Chaser 


 「おい、あんま顔出すと見えちまうぞ。」

 夏は片手でほのかの頭をUFOキャッチのアームのようにわし掴んだ。
普段なら文句が機関銃のように出るはずの口はへの字に結ばれたまま。
視線もずっと固定されたままで、当に心そこに在らずといった状態だ。
探偵ごっこなぞする歳でもなく、夏にとっては不本意極まりないことだが
買い物の途中で偶然出くわしたのが運の尽きか。それはほのかの慕う兄と
その傍らの美しい想い人とが殊に親しげに連れ添って歩いている場面だった。
当の兄は武道の修行先のその娘とはよく買出しなどでも連れ立っている。
ところが出くわしたとき、どう見ても二人は男女の所謂デート中を思わせた。

 その場面を前にたちまち妹のほのかの顔が曇ったのを夏は見ていた。
沸き起こる感情のまま、ほのかは身を隠すようにして彼らに視線をロックした。
そうして追跡が始まったのだ。尾行なぞ素人のほのかをフォローする夏だが、
それはほのかが後先考えずに行動するのを年長者として監視するためというよりは、
どうせならば決定的な場でも目視して、ほのかの夢を打ち砕いてもいいくらいの
利己的な理由を含んでいた。ほのかの思慕は妹の域を超えていると思うからだ。
そんなことを夏がどうこうしようというのが利己的な部分だ。ほのかのためだと
云ってしまえばそれは嘘になる。望みない夢を抱こうがほのかの自由なのだから。

 彼らは仲睦まじく、特に接触するでもないのに二人の世界を醸し出していた。
ほのかの表情はそれを正しく見とめている。重苦しいほど夏にはそう感じられた。

 「・・まだ気が済まないか?続けても変わりないと思うぜ。」

 とうとう口を開いてしまったのはほのかの想いが切なかったこともある。
愚かな行動を助長した自省の念もある。しかしほのかは無言のまま首を振った。

 ほのかの口元は目元と同様に頑なで意思の変わらないことを示している。
夏はふうと一息吐くと「喉が渇いたな・・」と独り言のように呟いた。
もちろんほのかはその場を動こうとはしない。夏は「ちょっと待ってろ」と告げるなり
あっという間に舞い戻り、手にしていたペットボトル飲料をほのかに差し出した。

 「飲め。」
 「・・・ありがと。」

 ちょっと迷ったが結局喉が乾いていたのは事実で、受け取ると一気に煽った。
ペットの飲料は半分以上消費されて蓋がされた。「ごちそうさま。」と手渡す。
「取っとくか?」と尋ねた夏に首を横に振る。夏は残りの液体を自ら飲み干した。
ぺしっと夏の片手の中でペットボトルが小さくなったことにほのかは目を瞠る。
ポケットの中に納めてそうされたため、音もほとんど立てなかった。

 「なんだよ?もう要らんと言っただろ。」
 「うん・・ちっちゃくなっちゃったね。」
 「ああ、邪魔なもんはこうすりゃいい。」
 「・・・ほのかのキモチもそうできる?」
 「したいなら自分でしろよ。」

 できることならしてやりたいと思いながらほのかを見下ろしているとほのかは
顔を上げて夏に目線を合わせると少しだけ口元をゆるませた。「うん、そだね。」
呟くと夏のポケットに突っ込まれたままの片方の腕にしがみついた。
 
 「お買い物途中だったね、行こうか!」
 「あ。ああ・・そうするか。」

 今度こそはっきりと笑顔を浮かべたほのかに夏の心の端がほっとするのを感じた。
しかし腕を抱きしめるほのかの両腕は力が入っていて、押し込めようとする気持ちを
夏自身を通して伝えていた。そう簡単に想いを小さく押しつぶすことなどできない。
何も言わずに夏とほのかは追跡を止めて元の路を引き返した。

 もう随分彼らから離れた頃、ようやくほのかは前を向いたまま口を開いた。

 「それにしてもお兄ちゃんたらちゅーもまだって感じだよね?」
 「・・・こんな街中でするわけねえだろ、そういうのは・・・」
 「でもほのかが寝てるときもどうかと思うんだよ、なっちい。」

