーいいや、んでさっきは驚いたの?」
「・・ゴホ・・そこは流してくれねーか・・・?」
「?・・抱っこするのも恥ずかしいかい?!やっぱし。」
「・・そうだな。子供じゃねえんだからな・・はは・・」
「そうだよねえ、けどさやっぱし・・抱かれたいかも!」

ほのかがもじもじと頬を染めて言う。お蔭で夏はややこしい気分だ。
ここは可愛らしい願いを叶えてやるべきか、否、それはマズイだろう。
などと割合本気で考え込む。役得とするか、世間体を配慮すべきか。

「・・アニキじゃなくて俺、でいいのか?」
「お兄ちゃんしてくれないもん。この頃ご無沙汰なのだよ。」
「してもらってたのかよ!?幾つんときの話だそいつは!?」
「え、忘れた・・お兄ちゃん最近くっつくと怒るんだじょ。」
「当たり前だろ。ってかそんなことする男は全部排除しろ!」
「はいじょ?・・なっちは?なっちもダメなの?!」
「うぐ・・」

自分のことは完全に棚上げしていた夏が言葉に詰まる。さてどうする。
俺だけはいいと言ってしまって良いものか。ここは危険な分岐点だ。
ほのかをここで誤魔化して後々困ることになるのは自分ではないか。
一瞬で夏の頭にあらゆる問題が過ぎったが、ほのかは待ってはくれない。
ねえねえ、と夏の服を引っ張り始めて益々夏を追い詰める。そんな気は
ないのだろうが、悲しいかな夏が追い込まれているのは明白だった。

「お・・俺ならいい・が、兼一の身代わりは御免だ。」
「え、ううん。そうじゃないよ。えっとねえ、なっちが第一位だけど」
「・・?(ああ、抱かれたいランクか)」
「二位以下はないのだ。つまりおんりーわんだよ。光栄に思いたまえ!」
「・・・どうやって・・・・抱けばいいんだよ?」
「んとね、じゃあ、ハイ!!」

頬を染めて両手を広げるほのかは破壊的な可愛さで夏の思考は完全停止。
うっかり、否しっかりとその気になって腕を伸ばしてしまう。が、直前

「あ、ちょっと待って。」とほのかが突然お預けを食らわせた。
「なんだよ!?」

少々苛立ちを含んだ言い方になってしまい、夏はこれはイカンと取り繕う。
だがそんなことに気付かず、ほのかは言い残したらしいことを補填する。

「言っておかないと。あのね、抱かれたいヒトがいっぱいらしいけどさ、」
「はあ・・それが?」
「なっちはこんな風にほいほい言うこときいちゃダメ。禁止するのだ。」
「ああ、きかねえよ。」
「あれっ!?いいの?」
「こんなことに付き合ってやれるのはお前くらいのもんだ。」
「そっか!?よかったじょ、これで一安心なのだ。」

嬉しそうなほのかに対して夏は顔色を変えていない。顔に出さないのは
得意というより習性だ。内心では”何こいつ可愛いこと言ってんだ!?”と
かなりのハイテンションだった。これは夏としては詮無いことである。

「もしやなっちの”抱きたい”らんきんぐ一位にしてもらえたのかな?」
「やたらそこに拘るな・・ランクなんぞ付ける必要ないだろうが。」
「なっちもほのかおんりーわんなの?」
「・・そ・・うなるかもな。他にいねえと。」
「わあっ!?すごい!!なんかなっちとほのかってらぶらぶじゃないか!」
「それは言い過ぎだろ?!」
「その方がいいじゃんか。」
「そんなに嬉しいのか?」
「うん。なっちは?嬉しくない?!」
「・・さ、さぁ?別に悪かねぇ・・」
「わーい!」
「なんか満足した。ありがと、なっち。」
「へ?」

ほのかは両腕を下ろし、あっという間に離れた。夏は呆然としてしまう。
『抱っこ』はどうなったかとは訊けず、夏は所在無く肩と腕を引っ込めた。
ほのかはそのまま機嫌宜しく「オセロしようよ!」と茶器を片し始める。
仕方なく夏はそうした。取り逃がした感は否めない。だがこれでいいのだ。
すっかりオセロモードになったほのかと対面した夏はこっそり息吐いた。
オセロ盤に目を落とし、真剣な顔のほのかをこれ幸いにと見詰めながら。

”ばかみてぇだよなぁ・・俺って。こんなつまらねぇことで・・”

ほのかの言動一つに一喜一憂する自分を哂う。有り得ない愚かしさ。
それでいて不満でもない。長い睫の下の大きな瞳は今日も澄んでいて
抱き締めなくても容易く想像できる。温かくてきっと夢よりも・・

