天の川を川くだり 


 これはまた無理難題だと思わなくもなかった。
七夕の夜、天の川で待ち合わせだと言い出したほのかに
怪訝な顔を向けると存外真剣な顔つきで諭されてしまった。

「だからあ、今晩夢で会うのだよ!鈍いのう、ちみ。」
「だから、普通そういうことできると思ってんのか?」
「できるさ。簡単じゃないか。寝る前に考えるだけじゃないか。」
「・・・お前夢の内容をいつも指定したり・・してるってのか。」
「毎晩ってわけじゃないよ、七夕とかそんなときに決まってる。」

 無理難題どころか、事も無げにほのかは呟く。俺はといえば
”まあ、ほのかだからな。”なんて割合簡単に納得してしまった。

「待ち合わせって・・天の川のどの辺なんだよ。」

 俺が馬鹿馬鹿しい相互理解を図ってやるとほのかは眼を輝かせ
そこは夢の都合のよいところで探せばきっと見つかるはずと言う。
待ち合わせが叶ったら何をするとの問いには「川くだり!」と返る。
そこが実際の川でないことはいくら中学生でも知っていそうなものだ。
しかしそれも夢という実にいい加減なアイテムによってクリアらしい。

「じゃあね、絶対だからね!ほのかを待たせるでないじょ!?」
「ああ・・わかったよ。」

 小指を目の前に差し出され、契りは交わされた。大仰なことだが
それだけほのかは真面目に、本気で夜の空の川を俺と旅したいのだ。
もう俺は馬鹿にしていなかった。それはそれで叶えてやりたかった。
寝る前に約束のしるしとして空を仰ぐ。ほのかの言うがままである。

「・・・曇ってるけどな・・・そうか、夢だからいいのか。」

 暗い空に一人呟いて窓を閉め、ベッドにもぐりこんだ。おそらく
ほのかはとっくに眠っている頃だ、待ちくだびれたとぼやくだろうか。
くだらない想像に浸りながら眼を閉じると珍しく早めに眠りに落ちた。



「遅いっ!遅いじょっ!!なっちってば待ちくたびれたじゃないか!」

「・・わるい。」


 あまりに予想通りなのでおかしかった。しかし予想はそれまでだった。
待っていたほのかはひらひらと金魚のような格好をしていて可愛らしい。
すぐに笑顔になると俺の手を取って急ぐように夜の空を滑り歩き出した。
どうやら俺自身も妙な格好をしていて、まるであれだ、ベタだが七夕の・・

「なあ、これってあれか?織姫とか彦星とかそういうのか。」
「え?違うよ。あのひとたちは夫婦仲が悪くて懲らしめられたんでしょ?」
「お前よくそんな逸話知ってるな。そうだが・・つまり俺たちはなんだ?」
「ほのかとなっちはいつも仲良しだから、これご褒美なんだよ!遊ぼ!!」

 誰がそんなことをしでかしてくれるというのだろうと俺は不思議だった。
ところがさすがは夢というべきか、ほのかは楽しそうで見ているだけで和む。
すると大河が目の前に迫り、ほのかがさ、川くだりするよ!とにこやかに誘う。
光っていてよくわからないが、舟のような雲のようなものにぽんと飛び乗る。
すると、急流くだりのように俺たちは走り出した。周囲の星が一斉に流れ出す。
はしゃいだほのかが飛び跳ねるので落ちはしないかと俺は近くへと身を寄せた。
目の前は流れる星と雲。夜空は極光に似た七色の見事な極彩色を繰り広げた。
いつの間にか愉快になって、俺は笑っていたらしい。

「なっちい、楽しいね!?」
「そうだな、結構いける。」

 ほのかが俺に飛びついた。抱き上げてその格好のまま夜空を彷徨った。

「楓ちゃんのところにも寄って一緒に遊ぼうね。」
「楓!?」

 すると大河のような白い川の遠くに見覚えのある顔が手を振っていた。
ほのかは俺の腕から飛び降りると、舟は自然と岸へ吸い寄せられてゆく。

「楓ちゃ〜ん!待ったあ!?」
「ううん、ほのかちゃん!お兄ちゃん!」

 親しげにほのかと楓が手に手を取って再会を喜んでいる。俺は意外に冷静に
そんな様子を”元気そうだ”などと安堵し、暢気にも満足して見つめていた。

やがて一名増えた舟旅が始まった。俺の前で二人は内緒話をしたりしていた。

「いつからそんなに仲良くなったんだ?」

後ろから声を掛けた俺に二人して振り返り、同時に顔を見合わせて笑った。
蚊帳の外なのだが、不快にはならず二人の仲睦まじい様がなんとなく嬉しい。
次第に速度を増す舟に歓喜して、ほのかと楓が俺にしがみついてきた。
きゃあきゃあと両側から悲鳴が上がる。時々俺に頬刷りしたりしながら。

