帰結  


 へまをしてかなりのダメージをくらってしまった。
お決まりの友情をひけらかす面々に不覚にも援けられ
精神的にも負い目を背負って帰宅した。明け方のことだ。
その日も来訪者があるはずだとはわかっていた。にしても
施錠しないなんて有り得ないミスを冒したのは熱のせいか。
 
 つい舌打ちしてしまう。悪癖だが自己嫌悪がそうさせる。
待っているのだと自覚したからだ。思い浮かぶ顔のどれにも
何らかの言い訳を用意してしまう。そんな己にほとほと呆れる。

 独りでいたいのに ただアイツだけは構わないとか。 
 たどり着き、傍で疲れを労わってほしいのだ、俺は。

 早く来てくれとさえ願う浅ましさ。痛みに耐える力を
取り戻すために。この手で確かめたい。生きる意欲の源を。 
しばらく会わずにいたせいか、浮かぶ顔はどれも二割り増しで
おそらく現実より可愛い。やはり熱のせいってことにしておく。
ほんとうは見た目なんてどうだっていいんだ、俺を呼んでくれ。

 うとうとしていた。時刻はわからないが午後には違いない。
扉は遠慮がちに開き、足音も気配もいつになく静かなものだった。
待ち望んでいた手は程よく冷えていて、心地よさが全身を伝う。
堪えるような息遣いは、涙。それを呑み込もうとするためだろう。
膝をつき、覗き込むと優しく髪を撫でた。痛みがすっと引いていく。
不思議なことに体は軽くなり、血が温まっていくのを感じた。

 「おかえり。なっち・・・」

 「・・きたのか・・ほのか」

 「毎日来てたって知ってるんでしょ?そりゃ来るさ。」


 期待させるのが相変わらずうまい奴だ。案の定俺は有頂天になる。
やっぱりお前は兄貴じゃなくて俺の方が好きだろう?・・今だけは。
今だけでもいいから、俺だけを見てくれ。泣いてくれてるうちは。


 「・・・だろうな・・おまえは・・とんでもなく・・」
 「ん?なんて?・・それよりなっち、病院行こう!」
 「要らん・・俺は大丈夫だ。ちゃんと・・・帰ってきたぞ。」
 「鍵をわざと開けてたんじゃないなら無事とは言えないよ。」
 「熱・・なんざ朝までに下がる。おまえは・・安心したら帰れ。」
 「おばか。安心できないでしょうが、こんなんじゃ!」
 「ホントに・・もう・・いいんだ。おまえの声聞けたしな。」
 「ほ〜らおかしい。なっちがそんな素直なこと言うなんて。」


 頬を伝う涙をすくってみた。この涙は俺だけのものだと妙に誇らしい。
真正面から捉えた視線は揺れていた。いつもと立場が入れ替わっている。
今は俺の方が無遠慮にほのかを見つめていて、ほのかは逆に途惑っている。

 「そんなにほのかに会いたかったの?たまには甘いなっちもいいけど。」
 「あまい・・べつに・・・俺はおまえにはいつだってこんなもんだろ?」
 「ふふ・・明日になったらきっと言うよ『そんなこと言ってない』って」
 「・・賭けるか?」
 「絶対ほのかの勝ちさ。なにしてもらおうかな。」
 「・・・・おまえに・・心配かけるなだと・・お節介どもがこぞって。」
 「もしかして友達?助けてもらったの?いや、心配かけていいんだよ。」
 「俺も・・余計だと言った。俺とおまえのことにほかは口出すなって。」
 「おう・・やっぱ熱のせいじゃないの?!なっち、しっかりしてよ!?」
 「してる。そうだろ、おまえを幸せにするのは俺じゃない。」
 「!?・・うん、知ってる・・けどさ。」
 
