※「謡う猫とパンと君」の碧居さまへのお礼として差し上げたものです。





「 Sweet flower 」


そこには花瓶などなく、気の利いた調度類もない。
けれどそこからは確かに甘い花の香りが漂ってくる。
花は咲く前の柔らかに膨らんだ蕾。今にも綻ぼうという佇まい。
待っている人のため、咲く時を遅らせているかのようではないか。
”咲かせるのはただ一人のため あなたがいなければ咲けない”
それは目にする者をそんな風に思わせる甘く切ない香りだった。


「・・なっつんったら遅いなぁもう・・!」少女は溜息交じりに呟いた。

幾度目かの溜息に勇気をもらってか、一人の青年が少女に声を掛けた。
それを”まただ”と隠さずに顔に描いたまま、少女は小さな口を開いた。

「ううん、人を待ってるの。ごめんね?」

彼女は今までに幾度かの誘いを断っている。結構な時間待っているのだ。
”罪なことをするものだ”と離れた場所で一人眺める男は思った。
男が偶然目にしたその少女は、親しい程ではないが知った顔であった。
彼にはその”罪な人物”も予想がついた。しかし声は掛けなかった。
退屈を紛らわせてあげるよりも、その罪をあの姿から感ずるべきだ。
と、男は思ったのである。勿論強引な輩があれば排除は辞さない。
しかしようやく少女の心待ちにしていた人物はその姿を現した。
人物は一目見るなり、己の罪について多少なりとも学んだ様子だった。
焦燥の浮かんだ人物の横顔から、同じく少女の元へと駆けつけたかったらしい。
並ぶと一篇の絵のようにも見える端正な容貌の人物は少女を一心に宥めている。
おそらく駆けつけるまでに何度も少女のような”お断り”にも応じたのだろう。

ーそんなことはともかく

出会った瞬間の花咲く喜びの表情や姿全体を見届けられた安堵感に満足した。
男はこれで自分の役目も終わりと、軽く会釈するとその場を離れた。
甘い香りは一層芳しく伝わり、そのおかげで魅惑の旋律が思い浮かんだのか、
男はいきなり楽譜を取り出してそれをさらさらと譜面に書きとめていった。

「たまにはこんな曲もいいものです。ありがとうお二方。」
「香しい花をどうぞ大切に、ハーミット。」

ほのかを見守っていた貴族の紳士然とした男はそう呟いて去っていった。