Aster 


 「よしっ!ばっちりだ!」

 姿見の中で新しい花模様のワンピースが左右に揺れた。
買ってくれた人を思い浮かべると笑顔になる。なんでもこれを
何気なく街中で見て直ぐにほのかのことを思い出したと言うのだ。
そのエピソードだけでも十分嬉しいがワンピースはとても好みで
ほのかのお気に入りの帽子ともよく似合う。申し分ない見立てだ。
今日はそのお気に入りのワンピと帽子を組み合わせて出かける。
それも買ってくれた人と。なんだかデートみたいと心が浮き立つ。
時間は早かったがほのかは待ちきれずに家を出ることにした。

 「おかあさーん!行ってきまあーす!!」 

母親の返事を待たず玄関を走り出る。角を曲がると柵の向こうから
近所の犬がどこ行くのというように吼え掛けた。その犬に向かって

 「デートなんだぞ!いいでしょっ!!」

そう言って手を振り走り去る。跳ねっ毛と服の裾が風に揺れた。 
何か起こりそうな予感がしてほのかは上機嫌で路を進んでいった。
そんなほのかに道を尋ねる者があった。丁寧に案内して感謝され
益々上機嫌で歩いていると、今度は自転車の団体が長い列で遮った。
どうやら少年野球のチームらしい。揃いのユニフォームを着ている。
まだ余裕があるのでのんびりとそれらが通り過ぎるのを見送った。

 事件はその次にやってきた。大型車が通りに不似合いな速度で
路幅いっぱいに対向してきた。風圧に思わずスカートを押さえた。
しかし被っていた帽子が飛ばされてしまった。はっとして風下を
目で捜したが見つからない。不安が湧き起こった。

 「おかしいな・・どこに飛んでったんだろ・・?」

 諦めずに辺りを捜し続け、路から逸れた先でようやく発見した。 
ほっとしたのも束の間、駆け寄ると帽子はぺしゃんこになっていた。
出来るだけ埃を払ったりしてみたが、再び被る気にはなれなかった。
仕方なく鞄に押し込める。するとあんなに浮き立っていた気持ちが
萎れていく。足取りを重く行くと、また向こうから誰かやってきた。
ほのかを見つけたことに嬉しそうにして手を振り、駆け寄ってきた。

 「ほのか先輩!偶然ですね!」 
 「わあ!久しぶりだね!?こっちに来てたんだ。」

 彼はほのかの中学の転入生だった、一つ下の山本直樹だった。

 「用を言い付かって来たんですが先輩にお会いできるなんて!」
 「背が伸びた?なんだか目線が前と違うんだけど。」
 「はいっ!ほのか先輩は以前より・・なんだか大人っぽいです。」
 「今日はちょびっとおしゃれしてるからね。変じゃないかなあ?」
 「とてもお似合いです!エゾ菊の花の服が。良い香りもします。」
 「わあ、ありがとう!これエゾ菊?アスターって聞いたんだよ。」
 「自分はエゾ菊と教わりましたが多分洋名がそれなんでしょう。」
 「物知りだね。会えて嬉しいよ。」
 「はい、自分も嬉しいです。ところでご気分が良くないですか?」
 「えっ・ううん。元気だよ。今から出かけるとこなの。」
 「自分は用も済んで帰るだけですから送らせてくださいませんか。」

 遠慮したが山本はほのかと会えたのが余程嬉しいのか一緒に歩き出す。
ほのかもせっかくなので待ち合わせ場所まで送ってもらうことにした。
待ち合わせ場所へと二人がたどり着くと、約束の時間を少し過ぎていた。
待ち合わせの相手は聞かなかった。だが山本の予想に違わない男だった。
 
 「なっちー!ごめんよ、ちょっとお待たせしたかな?」
 「ああ・・久しぶりに見るな。そこの・・」
 「山本直樹です。お久しぶりです。ほのか先輩を送らせてもらいました。」
 「路で偶然出会ったんだよ。それでわざわざここまで送ってくれたの。」
 「へえ、そりゃ親切なことだな。」
 「なんかなっち感じ悪い。直樹君久しぶりに会えて喜んでくれたのに。」