 ゆっくりとした歩調ではあったが、いきなり立ち止まった夏にほのかが前のめる。
急に止まるなとの非難を横目に、夏は驚きと不審な視線をほのかに注ぎ込んでいた。

 「もしかしてナイショだった?ならほのか知らなかったことにする。」
 「いつの話してんだ。」
 「いつって・・ほのかが知ってるのは3回・・くらいかな?」
 「待て、俺はそんなこと」
 「そーゆーのってお兄ちゃんみたく意気地なしよりよくないじょ。」
 「知らなかったことにしたんじゃないのかよ。」
 「ん〜・・ほのかウソは苦手だからのう、やめた。」

 夏が一歩、大きく足を踏み出すとほのかも腕にしがみついたまま歩き出す。

 「狸め。別に内緒じゃねえ。次は起きてるときにする。」
 「わかった。別にどっちだっていいよ?」
 「兄貴に・・」
 「ばれたって怒られるのはなっちさ。ほのかはいいも〜ん!」
 「お前も兄貴がしたら怒るのか?」

 今度はほのかが足を止める。夏は予期していたのか合わせて立ち止まった。

 「怒らない。拍手・・はしないけど・・」
 「へえ?お前なら怒って噛み付くかと。」
 「・・美羽には噛み付くかもだけど。」
 「なら俺も一発殴られてやってもいい。」

 大きな瞳を更に見開いてほのかは夏を窺った。背の高い夏の顔は反らされて
小さなほのかが背伸びをしても見えない。ただちらと見える耳が赤いことは確かだ。

 「なっち、だいすきだよ!」
 「フン!兄貴の次にだろ!」
 「なんだよう、なっちだってそうでしょ!?」
 「大体妹とか兄とかに嫉妬してどうすんだ!」
 「してないよ?なっちお兄ちゃんに嫉妬してたの?!」
 「なっ・だっ・しかし、その;」
 「一番のライバルかもだけどねえ・・むふふ」

 にやにやと笑うほのかに気付いた夏は顔を戻し、空いている手でほのかを抓った。
真っ赤になった頬をさすりながらほのかがわめき立てたが抗議はまた受け流された。
その腫れてしまいそうな頬に再び掌を添えて上を向かせるとそこに唇が落とされた。

 途端に大人しくなったほのかは触れた頬を今度はさするのではなくそうっと撫でた。

 「こんな街中でしないものなんじゃ・・」
 「誰も気付いてねえし、街中ならこの程度だ。」
 「・・遠まわしにお兄ちゃんを非難してない?」
 「そういうことはなあ、ラストにとっとくもんだ。」
 「・・お兄ちゃんもとっておいてるのかな・・」
 「そうかもな。」
 「”とっておき”だから?」
 
 ほのかの疑問に夏は答えず、ふっと瞳を和らげるだけだった。
ほんの少し不満顔を浮かべたほのかも、直ぐに気を取り直すと

 「じゃあ楽しみにしてるね。」
 「・・いっぱしの台詞だな。」
 「なっちこそ慣れた風を装ってからに。」
 
 確かに熟練とは言えない夏は押し黙る。ほのかは嬉しそうで先までと別人だった。
もしかしたら兄への想いを小さくする手伝いが出来たのだろうか、ふと感じるものの
それは思い上がりで、ほのかがしたのは夏の不安を押し潰すことだったかもしれない。

 「好きだぜ、この兄バカ。」
 「ちょっと、ヒドイ!兄バカは余計!!」
 「事実だ、しょうがねえ。」
 「好きだよーだ、ひねくれ妹大好きっこ!」
 
 空いている片手は忙しい。今度はほのかの前髪をぐしゃぐしゃとかき混ぜた。
怒ってその手を噛むほのかだが、再び抓るという反撃に怯んで気付くのが遅れた。
気付いたときには路地裏に連れ込まれてあわや唇を奪われる寸前という場面だ。
 