 誰のことも幸せにするなんて思えないが、ほのかに対してはもっとそうだ。
おこがましくて口にできない。幸せはほのかにこそ相応しい言葉なのだから。

 「なっちに幸せにしてほしいなんて思わないから安心して。」
 「・・ああ」
 「ほのかはいつだって幸せだから必要ないもんね?だからなっち、」

 「ほのかがなっちを幸せにしてあげる。それならいいでしょう?!」


 この俺には相応しいと思えない言葉を分けて与えるという進言。知っていた。
俺がどうこうしなくたってほのかはいつだってそうだし、そうしてくれるのだ。
何故ならほのかの幸せとは望みではない。今在ることが既にそうだと言っている。

 「・・・その代わり、おまえのことを俺は全力で護る。いいな?!」

 俺からも提案してみると、ほのかは不適な笑みを浮かべた。そして「悪くないね」
などとえらそうに答える。そう、それでこそおまえだ。それでいいと満足した。

 「あ、言っとくけど一生だからね!逃げないでよね!?なっち!」
 「おまえこそ。面倒見切れないっつって放り出すなよ、俺のこと。」
 「女の子みたいな心配しなさんな。ほのかをなめたらいかんぞよ!」
 「ああ、疑っちゃいねえよ。おまえくらい男前な女もいないしな。」
 「ふふふ〜!素直でとてもいいね。熱下がったら忘れたとかもナシだじょ!」
 「忘れるもんか。っつ・・」

 起き上がると不安気にされたが、俺の体はもうなんともないくらい回復していた。
だが気遣いも偶には悪くない。八の字によれた顔なんてめったに見れない貴重なものだ。

 「ちみはもっと身を労わらねばいかんね、ほのかのものなんだからさ。」
 「へえへえ・・仰せのままに。」
 「かわいくないなあ!」

 頬を濡らし続ける涙がすくい切れなくて思わず抓ってしまう。可愛くない俺と
正反対のほのかに可愛いと教えてやるだけの素直さは未だ持ち得なかったので。

 「いつまでも泣いてんじゃねえ。俺は死なない。おまえがいるんだから。」
 「そうかあ・・!うん。じゃあ約束して。心配させて、私にだけずっと。」
 「それも提案なのか?のむしかねえな。」
 「受け入れてもらえたのなら握手する?」
 「ばっか・・知らないのか?こういうときはだな・・」

 涙でぼんやりした瞳は開けっ放しだったが、構わずに唇を覆う。しかしながら
あまりにも大きくて居心地が悪く、唇を離さないまま目を閉じるよう要求する。
カラクリ人形のようなギクシャクとした動きで目蓋は下ろされた。抱き寄せると
加減したつもりなのだがやがて暴れだし、止めていた呼吸を促してやったのに
怒り出した。そんなに無茶にした覚えはないので不本意だったが開放してやった。
するとほのかは両頬を平手でぺちんと音立てて叩く。・・なんとなく面白くない。

 「手加減してよ!なっちは知らないけどほのか初心者なんだからっ!」
 「俺だって熟練してるわけねえだろ!?おまえそんくらい察しろよ!」
 「責任転嫁!ほのか苦しかったんだから!へたっぴいっ!」
 「んなっ・・んだとう〜!?」

 云うに事欠いて下手だとかほざかれ、憤慨したがこれは少々大人気なかった。
身を任せきってやっと呼吸に慣れるまでずっと・・口付けだけだが味わい尽くす。
終いに涙目で見つめられるとぞくぞくしてまずかった。このまま押し倒したくて。


 「・・ほのかからもういっこ提案があるのだけど、いい?」
 「なんだよ。泊まってくってのは無しだぞ。」
 「・・ちぇ・・」
 「キスでぴーぴー喚いておいて・・危険を感じないのか?」
 「熱ある人がなに言っておるのか。」
 「加減が効かなくなるかもしれん。」
 「ええええ・・・・なっちって・・」
 「なんだよ、いまさら・・」
 「男の子だったんだねえ!」
 「どこをみていってる!?」

