Angel Snow  


雪の精ならば触れると溶けて消えてしまうのだろうか。
一点を見詰めながら、夏はそんなことをぼんやりと考える。
都会には珍しい雪景色が住んでいる街中にも広がっていた。
異常気象が世界で吹き荒れ、世の全てを凍らせようとしても
凍てつかず、溶け去ってしまわずにそのままで在って欲しい。
夏がそう願う対象は雪の中を踊るように駆け回っている。
その少し離れた場所に立っていた夏の顔に白い塊が飛んできた。
ひょいと避けると、ぱたぱたと忙しい対象は駆け寄った。

「あーっ避けた!ぼーっとしてると思ったのに。」
「・・冷えてきたしそろそろ帰るぞ。」
「そんな風にぼやっとしてるからだよ。ほのかは暑いじょ?!」
「犬でもそんなにはしゃがないぞ。少しもじっとしてないヤツめ。」
「都会っ子だから雪が降ったらテンション上がるに決まってるさ。」
「ちょっと来い。指見せてみろ。」
「へ?指なんか見てどうすんの?」

言いながら素直に近寄ってきたほのかの頭や肩の雪を払ってやり、
夏は差し出しされた両手を手相を観るようにじっくりと検分した。
そしてふぅと溜息を吐くとその両手を握ったのでほのかは慌てた。
夏の方は表情を変えることなく、顔を近付け両手に息を吹きかけた。
ほのかは一気に体温が上昇したことを感じ、ぴょんと小さく跳ねた。
しかしまるでそんなほのかに気付かないかのように夏は手を離すと
しっかりと眉間に皺を刻み、怒った顔になりほのかを見据えた。

「何!?なんで怒るの!?つかまったって感じだし!・・あったかいけど;」
「その通りだ。冷たい指しやがって・・真っ赤になってるじゃねぇかよ!?」
「手袋は遊んで濡れたから置いて来ちゃったんだ。けど大丈夫だよ!」
「問答無用。帰る!」

夏は険しい表情のままそう宣言するとほのかの手を引っ張った。
ほのかは今度は素直に言うことをきかず、突っ張って抵抗した。

「ヤダァ〜!もうちょっと遊ぶんだい!」

しかし残念ながら力で敵うはずもなく、夏は微動だにしない。
それどころか、ほのかはずるずると雪の積もった地面を引きずられた。
顔を真っ赤にしても徒労に終わり、強制連行するつもりのようだ。
そこでほのかは一旦力を抜いて、「わかったよ・・・」と呟いた。
しゅんとした姿をちらりと見た夏がほんの少し握った手を弛めると
その隙をついてするりと夏の戒めから逃れた。脱出成功に歓声が上がる。
勢いで反対方向へと走ったほのかだが、地面の状態が通常ではないため
数メートルも行かないうちに足を滑らせ、よろけて転びそうになった。
すぐに追いかけた夏にホールドされなかったら確実に転んでいただろう。
ありがたかったがこれで万事休す。同じ手を食う相手ではないからだ。
恨めしく睨んでみたが夏はお得意の無表情で小柄なほのかを見下ろすだけ。

「・・助けてくれてありがと。帰るよ・・帰ればいいんでしょ!」
「・・素直で宜しい。」

夏は片手てほのかの手を握り、繋いだまま家路へと足を踏み出した。
横でべーっと舌を出していたことに気付いたがそ知らぬ振りをする。
歩調はいつもより速く感じられた。ほのかはしばらくすると立ち止まった。
後ろへと引かれて夏が振り向く。すると眉を寄せ口をへの字にしたほのか。
何かを訴えるような視線を投げている。夏もそれに釣られて眉間を狭めた。

「・・どうした?脚でも痛めたのか?」
「ウウン。抱っこ。抱っこして!」
「・・耳が悪くなったかな。抱っことか言ってるような気がしたが。」
「耳悪くなってないよ。ねぇ、抱っこしてよう!」
「歩きたくないってのか?」
「ちょっとだけでいいから!」
「?・・理由はなんだ。」
「理由は・・そうしないとほのか雪だるまになって溶けちゃうんだ!」
「!?・・・んなわけあるか。アホウ!」
「アホでもバカでも甘えっこって言っても怒らないからさぁ〜!?」
「なんなんだよ、一体・・・?」

執拗に願い足踏みするほのかに、しょうがないなと呟くと夏は手を離した。
そして軽々とほのかを抱き上げる。ほのかの理由は有り得ないことだったが
さっきまではしゃぐほのかを見つめて考えていたことが夏の脳裏を掠めた。
ふっと雪の白さに紛れて消えてしまったりしないかと心細かったことなども。
抱き上げると嬉しそうに笑ったほのかだったが、夏の表情に笑顔は途切れた。
呆れた顔を予想していたのに、違ったからだ。夏はとても不安そうに見える。
まさか自分の言った雪だるまのことを本気にするはずもないのに、そう思う。
抱き上げたままほのかを覗き込むので、顔がとても近い。そのことにも驚く。