 山本の方は名を呼ばれて驚いた。そして待ち合わせ相手の谷本夏も
”後輩君”から名前呼びになっていることに気付いて少し目を瞠った。
仲良くやってきたときと同様に山本との距離が縮まっていると感じた。

 「・・今日の用はそっちの山本君に頼んだらどうだ?」
 「「えっ!?」」
 「気も合ってそうだし、俺でなくたって用は済むだろ。」
 「直樹君も一緒じゃなくてなっちだけ帰ちゃう気なの?」
 「あのっ自分はもう帰ります。ほのか先輩、どうかお元気で。」
 「待って、直樹君。なっちが帰っちゃうって・・」
 「そういう訳だからお前、後は宜しく頼んだぞ。」
 「谷本氏!一体どういうおつもりなんですか!?」
 「わかったよ!もういい。なっちばいばい!直樹君、付き合ってくれる?」
 「ええっ!?そんな、どうしてこんなことに・・自分はどうしたら・・!」
 「そういうわけだ。じゃあな。」

 狼狽する山本に背を向けると夏は去って行く。そしてほのかも少しの間
夏の背中を睨んでいたが、同じく踵を返し、その場から立ち去っていく。
両極に目を配り、山本はやむを得ずほのかの後を追いかけた。

 「待って!待ってください、ほのか先輩っ!」

 山本が呼んでもほのかは返事もせずに早足で歩き続けていた。
声を掛けるのを諦めた山本はほのかの後を黙ったまま追従した。
しばらくして、人目の途切れた一角で突然ほのかがしゃがみ込んだ。
腹具合でも悪いのかと案じたがそうではない。ほのかの俯いた顔から
泣き声が漏れ聞こえてくる。そしてとうとう顔を上げて泣き出した。

 「ほのか先輩!自分が谷本氏を呼んできますから!どうか泣かないで!」
 「うっうっ・・いいよ、直樹君。ごめんね・・こんなことになって・・」
 「謝るのは自分です。付いてきたりして・・ごめんなさい。」
 「・・ひっく・・ちみは・わるくないよ。あやまんないで。」

 山本は手を差し伸べたいが触れるのも戸惑われていて気付くのが遅れた。
数メートル離れたところに別れたはずの夏が気まずそうに立っていたのだ。

 「・・渡す物があったのを思い出したんだよ。てか、なに泣かせてんだ!」
 「なっち?!」「谷本氏・・貴方・・」

 夏は開き直って忌々しげに大股で近づくとほのかを乱暴に抱き起こした。
ほのかが文句を言いつつ立ち上がると夏のハンカチで顔をごしごし擦られ、
痛いと零した。山本は為すすべなく見守っているしかなかった。

 「これ。お前が言ってたやつだ。」
 
 泣きやんだことを確かめてハンカチと入れ替わりに取り出されたのは
夏の手に収まるくらいの小さな花をアレンジしたコサージュだった。

 「帽子に付けたいって言ってたのにどうして被ってないんだよ。」
 「・・・帽子・・落っことしたの。拾ったけど汚れちゃって・・」
 「そんなことか。それでがっかりしてたとかだろう、どうせ・・」
 「そりゃがっかりもするよ!そこへ直樹君が来てくれて・・そんで」
 「ぼーっとしてんのをそいつに見つかって心配されたってんだろ。」
 「・・間違ってはないですがその言い方はないですよ、谷本氏。」


 ほのかも何か言い返そうかと思ったが手の中に納まったコサージュに
目を奪われて言えなかった。それを見つけたのはほのかだ。ワンピースを
贈られた後、二人で買い物していた時に目に留まった。ワンピースの模様と
同じアスターの花。夏もこの花を見てほのかを思い出したと言ってくれた。
きっとお気に入りの帽子にも似合うとほのかはうっとりと溜息を落とした。
買うか?と夏は言ってみたが、ほのかは首を振った。これ以上はもらえないと。