 髪を混ぜ返すようにして誤魔化した。ほのかも続きを望んでいたと知って
居た堪れなくなったことと、少なからず舐められていたことへの反抗心から。
果たして余裕のあるなしはどちらかという沽券に関わる問題だが認めたくはない。
勝ち目などないことは承知していた。単に照れ隠しだとぼやく口をもう一回だけ
塞いだ後、「プロポーズは普通男からするもんだがな。」と悔し紛れに零すと、

「そんなのどっちだっていいじゃん。ほのかとなっちの間の協定ってことさ。」

 事も無げに返された。うん、それもそうだ。どうでもいいことではある。
機嫌が直ったようなので再び抱き寄せ、文句の来ないうちに髪に鼻を埋める。
 
 「死ぬまではなさないから覚悟してよ。」
 「わかったわかった・・お手上げだから好きにしろ。」
 「素直なんだけど・・おかしいなあ?なんかちがう。」
 「一体全体どうしてほしいんだ。ああ?」
 「う〜ん・・もっとこう・・ほのかがいないとダメとか言ってみない?」
 「思ってるだけじゃだめなのかよ?」
 「あ、思ってはいるんだね。そうだなあ、なにが足りないのかねえ〜?」

 「俺とおまえがいて何が不足だってんだよ。」
 「あっわかった!わかったよ、なっちい!!」
 
 不意をつかれたとはいえ、悲しい程顎にヒットした。さすがにすまなそうに
ごめんと小さく肩をを竦めた。この際これもダシにして甘えるように抱き締めた。


 「あいしてるよvなっちー!」
 「・・・それが足りなかったことか?」
 「言った言った。満足まんぞく!ふ〜・・達成感だじょ。」
 「ちょい待て。俺は?俺からは何も言わなくていいのか?」
 「言いたければ言えば?」
 「ひどくないか、それ・・」
 「だってなっちが甘いと気持ち悪いし・・言わなくていいや。」
 「気持ち悪いとか、いいとか・・おまえって・・勝手なやつ!」
 「そんでもちみに愛されておるから幸せじゃよ!?えっへん!」


 胸を張るほのかが嬉しくて愛しさも増す。安心したせいで腹が空いたと感じた。
何か拵えると張り切るほのかをどうやって制して俺が調理するかで少し悩んだ。
そうこうする間に熱も治まり、流れる空気の軽やかさは待ち望んでいたものだった。

 俺はほのかと二人揃って一つのUnitであり、二人の空間がUnisonであるのだ。
 離れていたから俺は傷ついたのかもしれない。会えただけでこんなにも穏やかだ。
 幸せにしてもらわなくても、十分幸福を感じてる。ほのかは最早俺の一部なのだ。

 「美味しいね!一緒に食べるからかな!?」
 「まぁ・・そうともいえなくもねえかな。」
 「ふんふん・・熱が下がったみたいだからきいてみよう。なっち、」
 「なんだよ。」
 「ほのかといて幸せかね?」
 「知らん。自分で考えろ。」
 「はは〜・・そうきたか!」
 「どうとでも思っとけよ。」
 「うん、そうする。なっちの顔色も良くなったし、ほのかほっとしたよ。」
 「お前のおかげだと言わせたいんじゃないのか?」
 「そんなの当たり前だし。」
 「ふ〜ん・・?」
 「さっきなっちが言ったんだよ、二人一緒で何が不足かって。」
 「・・・う・あぁ・・」
 「つまりそういうことなのだよね。幸せだねっ!」


 満ち足りた笑顔で告げられるとぐうの音も出ない。黙り込む俺をほのかが
お返しとばかりに撫でた。「なっち可愛い!」ってそれは余分な台詞だろう?
可愛いのはほのかだけでいいんだ。もう一回、頬を抓んで更に噛み付いてやった。








ほのかの「提案」の夏くんサイドでした。