Border


恋ではないと思っていた。愛されてはいても。
友情は成立すると信じてもいた。根拠もなく。
男女など単なる境界線に過ぎないと軽んじて。
そんなものは重要でないなんて、どうして思えたのか。
気付いた時は遅く、取り戻せないこともあると知った。
甘くて苦い揺れ動く想い。トゲ刺すような痛み。
零れ落ちた涙のわけも何もかもが初めてだった。


「・・なっちは結婚しないの?!」
「ああ、跡目争いとかが面倒だからな。」
「卒業したら社チョーさんになるんでしょ?」
「一応な。家督は養子を探して譲る。俺のように。」
「じゃあさ、いつか谷本でなくなるの?」
「かもな。名前までは考えてないが・・」
「わかんないけど引退みたいなこと?その後結婚するとかは?」
「しない。女なぞ邪魔くせぇ。」

夏とほのかが二人でいるとき、ほのかが好き勝手にしゃべっている。
それが常態だ。取り留めなくなんでもあけっぴろげなほのかに対し
夏は性格と生い立ちのせいで何事でもオープンに話すことはない。
だが珍しくほのかの与太話に反応が返った。意外で嬉しがるほのかに

「お前が嫁になぁ・・ピンとこねぇが・・」
「なっちは?!なんか希望とかないの!?」

将来あーしたいこーしたいと一人盛り上がっていたほのかに
何気なく返った言葉は夏が将来結婚しないと決めているということ。
単純に女はそういうことを夢見がちだとか、男はあまり興味がないとか
ごく一般的な常識もよく知らないほのかだ。びっくりもするだろう。
男女差や見解の相違ならばあって当然で、特に不思議ではない。
しかし他の誰でもない、ほのかはがっかりしていた。
楽しい未来ばかりを想像していた自分を子供っぽいと感じもしたし、
改善されてきたと思っていた夏の人間嫌いも未だ未解決とも思えた。
そしてそれよりももっと重大で捨て置けない問題に気付いたのだ。

ほのかは急に大人しくなり考え込んだ。
夏はその様子に気付きはしたが放置した。なぜならば
谷本家の居間に一時静寂が訪れたことを歓迎したのだ。

”なっちはぁ・・会社がどうこうじゃない・・したくないんだ”

ほのかはそう悟った。家督がどうの、女がどうのは彼の言訳だと
本能的に察した。つまり夏は他人との結びつきに不信が拭えずにいる。
なんとかしてあげたいと思う。けれどそれは何故かということまでは
これまで深く考えたことがない。なぜかしら気になる。関わりないと
夏がほのかを遠ざけようとすればするほど、抵抗感を強く覚えたのだ。

知ってしまった優しさ。弱さに傷ついて殻に篭った彼の子供らしい部分。
知れば知るほど惹かれる。気になる。寂しくないかと思えば自分が寂しい。
ほのかが漠然と思い描く未来には必ず夏がいる。それを否定された。
彼は素直じゃないけれど、言葉は嘘偽りないように思えたから尚のこと
ショックだった。では仮に夏の思う未来を想像してみるが上手くいかない。

”・・ほのかどうしてこんなにショック受けてるんだろ・・?!”

構うな、とほのかのことなど知りたくもない。そう言われたことがある。
夏の懸命な言葉に何故かほのかは傷つかなかった。寧ろ逆だった。
素直になれない裏腹な態度と想いに最初から気付いていたからだ。
夏と自分の関係は一言では言い表せない。兄と妹、では断じてない。
友人が近いのだが、何か足りない。勿論恋人とか男女の関係でもない。

ただこれから先、別々の未来だけが想像できないのだ。どうしても。


「なっち、じゃあ結婚しなくてもいいから大人になっても遊ぼうね?」
「親不孝なこと言わずにとっとと相手見つけて嫁にいけばいいだろ。」
「そうはいかないよ。」
「今の今まで理想を語ってたじゃねぇか。」
「まぁね。でも肝心のなっちがそんなんじゃ無理だもん。」
「俺を巻き込むな。どこか俺の知らないとこで幸せになれよ。」
「はぁ・・全然わかってないね、お兄さん・・・」
「何を言ってる」
「ほのかも今わかったんだけどね」
「はぁ?!」

「ほのかはなっちが幸せにならないと気がすまない。だから見届けたいのだよ。」
「お前の幸せの話じゃなかったか?俺の幸せを何故お前が!親でもねぇんだぞ。」
「だってそうなんだもん。強いて言うならなっちのこと好きなんだよ、すごく。」
「な・・に言ってやがる。ガキが」
「今はガキでもずっとそうじゃないもん。」
「お前がそんな・・想像もできないと・・」
「したくない、でしょ?だから大人になったらどこかにいけって。違う?」
「知ったことか!なんなんだよ、お前は!?」

口調は叱りつけるようでありながら、夏は怯えているようにも見えた。
ほのかは落ち着いてまるきり立場が逆転している。どちらが子供かしれない。

「ほのかが大人になるのを見るのも嫌なの?」

責めてはいないのだが、突き刺さったように顔を顰める夏に悲しくなった。

「どうしても嫁にもらえとは言わないよ。でも一緒にいたいの。」
「うるせぇ・・・・黙れ」
「ヤダね。意気地なし。」
「俺にどうしろってんだ!?」
「ほのかはなっちが好きだからほってはおかない。絶対。死んでも。」
「死ぬとか言うな。」
「ごめん、でも好きになったからね。諦めないよ、死ぬまで」
「死なせるか!お前は・・・勝手なことばっか言いやがって」