「お兄ちゃん、楓すごく楽しい。ありがとう。」
「俺も楽しいよ、楓。きてくれてありがとう。」

「楓ちゃん、よかったね!ほのかも会えて嬉しいよ。」
「うん、ほのかちゃんも一緒で嬉しい。楓もほのかちゃんが好きよ。」

俺はそのときぼんやりと聞いていて、「楓も」と言った意味がわからない。
くすくすと笑う二人にくすぐったい気持ちになる。「ほのかも楓ちゃんすき」
囁きは甘く優しく響いた。ああ、ほのかならきっといい友達になれるって
思っていたんだ。よかったな、楓。お前が笑っている姿を見られるなんて


  どんなにか・・  なんて俺は幸せなのだろう




 朝、眼が覚めると俺は呆然としていた。ああ、夢だ。夢を見ていたのだ。
妹の夢を見ると決まって切なくて胸が締め付けられるほど苦しいはずなのに
その日は虚しい想いも後悔もない自分がいた。これは・・どうしたことだろう。
後になって頭が覚醒してくると、あれが俺の願望なりを示していたのかと思った。
だとしてらそれは何のためか。少なくとも悪い夢ではなかった。疲労感もない。
なんらかの効能があったのかもしれない。普段通りの予定をこなすと夢は儚くなり
あやふやな記憶の残滓しかなくなった。そんな折、ほのかが俺を訪ねてきた。

「やっほー!昨夜は楽しかったね!?」

 疑いのない言葉だ。昨夜は望みどおり夢が見られたという証明だった。

「よかったな。」

 なんといっていいかわからずぼそっと呟く。するとおやっとほのかは驚いた。

「楓ちゃん喜んでたじゃないか!さびしくなった?なっち、ほのかがいるよ。」

 ほのかは俺に近づくと昨夜のように腰に腕を回してしがみつくように抱いた。
きゅうと締め付ける腕は確かなものだ。夢とは違って現実だと俺に知らしめた。

「こら、離せ。寂しくなんかねえよ、ばぁか・・」

 自分でも驚くくらい甘ったるい声が出た。ほのかもそれに気づいて上げた顔が
驚きに包まれている。急に恥ずかしさが込みあがってほのかの額を小突いてしまう。

「俺も楽しかったぜ。」
「・・・うんっ!!」

 花が咲いたように笑顔が弾けた。昨夜のことが思い出される。幸せな光景。
俺が望んでいたのは愛する者の笑顔だ。それを認めざるを得ないのだった。

「また遊ぼうね。」
「ああそうだな。」

 夢見るような声でほのかが告げた。俺も素直に応じる。そして互いの目線を
合わせて確かめた。言葉はそれ以上いらない。ほのかと俺は通じているのだから。

「お前って変なやつ。だが悪くない。」
「ちょびっと素直だね。まあいいよ。」
「フン・・」
「当分素直なのは夢の中だけってことか」
「俺が?お前の願望じゃねえか、それは」
「なっちってば・・おばかじゃのう!?」
「なんだと!?」

「ほのかと楓ちゃんに会えて楽しかったのでしょ?」
「・・・何がいいてえんだよ。」
「なんでもな〜い・よ!」
「生意気な!ほのかのくせに!」

 口を割れと迫る俺にほのかは舌を出して拒否した。もつれるように鬩ぎ合う。
終いにオセロ勝負だと言い出したのはどっちだったか・・俺だったかもしれない。
なんてことのない一日にほのかがいる。星が真昼間の居間に一瞬だが流れて消える。

 ”おまえに逢えて よかった”

 まだ口に出せない想いをいつものように隠し、俺たちは新たな秘密を仕舞った。







共有する夢のお話。夏くんが素直になれるのはいまのところそこだけなのです。