「なっち・?どうしたの!?固まってるよ!?」
「・・・・」
「雪だるまになっちゃったの!?動いてよう!」

近すぎる夏の顔と視線から反らすことも逃げることもできずに途惑う。
妙に顔全体が火照るなぁとほのかは思った。どきどきと胸も鳴っている。
今にも触れてしまいそうな距離だ。心なしかその距離も縮まっているようで
ほのかは益々混乱した。どうすればいいのかわからず自らの手を握り締める。
軽いパニック状態のほのかにようやく固まっていた夏が気付いた。
我に返ったようで少し顔を遠ざけると「何て顔してんだよ・・」と零した。
夏はいつの間にか普段の顔に戻っていて、呆れたような目つきで見ている。
あわあわと焦っていたほのかは「こ・こっちの台詞だい!」と叫んだ。

「文句あんのか!オマエが抱けと言うから抱いたんだぞ。」
「そ、そこまではいいけど・・なんか変だったじゃないかぁ!」
「オマエだって真っ赤に茹だって泡食ってるしどうしたかと思ったぜ。」
「えぇ〜・・!?だってだって・・顔がくっつきそうだったしっ・・」
「ほー・・なんか期待したのか?そりゃ生憎だったな。」
「期待なんかしてないよっ!なんだい、もおっ!!」

夏は困ったような曖昧な微笑みを浮かべ、再び歩き始めた。
腕がだるくないのかと様子を窺うが少しもそうは見えない。
それでもいつまでもそうさせているのは悪いとほのかは思った。

「・・なっち。もういいよ。おろして?」
「この方が早いからもうちょっと待て。」
「急いで帰るのって寒いから?」
「オマエの手とか体をあっためないと。」
「ほのか寒くないってば。心配してる?」
「ああ、風邪でも引いたらどうすんだ。」
「そんときはなっちに看病してもらう。」
「・・母親に看てもらえ。なんでオレが・・」
「風邪なんか引かないよ。なっちがあっためてくれるから。」
「・・・ホントに寒くないんだな?」
「ウン。今もあったかいよ。」

珍しく照れたようにそう言うと隠れるように顔を夏の胸に押し付けた。
そんなほのかに掛けられる視線は優しく、ほんの少し歩調は緩くなった。
雪は今も降り続いていて、静かな夜だ。住宅街には歩く人影もなかった。
黙っているとまるで二人きりで世界に置き去られたような感覚が漂う。

シンとした空気の中で、ほのかは思う。

”なっちと二人だからちっとも怖くない”

”そんなはずはないが・・溶けるなよ?”

夏はそんなことを思い、一人苦笑した。

「ねぇ、お家まで抱っこしてくの?」
「そうだな、別にそれでも構わん。」
「すごいね!腕大丈夫!?」
「問題ない。」

まるきりなんでもないことのようにあっさりと夏は答える。
間近にある顔を見上げながら、ほのかはあらためて感心した。
雪の中の夏はとても綺麗だと思った。溶けてしまいそうなほど。
さっきは自分が溶けるなどと言ったが当然本気で言ったわけではない。
はしゃいでいてふと見た夏の姿にほのかは不安な気持ちになったのだ。
顔を背けて歩き出した夏にその気持ちを告げたくなったから言った。

抱き上げて欲しいと。手を繋ぐだけでは足りないと感じて。
ほんとうは”抱きしめて欲しい”という願いの方が正しかったが
そのまま口にすることができなかった。恥ずかしいと思ったから、そして
それは叶えてはもらえないかもしれないと何故かそう思えた。
いつものように駄々っ子になって無理にお願いすれば成功するかも、
ほのかはそう考えたのだ。そこには賭けのような想いが秘められていた。

抱き上げてもらって嬉しかった。するとさっきの夏の表情が思い浮かぶ。
さっきの夏はおかしかった。切なさの滲んだ暗い瞳が迫ってきた。
その深い色の目でじっと見つめられて、体が沸騰して蕩けそうになった。
夏は少しも気付いていなかったのだろうか。慌てておかしかったと言った。
胸が苦しかったこと、頭が真っ白になったこと、そう雪だるまになったように。
抱かれて溶けてしまうならそれでもいい・・そう思えた瞬間が確かにあった。
けれど・・・ほのかは考えるのはやめにして身を委ねたまま目を閉じた。
夏は抱き上げてくれた。それでいい。ワガママはこれくらいにしようと。

いつになく大人しく腕に治まっているほのかに夏は時折視線を落とした。
はしゃぎすぎて疲れたのかもしれないとも思った。子供のようだと思いつつ
心の片隅ではやはり雪の精か何かじゃないのかと疑ってみたりする。
抱き上げてそのまま下ろさなかったのはそうしていたかったからだった。
気付かれてはいないだろう。それでいい。温もりを確かめるだけではなく
この命が今は自分だけが護り専有していると強く意識していたかったのだ。
途中ほのかが目を閉じた。眠いのかもしれない。それなら尚更下ろさずに済む。
触れても抱きしめても消えないで欲しい。今はこうしているだけでいいから。
いつかもっと我侭で傲慢な己の願いを叶えてくれる日が訪れるとするなら・・
溢れ出し、振り続ける雪に負けないほのかへと注がれる想いにまた包まれる。
夏は白い雪が醜い欲の塊のような気持ちだけを覆い隠してくれることを願った。

”唇に触れようとしてたんだ・・吸い寄せられるように・・・”
”けどそんなことしたら・・溶けるかもしれないだろう・・?”

ほんの少しだけ夏は抱いているほのかを近づけると髪に触れた。
雪よりも軽く優しく。愛しさで溶かされていく己を感じながら。







二人して片思いの夢をみてるようです。目を覚ますのはいつでしょう。
         メリークリスマス☆