「なっちの番だよ!」
「・・・すまん。ほい。」
「あっしまった。くぅ;」

ほのかのお陰で随分オセロの腕も上がったなと夏は思った。勝ち負けでなく
勝負そのものが面白いのは格闘でも盤上のゲームも同じだ。駆け引きもそう。
口惜しそうなほのかの目元口元もいい。必死な顔をさせるのに成功すると
楽しさも増す。一々表情で見て取れるところが未熟だとしてもほのからしい。

「俺が勝ったら・・抱いていいか?」

夏は自分が発したとは思えない言葉に一瞬金縛りにあったように固まった。
ほのかも目を丸くしている。焦りでじわりと汗が吹き出たのを夏は自覚する。
勿論抱くと言うのはほのかが思っている方の意なのだが、それにしても
まずかったと夏は訂正を入れるべきか悩んだ。ほのかも手を止めたまま、
じっと夏を見ていたから居た堪れない。言葉が出口を探してもがいていた。

「いいよ!ぎゅーっと抱いてね!?」

突破口はほのかで、夏は何か言いかけていたことを綺麗さっぱり忘れた。
呆然とする夏の前でほのかは繋がっていた視線を外しポンと駒を盤に落とした。
そこは夏の想定外で局面が変わる。予測していた勝敗は遠のく結果となった。

”おい、これって本音は嫌だと言ってるんじゃねえんだろうな!?”

ほのかは口元を弛めて哂っているようにも見える。夏は違う意味で焦った。
勝敗関係なく抱き締めたいと思う。盤をひっくり返したりはしないが、
心の奥底では余程さっきのスルーが口惜しかったのだろうかと自己に問う。

「ほれほれ、次の手は?」
「考えてんだよ、待て。」
「しょうがないね、ちょっとだけだよ。」
「お前・・一体どっちなんだよ・・!?」

ついつい内心が零れた夏にほのかが楽しそうに笑った。通じてしまったらしい。
ほのかは「どうしようかな〜!?」と小さく呟いたからだ。夏の体が火照った。

”コイツ・・!上等じゃねぇか。負けてやらねえからな、絶対に。”

勝負はいつもより白熱した。ほのかはどちらでもいいのか余裕の表情のままで
そのことが夏を刺激する。腹立たしいような、してやられて少し嬉しいような。
結果、僅差で夏の勝ち。ほのかはというと、その結果にごろごろと転がった。

「あああ〜!負けちゃったあー!!くやしい〜っ!」
「フン、そうでもねぇだろ、見りゃわかるんだよ。」
「くやしいさ。ほんとに。けどウレシイんだもん。」
「どっちだよ!?」
「どっちもさ?!」
「わざと負けてはいないだろうな?」
「まさか。勝負は勝負さ、頑張ったじょ。」
「だよな。手ぇ抜いたらわかるだろうし。」
「ねーなっち。そんなに抱っこしたかったの?」
「・・・・・知らん。」
「うれしい〜!えへっへ・・どうしよ〜!」
「さっきからゴロゴロと・・猫か。」
「猫もダメだよ、抱いていいのはほのかだけ。」
「!?・・・わかった。来いよ、抱かせてもらう。」
「おお・・なんか・・開き直っておるのう!?」
「うるせー!なんかもうどうでもいい。めんどくせえ!」

くすくすと笑いを堪えながらほのかが夏の元へとやってくる。さっきより
赤い顔でないのが妙に気に食わない夏がほのかの腕をやや強引に引っ張ると

「初めてがなっちで光栄だじょ。」と囁いた。
「ほんとに俺が最初か?」と何故か疑いの目を向ける夏。
「うん、どきどきするヒトとは初めて。」
「それって俺以外にもいたみたいじゃねえか。」
「なっちこそ、ほのかが初めてかい?!」
「だったら悪いか。」
「ううん、ウレシイ」

腕を引いた時は強引だったが、ほのかが身を竦めた時はまるで逆だ。
壊れ物扱いのような手つきがくすぐったくて身を竦めた。夏の胸が温かい。
ほのかも広げた腕で夏を抱いてみた。大きくてタイヘンだがいい気持ちだ。

「うふふ〜・・いい気持ち。」正直なほのかのコメントが夏に響いた。
「思ったよりよくねぇ、落ち着かん。」とこれも素直な胸中らしい。
「文句言われるなんて思わなかった!ひっどいな!?」

口を尖らせたほのかだがきゅっと喉を詰まらせた。夏の逆襲だ。
負けまいと腕に力を込めると、二人の体が隙間なくくっついた。
どれくらい抱擁していたかどちらもがわからなくなった頃、空いた隙間に
互いの吐息が落ちた。紅潮したそれぞれの頬を見つけて苦笑し合う。

「へへ・・」
「ほのか、お前も俺以外に抱かれるなよ?」
「大丈夫。なっちに抱かれるのがいいよ!」

それは闘いともゲームとも違うが、何かの火蓋が切って落とされた瞬間。
長く続くといい、楽しくて夢中になれる予感が夏とほのかを包んでいた。








タイトルは「ほのかに抱かれたい男」なんですよね、実は。