 「やだ!”とっておき”じゃなかったの!?」
 「るせえ!したくなるよーな顔するからだ!」
 「どんなだい!?いいがかりだよ、狼だよ!助けてお兄ちゃん!!」
 「兄貴だって今頃してるかもしれねえだろ!」
 「う・・いじわる・・・」
 「・・・すまん。今のは」
 「お兄ちゃんだけがライバルじゃないよ?」
 「そりゃ・・お前近頃もてるみてえだし。」
 「心配?」
 「・・・」
 「じゃあねえ・・とっておきはほのかからあげる。」


 夏の胸に思い切りよく飛び込んだほのかがぎゅっと抱きしめるのを
慌てて支え抱き返す。甘い抱擁に期待した夏の耳元にほのかは囁いた。

 「でも今じゃないよ、今度ね。」

 腕をゆるめてほのかを覗き込むと悪戯っ子のような表情があった。

 「ほのかがお兄ちゃんにきっちり失恋してから。待っててね?」
 「・・・それって・・いつになるかわかんねえじゃねえ・・か」

 微笑みながら、ほのかは自分の唇にちょんと触れた指先を夏に押し当てると

 「だーいじょーぶ。ほのかなっちだけにとっておくから。ね?」

 可愛い台詞も天使のような微笑も夏にとっては残酷なまでに曖昧な約束。
結局は失恋したみたいな気分でほのかを離す前にもう一度だけ抱きしめた。
ここまで待っていたのだから、おそらく否間違いなく夏は待ち続けるだろう。
なんという悪魔に魅入られたものかと頭を抱える夏の腕にほのかは頬すりした。
そうして二人が通りに出ると、再び偶然が待ち構えていた。
 
 「ほのか!な・夏君!?そんなとこで何してたの!?」
 「あ、お兄ちゃん・・えっと〜・・な、ナイショ!だよね?」

 ほのかに悪気はないとわかっていてもそのフォローは逆効果でしかない。
夏の襟首を捉えてそれなりに妹バカの兄、兼一はどういうことかと詰め寄る。
取り残された美羽とほのかは呑気に挨拶などしていたが、兄達はそうはいかず
一触即発の状況に陥っている。困り顔をしつつも兄の想い人美羽は静観し、
ほのかは一応声を掛けたものの、見事に無視され引き下がった。

 「君のこと信じてたのに妹になんてことしてくれてんだい!」
 「疚しいことはしてねえと言ってるだろうが、このボケ!!」
 「言っとくけど簡単に君に渡そうとは思ってないからね!?」
 「そういうこと言うから妹がいつまでたっても諦めねえんだ!」
 「諦めるって誰を?・・ちょっとほのか、兄に説明しなさい!」

 「え〜・・もう帰りたいんだけど・・」
 「兼一さん、込み入った話でしたら場所を替えませんか?」

 
 その後、四人は梁山泊でお茶を啜りながら和やかに(一部除く)過ごした。
帰り際に散々釘を刺されて満身創痍な気持ちの夏にほのかが優しく髪を撫でる。

 「ごめんね、なっち。誤解だってわかってくれたから元気出して?」
 「・・俺はお前が嬉しそうなのが一番堪えるぜ。」
 「ほのかお兄ちゃん以外ならなっちが一番好きなのはホントだよ。」
 
 盛大な溜息が落ちた。いつまでも報われない、そんな気がして眩暈する。
気付かなければよかったとさえ思う。恋心は隠せいないまでに育ってしまった。
兼一を追い越せる日が来たとしても、ほのかの想いまでは超えらない気がする。
哀れな夏に追い討ちをかけるのはほのか自身の無邪気な未来の夢語りだ。

 「いつかほのかがお嫁に行くって言ったらやっぱりお兄ちゃん怒るかな?」
 「お前さ、一生兄貴以外好きになれないんじゃねえの?」
 「わかんない。それでも奪いにきてよ。」
 「・・俺が諦めないって信じてるのか?」
 
 ほのかは事も無げに頷いた。その通りだから泣くに泣けないと夏は思う。
いつまでも続く片思いに夜空の月だけが慰めるように輝く帰り路だった。







かわいそう過ぎてアップをためらうレベル;迷いました。++