それまでどっちつかずでぼやけていた境界が浮かび上がって見えた。
そこから飛び出そうとしている自分と、夏の想いも見え始めたようだ。
恋とは違うと思っていた。この使命感、揺るぎない想いはどこからかと
首を傾げるばかりで。零れ落ちていた涙に気付きもせず、ほのかは言う。

「なっちが好きだ。どこがいけないのさ!!」

まるで喧嘩だ。火花が散りそうなほどほのかの視線は挑むようだった。
その燃えるような瞳が美しくて夏は目を細めた。そうしてようやく

「・・・覚悟しろってか。・・タチ悪ぃぜ。」

ほのかの売った喧嘩を買うつもりなのか、夏に微苦笑が浮かんだ。
あまり誉められないであろう、人の悪い笑い方にほのかは動じない。

「覚悟してくれるの?そりゃよかった。」
「お前がどこまでも俺に付きまとうつもりなら覚悟してやる。」
「ウン!嬉しい。」
「その代わり俺より先に死ぬなよ。いや、死なせないけどな。」
「おっけー!なんだ、素直になれるんじゃないか、なっちも。」

夏は答えず、ほのかに近づくと指でほのかの頬の涙を拭った。
それで泣いていたことを知ったほのかは少し驚いた表情を見せた。

「よかった。逃げちゃうのかって思った。・・・怖かった。」
「・・・・」

ほのかは間近にいる夏を見上げた。身長差があるので見上げるしかない。
首が痛くなるのでいつも困るなと思う。そのときも呑気にそう思った。
ところが黙ったままの夏の顔が近付いた。あれ?近いなと思った途端
ふわりと体が浮いたような気がした。実際は唇が重なった瞬間忘れたのだ。
体重も何もかもを感じられなくなったというのが正しい。目は開いたままだ。
すぐに離れたが、しばらく固まっていたらしい。ピンと額を突かれ我に返る。

「・・しょうがねぇ・・嫁になりたきゃなれ。将来設計やり直しだ。」
「!?・・・それは・・めでたいね!ほのかでかした!スゴイじょ!」
「お前できればそういうとこは変わるなよ?」
「多分だいじょうぶだよ。ほのかね、諦め悪いんだ。」
「変わり者だしな。」
「一途とかさ、もっとイイ言い方ないのかい!?」
「俺も・・そうだからな。」
「ん?ああ、確かにちみはしつこくて面倒で素直じゃないよねぇ!?」
「お前こそ言い方ねぇのかよ、それ」

へへ・・とほのかは照れたように笑った。夏が嬉しそうに見えたから。
不思議そうに「何照れてんだ?」と夏に突っ込まれほのかは「まぁまぁ」と
誤魔化そうとした。実はその時ほのかは大変なことになっていたのだ。

”わああ〜困った!好きだ好きだ好き・・いつからこんななってんの!?”

ほのかは顔がどんどん紅潮していっている。自覚もあって更に焦る。
夏の方はというと、大慌てのほのかはまだ気付いていないがやはり

”こんの・・無自覚のど天然!可愛すぎるだろう!?殺す気なのかよ!?”

「なんか・・暑くない?汗出てきちゃった・・」
「そうか?・・そうだな。妙だな・・?」

二人は互いを見ずにそう言った。態と視線は外している。見れないのだ。
落ち着こうと思ってもさっき重なった唇の感触が甦り、ほのかは俯いた。
これ以上ほのかを見ていたら、抱き締めてしゃれにならないキスをしそうで
夏はなるだけかけ離れたことを思い浮かべて冷静さを取戻そうとしている。

”さっきホントにちゅーした!?いやなんか幻・・ではなかったよねあれは!”
”さっきんじゃマジ足りねぇ。けどあれだろ、いきなりそれはいくらなんでも”

「あ・あのさ、なっち!オセロする?!」
「へ?・・あ・あぁ、まぁ・・いいぜ?」

ぎくしゃくしながらボードを用意していたほのかが慌てて駒をぶちまけた。
なにやってると毒付きながらも一緒に拾い集める夏の手がほのかのそれに触れる。
あまりにもお約束な展開だが、夏とほのかはそれをそうと認識不能に陥っている。
大げさに手を引っ込めたほのかに釣られて夏も引っ込めはした。だが

「お前こそ逃げてんじゃねぇよ」
「逃げてなんかないよ!ほのかはっ」

憤慨し振り向いたほのかを夏が捕らえたのと、再度唇が重なったのはほぼ同時。
今度はぎゅっと目を閉じたほのかの胸が呼応してぎゅっと音立てて鳴った。
刺すような痛みでありながら味わっていたいそんな気がした。眩暈すらしながら。

”恋じゃないなんてどうして思えたんだろう?おかしいよ、こんなの・・・”
”どうして離れてしまえと思えたのかわからねぇ。離せるわけない、これほど”

知らずにずっと焦がれていた。痺れるような互いの体が疼く。
愛しくて止まなくて傍にいたい。ただそれだけのことだった。
重なった二人の唇のように、二人の未来もおそらくは







境界線突破。ってそーゆー話。