 「お前はいらんと言ったが俺も気に入ったんだ。付けないなら捨てろ。」
 「捨てるなんてダメ!これ、これももらっていいの?ほのかばっかり。」
 「気に入ったんなら付けろ。」

 夏はコサージュを摘むとほのかの胸元に飾った。髪の方がいいかと訊かれ
「ここでいい。」とほのかは慌てて返事をするとちょっと微笑んだ。
どうやら和解に至ったと見た山本は後退り、このまま消えようと思った
そのとき、夏とほのかの二人がほぼ同時に山本に告げた。

 「直樹君!ごめんね。」「山本、悪かったな。」

 立ち止まっていた山本は二人に向き直ると無言でぺこりと頭を下げた。

 「お邪魔しました。代役は辞退しますよ、谷本氏。」

 去り際に山本は夏にだけ聞こえるように、近付いて何事か囁いた。
出会った時のように手を振る山本にほのかもありがとうと手を振った。

 「直樹君なっちになんて言ったの?」
 「別に・・」
 「内緒なの?!なんで?」
 「お前がピーピー泣きだしてかっこ悪くて煩かったんだとよ。」 
 「ウソだあ!直樹君はそんな意地悪なこと言わないよ!」
 「随分気に入ってんだな。アイツのこと。」
 「失礼だよ、物みたいに。とってもいい子なんだよ?!」
 「そのようだな。」
 「なんか引っかかるなあ・・?」
 「フン」


 『”泣かせた”のは自分じゃありませんよ。』 
 『花を枯らすようなことしないでください 』 

 
 山本の声には込められたものがあった。夏はそれに気付いていた。 
だからみっともない態度を取ってしまったのだろう。夏は自省する。
視線を戻すとほのかが胸元の花を見つめて微笑んでいた。胸だけでなく
ほのかの全身から漂ってくる花の香り。おそらく今日は帽子もきちんと
被って完璧にしてやって来たのだ。用を済ます為でなく夏の為に。

 「なっちありがとう!ほのか元気出た。直樹君も会えて嬉しかったし。」
 「・・よかったな。アイツには気の毒したが。」
 「そうだよ!用事終わったって言ってたし、一緒に遊べたのにね?」
 「・・急に思い出したんだろ、ほかの用か何かを。」
 「そうかもしれないねえ・・残念だけどまた会えるよね。」
 「だろうな・・」

 そういえば”デート”だったら二人でないと変だろうかとほのかは思った。
すっかり忘れていた。夏はデートのつもりなどないのだろうが、それでも
服を買ってくれたり花をもらったり、将来恋人にもそんな風にするのかと
想像してみた。すると胸元のコサージュの下がちくんと痛い。羨ましいのか、
そのとき喜んであげるべきなんだろうか。ほのかの気持ちはゆらゆら揺れた。 

 そんなときに夏が思いもかけず手を繋いだので驚いて顔をみた。 

 「ぼさっとしてんなよ、そっちじゃねえ。」
 「え?あ、そっか。びっくりしちゃった。」
 「花ばっか見てんじゃねえよ、迷子になるぞ。」
 「だってこれ嬉しいんだもん。帽子・・直したら付けるからね?」
 「ああ、次はそうしろ。足元見て歩かないと危ねえじゃねえか。」

 夏はむっとした顔をしていた。けれど手は離さないでそのままだった。
ほのかはそれにほっとして手を握り締める。傍らの夏を見上げていると
時折ほのかを窺う視線に出会う。花ばかり見ていたらわからなかった。

 ”そっか、ちゃんと見てなくちゃ。花ばっかりじゃなくて・・”

 将来のことはともかくほのかは『いま』に集中することにした。
 でないともったいない。デートでもそうでなくてもどうでもいい。
 けれど、本当のデートの日にもこのワンピースが着たいと思った。








わからないことも段々とわかっていくものです。